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【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

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第124話 眠れる親神

オーレンに導かれ、わたくしたちは淵の縁に立った。


金色に輝く深淵。その底から、絶え間なく立ちのぼる、無数の声。

世界のあらゆる命の響き。それらが生まれ、巡り、還る。

世界の源。その最も深いところに、あのお方は眠っている。


『……いざ、その時が来ると』

オーレンが、静かに言った。


『胸が、震えるな。何百年も滅ぼそうとしてきた御方に、今は、救いを願って向き合うとは』



わたくしは、淵に向かって呼びかけた。


「あのお方、聞こえますか。わたくしは、セレスティア。神の声を聞く舌を持つ者です」


返事はない。ただ、淵の光が、わずかに揺らいだ。

眠れる神は、深い絶望の底で、まだ目を覚まさない。


「《美食家の舌》で、あのお方の心に触れてみます」

わたくしは、淵の縁に膝をつき、そっと、その金色の光に手を伸ばした。



光に触れた瞬間、わたくしの意識は、淵の底へと引き込まれていった。


そこは——果てしない闇だった。何もない。

光も、音も、ぬくもりも。ただ、深く、底なしの孤独だけが広がっている。

これが、あのお方の心の中。世界を生んだ神が、今、沈んでいる、絶望の深さ。


《美食家の舌》が、この闇の味を読み取る。それは、涙すら涸れ果てた味だった。

かつては、世界へのあふれる愛で満ちていた、はずの心。それが今は、乾いて、ひび割れ、ただ暗い。

愛が深かった分だけ、その喪失は、どこまでも深かった。


「……っ」


あまりの寂しさに、息ができなくなった。これは、海の神の孤独よりも、オーレンの絶望よりも、さらに深い。

比べものにならないほどの虚無。



闇の中に——小さな声が響いた。


『……なぜ、来た』


それは、世界のすべてを生み出した者の声とは思えぬほど、か細く疲れ果てた声だった。『もう、何もいらぬ。

誰もいらぬ。わしは、ただ、すべてを終わらせたい。

この悲しみごと、世界を消してしまいたい』


「あのお方」

闇に向かって、呼びかけた。


「あなたは、本当に、そう思っているのですか」



『……わしは、世界を、愛していた』


声が、震える。『あらゆる命を慈しんだ。

神々を生み、人を育み、皆が、幸せに暮らす世界を夢見た。だが』


闇が、いっそう深くなる。


『人は争い、世界を汚し、わしの生んだ神々さえ、忘れ、見捨てた。愛が深ければ深いほど、裏切られた痛みは、耐え難い。わしは、もう、見ているのが——つらいのだ』


その声に滲む絶望は、あまりに深く、わたくしの胸を締めつけた。



——誰よりも世界を愛したからこそ、誰よりも深く絶望した。


前宰相の言葉が、今、痛いほどわかった。あのお方は、冷酷な破壊者ではない。

愛するわが子に裏切られ、傷ついた、一人の親なのだ。その悲しみの深さは、海の神も、オーレンも、すべての絶望の根源だった。


「わかります」

わたくしは、静かに言った。


「あなたの悲しみが。愛したものに裏切られる、つらさが」


『……お前に、何がわかる』



「わかります。わたくしも、前世で、報われない想いの中で倒れたのです」

わたくしは、闇に語りかけた。


「必死に尽くしても、誰にも認められない。その、つらさを、わたくしも、知っています」


わたくしの前世の絶望と、あのお方の絶望は、規模こそ天と地ほど違う。けれど、その根は同じだった。

愛し、尽くし、それが報われなかった痛み。だから、わかる。

今のあのお方に何を言っても、きれいごとは届かない。必要なのは、言葉ではなく、心に直接触れる、あたたかさなのだと。


闇が、わずかに、ざわめいた。


「でも、あのお方。わたくしは、この世界で、もう一度、生きる希望をもらいました。あたたかな食卓と、支えてくれる人々に、出会って」

わたくしは、続けた。


「だから、あなたにも、もう一度、世界のあたたかさを、思い出してほしいのです」



『……世界の、あたたかさ、だと』


あのお方の声に、ほんの、かすかな。けれど、確かな揺らぎが生まれた。

長い絶望の中で、忘れていた何かを、思い出そうとするかのように。


「ええ」

わたくしは頷いた。


「証明します。わたくしの料理で。この世界が、まだ、愛するに値する場所だと。あなたに、もう一度、信じてもらえるように」


ふと、傍らに気配を感じた。オーレンだった。

彼もまた、声を聞く力で、この闇の中へ入ってきたのだ。『……わしも、手伝おう』彼は、静かに言った。

『同じ絶望を知る者として。——いや。

お前に救われた者として。今度は、わしが、あのお方に、手を差し伸べたい』


闇の彼方で、眠れる親神が、わずかに身じろぎした、気がした。


そして、現実の淵の縁では、アルヴィスが、ティナが、ダグが、ナギが。意識を失ったように淵に手を触れるわたくしを、じっと見守ってくれている。

独りではない。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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