第132話 あたたかな一杯
翌朝、王都の中央広場に、わたくしは大きな鍋をいくつも並べた。
各地から届いた、本物の食材。ヴァルドの上等な麦。
サウディスの滋味あふれる乾物。ミルディアの瑞々しい野菜。
群島の海の幸。そして、アスタリカから届いた、たっぷりの肉。
それらを惜しみなく、鍋に注ぎ込む。
まず、肉をこんがり炒めて旨味を閉じ込める。じゅう、と脂がはじけ、香ばしい湯気が立つ。
そこへ、たっぷりの水を注ぎ、乾物から取った深い出汁を加える。野菜を、ごろごろと放り込み、麦を入れて、じっくり煮込んでいく。
仕上げに、群島の海の幸を加えれば、磯の香りが、ふわりと立ちのぼった。
山の幸も、海の幸も、乾いた大地の恵みも。遠く離れた土地の味が、一つの鍋の中で出会い溶け合っていく。
それは、わたくしの旅そのものを煮込んだような、一杯だった。
火を入れると、ぐつぐつと、豊かな湯気が立ちのぼった。
その香りが、広場いっぱいに広がっていく。こんがり焼けた肉の香ばしさ。
野菜の甘やかな匂い。麦のふくよかな香り。
——飢えた王都の人々が忘れかけていた、本物の食べ物の匂いだった。
ひとり、またひとりと、人が集まってくる。痩せた頬の子ども。
疲れ果てた顔の母親。気力を失った老人。
みな、その香りに吸い寄せられるように。
「……いい、匂いだ」
誰かが、呟いた。
「こんな匂い、いつ以来だろう」
◇
「さあ、皆さん」
わたくしは、声を張った。
「あたたかいうちに、召し上がってください。お代は、いりません」
人々は、最初、戸惑っていた。タダでこんな立派な食べ物が振る舞われるなど、信じられないという顔で。
けれど、空腹には勝てない。おずおずと椀を受け取った少年が、スープを、ひと口すすった。
その瞬間、少年の目が、大きく見開かれた。
「……うまい」
少年は、震える声で言った。
「あったかくて、すごく、うまい……!」
ぼろぼろと、少年の頬を涙が伝った。それを見た周りの人々も、次々と椀に手を伸ばす。
そして、ひと口味わうたびに、同じように目を潤ませた。
「ああ、なんて味だ」
老人が、しみじみと言った。
「腹の底から、あったまる。生きてるって、こういうことだったな」
母親は、子どもにスープを飲ませながら、涙していた。「よかった……あったかいものを、食べさせてやれた。やっと……」
◇
その光景に、わたくしの胸も熱くなった。
たかが一杯のスープ。けれど、それはただの食べ物ではない。
奪われ続けた人々の尊厳を取り戻す、一杯だった。飢えと諦めに沈んでいた人々の心に、もう一度、灯をともす一杯だった。
《美食家の舌》を持つわたくしには、わかる。この一杯が、人々の体だけでなく、心の奥まであたためているのを。
「セラ」
アルヴィスが、配膳を手伝いながら、わたくしを見た。
「見ろ。みんなの顔を」
広場に集まった人々の顔から、あの生気のない暗さが消えていた。代わりに、ささやかな、けれど確かな笑みが浮かんでいる。
あたたかな食べ物が、人を、こんなにも変える。それを、改めて思い知った。
「これが、料理の力です」
「商会には、決して、奪えないもの」
◇
炊き出しの噂は、瞬く間に、王都中に広がった。
次の日も、その次の日も、広場には人が押し寄せた。わたくしは、各地から届く食材で、毎日あたたかな料理を振る舞い続けた。
日を追うごとに、人々の顔色はよくなり、街には、少しずつ活気が戻りはじめた。
そして、人々は気づきはじめていた。商会の売る粗悪な品が、いかにひどいものだったか。
本物の味を知った今、もう誰も、まがい物に戻りたいとは思わなかった。
「辺境伯夫人が、本物の食べ物を、振る舞ってくださっている」
「商会の品なんて、もう、買うものか」
——そんな声が、王都のあちこちで、囁かれはじめた。
中には、わざわざ遠くから炊き出しの噂を聞きつけてやってくる者もいた。ひと口食べては涙ぐみ、「こんな食事を待っていた」と口々に言う。
商会に搾取され、諦めていた人々の心に、確かな変化が生まれていた。彼らは、もう、ただ与えられるだけの無力な存在ではない。
本物を知り、選ぶ目を取り戻しつつあった。
人々の心が、動きはじめた。商会の支配に、最初のひびが入ったのだ。
「すごいな」
アルヴィスが、広場を見渡して、呟いた。
「お前は、剣の一振りもせず、兵の一人も動かさず、ただ料理だけで、この街を変えはじめている」
「いいえ」
わたくしは、首を振った。
「変えているのは、わたくしじゃありません。本物の味を思い出した、この人たち自身です。わたくしは、ただ、そのきっかけを、差し出しただけ」
けれど、わたくしは知っていた。これは、まだ序の口に過ぎない。
人々の心を掴んだだけでは、商会は倒せない。やがて商会は、この動きに気づき、牙を剥いてくるだろう。
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