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追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第5章 味の還る国

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第45話 北へ

ノルドへの旅立ちは慌ただしかった。


留守を預かるのは家令のセバスと、すっかり領地に馴染んだマルクたち。

ヴァルドの食を彼らになら安心して任せられる。一年前には考えられなかったことだ。

わたくしが育てた人と知識は、もうわたくしがいなくても、この土地を回していける。


「奥方様。どうか、ご無事で」


見送りに集まった村人たちの顔は心配げだった。けれどその目には信頼もあった。

きっと奥方様なら、と。その信頼が背中を押してくれる。


馬車にはわたくしとアルヴィス。御者を兼ねた護衛が数人。そして道案内のリーセ。

ヴァルドの保存食をたっぷり積み込んだ。


何ヶ月でも保つ、軽くて滋養のある品々。これは味を失った土地で、何よりの武器になる。


「行ってきます」


わたくしはヴァルドの大地にそう告げた。

必ず答えを持って帰ってくる。そしてまた、ここで料理を作る。

そう誓って、馬車は北へと走り出した。



旅は日を追うごとに寒くなっていった。


緑が減り、木々が痩せ、やがてあたり一面が白に変わる。

空気は刺すように冷たく、吐く息はたちまち凍りつく。

ヴァルドの冬も厳しいが、ノルドへ近づくほどに寒さは別格になっていった。


その寒さの中で、わたくしは奇妙なことに気づきはじめた。


道中の宿場で口にする食事。それが北へ進むほど、少しずつ味が薄くなっていくのだ。


最初は気のせいかと思った。寒さで舌が鈍っているのかと。

けれど違った。《美食家の舌》ははっきりと捉えていた。


食材から滲み出る味の輪郭が、北へ行くほどぼやけ、霞んでいく。

まるでノルドという震源から、味の消える波紋が、じわじわと外へ広がっているかのように。


試しに、宿場ごとに、出された汁物を、注意深く確かめてみた。


ヴァルドを出て二日目の宿では、味は十分にあった。

四日目では、出汁の旨味が、わずかに薄い。

六日目の宿では、塩気こそ残っているものの、素材の味は、ほとんど感じ取れなくなっていた。


距離と、味の薄れ。その二つは、はっきりと比例していた。


「アルヴィス様。異変は、もう始まっています。ノルドだけじゃない。その周りの土地まで、少しずつ侵されはじめている」


わたくしの声に、アルヴィスの顔が引き締まった。


「広がっている、というのか」


「ええ。ゆっくりと。でも確実に。中心から、外へ。——この調子で広がり続ければ、いつか、ヴァルドにも届きます。いいえ、ヴァルドだけじゃない。世界中の食卓から、味が消える日が、来てしまう」


口にして、肌が粟立った。

それは決して、大げさな想像ではなかった。現に、波紋は、こうして広がり続けているのだから。


「急ぎましょう。原因を突き止めて、食い止めなければ。——手遅れに、なる前に」



ノルドの国境に近い、小さな村を通りかかったときのことだった。


休息のため立ち寄ったその村は、奇妙に、静まり返っていた。

昼間だというのに、笑い声ひとつしない。


広場では、数人の村人が、黙々と食事をとしていた。湯気の立つ椀を手に。

けれど、その顔に、食事を楽しむ色は、まるでなかった。


ただ、生きるために。義務のように。口へ運び、飲み込む。

誰も、言葉を交わさない。誰も、笑わない。


あたたかいものを食べているはずなのに、その光景は、見ているだけで胸が塞がるほど、冷たく、寒々しかった。


一人の老人が、椀を置いて、ぽつりと呟いた。


「……昔は、この村の汁物は、うまかったんだがなあ。婆さんの作る、あれが、楽しみで。今は、何を食っても、おが屑を噛んでるみたいだ。腹は、膨れるんだがね。……生きてる気が、しねえんだよ」


その言葉に、わたくしは、言葉を失った。


これが、味を失うということ。

食べることは、ただ腹を満たすだけの、味気ない作業に成り果てる。

食卓から会話が消え、笑顔が消え、温もりが消える。


リーセの言ったとおりだった。村から、灯が、消えていく。


その光景を、しっかりと、目に焼きつけた。

これは、ノルドだけの悲劇ではない。食い止めなければ、いずれ、すべての食卓が、こうなる。



リーセは道中、ぽつぽつとノルドのことを語ってくれた。


雪と氷に閉ざされた厳しい土地。けれど人々は誇り高く、助け合い、たくましく生きてきた。

乏しい食材を工夫してあたたかい料理を囲み、長い冬を笑って越えてきたのだという。


「ノルドの民にとって、食卓はただ腹を満たす場所ではありません」


リーセの声は誇りに満ちていた。

「凍えるような夜、家族で火を囲み、あたたかいものを分け合う。その時間こそが、わたしたちの生きる支えでした。それを奪われたのです。味のない食事は、ただ冷たく、孤独です。皆、口数が減り、笑わなくなりました。村から灯が消えていくようで……」


その言葉に、わたくしの胸は強く締めつけられた。


分かる。痛いほど分かる。食卓の温もりが、人をどれだけ支えるか。

わたくしは辺境でそれを何度も見てきた。あたたかい一皿が、凍った村に笑顔を取り戻していくのを。


だからこそ、許せなかった。


人から食べる喜びを奪うもの。食卓の灯を消していくもの。

それがどんな存在であろうと、わたくしは立ち向かう。料理を愛する者の意地にかけて。


「リーセさん。必ず取り戻しましょう。ノルドの食卓の、あの灯を」


リーセの青い瞳が潤んだ。そして深く頷いた。


馬車は白い世界を、ひたすら北へ。

その先で待つものが希望か、絶望か。まだ誰にも分からない。

けれどわたくしたちは進む。味の消えた世界の、その中心へと。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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