第34話 宰相の罠
宰相の罠は、わたくしたちが証拠を固めきる前に——発動した。
その朝。
王都の辺境伯邸を突然、武装した近衛兵の一団が取り囲んだ。
物々しい足音と剣戟の響き。
何事かと身構える間もなく、邸の扉が乱暴に開け放たれた。
「辺境伯アルヴィス! ならびに、その妻セレスティア!
——王命により、両名を捕縛する!」
先頭に立った近衛隊長が、高らかに告げた。
「な……っ、これはどういうことだ!」
アルヴィスがわたくしを背に庇い、隊長を睨みつける。
「辺境伯領ヴァルドに王家への謀反の疑いあり!
辺境にて不審な兵糧の備蓄、武具の調達。
そして——近隣諸侯との不穏な書簡のやり取りが確認された!
弁明は追って聞く! 神妙に縛につけ!」
その言葉に、わたくしは目の前が真っ暗になった。
兵糧の備蓄。
それはわたくしが領地のために作らせた保存食のこと。
武具の調達は、再建のための農具や漁具。
諸侯との書簡は、晩餐会以降に結んだ味方たちとのやり取り。
——すべてが捻じ曲げられ、“謀反の準備”に仕立て上げられていた。
宰相の筋書きだった。
あの文官の警告どおり、先にこちらを「逆賊」に仕立て上げる。
これでは何を訴えようと「逆賊の見苦しい言い逃れ」として退けられる。
◇
「待ってください! これは誤解です!
兵糧というのは領地再建のための——」
「黙れ! 逆賊の弁明など聞く耳持たぬ!」
わたくしの叫びは無慈悲に遮られた。
近衛兵たちがじりじりと間合いを詰めてくる。
アルヴィスがわたくしを強く背に庇った。
その身にぴりぴりとした戦意が漲る。
「……セラ。おれが道を拓く。お前はその隙に——」
「なりません!」
わたくしは彼の腕を必死に掴んだ。
「ここで抵抗すれば本当に謀反になってしまいます!
それこそ宰相の思う壺! どうか堪えてください!」
アルヴィスの拳がわなわなと震えた。
武人として、目の前で妻が捕らえられるのをただ見ているなど耐えがたいだろう。
けれど——ここで剣を抜けば、宰相の筋書きを自ら完成させてしまう。
「……くっ」
苦渋に満ちた表情で、アルヴィスは剣の柄から手を離した。
「賢明なご判断だ」
近衛隊長が嘲るように笑った。
そして——その目がわたくしへと向けられる。
「辺境伯は王宮の牢へ。
そして妻セレスティアは——宰校閣下が別途“お話がある”とのことだ。
別の場所へお連れする」
ぞっとした。
引き離される。アルヴィスと別々の場所へ。
——宰相の狙いはこれだ。
わたくしをアルヴィスから引き離し、宰相の意のままになる場所へ連れていく。
いつか、宰相が言ったあの言葉が甦る。
『いずれあなたは私のもとへ来ることになる。自らの意志でね』
これがその“仕向け”だったのだ。
「セラ!」
「アルヴィス様!」
引き離されながら、わたくしたちは互いに手を伸ばした。
けれど、その指先が触れ合うことはなかった。
無数の近衛兵たちに阻まれて。
「必ず迎えに行く!
どんなことをしてでも——お前を取り戻す!」
アルヴィスの悲痛な叫びが響く。
その姿が兵士たちの壁の向こうへ遠ざかっていく。
◇
こうして。
わたくしは宰相の手の者によって王宮の奥深く——
薄暗い塔の一室に幽閉された。
冷たい石の床。
鉄格子の嵌まった小さな窓。
一年前、辺境へ追放されたときよりもずっと絶望的な状況。
築き上げてきたものが、味方が、愛する人が——すべて引き剥がされてしまった。
(……どうして)
膝を抱え、わたくしは唇を噛んだ。
あんなに幸せだったのに。
辺境を立て直して、アルヴィス様と心を通わせて。
ようやく本当の居場所を手に入れたと思っていたのに。
それをこんなにもあっけなく。
一筋、涙がこぼれた。
けれど——その涙をわたくしはすぐに拭った。
(……いいえ。泣いている場合じゃない)
膝を抱える腕にぐっと力を込める。
冷たい床の感触の中で、それでも心の芯は折れていなかった。
わたくしはあのときの、何も持たない令嬢ではない。
前世の知識がある。《美食家の舌》がある。
そして——必ず迎えに来ると誓ってくれた人がいる。
(……諦めない。絶対に)
塔の窓から、遠く王都の空を睨む。
(待っていてください、アルヴィス様。
——今度はわたくしがこの状況をひっくり返してみせます)
どん底の闇の中で、けれどわたくしの瞳には消えない闘志の炎が宿っていた。
反撃の刻は必ず来る。
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