第14話 一皿は、千の言葉に勝る
村の納屋の前に、急ごしらえの竈が組まれた。
集まった村人たちは、遠巻きに、半信半疑の目でこちらを見ている。腕を組んだ顔役の男は、「お手並み拝見」とでも言いたげに、鼻を鳴らした。
わたくしは、拾い上げた芋を手に、まず村人に尋ねた。
「この芋、生のままだと、舌がピリピリして食べられないんですよね?」
「ああ。喉の奥が、いがらっぽくなる。煮ても焼いても、あのえぐみは消えやしねえ」
「消えますよ。——正しく、灰汁を抜けば」
《美食家の舌》が、はっきりと道筋を示している。このえぐみの正体は、水に溶け出す性質を持つ。ならば、やることは決まっている。皮を厚めに剥き、薄く切って、たっぷりの水にさらす。一度茹でこぼし、その湯は捨てる。たったそれだけ。前世では、誰もが知っている、ごく当たり前の下処理。
けれど、この世界の——知識を失ったこの村の人々には、それが“魔法”に見えるのだ。
下処理を終えた芋を、わたくしは、館から持参したわずかな油で、こんがりと焼きはじめた。じゅう、と小気味よい音。表面が、きつね色に色づいていく。仕上げに、ひとつまみの塩と、香草を。
たちまち、香ばしい匂いが、村中に広がった。
◇
「……なんだ、この匂いは」
腕を組んでいた顔役の男が、ごくり、と喉を鳴らした。彼だけじゃない。遠巻きにしていた村人たちが、子どもたちが、いつの間にか竈の周りに、吸い寄せられるように集まってきている。
「焼けました。——どうぞ、皆さんで」
こんがり焼けた芋を、わたくしは、その場の全員に配って回った。
最初に口にしたのは、痩せた小さな女の子だった。おそるおそる、ひと口かじって——次の瞬間、その目が、きらきらと輝いた。
「……あまいっ! お芋さん、あまい! ほくほくして、すっごく、おいしい!」
それが、合図だった。
我先にと、村人たちが芋を頬張る。そして、誰もが、同じ表情を浮かべた。驚きに見開かれた目。とろける頬。「うまい」「なんでだ」「あの、えぐくて食えなかった芋が」——ざわめきが、興奮へと変わっていく。
ほくほくと甘い、焼きたての芋。香ばしい皮と、ほっこりした中身。特別な調味料なんて、何も使っていない。ただ、灰汁を抜いて、丁寧に焼いただけ。それだけで、見捨てられていた「食えない芋」は、こんなにも幸せな一皿に生まれ変わる。
ふと、村のいちばん奥で、ひとりの老婆が、芋を手にしたまま、ぽろぽろと泣いているのに気づいた。
「……この味だ。この、味だよ」
彼女は、震える声で言った。「あたしが、まだ娘だった頃。村が、まだ元気だった頃。母さんが、いつもこうやって、芋を焼いてくれた。……戦が来て、母さんも、その作り方も、みんな、いなくなっちまって。もう二度と、食べられないと思ってた。なのに——」
しわだらけの手が、芋を、宝物のように包み込む。
「ああ、帰ってきた。あの頃の味が、帰ってきてくれた……!」
その涙に、村人たちが、しんと静まり返った。彼らが失っていたのは、ただの調理法ではなかったのだ。豊かだった頃の暮らし。家族との食卓。笑い合っていた、あの日々。そのすべてが、たった一皿の芋に宿って、今、彼らのもとへ還ってきている。
胸が、熱くなった。わたくしが取り戻したいのは、これだ。腹を満たすだけじゃない。人々が、もう一度、あたたかい記憶を紡げる暮らしを——その、すべてを。
顔役の男も、とうとう、ひとつを口にした。
ごくり、と飲み込んで——彼は、しばらく、言葉を失っていた。それから、ぐしゃりと、顔を歪めた。怒りでも、不信でもない。何か、もっと深いものを、こらえるように。
「……こんなもんが、おれたちの、足元に、転がってたってのか」
絞り出すような声だった。
「毎年、毎年、腐らせちまってた、あの芋が……ちゃんと、こんなに、うまかったってのか。おれたちは、ずっと、宝の山の真ん中で、飢えてやがったのか……」
◇
「皆さんは、何も悪くありません」
わたくしは、静かに言った。
「飢えていたのは、怠けていたからでも、能力がないからでもない。ただ、“知識”を失っていただけ。戦が、それを奪っていったんです。——でも、知識は、取り戻せます。わたくしが、お渡しします。この芋の食べ方も、もっとたくさんの、暮らしを豊かにする術も。全部」
顔役の男が、ゆっくりと顔を上げた。さっきまでの、刺すような不信は、もうどこにもなかった。
「……令嬢様。さっきは、綺麗事だなんて言って、すまなかった」
彼は、深く、頭を下げた。屈強な体を、折るように。
「おれたちに——いや、この村に、もう一度、力を貸しちゃくれねえか。あんたの言う、その“流れ”ってやつを。おれは、もう一度、この土地を信じてみてえ」
わたくしは、にっこりと笑って、頷いた。
「もちろんです。——でも、わたくし一人では、できません。皆さんの手が、必要なんです。一緒に、やりましょう」
差し出した手を、顔役の節くれだった手が、力強く握り返した。
不信の壁は、一皿の芋に、あっけなく溶けた。やっぱり、そうだ。どんな立派な演説より、たった一口の「おいしい」のほうが、ずっと深く、人の心に届く。
そしてわたくしは、この村と、隣の村を見比べて——次の一手を、思い描いていた。
芋の村と、豆の村。腐らせ合う二つの村を、繋ぐこと。それが、領地という大きな“流れ”を取り戻す、最初の一歩になる。
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