第21話 断れない招待状
オルランドが惨めに王都へ逃げ帰ってから、半月。
辺境ヴァルドには、つかの間の穏やかな日々が戻っていた。
収穫祭の余韻はまだ人々の顔に残り、村々は活気に満ち、館にも笑い声が絶えない。
バルトロス商会との一件以来、街への販路はかえって強くなり、ヴァルドの品の評判は日に日に広まっていた。
けれど、わたくしは心のどこかでずっと身構えていた。
オルランドの、あの捨て台詞。
——必ず、後悔させてやる。
あれがただの負け惜しみで終わるとは思えなかった。
王家の面子を公衆の面前で潰されたのだ。
彼がこのまま黙っているはずがない。
その予感は、やがて一通の書状となって現実になった。
◇
「奥方様。王都から……正式な、書状が」
セバスが緊張した面持ちで運んできたのは、王家の紋章ではなく、もっと格式高い——王宮そのものの封蝋が捺された、一通の招待状だった。
アルヴィスとともに、その中身を検める。
書かれていたのは、こうだ。
『近く、王宮にて、諸侯を招いての大晩餐会を催す。辺境伯アルヴィス、ならびにその妻セレスティアを、正式に招待する。両名の、変わらぬ忠誠を、楽しみにしている』
「……晩餐会への、招待」
わたくしはその文面を二度、読み返した。
一見、栄誉ある招待。
けれど、その裏に潜むものを、わたくしはすぐに感じ取った。
「これは、罠ですね」
「ああ」
と、アルヴィスも硬い声で頷いた。
「先日の、お前への“連れ戻し”が失敗した。だから、今度は形を変えてきた。——正式な王命としての、招待だ。これを断れば」
「王家への、明確な反逆。諸侯の前で、ヴァルドが王家に背いたと、喧伝される口実になる」
巧妙だった。
個人的な“連れ戻し”は、断っても「夫婦の問題」で済む。
けれど、諸侯を集めた公式の晩餐会への招待を蹴れば、それは政治的な反逆と見なされる。
辺境伯領は、孤立し、追い詰められる。
——行くも地獄、行かぬも地獄。
そう仕向けられている。
「……気は進まんが」
アルヴィスが低く唸った。
「これは、行かざるを得ん。断れば、奴らの思う壺だ」
「ええ。——でも」
わたくしは招待状を置いて、顔を上げた。
胸の奥に、怯えではなく、静かな闘志が灯っていた。
「行きましょう、アルヴィス様。堂々と。逃げも隠れもせず、王宮の真ん中へ。——向こうがその気なら、受けて立ちます」
「……ただ」
わたくしは招待状をもう一度、じっと見つめた。
違和感が、ひとつあった。
「この招待状、オルランド殿下お一人の差し金にしては——少し、手が込みすぎています。あの方はもっと直情的で、こんな回りくどい罠を仕掛ける方ではない。これを書かせた、別の誰かがいる。宮廷の奥に、もっと冷静で、狡猾な頭が」
アルヴィスの目が鋭くなった。
「……黒幕が、いると?」
「断定はできません。でも、用心は必要です。わたくしたちが王都で相手にするのは、おそらく、オルランド殿下だけではない。——宮廷そのものに巣食う、もっと大きな“何か”かもしれません」
書庫で見た、あの古い記録の一文が、ふと頭をよぎった。
“失われし、世界の理が、動き出すであろう”。
まさか、と思いつつ——胸の奥の小さな不安が、消えてくれなかった。
それでも、と、わたくしは顔を上げた。
「ですが、これは好機でもあります」
「好機?」
「ええ。考えてもみてください。諸侯が一堂に会する、王宮の大晩餐会。——これ以上の“舞台”は、ありません。罠だというなら、その舞台を、丸ごとこちらのものにしてしまえばいい。王都中の有力者の前で、ヴァルドの——いいえ、わたくしの料理が本物だと証明する。罠を、最高の宣伝の場に変えてみせます」
アルヴィスが、ふっと口の端をゆるめた。
「……まったく、お前は。窮地すら好機に変えてしまうのだな」
「ふふ。料理人はどんな食材も無駄にはしませんから。——たとえ、それが“罠”でも」
◇
その夜、出立の支度を進めながら、わたくしはふと窓辺で物思いにふけった。
王都。
わたくしがすべてを失った場所。
役立たずと罵られ、婚約を破棄され、捨てられた、あの場所。
二度と戻ることはないと思っていた。
(……皮肉なものね)
捨てられたわたくしが、今度は招かれて戻っていく。
あのときとは、まるで違う立場で。
誇りも、居場所も、隣に立ってくれる人も、すべてを手にして。
「セラ」
いつの間にか、アルヴィスがすぐ後ろに立っていた。
彼はわたくしの不安を読み取ったように、そっと肩に手を置いた。
「何があっても、おれがお前を守る。——王宮だろうと、王太子だろうと関係ない。お前はおれの妻だ。誰にも、指一本触れさせはしない」
その揺るぎない声に、胸の強張りがすっと解けていく。
「……はい。心強いです」
わたくしは微笑んだ。
そう。もう、一人じゃない。
あのとき、たった一人で広間に立っていたわたくしとは違う。
「アルヴィス様。ひとつ、お願いがあるんです」
「言ってみろ」
「王都へ持っていく荷に、ヴァルドの食材を少し積ませてください。魚醤も、燻製も、村の芋も豆も。——もし、向こうで料理を披露する機会があれば、王宮の贅沢な食材ではなく、この辺境の恵みで勝負したいんです」
それはただの料理人の意地ではなかった。
わたくしの料理は、この土地と、人々の想いと共にある。
王都の権力に立ち向かうのなら、わたくしが背負うべきは王宮の華やかさではなく、ヴァルドで掴んだ本物の味だ。
アルヴィスはわたくしの意図を察したように、深く頷いた。
「いいだろう。——お前の戦場には、お前の武器を持っていけ」
その言葉が、何よりも心強かった。
王都で待ち受けているのは、ただの嫌がらせではない。もっと深く、もっと醜い、宮廷の闇そのもの。——その予感に、わたくしは静かに身を引き締めた。
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