第136話 修道院の静かな再会
商会との決着がついて、ひと月ほどが過ぎた。
王都の食卓は、すっかり、本来の豊かさを取り戻していた。市場には本物の食材が並び、人々の顔には穏やかな笑みが戻っている。わたくしの果たすべきことは、あとわずかだった。
「ミレーユ様が、王都の外れの修道院にいらっしゃると聞きました」
ある朝、わたくしはアルヴィスに告げた。
「会いに、行こうと思います」
ミレーユ。かつて、わたくしの婚約者だったオルランドの隣で、わたくしを嘲笑った男爵令嬢。断罪の宴のあと、彼女はすべての地位を失い、王都の外れの修道院へ送られたのだった。
「会って、どうする」
アルヴィスが静かに問うた。咎める響きはない。ただ、わたくしの心を確かめるような声だった。
「わかりません」正直に、答えた。
「ただ、このまま何も言わずに終わらせるのは、違う気がするのです。憎しみをぶつけたいわけでも、許しを与えたいわけでもなく。ただ、きちんと向き合いたい」
アルヴィスは、しばらくわたくしを見つめて、それからふっと微笑んだ。
「お前らしいな。いいだろう。だが、おれも、ついていく」
◇
修道院は、王都の喧騒から遠く離れた、静かな丘の上にあった。
質素な石造りの建物。手入れの行き届いた小さな菜園。風に揺れる白い洗濯物。かつての華やかな社交界とは、何もかもが違う慎ましい暮らしの場だった。
案内されて中庭へ出ると、一人の女性が菜園で土をいじっていた。粗末な修道服に身を包み、髪を簡素にまとめている。けれど、その横顔には見覚えがあった。
「ミレーユ様」
声をかけると、彼女は、はっと顔を上げた。そして、わたくしを見て、大きく目を見開いた。
「……セレスティア、様」
かつて扇の陰でくすりと笑っていた、あの華やかな令嬢の面影は薄れていた。けれど、その瞳には、以前にはなかった静かな落ち着きが宿っていた。
◇
長い沈黙が流れた。
ミレーユは、土で汚れた手をぎゅっと握りしめている。やがて、彼女は絞り出すように口を開いた。
「……笑いに、来たのですか」その声は、震えていた。
「すべてを失った、わたくしを。ざまをみろと」
「いいえ」
わたくしは、静かに首を振った。
「そんなつもりは、ありません」
「では、なぜ」ミレーユの目に戸惑いが浮かぶ。
「あなたを、あんなに、見下したわたくしに。なぜ、わざわざ」
わたくしは、彼女の傍へ歩み寄り、その荒れた手を見た。かつて絹のドレスをまとい、扇を弄んでいた手は、今、土にまみれ、あかぎれていた。慎ましい労働の証だった。
「あなたが、どう過ごしているのか。ただ、それを知りたかったのです」わたくしは言った。
「憎むためでも、許すためでもなく。ただ、確かめに」
その言葉に、ミレーユの瞳が揺れた。張りつめていた何かが、ほどけるように。彼女の目から、つう、と涙が伝った。
「……わたくしは」ミレーユは、震える声で語りはじめた。
「ずっと、後悔していました。あの日、あなたを嘲笑ったこと。何も知らず、ただ人の不幸を面白がっていたこと。ここへ来て、土を耕し、慎ましく暮らすうちに、ようやく気づいたのです。わたくしが、どれほど愚かだったかを」
その告白に、嘘の響きはなかった。かつての高慢な令嬢は、もうどこにもいない。目の前にいるのは、自らの過ちと向き合い、静かに生き直そうとする、一人の女性だった。
人は変われる。境遇が人を作り、悔いが人を磨く。それを目の前のミレーユが、証明していた。
「ひとつ、お願いがあります」
わたくしは、菜園に実った野菜に目をやった。瑞々しい、立派な育ちだった。
「あなたが育てたこの野菜で、料理を、作らせてもらえませんか。一緒に、食べましょう」
ミレーユは、戸惑ったように、わたくしを見た。
「わたくしと、あなたが……?」
「ええ。あなたが、心を込めて育てた野菜です。きっと、おいしい一皿に、なります」
わたくしは、微笑んだ。
食卓をともに囲むこと。それは、わだかまりを溶かす何よりの方法だと、わたくしは知っていた。言葉では伝えきれないものを、あたたかな一皿が繋いでくれる。それが、料理の力だった。
過去の因縁に、けじめをつける。それは、声高に相手を断罪することでは、ないのかもしれない。こうして、ただ向き合い、同じ食卓を囲むこと。その先に、本当の決着があるのだろう。
けれど、ミレーユは、わたくしの申し出に、すぐには頷かなかった。差し出された手を警戒するように、わずかに身を引く。
「……どうして、そこまで」彼女の声は、かすかに、震えていた。
「あなたを、あれほど傷つけたわたくしに。なぜ、料理など振る舞おうと。——まさか、これは。何かの、罠なのですか」
その問いに、わたくしは、ただ静かに微笑んだ。答えは、言葉ではなく、これから作る一皿が語ってくれるはずだった。
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