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追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第1章 氷の辺境に嫁いで

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第4話 海の恵みと、不機嫌な行商人

 館の朝食が変わって、三日が過ぎた。


 使用人たちの顔つきが、目に見えて違ってきていた。頬に少し赤みが差し、足取りが軽くなり、何より——よく笑うようになった。あたたかい食事というのは、不思議なものだ。腹を満たすだけでなく、人の心まで、ゆっくりと立て直していく。


 けれど、わたくしは満足していなかった。館の数人を養うだけなら、ありあわせで足りる。でも、領地全体を立て直すには、まったく足りない。もっと根本から、食の“仕組み”を変えなければ。


 そのために、どうしても欲しいものがあった。


「セバス。約束していた漁村へ、連れていってもらえますか」



 南へ半日。馬車に揺られてたどり着いた漁村は、海辺にしがみつくように建つ、寂れた集落だった。


 潮の匂い。軋む桟橋。そして——浜辺に、無造作に打ち捨てられた、大量の魚。


「……これは」


 わたくしは思わず駆け寄った。銀色に光る魚の山。まだそれほど傷んでいないものも多い。なのに、誰も見向きもせず、ただ陽の下で腐るに任せている。


「もったいない……!」


 声をかけると、網を繕っていた漁師の老人が、胡乱げにこちらを見た。


「貴族のお嬢さんが、何の用だね。そいつらは売り物にならねえ屑魚さ。形が悪いか、足が早いか。どうせ街まで運ぶ前に傷む。捨てるしかねえんだよ」


「いいえ」


 わたくしは、しゃがんで一匹を手に取った。《美食家の舌》が、視せてくれる。この魚が抱えている、豊かな未来を。


「この魚は、屑なんかじゃありません。——塩と時間さえあれば、何ヶ月も保つ、深い旨味の調味料になります。それから、干せば保存食に。あらを煮出せば出汁に。捨てるところなんて、ひとつもない」


 老人が、ぽかんとした。


「魚醤、というものを作りましょう。魚を塩に漬け込んで、じっくり寝かせるだけ。難しい道具はいりません。できあがれば、どんな料理も化けます。——そして、それは、売れます」


「売れる、だと……?」


 老人の濁った目に、ほんのわずか、光が差した。長く諦めの中で生きてきた人の、消えかけた火種のような光。


「ええ。傷んで捨てていたものが、お金に変わるんです。この村に、もう一度、活気が戻ります」


 それでも、漁師たちの顔には、まだ疑いの色が濃かった。何年も諦めてきた人々に、言葉だけで希望を信じろというのは酷だ。それは、前世でもよくわかっていた。だったら——見せればいい。


「焚き火を、お借りできますか。それと、その屑魚を、一匹」


 わたくしは袖をまくり、浜辺に膝をついた。打ち捨てられた魚の山から、まだ目の澄んだ一匹を選ぶ。手早く腹を開き、塩をひと振り。村の老婆が分けてくれた、わずかな油を引いた鉄板の上で、皮目から焼いていく。


 じゅう、と音が立った。


 脂が、はぜる。塩が、焦げる手前で香ばしく色づく。海風に乗って、こうばしい匂いが浜いっぱいに広がっていく。さっきまで「屑魚」と吐き捨てていた漁師たちが、いつの間にか、ごくりと喉を鳴らして焚き火を囲んでいた。


「——どうぞ。熱いうちに」


 焼きたての一切れを差し出すと、若い漁師がおそるおそる口に運んだ。次の瞬間、彼の目が、まんまるに見開かれた。


「う……うまい!? なんだこれ、こんな……こんな屑魚が、こんなに……!」


 ぱりっと焼けた皮の下から、ほろりと崩れる白い身。塩だけで引き出された、魚そのものの旨味と甘み。特別な調味料なんて、何も使っていない。ただ、正しく扱っただけ。


「屑魚なんて、この世にいません」


 わたくしは、呆然とする漁師たちを見回して、言った。「扱いを知らないだけ。——その知識を、わたくしが全部、お渡しします」



 その日、わたくしは日が暮れるまで漁村にいた。


 塩の配合。漬け込む樽の扱い。寝かせる場所の温度と湿気。前世の知識を、ひとつずつ、漁師たちに伝えていく。最初は半信半疑だった彼らも、わたくしが魚の一匹一匹を見て「これは出汁向き」「これは干物に」と的確に選り分けていくのを見て、次第に目の色を変えていった。


「奥方様は……まるで、魚の声が聞こえているみたいだ」


 若い漁師が、感嘆まじりに呟いた。


 聞こえている、というのは、あながち間違いではないのかもしれない。わたくしには視えるのだ。彼らがどう扱われたいか。どうすれば、一番おいしくなれるか。


 帰り際、老漁師が、不器用に頭を下げた。


「……奥方様。さっきは、無礼な口を利いて、すまなかった。あんたは、本気で、おれたちの村を——」


「いいんですよ」


 わたくしは微笑んだ。「ひと月後、また来ます。その頃には、最初の魚醤が仕込み上がっているはず。楽しみにしていてくださいね」



 問題が起きたのは、その帰り道だった。


 館へ戻る街道で、わたくしたちの馬車は、立ち往生している一台の荷馬車に行き合った。車輪が泥にはまり、御者の男が、汗だくで悪態をついている。


「くそっ、こんな辺鄙な土地に来るんじゃなかった……!」


 恰幅のいい、人の好さそうな——けれど今は不機嫌に顔を歪めた、中年の男。荷台には、布や金物や、街の品が山と積まれている。行商人だ。


「お困りのようですね」


 声をかけると、男はじろりとこちらを見て、ふんと鼻を鳴らした。


「貴族様に助けてもらうほど落ちぶれちゃいませんや。……と言いたいところですがね。正直、参ってます。この辺りは買う者も売る者もいねえ、商人にとっちゃ地獄みたいな土地だ。早く抜け出したいんですよ」


 わたくしは、馬車を降りた。そして、にっこりと笑った。


 頭の中では、もう、次の絵が描かれはじめていた。漁村の魚醤。館の保存食。やがて生まれる、売るべきもの。それを、街へ運んでくれる者。


 ——目の前のこの不機嫌な男は、もしかしたら、わたくしが探していた最後のピースかもしれない。


「ねえ、行商人さん。少しだけ、お話ししませんか」


 わたくしは、泥にはまった車輪に手をかけながら、続けた。


「この土地が地獄だと言いましたね。——では、その地獄が、いちばん儲かる金脈に変わるとしたら。あなた、興味はありませんか?」


 男の眉が、ぴくりと動いた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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