第19話 実りの祭り
収穫祭の朝は、抜けるような青空で明けた。
館の前の広場は、見違えるほどの賑わいに包まれていた。色とりどりの旗が風にはためき、櫓が組まれ、領地中から集まった人々が、晴れ着姿で行き交っている。芋の村のゴルドも、豆の村の人々も、漁村の漁師たちも、みんな、ほころんだ顔で再会を喜び合っている。一年前には、想像もできなかった光景だった。
そして、広場の中央に据えられた、巨大な鍋。
そこで、ことことと煮込まれているのが——わたくしが、この祭りのために用意した、目玉の一皿だった。
漁村の魚で取った、黄金色の出汁。芋の村の芋。豆の村の豆。各地の作物を、惜しみなく。魚醤と燻製で、深いコクを重ねて。領地中のすべての村の恵みが、ひとつの鍋の中で、溶け合っている。立ちのぼる湯気は、広場いっぱいに、たまらなく食欲をそそる香りを広げていた。
「さあ、皆さん! ヴァルドの実りを、召し上がれ!」
わたくしの合図で、村人たちへ、次々と、湯気の立つ椀が配られていく。
◇
ひと口、口にした瞬間。
人々の顔が、ぱあっと、花が咲くように輝いた。
「……うまいっ! なんだこれ、うますぎる!」
「体の芯まで、染み渡るようだ……!」
「こんなうまいもん、生まれて初めて食った……!」
歓声と、すすり泣きが、入り混じる。
それも、そのはずだった。この一皿には、ただの美味しさ以上のものが、込められている。芋の村と、豆の村と、漁村と。かつて、ばらばらに飢えていた村々が、手を取り合って生み出した、共同の恵み。一年間の、すべての苦労と、再生の物語が、この一椀に、ぎゅっと凝縮されているのだ。
「これは、皆さんが、力を合わせて作り上げた味です」
わたくしは、椀をすする人々に、語りかけた。
「一つの村だけでは、決して出せない味。みんなが繋がったから、生まれた味。——これが、今のヴァルドの、味なんです」
その言葉に、人々は、椀を手にしたまま、互いの顔を見合わせ、そして、深く頷いた。誇らしげに。嬉しそうに。自分たちが成し遂げたことの大きさを、その一椀の味で、噛みしめるように。
◇
祭りが、最高潮に達した頃。
アルヴィスが、櫓の上に立った。領主としての、挨拶のためだ。広場が、しんと静まり返る。氷の死神。かつて、人々が恐れ、遠ざけた領主。けれど今、彼を見上げる村人たちの目に、恐れの色はなかった。あるのは、信頼と、親しみだった。
「皆」
アルヴィスの、低く、よく通る声が、広場に響いた。
「五年前、おれは、この地を守れなかった。多くの者を失い、土地を飢えさせた。領主失格だと、ずっと、己を責めてきた」
人々が、静かに、彼の言葉に聞き入る。
「だが、今日、この光景を見て、思う。——諦めずに、この土地に踏みとどまって、よかった、と。お前たちが、生き抜いてくれて、よかった、と」
彼の視線が、ふと、人垣の中のわたくしを捉えた。
「そして——この奇跡を、もたらしてくれた者がいる」
え、とわたくしが戸惑う間もなく、アルヴィスは、まっすぐに、わたくしを指し示した。
「我が妻、セレスティアだ。彼女が、この辺境に、食を、笑顔を、そして——希望を、取り戻してくれた。おれにとっても、この地にとっても、何より得難い、宝だ」
広場中の視線が、わたくしに集まる。
そして、次の瞬間——わっと、地鳴りのような歓声と、拍手が、湧き起こった。
「奥方様ーっ!」 「ありがとう、奥方様!」 「ヴァルドの、女神様だ!」
降り注ぐ、感謝と、祝福の声。わたくしは、胸がいっぱいになって、言葉が出なかった。
役立たずと、嘲笑され。婚約を破棄され。厄介払いされた、あの日。——あの惨めな令嬢は、もう、どこにもいない。ここには、人々に必要とされ、愛され、そして、誇らしげに「我が妻」と呼んでくれる人の隣に立つ、わたくしがいる。
櫓を降りてきたアルヴィスが、わたくしの前に立った。喧騒の中、彼は、少し照れたように、けれど、まっすぐに、わたくしを見つめた。
「……大げさだと、怒ったか?」
「いいえ」
わたくしは、涙をこらえて、首を振った。
「……嬉しくて、どうにかなってしまいそうです」
アルヴィスが、ふっと、やわらかく笑った。そして、そっと、わたくしの手を取って——。
◇
その、幸福の絶頂の、まさにそのときだった。
広場の入り口の方が、にわかに、ざわめいた。人垣が、左右に割れていく。何事かと、皆の視線が、そちらへ向く。
そこに、場違いなほど豪奢な、一団の馬車が、停まっていた。
王都の紋章。見覚えのある、仕立ての服。馬車から、ゆっくりと降りてきた人物を見て——わたくしの全身から、すうっと、血の気が引いた。
忘れもしない。わたくしを、大勢の前で罵り、捨てた、あの男。
「……オルランド、殿下」
王太子オルランドが、不機嫌に顔を歪めて、そこに立っていた。その隣には、扇で口元を隠した、当て令嬢ミレーユの姿も。
けれど——その不機嫌な表情の奥に、わたくしは、隠しきれない動揺を見て取った。
無理もない。彼は、きっと、惨めに飢えた辺境を想像してやってきたのだろう。落ちぶれた令嬢が、寒々しい田舎で、みすぼらしく暮らしている——そんな姿を。なのに、目の前に広がっているのは、晴れやかな祭り。豊かな食卓。領主と妻を讃える、人々の歓声。彼の知る“出来損ないのセレスティア”は、どこにもいない。
その光景は、彼にとって、信じがたいものだったに違いない。馬車を降りたまま立ち尽くす彼の顔に、苛立ちと、戸惑いと——そして、かすかな、敗北感のようなものが、ちらついていた。
ミレーユもまた、広場に満ちる豊かな料理の香りに、ごくりと喉を鳴らし——はっと、慌てて扇で顔を隠した。みすぼらしいはずの辺境のごちそうに、思わず食欲をそそられた自分が、許せないとでもいうように。
楽しかった祭りの空気が、一瞬で、凍りついた。
過去が——わたくしを捨てた王都が、とうとう、この幸福な辺境へ、その姿を現したのだ。
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