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【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

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第123話 還ってきた名前

淵のほとりで、わたくしたちは、ひとつの食卓を囲んだ。


世界の果ての荘厳な場所には、あまりにささやかな、けれど、あたたかな食卓だった。湯気を立てる、世界中の恵みの一杯。

香ばしく炙った燻製肉。とろりと煮えた根菜。

芯から体をあたためる、滋味深い汁。ティナも、ダグも、ナギも、アルヴィスも、皆で車座になって分け合う。

統べる者は、湯気の立つ椀を両手で包むように持ち、おそるおそる口をつけた。


その瞬間、彼の目から——大粒の涙が、こぼれ落ちた。



『……ああ。この、味だ』


震える声で、統べる者は呟いた。『あの男と、昔、囲んだ食卓の。

あの、あたたかさ、そのものだ。忘れていた。

いや、忘れたふりを、していた。こんなにも、あたたかいものが、あったことを』


涙が止まらないらしかった。何百年分の孤独が、あたたかなひと匙で、少しずつ溶けていく。


「もう、独りでは、ありませんよ」

わたくしは、優しく言った。



しばらくして、落ち着いた統べる者は、ぽつりぽつりと語りはじめた。


『わしの名は、もう、誰も覚えてはおるまい。長く生きすぎて、わし自身さえ、“統べる者”などという呼び名でしか、己を認識できなくなっていた』


「お名前を、聞かせて、いただけますか」

わたくしは、尋ねた。


統べる者は。——いや。

その人は、懐かしむように目を細めた。『……オーレン。

あの男だけが、わしを、そう呼んだ』



オーレン。それが、彼の本当の名前だった。


『初代辺境伯。あの男の名は、アーデンといった』

オーレンは語る。


『わしと、アーデンは、世界の声を聞く苦しみを、分かち合った。二人で世界を巡り、苦しむ人々を助けた。あの頃が、わしの生涯で、いちばん幸せな時間だった』


『野山で火を焚き、二人で粗末な食事を分け合った。声の苦しみも、明日への不安も、あの男が隣にいれば、不思議と軽くなった』

オーレンの声に、ぬくもりが宿る。


『“いつか、世界中の人が、笑って暮らせる日が来る”。アーデンは、いつも、そう言って笑っていた。わしには、信じられなかったが。あの男の、その笑顔だけは、信じたかった』


けれど、アーデンは人間で。オーレンは、神に等しい声を聞く者ゆえに、寿命が違った。


『アーデンは、老い、先に逝った。“希望を、未来に託す”。そう言い残して。わしは、たった独り、残された』



「アーデン様は」

わたくしは言った。


「あなたを、見捨てたわけでは、ありません」


オーレンが、顔を上げる。


「アーデン様は、日誌に,こう書き残していました。“わしの力では、彼を救えなかった。だが、いつか、彼を救える者が、現れることを信じる”と」

わたくしは、まっすぐにオーレンを見た。


「あなたを救う希望を、未来に託した。それが、わたくし、だったのです」


オーレンの目が——大きく見開かれた。



『……そうか。あの男は』

オーレンの声が、震えた。


『わしを、見捨てて逝ったのでは、なかった。わしを救う希望を、お前に託して。——逝った、のか』


「はい」

わたくしは、頷いた。


「アーデン様の想いは、何百年も時を越えて、今、あなたに届きました」


オーレンは、天を仰いだ。その頬を伝う涙は、けれど、もう絶望の涙ではなかった。

長い、長い孤独の果てに、ようやく友の本当の想いを知った、安らぎの涙だった。


何百年。オーレンは信じてきたのだ。

友に見捨てられたと、独り残されたと。その思い込みが、彼を絶望の底へと突き落とした。

けれど、本当は違った。アーデンは、最後の最後まで友を案じ、その救いを未来へと繋いでいた。

ただ、その想いが、あまりに長い時を経て、ようやく今、届いただけ。すれ違っていた二人の心が、時を越えて結ばれた瞬間だった。



『アーデン。お前は』

オーレンは、空に語りかけた。


『最後まで、わしを案じてくれていたのだな。すまない。わしは、お前の想いも知らずに、世界を呪い、滅ぼそうと……』


「オーレンさん」

わたくしは、その名を呼んだ。


「これから、一緒に、しませんか。アーデン様が解けなかった、最後の願いを」


オーレンが、わたくしを見る。


「あのお方を、救うのです」

淵を、見つめた。金色に輝きはじめた、その底を。


「あなたと、わたくし。二人の声を聞く者が、力を合わせれば。——きっと」



オーレンは、しばらく淵を見つめていた。


そして、ゆっくりと頷いた。

『……そうだな。わしが、長年滅ぼそうとしてきた、あのお方。だが、本当は、誰よりも救いたかったのかもしれぬ。同じ絶望を知る者、として』


立ち上がったその姿は、もう、滅びの化身ではなかった。傷つき、けれど、優しさを取り戻した、一人の人の姿だった。


「行きましょう」

皆を見渡した。


「世界の親神。あのお方のもとへ、最後の料理を、届けに」


淵の金色の光が、まるで、わたくしたちを招くように、いっそう、あたたかく輝いた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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