第15話 二つの村を繋ぐもの
芋の村が、変わりはじめた。
灰汁抜きの方法を覚えた村人たちは、見違えるように活気づいた。毎年腐らせていた芋が、今では立派な食料になる。それだけで、村の空気は、まるで別物になった。けれど、わたくしが本当に取り戻したいのは、もっと大きなものだ。
「皆さんに、お願いがあります」
わたくしは、村人たちを集めて、切り出した。
「隣の、豆の村と——もう一度、行き来を始めませんか」
その瞬間、村人たちの顔が、目に見えて曇った。
「……あの村とは、ちょっとな」 「昔、水利のことで揉めてな。それ以来、口もきいてねえ」
予想は、していた。長く隣り合いながら、断絶した二つの村。ただ道が荒れているだけではない。人と人の間にも、古いわだかまりが、棘のように残っているのだ。流れが詰まっているのは、土地だけじゃなかった。人の心も、同じだった。
◇
それでも、わたくしは諦めなかった。
両方の村の顔役に頼み込み、なんとか、村の境にある古い辻に、両村の人々を集めてもらった。久しぶりに顔を合わせた村人たちは、気まずそうに、互いから視線を逸らしている。空気は、重く、ぎこちない。
このまま話し合いを始めても、きっと、平行線をたどるだけ。理屈や利害で人を動かそうとすれば、かえって溝は深まる。——前世で、嫌というほど学んだことだ。
だから、わたくしは、言葉ではなく、いつものやり方で挑むことにした。
「まずは、一緒に、ごはんにしましょう」
辻に、大きな鍋を据える。そして、その場で、両方の村の恵みを、ひとつの料理に仕立てていく。
芋の村の、ほくほくの芋。豆の村の、滋味あふれる豆。そこに、漁村の魚醤を、隠し味にひと匙。コトコトと煮込んでいくと、芋のとろみと豆の旨味が溶け合い、魚醤がそれを深いコクで包み込む。素朴で、滋味深い、あたたかな煮込みが出来上がっていく。
香ばしい湯気が、ぎこちない辻に、ゆっくりと満ちていった。
◇
「……できました。さあ、どうぞ」
両村の人々に、わたくしは、湯気の立つ椀を配って回った。
最初は、誰もが、ためらいがちだった。けれど、ひと口すすった瞬間——その表情が、ほどけていく。
「……うまい」
「ああ……しみる、なあ」
冷えた体に、あたたかい煮込みが、じんわりと染み渡る。芋と豆。今まで、互いに腐らせ合っていた二つの恵みが、一つの椀の中で、こんなにも美味しく、手を取り合っている。
椀をすすりながら、豆の村の老婆が、ふと、芋の村の老婆の顔を、まじまじと見つめた。
「……あんた、もしかして、マーサかい?」
「えっ……アンナ? アンナじゃないか!」
二人の老婆が、椀を手にしたまま、顔を見合わせる。
「やだよ、あんた、すっかり皺くちゃになって……」 「お互いさまだろう! ……ああ、何年ぶりだろうね。村が分かれる前は、毎日のように、井戸端で喋ってたのに」
潤んだ目で、二人は、しわだらけの手を取り合った。いがみ合っていたのは、村と村。けれど、その壁の向こうには、かつて笑い合った、ひとりひとりの顔があった。ただ、長い断絶が、それを忘れさせていただけ。
その光景に、わたくしの胸も、じんと熱くなる。やっぱり、そうだ。人は、本当は、繋がりたがっている。きっかけが、なかっただけ。
「不思議でしょう」
わたくしは、椀をすする人々に、語りかけた。
「芋だけでも、豆だけでも、出せない味です。二つが合わさって、はじめて、こんなに美味しくなる。——村も、同じだと思うんです」
人々の手が、止まった。
「芋の村には、豆がない。豆の村には、芋がない。でも、二つの村が手を取り合えば、どちらの食卓も、豊かになる。お互いの“足りないもの”を、補い合える。腐らせ合っていたものが、分かち合えば、宝になるんです」
しんと、静まり返った辻に、ひとりの老人が、ぽつりと口を開いた。芋の村の、顔役の男だった。
「……なあ。あんたんとこの、豆をよ」彼は、ぶっきらぼうに、けれど確かに、隣村の顔役へ向き直った。「うちの芋と、交換しちゃくれねえか。こんなにうまくなるんなら……その、また、付き合ってやってもいい」
豆の村の顔役が、虚を突かれたように目を見開き、それから、ふっと相好を崩した。
「……ったく。そっちが言うなら、しょうがねえな」
差し出された手と、握り返す手。
何年も凍りついていた、村と村の間の氷が——一杯のあたたかい煮込みに、静かに溶けていく瞬間だった。
◇
その日を境に、二つの村の間に、再び道が通った。
芋と豆が、行き交う。人が、行き交う。荒れていた道は、村人総出で整えられ、やがてその道は、漁村へ、館へ、そして街道へと繋がっていく。点でしかなかった再建が、一本の線になり、少しずつ、面へと広がっていく。
辺境ヴァルドという土地の、止まっていた血が——ふたたび、巡りはじめた。
そして、わたくしの頭の中では、すでに、次の一手が組み上がりつつあった。
(芋と豆が手に入れば、できることは、まだまだ増える。……特に、この灰汁を抜いた芋。乾かして粉に挽けば、軽くて、何ヶ月も保つ“保存食の素”になる。スープにも、練り物にも化ける万能の品。かさばらず、傷まず、遠くまで運べる——)
考えるほどに、胸が高鳴った。これは、ただ村を救うための知恵じゃない。日持ちして、軽くて、どこへでも運べる品。それは、街の市場一つに縛られない、圧倒的な“製品力”になる。どんなに大きな商会が、近場の店を押さえようと——本物が、軽々と遠くまで届くなら、そんな囲い込みは、意味をなさなくなる。
(わたくしは、ただ畑を耕しているんじゃない。——この領地そのものを、誰にも潰せない、強い“生産地”に、作り変えているんだわ)
その確信が、足取りを、いっそう軽くした。その手応えを噛みしめながら、わたくしは、夕暮れの街道を、館へと馬を走らせた。早く、アルヴィス様に伝えたい。今日のことを。二つの村が、また手を取り合ったことを。
——けれど、館に戻ったわたくしを待っていたのは、思いがけない、緊張をはらんだ知らせだった。
「奥方様。お戻りをお待ちしておりました」
家令のセバスが、硬い表情で、わたくしを出迎えた。
「街から、ハンス殿が、急ぎ戻られました。——バルトロス商会が、次の手を打ってきた、と」
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