表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第5章 味の還る国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/53

第43話 雪国からの使者

王都での戦いから、ふた月が過ぎた。

辺境ヴァルドには穏やかな日々が戻っていた。

いいえ——戻ったというより、以前よりずっと豊かに、あたたかくなっていた。


王都を救った辺境伯領という名声は、思わぬ追い風になった。

各地からヴァルドの保存食や魚醤を求める商人が、ひっきりなしに訪れる。


マルクをはじめ、宮廷を追われた料理人たちの何人かは、約束どおりヴァルドへ移り住み、領地の食をさらに豊かにしてくれていた。


その朝もわたくしは、いつものように厨房に立っていた。


「奥方様。本日の味噌の仕込み、いかがしましょう」


「ええ、見せてください。——ああ、いい色。しっかり発酵が進んでいますね」


前世の記憶を頼りに、ずっと試行錯誤してきた味噌づくり。

それがようやく、納得のいくものに仕上がりつつあった。

この琥珀色の塊が、どれだけの料理を化けさせてくれることか。考えるだけで胸が躍る。


「セラ」


厨房を覗き込んだのはアルヴィスだった。

「精が出るな。少し味見を、させてもらってもいいか」


「あら。旦那様が味見のおねだりだなんて、珍しい」


くすくす笑いながら、わたくしは仕込んだばかりの味噌を溶いた、あたたかい汁物を差し出した。

具は村で採れた根菜と、豆腐もどき。


ひと口すすったアルヴィスの厳めしい顔が、ふっとほどける。


「……うまい。体の芯から、あたたまる」


「ふふ。よかった。寒い朝には、これがいちばんです」


椀を傾けながら、アルヴィスが、ふと、声を落とした。


「……平穏なのは、いいことだ。だが、おれは、まだ、あの宰相のことが、引っかかっている。処刑を前に、忽然と消えた。そして、あの言葉——“あのお方が目覚めれば”、だったか」


わたくしの手が、ほんの少し、止まった。


王都での決着から、ふた月。あの不気味な言葉は、ずっと、胸の奥に、棘のように残っている。

何事もなく日々が過ぎていくほど、かえって、その静けさが、嵐の前のように、思えてくる。


「ええ。……気になりますね。でも、今は、手がかりも、ありません。できることをしながら、備えておくしか」


「ああ。そうだな」

アルヴィスは頷き、また椀を傾けた。

「……まあ、何が来ようと、お前が作る飯がうまければ、おれは、たいてい、何とかなる気がするがな」


「もう。そういう言い方」


軽口に、わたくしは笑った。けれど——その不穏な予感は、思いのほか早く、現実のものとなる。


出会った頃は表情ひとつ変えなかったこの人が、今ではわたくしの料理に、こんなにも素直な顔を見せてくれる。その変化が何より愛おしかった。


——けれど、この穏やかな朝は長くは続かなかった。



その報せは昼過ぎにもたらされた。


「奥方様! 旦那様! 大変です。北から、お客人が」


セバスが珍しく慌てた様子で駆け込んってきた。アルヴィスの表情が引き締まる。


ノルド。ヴァルドのさらに北。

一年の大半を雪に閉ざされた、辺境の中の辺境。けれど独自の文化を持つ、誇り高い土地だと聞いていた。


「はい。それが……ノルドの使者だと。なんでも火急の用件だと仰って」


通された応接間で待っていたのは、一人の若い女性だった。


雪のように白い肌。深い青の瞳。厚い毛皮をまとった凛とした佇まい。

けれどその顔は、長旅のせいか——あるいは別の何かのせいか、ひどく青ざめ、やつれて見えた。


「お初にお目にかかります。わたくしはリーセ。ノルドの族長の娘にございます」


彼女は深く頭を下げた。

正式に顔を上げると、すがるような目でわたくしを——いいえ、わたくしの“噂”を見つめた。


「不躾をお許しください。こちらに“どんな食材の真価も見抜く”、奇跡のような舌を持つ奥方様がいらっしゃると聞きました。それが本当なら——どうか、わたくしたちのノルドを救っていただけませんか」



リーセが語った話は、にわかには信じがたいものだった。


「……ノルドの食卓から、“味”が失われていくのです」


「味が、失われる?」


わたくしは眉をひそめた。リーセは苦しげに頷いた。


「はい。ある時から、突然。何を食べても味がしなくなった。最初はほんの数人でした。けれどそれが村から村へ広がって。今ではノルドのほとんどの民が、食べ物の味を感じられなくなっているのです」


ぞくり、と背筋が冷えた。


味がしなくなる。それは食べる喜びが奪われるということ。

人は味を感じられなければ食欲を失い、やがて衰弱していく。

あの毒に冒された国王の姿が、ふと脳裏をよぎった。


「医者にも薬師にも診せました。けれど誰にも原因が分からない。病でも毒でもない。ただ世界から——わたしたちの食べ物から、“味”というものだけが、すっぽりと抜け落ちていくのです」


リーセの青い瞳が潤んだ。


「わたしの幼い弟も……もう何ヶ月も、まともに食事をとれていません。日に日に痩せていく弟を見ているのが、つらくて」


その言葉に、わたくしの胸がぎゅっと締めつけられた。


味を感じられない。食べる喜びを奪われる。

料理を愛するわたくしにとって、それはこれ以上ないほどおぞましい話だった。

そして同時に。


(……“味”が、失われる?)


わたくしの中で、ひとつの不吉な予感が頭をもたげた。


食べ物の真価を視る、わたくしの《美食家の舌》。

その力に関わる“神の舌”の伝説。

そして 宰相が最後に残した、あの言葉。

——“あのお方”が目覚めれば。世界の真実に向き合うことになる。


まさか。このノルドの異変は——あの大きな“何か”の、始まりなのではないか。


「リーセさん」


わたくしはまっすぐに彼女を見た。


「詳しいお話を聞かせてください。そしてもし、わたくしの力でできることがあるのなら。必ず、お力になります」


穏やかな日々は終わった。

新たな謎が——“味の失われる世界”という得体の知れない異変が、わたくしを再び、大きな物語の渦へと誘おうとしていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ