第32話 動き出す歯車
ミレーユの自白は、証人たちによって確かに記録された。
国王暗殺の謀。宰相との共謀。料理長の手口。
——言い逃れのできない証言が揃った。あとはこれをいかにして国王の御前で突きつけるか。
「焦ってはなりません」
わたくしは集まった味方たちに慎重に説いた。
「相手は宰相。この国の政の頂点です。中途半端に動けば揉み消され、逆にわたくしたちが潰される。——確実に退路を断ってから、一気に仕掛けます」
マルクが深く頷いた。
「料理長の横流しの帳簿。薬草の仕入れの記録。それとミレーユ様の証言。これらがすべて一つに繋がれば……宰相とて言い逃れはできません」
少しずつ、けれど着実に。断罪への道筋が組み上がっていく。
◇
けれど、敵も馬鹿ではなかった。
わたくしたちの動きを、宰相が嗅ぎつけたのだ。
ある日、わたくしのもとへ宰相からの使いが来た。
「一度お会いしてお話ししたい」と。
慇懃な、けれど有無を言わせぬ招待だった。
「罠かもしれん。行くな」と、アルヴィスは反対した。
けれど、わたくしは行くことにした。敵の本当の狙いを見極めるために。
——もちろん、アルヴィスと複数の証人を伴って。
◇
宰相は、痩せた白髪の老人だった。
穏やかな笑みを絶やさない。けれど、その目の奥には底の見えない冷たい光が宿っていた。
一目で分かった。この男はミレーユや料理長とは格が違う。
本物の、怪物だ。
「ようこそ、辺境伯夫人。お噂はかねがね」
宰相はゆったりとわたくしを迎えた。
「あなたは実に興味深いお方だ。——食材の真価を見抜き、最高の形で引き出す。まるで、物の“本質”そのものが視えているかのように。……ただの料理上手では説明がつきませんな」
ぴくり、とわたくしは警戒した。
この男はわたくしの、《美食家の舌》の本質に気づいている。
「何が、おっしゃりたいのです?」
「いやなに」宰相は笑みを深めた。
「実は私も、古い文献を嗜む者でしてね。——“神の舌”という伝説を、ご存じか?」
心臓が跳ねた。書庫で読んだ、あの記録。
初代辺境伯。失われた、世界の理。
「あらゆる食物の真価を見通す力。それはただ料理を美味くするだけの力ではない。——古き伝承によれば、その力はこの世界の“理”そのものに触れる、鍵なのだとか。……あなたをひと目見たときから、私は確信していましたよ。あなたこそ、その、“神の舌”の継承者だ、と」
◇
その言葉に、わたくしはようやくすべてを理解した。
宰相の本当の狙い。それはただの王位簒奪ではなかった。
「あなたは……国王を亡き者にして、傀儡を立てて。それで満足する人ではない。あなたが本当に欲しいのは——」
「ええ」宰相は初めてはっきりとその牙を覗かせた。
「“神の舌”の力です。この世界の理に触れ、それを意のままに操る絶大な力。王位など、そのほんの入り口にすぎない。——あなたのその力、ぜひ私のものにさせていただきたい」
ぞっとするほど、静かな声だった。
国王の暗殺も。宮廷の腐敗も。
すべてはこの男のもっと壮大で、もっとおぞましい野望の一部にすぎなかった。
世界の理を、その手に。
——それが、宰相の真の目的。
そして、その鍵が、わたくしの《美食家の舌》。
「お断りします」
わたくしはきっぱりと言い放った。
「わたくしの力は人を笑顔にするためのものです。あなたのような人の野望のために、使わせはしません」
「ふふ。——今はそれでよろしい」
宰相は不気味に微笑んだ。
「ですが、いずれあなたは私のもとへ来ることになる。自らの意志でね。……そう、なるように仕向けさせていただきますよ。辺境伯夫人」
その底冷えのする言葉を残して、会談は終わった。
◇
帰り道。アルヴィスの腕にすがるように、わたくしは震える指を握りしめていた。
事はもはや、王都の宮廷だけの問題ではなかった。
わたくしの《美食家の舌》。わたくしの転生。
そして、初代辺境伯から続く“神の舌”の伝説。
——それらすべてが、宰相という巨大な悪意を通して、この世界の根源的な秘密へと繋がりはじめていた。
「……アルヴィス様。わたくし、もうただの料理人ではいられないのかもしれません」
「何があっても」
アルヴィスはわたくしの手を強く握り返した。
「おれがお前のそばにいる。お前がどんな“鍵”であろうと、お前はおれの妻だ。それだけは何があっても変わらん」
その揺るぎない言葉だけが、迫りくる巨大な闇を前に、唯一の確かな光だった。
宰相との決戦。国王暗殺の阻止。
そして、“神の舌”を巡る世界の秘密。
——すべてを賭けた戦いの火蓋が、今、切られようとしていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




