第26話 料理対決、開戦
王宮の厨房に、二つの調理台が並べて据えられた。
片方には宮廷料理長。もう片方に、わたくし。
広間から移ってきた諸侯たちが、ぐるりと二人を取り囲む。
固唾を呑んで見守る、無数の視線。その奥には、運び込まれた椅子に腰掛けた国王の姿もあった。
「では、始め!」
審判役の貴族が声を上げた。
料理長はふんぞり返ったまま、宮廷の最高級食材をずらりと並べさせた。
きらびやかな肉、珍しい香辛料、高価な果実。それを自慢げに見せつけながら調理を始める。
わたくしは持参したヴァルドの食材を調理台に並べた。
芋。豆。魚醤。燻製肉。乾物。
——どれも素朴で、地味な品ばかり。
それを見て、周囲から忍び笑いが漏れた。
「あれが辺境の食材か。なんともみすぼらしい」
「あんなもので宮廷料理長に挑むとは。身の程知らずな」
侮りの声。けれど、わたくしは気にも留めなかった。
料理は食材の値段で決まるものじゃない。それを今から証明するのだから。
むしろ、この“みすぼらしい”食材たちが誇らしかった。
これはヴァルドの村人たちが汗水たらして育て、海から獲り、丹精込めて仕込んだ、本物の恵み。
一つひとつに、再生の物語が宿っている。
王宮の金で買い集めた高級食材なんかには決して負けない。
この子たちの“真価”を、最高の形で引き出すのがわたくしの務めだ。
◇
調理を始めてすぐ、わたくしは妙なことに気がついた。
持参したはずの塩の壺が見当たらない。
代わりに置かれていたのは——明らかにわたくしのものではない、別の壺。
指先につけて舐めてみる。
(……これは)
《美食家の舌》が即座に見抜いた。
塩ではない。
それもただの別物ではなく——大量に入れれば、料理を台無しにするほどの強い苦味を持つ薬品。
すり替えられている。
ちらりと料理長を見ると、彼はにやにやとこちらを盗み見ていた。
間違いない。彼の差し金だ。
わたくしがそれと気づかず使えば、料理は苦くて食べられない代物になる。
最初からまともに勝負する気などないのだ。
(……卑怯な)
腹の底に静かな怒りが湧いた。けれど、わたくしは顔色ひとつ変えなかった。
むしろ、心の中でふっと笑った。
(残念でした。——わたくしの舌はごまかせません)
すり替えられた壺をそっと脇へ避ける。
塩がないなら、ないでやりようはある。
魚醤がある。乾物の出汁がある。
それらで塩気も旨味も十分に補える。むしろ、より深い味わいになる。
妨害は、かえってわたくしの料理を研ぎ澄ます好機に変わった。
ここで「すり替えられた」と騒ぎ立てることもできた。けれど、わたくしはしなかった。
証拠もなく騒げば、見苦しい言い訳と取られかねない。
何より——この程度の妨害を料理で真正面から跳ね返してこそ。
誰の目にも明らかな“結果”で勝ってこそ、ミレーユたちの卑劣さはいっそう惨めに際立つ。
告発は勝った後でいい。
見物人の中にアルヴィスの姿があった。
彼は料理長のにやけた顔と、脇へ避けられた壺に気づいたのだろう。
鋭い目で料理長を睨みつけている。
けれど、わたくしと目が合うと——その表情がふっと和らいだ。
「お前を信じている」と、言うように、小さく頷いてくれる。
その視線だけで十分だった。わたくしは静かに調理に集中した。
◇
わたくしは黙々と手を動かした。
芋は丁寧に灰汁を抜き、じっくりと甘みを引き出す。
豆はことことと優しく煮込む。
魚醤は、使い方を誤れば、料理を茶色く濁らせる。
けれど、前世仕込みの、執拗なまでの灰汁取りと、火加減。それを尽くせば、澄んだ、黄金色の出汁になる。
かつて、王宮の食卓で、わたくしが焦がれた、あの“澄んだ琥珀色”。
彼らが失い、捨て去った理想の一杯を。
今、この辺境の恵みで、完璧な形でよみがえらせる。
燻製肉を薄く削いで、香りと旨味を、重ねていく。
一つひとつの工程に《美食家の舌》の導きと、前世から積み上げたすべての技術と真心を込める。
向かいの料理長は最高級食材をこれ見よがしに派手に扱っていた。
けれど——その手つきを、《美食家の舌》は冷静に分析していた。
火を入れすぎて肉の旨味を逃している。
香辛料をただ大量に振るだけで素材と喧嘩させている。
高価な食材を使いながら、その価値を半分も引き出せていない。
豪華なだけの、張りぼての料理。
対して、わたくしの調理台からは、素朴で、けれどたまらなく食欲をそそる、あたたかい香りが立ちのぼりはじめていた。
魚醤と乾物の出汁がふつふつと煮立ち、複雑で深い旨味の湯気をゆらゆらと立ちのぼらせる。
そこへ、甘く煮えた芋のほっこりとした香り。
燻製肉の香ばしい薫香。
それらが溶け合って、嗅いだだけでお腹の奥がきゅうっと鳴るような、滋味あふれる匂いが煌びやかな王宮の厨房を優しく満たしていく。
それは豪華な香辛料の、つんと刺すような匂いとはまるで違った。
人の心のいちばん深いところにすっと染み入ってくるような——“ごちそう”の、匂い。
ふと、見物していた貴族の一人が、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえた。
「……なんだ、あのいい匂いは」
「辺境の食材のほうから漂ってくるぞ……?」
ざわめきが変わりはじめる。
侮りから、戸惑いへ。
そして——抑えきれない、期待へと。
料理長の額にじわりと汗が滲んだ。
彼にも分かったのだ。
自分の豪華な料理よりも、辺境の素朴な鍋のほうがずっと人の食欲を惹きつけていることに。
「……っ、おい、まだか! 早くしろ!」
苛立った声で料理長が部下を急かす。その焦りがすべてを物語っていた。
やがて、二つの料理が仕上がっていく。
豪華絢爛な宮廷料理長の皿。
そして、素朴で滋味あふれる、わたくしの一皿。
——審判の時が来た。
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