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追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第5章 味の還る国

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第46話 雪国ノルド

旅立ちから十日。わたくしたちはついにノルドへ辿り着いた。


それは想像をはるかに超える雪の世界だった。見渡すかぎりの白。

空も大地もすべてが雪と氷に覆われている。


深い谷あいに、身を寄せ合うように石と木で組まれた家々が並ぶ。

それがノルドの中心の集落だった。


けれど、その集落は——死にかけていた。


人の姿はまばらだった。

たまに見かける村人も、皆痩せこけ、うつろな目をして力なく歩いている。

家々の煙突から立つ煙は細く、頼りない。


本来なら厳しい冬を越すために火を囲み、寄り添い合っているはずの季節。

なのに集落全体に、生気がなかった。


「ひどい……」


馬車を降りたわたくしは、思わず呟いた。


辺境ヴァルドも、かつては飢えていた。けれどそれとは質が違う。

ヴァルドの飢えには、まだ「腹を満たしたい」という生への渇望があった。


けれどノルドの民の目には、その渇望すらない。

食べることへの希望そのものを失った者たちの、虚ろな目。それが何より恐ろしかった。


道の脇に、薪を抱えた女がうずくまっていた。その傍らで、幼い子がぐずっている。

「おなかすいた」ではない。「もう食べたくない」と、首を振っているのだ。


何を食べても味がしないなら、空腹を満たす意味すら、見いだせなくなる。

食欲とは、味への期待が支えていたのだと——わたくしは初めて、思い知った。



リーセは、わたくしたちを集落のいちばん奥、族長の館へと案内した。


質素だが温かみのある館。出迎えたのは、リーセの父である族長だった。

白い髭をたくわえた、いかにも頑健そうな男。

けれどその顔にも、隠しきれない疲れと憔悴が滲んでいた。


「よくぞ、こんな辺境まで。……娘が、無理を申したでしょう」


族長は深く頭を下げた。

「正直に言えば、わしは半信半疑だった。よその土地の貴婦人に、何ができるのかと。だが——もう、藁にもすがる思いなのです。どうか、わしらの話を、聞いてやってくだされ」


「もちろんです。そのために、参りました」


わたくしが頷くと、族長は、館の奥へと目をやった。その視線の先に、小さな寝台があった。


「……あれが、わしの孫。リーセの弟の、ニルスです」



寝台に横たわっていたのは、まだ十にも満たない、幼い少年だった。


痩せ細った体。こけた頬。雪のように青白い肌。

かろうじて開いた目に、生気はほとんどない。


「姉、さま……」


か細い声。それだけで、ぜいぜいと息が上がる。


わたくしは思わず寝台に駆け寄り、その小さな手を握った。

冷たい。氷のように冷たい手だった。


「ニルスくん。わたくしはセラ。あなたを助けに来たわ」


少年はうっすらとわたくしを見た。そして消え入りそうな声で言った。


「……おねえちゃん。ぼく、ずっと、おいしいものが食べたいんだ。あったかくて、おいしいもの。でも、なにを食べても、あじがしないの。ぼく、わすれちゃった。おいしいって、どんなきもちだったか……」


その言葉に、わたくしの胸は、引き裂かれるように痛んだ。


おいしいって、どんな気持ちだったか、忘れた。

——たった十年も生きていない子が、そんな悲しいことを言う。


食べる喜びは、人が生きる根っこの喜びのひとつ。

それを奪われた子どもの姿は、わたくしの料理人としての魂を、激しく揺さぶった。



寝室を辞したあと、わたくしは族長に、いくつか尋ねた。

原因を探るには、まず、異変の「形」を知らねばならない。


「族長様。味が失われはじめたのは、いつ頃のことですか。そして、どこから」


族長は、しばらく記憶をたどるように、目を閉じた。


「……ちょうど、半年前。秋の終わりだったか。最初におかしいと言い出したのは、谷の、いちばん奥の村の者たちでした。北の、氷の山に近い村です。それがひと月、またひと月と経つうちに、こちらへ、こちらへと、降りてくるように、広がってきた」


北の、氷の山。わたくしは、その言葉を胸に刻んだ。

波紋の中心。震源はおそらく、そこにある。


「その氷の山には、何か。言い伝えや、近づいてはいけない場所など、ありませんか」


族長の顔が、わずかに、こわばった。


「……あの山には、古い言い伝えが。ノルドでは、“眠りの山”と呼ばれております。はるか昔、世界がまだ若かった頃。そこに、人ならざるものが、眠りについた、と。決して、その眠りを妨げてはならぬ——そう、代々、戒められてきました」


人ならざるもの。眠り。

——思わず、息を呑んだ。


書庫の記録。宰相の言葉。“あのお方”が、目覚めれば。

すべてが、その一点を、指し示しているような気がした。



館を出て、わたくしは雪空を見上げた。こぼれそうになる涙を、ぐっと堪える。


「セラ」


隣に立つアルヴィスが、静かにわたくしの肩に手を置いた。


「気負いすぎるな。お前が、こういう時に退く女でないことは知っている。だが——お前は一人ではない。おれも、リーセもいる」


その言葉に、強張っていた肩から、少し力が抜けた。


「……はい。ありがとうございます」


わたくしは涙を拭い、顔を上げた。悲しんでいる場合ではない。

あの子に、もう一度「おいしい」を取り戻す。そのために、ここへ来たのだ。


「決めました。必ず原因を突き止めます。端してニルスくんに、ノルドの皆さんに、もう一度あたたかくておいしいものを食べさせてあげる。あの子が忘れてしまった“おいしい”という気持ちを、思い出させてあげるんです」


「ああ。おれも力を貸す」


決意を新たに、わたくしは集落を見渡した。


調査を始めなければ。この異変は、いつ、どこから始まったのか。

味が消える、その境界はどこにあるのか。

手がかりは必ず、この雪の中に隠れているはず。


(待っていて、ニルスくん。おねえちゃんが、必ず取り戻してあげるから)


味の失われた白い世界。その謎へと、わたくしの戦いが、いま本格的に動き出した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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