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追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第1章 氷の辺境に嫁いで

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第5話 金脈は、辺境に眠る

「この地獄が、いちばん儲かる金脈に変わる——?」


 行商人の男は、わたくしの言葉を、ゆっくりと繰り返した。泥にはまった荷馬車のことも忘れて、探るような目でこちらを見ている。商人の目だ。胡散臭い話を、一瞬で値踏みする目。


「お嬢さん。おれはハンスってけちな行商人だがね、二十年この道で食ってきた。世の中、うまい話にはたいてい裏がある。——で? その金脈ってのは、いったい何なんです」


「魚醤と、保存食です」


 わたくしは、簡潔に答えた。「この先の漁村で、屑魚から作る調味料の仕込みを始めました。ひと月で最初のものが上がります。それから、館では発酵と燻製を使った保存食を。どちらも日持ちして、味は——そうですね、街のどんな高級店にも負けません」


「……ほう」


 ハンスの眉が、片方だけ上がった。


「で、あんたはそれを、おれに運ばせたいと。けどお嬢さん、悪いが計算が甘い。こんな辺境の無名の品を、街の連中が買うとでも? 売り先のない荷を運ぶのは、ただの赤字だ」


「では、ひとつ、味見をしていただけますか」


 わたくしは、馬車に積んでいた小さな包みを取り出した。あの日、館の厨房で仕込み、使用人たちが「美味すぎる」と目を丸くした、あの燻製肉。いつかのために、と大事にとっておいた、とっておきの“切り札”だ。


 ハンスは、やれやれという顔で、一切れをつまんだ。「味見くらいなら、付き合いますがね。期待は——」


 噛んだ。


 そして、止まった。


「…………」


 もぐ、と、もう一度噛む。彼の喉が鳴る。さっきまでの、人を食ったような余裕の表情が、みるみるうちに剥がれ落ちていく。


「……おい。なんだこりゃ。塩漬け肉だろ? なのに、なんでこんな……燻した香りが、こう、鼻に抜けて……噛むほど旨味が出てきやがる。こんなもん、王都の高級食堂でだって食ったことが——」


「お気に召しましたか」


 わたくしは、にっこりと笑った。これで、勝負はついた。前世から知っている。理屈をいくら並べても人は動かない。けれど、舌は嘘をつかない。一口の「うまい」は、千の言葉より雄弁だ。


 ハンスは、包みの中の燻製肉を、名残惜しそうに見つめた。それから、深く長いため息をついて、観念したように頭を掻いた。


「……まいったね、どうも。商人が、品物に口説き落とされるとは」


「では——」


「ああ、わかった、わかりましたよ! 運びます、運べばいいんでしょう! こんな上玉を腐らせとくなんざ、商人の名折れだ!」


 そう言ってから、ハンスは、はっと我に返ったように声をひそめた。「……ただし、条件がある。独占させてくれ。このヴァルドの品を街へ運ぶのは、おれ一人。最初に目をつけたのは、このハンス様だ」


 抜け目のない男だ。けれど、それでいい。むしろ、それがいい。


「ええ、構いません。その代わり、買い叩きは無しですよ。この村と領地が、ちゃんと潤う値でお願いします」


「……ちっ。やっぱり、ただのお嬢さんじゃないな、あんた」


 ハンスは苦笑して、それから、ぐっと身を乗り出した。商人の顔に戻っている。けれど、その目には、さっきまでなかった熱があった。


「いいでしょう。乗った。——なあ、奥方様。あんた、ほんとにこの辺境を、変えちまうつもりかい」


「いいえ」


 わたくしは、泥にはまった彼の車輪を、よいしょ、と押した。ぬかるみから、車輪がずるりと抜ける。


「変えるんじゃありません。——取り戻すんです。この土地が、本当はずっと持っていたはずの、豊かさを」


 そして、わたくしは続けた。今まで誰にも話していなかった、頭の中の大きな絵を。


「いいですか、ハンスさん。この領地に足りなかったのは、食材でも、人手でもないんです。——“流れ”ですよ。海で獲れた魚が、傷む前に街へ届く流れ。作った物が、お金に変わって、また村へ戻ってくる流れ。それさえできれば、辺境は勝手に潤いはじめる。あなたは、その流れを作る、いちばん大事な水路なんです」


 ハンスは、ぽかんと口を開けた。それから、くしゃりと顔を歪めて——豪快に笑い出した。


「ははっ、はははっ! まいったね、こりゃあ本物だ! 二十年商売やってきて、おれが運ぶ荷のことを“水路”だなんて言った貴族は、あんたが初めてだよ!」


 ひとしきり笑うと、彼は袖で目尻を拭い、不意に真顔になった。


「……正直に言うとね、奥方様。おれはもう、行商に疲れてたんだ。どこへ行っても、買う者は減る一方。世の中、じわじわ貧しくなってる気がしてさ。けど——あんたの話を聞いてたら、久しぶりに、商売がわくわくしてきやがった」


 差し出された、節くれだった手。わたくしは、迷わずそれを握り返した。


「こちらこそ、よろしくお願いします。——きっと、儲けさせてみせますから」



 その夜、館に戻ると、アルヴィスが玄関で待っていた。


「遅い。……何かあったのか」


 無表情のまま、けれど、どこか落ち着かない様子で。わたくしの帰りを案じていたのだと、すぐにわかった。この人は、口は不器用だけれど、ちゃんと心配してくれる人だ。


「ご心配をおかけしました。でも、聞いてください、アルヴィス様。——大きな一歩を、踏み出せました」


 わたくしは、その日の出来事を、夢中で話した。漁村の魚醤。屑魚が宝に変わった瞬間。そして、ハンスという、街への“道”を手に入れたこと。


 アルヴィスは、黙って聞いていた。けれど、その氷の瞳が、話が進むにつれて、少しずつ、やわらかくなっていくのがわかった。


「……お前は」


 わたくしが話し終えると、彼はぽつりと言った。


「この数日で、おれが数年かけてできなかったことを、やってのけた」


「いいえ。わたくしは、ただ——」


「礼を言う」


 アルヴィスは、まっすぐにわたくしを見た。そして、ほんの少しだけ、本当にわずかに、その口元がほどけた。笑った、とまでは言えない。けれど、確かに、氷が溶けかけた、その一瞬。


「これからも、頼む。——おれの、自慢の妻」


 不意打ちだった。


 かあっと、頬が熱くなる。前世から数えても、こんなふうに、まっすぐな言葉をもらったことなんて、なかったから。


「……っ、では、夜食をお作りしますね! お腹、空いてますよね!?」


 ごまかすように、わたくしは厨房へ駆け込んだ。背中で、アルヴィスが小さく息をこぼす気配がした。


 それはきっと——彼の、ささやかな笑い声だった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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