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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第5章 味の還る国

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第52話 おいしいの意味

ノルドの集落へ戻ると、そこは見違えるように変わっていた。


味が、還ったのだ。


集落のあちこちで、人々が食事を口にしては、驚きと喜びの声を上げていた。

何ヶ月もおが屑を噛むようだった食事に、突然、味が戻ってきたのだから。


「味がする……! 味がするぞ!」

「ああ、この味だ……! 婆さんの作る、汁物の味だ……!」


涙を流して喜ぶ者。夢中でおかわりをする者。集落に、笑い声が戻っていた。

失われていた食卓の灯が、ひとつ、またひとつとともり直していく。


その光景に、わたくしの胸も熱くなった。



族長の館へ向かうと、リーセがまっすぐに、弟の寝室へ駆け込んだ。


「ニルス! 起きて! ——味が、還ってきたのよ!」


寝台のニルスは、まだ弱っていた。けれどその目には、わずかに光が戻っている。


わたくしはすぐに厨房を借りた。

還ってきたノルドの食材で、あたたかい、滋養のあるスープをこしらえる。

今度は——ちゃんと味のある一杯を。


「ニルスくん。さあ、飲んでみて」


匙をその口元へ運ぶ。

少年はおそるおそる、ひと口すすって——。


その瞬間。少年の大きな目が、まんまるに見開かれた。

そしてその瞳に、みるみる涙が盛り上がっていく。


「……あ。……あじが、する」


震える声だった。


「あったかくて、あまくて、おいしい……。これだ。ぼく、これをわすれてた。“おいしい”って、こんなきもちだったんだ……!」


ぼろぼろと涙をこぼしながら、少年は夢中でスープをすすった。

頬に、生気が戻っていく。その姿に、リーセも族長も、泣いていた。


わたくしも、涙が止まらなかった。


“おいしい”を、思い出してくれた。あの忘れてしまった、しあわせな気持ちを。

——これが見たかった。この笑顔が。この涙が。


料理人をやっていて本当によかったと、心から思える瞬間だった。



ニルスは、その日からみるみる回復していった。


味が還れば、食欲も戻る。食べれば、力がつく。

あれほど痩せ細っていた少年が、数日のうちに寝台を出て、歩けるようになった。


「おねえちゃん! あのね、ぼく、きめたんだ!」


すっかり元気を取り戻したニルスが、ある日わたくしの手を握って言った。

「ぼくも、おねえちゃんみたいなりょうりにんになる! おいしいもので、みんなをえがおにするんだ! ——だって、それってせかいをすくうことなんでしょ?」


そのまっすぐな言葉に、わたくしは思わず笑って、そしてまた泣いてしまった。


「……ええ。そうよ。立派な料理人になってね。——あなたなら、きっとなれるわ」



ノルドを発つ日が来た。


発つ前に、ひとつ、決めねばならないことがあった。

あの、氷の中に残された、淡く光る珠。

味の神の力が、一時的に凝縮されたもの。それを、どうするか。


「セラ様が、お持ちください」


族長が、そう言って、頭を下げた。

「あれは、わしらノルドの民だけでは、とても扱えるものではありません。味の神を救い、正気に戻したのは、あなただ。あの珠も、きっと、あなたのそばにいることを、望んでおりましょう」


わたくしは、しばし迷ったのち、その珠を、そっと、両手で受け取った。


手のひらの中で、珠は、あたたかく、優しく脈打っている。

まるで、小さな心臓のように。


(……あなたが、わたくしと共にいてくれるなら、心強いです)


“あのお方”という、得体の知れない脅威が、もし、本当に目覚めるのなら。

この、味の神の加護は——きっと、何かの、支えになる。


そんな予感が、あった。わたくしは、珠を、大切に、胸元へとしまった。


族長は深々と頭を下げ、ありったけの感謝を述べた。

リーセは涙ながらに、別れを惜しんでくれた。


「セラ様。あなたは、ノルドの恩人です。いいえ——世界の恩人だわ。このご恩は、生涯忘れません」


「大げさですよ」

わたくしは微笑んだ。

「わたくしは、ただ料理を作っただけ。でも、もしまた困ったことがあったら、いつでも呼んでください。あたたかい料理を持って、すぐに駆けつけます」


別れを惜しみながら、わたくしたちはノルドを後にした。



帰りの馬車の中。わたくしはずっと、考えていた。


あの味の神。何千年も眠り、忘れられ、飢えていた、古い古い存在。

——あれは、いったい何だったのか。


ふと、宰相の言葉が甦る。

“あのお方”が目覚めれば、世界の真実に向き合うことになる。

そして書庫の記録。初代辺境伯の“神の舌”。失われし、世界の理。


(……まさか)


はっと、息を詰めた。

あの味の神が、“あのお方”なのだろうか。


——いいえ、違う気がする。

あの神は、あくまで“味”を司るひとつの存在。

けれど宰相の言う“あのお方”は、もっと根源的な何か。

世界の理そのものに関わる、もっと大きな——。


だとすれば。今回のノルドの異変は、その“あのお方”が目覚める、前触れ。

世界のあちこちで綻びはじめた“理”の、ほんのひとつにすぎないのかもしれない。


「アルヴィス様」


わたくしは、隣の彼を見た。

「……まだ、終わっていませんね。この物語は」


アルヴィスは静かに頷いた。

「ああ。だが——」


彼は、わたくしの手をそっと握った。


「何が来ようと、おれたちは二人で立ち向かう。お前の料理が人を救うかぎり。——負ける気は、せんな」


その言葉に、わたくしは微笑んだ。


不安はある。これからもっと大きな何かが、待っているのかもしれない。

けれど、怖くはなかった。


わたくしには《美食家の舌》がある。料理がある。そして隣には、この人がいる。


馬車は、ヴァルドへと進んでいく。あたたかな、我が家へ。

味の還った世界を抜けて。——次なる謎の待つ、明日へと。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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