第131話 旅の絆を呼び集めて
トマの住まいを出たわたくしは、すぐに動きはじめた。
商会とまともに正面からぶつかっても、勝ち目は薄い。向こうは、金も人脈も、役人とのつながりも握っている。
けれど、わたくしには、商会が決して持っていないものがあった。
旅で結んだ絆だ。
「アルヴィス様。各地へ、文を送ります」
わたくしは、宿の机に向かって羽根ペンを取った。
「わたくしたちが、これまで救ってきた、すべての土地へ」
商会の力の源は、麦の買い占めにある。王都に出回る麦を握り、値を吊り上げて人々を支配している。
ならば、その独占を崩せばいい。商会の手の届かない別の場所から、本物の食材を、大量に運び込むのだ。
幸い、わたくしには、その当てがいくらでもあった。
◇
豊かな実りを取り戻したヴァルド。潤いの戻ったサウディス。
清らかな水の湧くミルディア。海の恵みあふれる群島。
——どこも、かつて、わたくしたちが、神々の力を解き、飢えや渇きから救った土地だ。
そして、それらの土地の人々は、わたくしに深い恩義を感じてくれている。
筆を走らせながら、旅の日々が胸に蘇った。飢えた村で最初のスープを振る舞った日。
砂漠で命の水を分かち合った夜。海辺で新たな同志と食卓を囲んだ時。
——その一つひとつが、今、確かな力となって、わたくしの背を、押してくれる。
「アスタリカへも、文を」
「レオハルト陛下と、ガルム将軍になら、きっと、力を貸していただけます」
かつて敵国だったアスタリカとは、料理を通じて固い同盟を結んだ。あの誇り高き王と将軍は、義理を何より重んじる人たちだ。
王都の窮状を伝えれば、必ず応えてくれる。
◇
文を書き終え、早馬と、ナギの手配する船で各地へ送り出した。
数日のうちに、返事は、続々と届いた。
ヴァルドのセバスからは、「最上の麦を、ありったけ荷車に積んで送ります」と。サウディスからは、滋養あふれる乾物と香辛料。
ミルディアからは、清冽な水で育てた、瑞々しい野菜。群島のナギの仲間たちからは、新鮮な海の幸が。
どの返書にも、ただ食材を送るだけでなく、あたたかな言葉が添えられていた。「あなたのおかげで、村は救われた。今度は、わたしたちが恩を返す番だ」「困っている人がいるなら、迷うことはない。すぐに、送る」——文字の一つひとつから、人々の、心からの感謝が、伝わってきた。
胸がいっぱいになった。旅の途中では、ただ無我夢中で、目の前の苦しむ人を救ってきただけだった。
けれど、その一つひとつが、こうして確かな絆となって、今のわたくしを支えてくれている。
そして、アスタリカのレオハルトからは、こんな返書が届いた。
『あなたの頼みとあれば、断る道理はない。我が国の倉を、開こう。麦でも、肉でも、好きなだけ持っていくがいい。——困った時は、お互い様だ。あなたが、我が国を救ってくれたように』
その文面に、胸が熱くなった。独りでは決してできないこと。
けれど、旅で結んだ縁が、こうして一つに集まれば。商会の独占さえ揺るがすことができる。
「すごい量だな」
アルヴィスが、続々と届く食材の報せに、目を細めた。
「これだけあれば、王都の市場を、丸ごと潤せる」
「ええ」
わたくしは、頷いた。
「商会が、どれだけ買い占めようと、関係ありません。わたくしたちには、世界中から集まる本物の恵みがあります」
商会は、人々の食卓を人質に取った。けれど、その人質を、わたくしたちは別の道から救い出せる。
食べ物で人を支配しようとした者は、食べ物でその足元を崩される。
◇
「でも、ただ食材を配るだけでは、足りません」
わたくしは、考えを巡らせた。
「人々に、思い出してもらわなければ。本物の食べ物の、味を。あたたかな食卓の、喜びを」
商会の支配に慣れきった人々は、諦めている。粗悪な品を高い値で買うことに。
けれど、一度本物の味を知れば。人は、二度とまがい物には戻れない。
それは、前世で経営の仕事をしていた頃に学んだことでもあった。人の心を本当に動かすのは、理屈ではない。
実際に目で見て、舌で味わった確かな体験だ。どれだけ言葉で訴えるより、ひと口の感動が、人を変える。
「炊き出しを、しましょう」
「王都の広場で。集まった食材で、あたたかい料理を振る舞うんです。飢えた人々に、まずは、ひと皿の幸せを」
それは、戦いの始まりの狼煙だった。剣も、神の力も使わない。
ただ、あたたかな一杯で、人々の心を取り戻していく。料理人としての、わたくしの戦い方で。
アルヴィスが、ふっと笑った。
「お前らしいな。——いいだろう。おれも、手伝う」
王都の空に、かすかな希望の匂いが漂いはじめた。
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