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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第6章 渇いた砂と潤いの神

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第54話 砂の国へ

南の国サウディスへ向かう支度は、すぐに整った。


商人の話が本当なら、一刻の猶予もない。


大地が枯れ、砂へと変わっていく。


放っておけば、国がまるごと飢えて滅ぶ。


ノルドで見た、あの絶望を、もう二度と見過ごせなかった。


「セバス。留守を、また頼みます」


「お任せを。……ですが奥方様、今度の旅は、北とは逆の意味で過酷です。どうか、お気をつけて」


セバスの言うとおりだった。


今度向かうのは、灼熱の南。


雪山とは何もかもが違う。


けれどわたくしは、ヴァルドの保存食をたっぷりと荷に積んだ。


味の還ったそれは、どんな土地でも、人を支える力になる。


胸元には、あの淡く光る珠。


ノルドの味の神が遺した、加護の証。


それにそっと触れる。


きっと見守っていてくれる。


そんな気がした。


「行ってきます」


案内役には、あの商人が立ってくれた。


だいぶ回復して、恩返しがしたいと申し出てくれたのだ。


名はカシム。


痩せてはいるが、目に知性の光のある男だった。



旅は、半月に及んだ。


北へ向かった先の旅とは、まるで逆。


進むほどに、空気は乾き、暑くなっていく。


緑が減り、土が乾き、やがて、見渡すかぎりの赤茶けた大地が広がった。


「昔は、このあたりも、麦の穂が、風に揺れる、美しい土地だったのです」


カシムが乾いた大地を眺め、ぽつりと言った。


「サウディスは、“南の穀倉”と呼ばれ、近隣の国々へ、豊かな実りを送り出していました。それが、今では……このありさまだ」


その声に滲む、深い悲しみ。


失われた故郷を悼むその響きが、胸に刺さった。


そして、サウディスの国境が近づくにつれ——光景は、無惨なものに変わっていった。


かつては豊かな農地だったのだろう。


広大な畑が見渡すかぎり広がっている。


けれど、そこに実るものは何もなかった。


作物は立ち枯れ、灰色に変色して、ぼろぼろと崩れている。


触れれば、指先で、さらさらと砂に還ってしまいそうだった。


道の脇には、力尽きた家畜が、倒れていた。


けれど、腐ってはいない。


まるで、内側から水分を抜き取られたように、皮と骨だけになって、半ば砂に埋もれている。


畑の畦には、逃げ遅れた小鳥が、羽を広げたまま、灰色に固まっていた。


——命あるものが、生きたまま、ゆっくりと砂に変えられていく。


その、声のない地獄。


肥沃だったはずの土はさらさらと乾き、風が吹くたびに砂となって舞い上がる。


「……ひどい」


馬車の窓から、その光景を見て、わたくしは言葉を失った。


ノルドの「味の消失」は、目に見えない異変だった。


けれど、これは違う。


大地そのものが、死んでいく。


命を育む力を根こそぎ奪われ、不毛の砂へ変えられていく。


——もっと直接的で、もっと暴力的な異変だった。


「アルヴィス様。これは……ノルドの異変とは、まるで形が違います」


「ああ」

アルヴィスも厳しい顔で頷いた。


「味が消えるのではなく、命そのものが枯れていく。同じ“理の綻び”でも、現れ方が、まったく違う」


味の神は言っていた。


世界のあちこちで、理が綻びはじめている、と。


きっと、その綻び方は、土地ごとに違うのだ。


ノルドでは味が。


ここサウディスでは、大地の実りが。


——では他の土地では、いったい何が。


考えるほどに、事の大きさが、のしかかってくる。


念のため、わたくしは馬車を降り、枯れ果てて灰色になった麦の茎を、一本だけ、そっと口に含んでみた。


《美食家の舌》を、研ぎ澄ませる。


——味が、ない。


いや、味以前に、茎の中にあるはずの命の気配そのものが、消えている。


ノルドの「味だけが抜ける」のとは違う。


ここでは、もっと根こそぎ“育む力”が奪い去られていた。



国の中心に近づくと、難民の群れとすれ違うようになった。


枯れた畑を捨て、わずかな食料を求めてさまよう人々。


痩せ細った子を抱いた母親。


力なく座り込む老人。


その姿は、かつてのヴァルドを、ノルドを、思い起こさせた。


飢えは、どこの土地でも、同じ悲しい顔をしている。


「……止めて」


わたくしは御者に馬車を停めさせた。


そして、積んできたヴァルドの保存食を、難民たちに配りはじめた。


「どうぞ。少しですが、召し上がってください」


最初は警戒していた人々も、空腹には勝てない。


おそるおそる口にして——その顔が、ぱっとほころんだ。


「……うまい。こんなうまいもの、久しぶりだ」


「ありがとう、ありがとう、お貴族様……!」


涙を流して感謝する人々。


わたくしは、胸が痛んだ。


これは、その場しのぎにすぎない。


根本を断たなければ、この人たちはまた飢える。


「待っていてください。——必ず、この異変の原因を突き止めます。そして、あなたたちの大地に、もう一度、実りを取り戻してみせます」


ふたたび馬車を走らせながら、カシムがサウディスの今を語ってくれた。


「正直に申し上げます。今の我が国は、混乱の極みにあります」彼の声は重かった。


「枯死が始まってから、国王陛下はなすすべもなく。宮廷では、この災いの原因を巡って、責任のなすり合いが続いております。隣国の呪いだと唱える者。神の怒りだと、民を煽る者。……中には、この機に乗じて王位を狙う動きすら、あるとか」


国の屋台骨が、揺らいでいる。

飢えは、人の心まで痩せさせる。


わたくしは、ヴァルドで、王都で、それを嫌というほど見てきた。


「ですが」と、カシムはすがるように、わたくしを見た。


「異国の“食の魔術師”が北の災いを、たった一人で鎮めたという噂は、サウディスにも届いておりました。あなたなら、と。……それが、わたくしが命がけで北を目指した理由です」


その期待の重さに、わたくしは静かに頷いた。


背負うものが、またひとつ増えた。

けれど、逃げるつもりは、なかった。


砂に呑まれゆく南の国。


その中心へ、わたくしたちは馬車を進めた。


灼熱の大地の、さらに奥。


そこで何が待ち受けているのか。


——乾いた風が、頬を撫でていった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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