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【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

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第122話 世界を繋ぐ一皿

声の洪水の、ただ中で、わたくしは、鍋に向かった。


何を作るか。答えは、もう決まっていた。

これまでの旅で出会った、すべての恵みを、ひとつの皿に結ぶのだ。世界中のあたたかな声を、この一杯に込めて。


「皆さん。力を、貸してください」

わたくしは、仲間たちを呼んだ。


声の洪水の中、皆も苦しいはずだった。けれど、わたくしの声に、誰一人ためらわなかった。

アルヴィスが、剣で迫りくる瘴気を払い、わたくしの周りに、調理の場を作り出す。ティナ、ダグ、ナギが、それぞれの力で応える。

独りでは決して作れない一杯。仲間がいるからこそ、できる料理だった。



ティナが、水の声を聞き、淵から湧き出す清らかな水を、わたくしの鍋へと導いた。すべての命の源となる、始まりの水。


ダグが、地の声を聞き、淵の岩壁から、大地の滋味を含んだ岩塩を削り出した。世界を支える、大地の恵み。


ナギが、淵に満ちる声の中から、海の恵みの記憶を、たぐり寄せる。遠い群島の、豊かな海の幸の味わいを。



そして、わたくしは、背負ってきた荷を開いた。


ヴァルドの燻製肉。アスタリカの香辛料。

サウディスの乾いた大地で育った実り。ミルディアの水で戻した乾物。

旅の、すべてが、ここにあった。救ってきた土地の、繋いできた人々の。

その恵みの、すべてが。


「これは……」

霞の奥で、統べる者が、息を呑む気配。


「世界中の恵み、だと」



火にかける。


まず、ヴァルドの燻製肉を薄く削ぎ、香ばしく炙る。じゅう、と脂がはじけ、けむる。

琥珀色の汁が、にじみ出す。そこへ、ティナが導いた、淵の始まりの水を注ぐ。

ぐらり、と煮立てば、肉の旨味が、黄金色の出汁となって、立ちのぼった。


ダグの岩塩を、ひとつまみ。サウディスの、赤く熟れた木の実を、ほろりと崩し入れれば、澄んだ汁に、ルビーのような彩りが差す。

アスタリカの香辛料を、ひと振り。つん、と鼻を抜ける刺激的な香りが、食欲をかき立てる。

仕上げに、ナギの選んだ、群島の海の幸を。ぷりり、とした身が、熱を受けて、きゅっと縮み、磯の香りを放った。


種類の違う、いくつもの旨味が、ひとつの鍋の中で出会い、溶け合っていく。北の山の幸と、南の海の幸。

乾いた砂漠の実りと、豊かな水の恵み。本来なら、決して、ひとつの食卓に並ぶことのない、遠い土地の味たちが、今ここで、ひとつになる。


それは、わたくしの旅そのものだった。いがみ合っていた人々。

交わるはずのなかった土地と土地。それを、料理が結んできた。

ひとつの食卓を囲むことで、憎しみは和らぎ、孤独は繋がった。この一杯は、その、すべての証だ。

世界は、ひとつになれる。そう信じて歩いてきた、道の結晶。


ことことと煮立つ鍋から、とろりと濃い黄金色の湯気が、ゆらめき立つ。山の滋味、海の旨味、大地の実りが、幾重にも重なった、複雑で芳醇な香り。

嗅いだだけで、空きっ腹が、せつなく鳴るような。腹の底から、力が湧くような。

希望そのものの、香りだった。



その香りが、淵に満ちていく。


すると——不思議なことが、起こった。荒れ狂っていた声の洪水が、少しずつ、静まっていくのだ。

悲鳴が、嘆きが、あたたかな香りに包まれて。——ほどけていく。


『なぜ……』

統べる者の声が、震えた。


『なぜ、声が和らぐ。あれほど荒れ狂っていた絶望が』


「料理の力です」

わたくしは、告げた。


「あたたかいものは、どんな苦しみも、そっと包んで和らげる。人の心も、神の心も、同じです」



わたくしは、できあがった一杯を、淵に、そっと捧げた。


そして、もうひと品。統べる者のためだけに、ある味を忍ばせていた。

日誌に、記されていた一節。アーデンとオーレンが、野山で火を焚き、分け合ったという、素朴な滋味。

香草を効かせた、根菜の汁物。旅人が、道端でこしらえるような。

けれど、心のこもった、ひと椀を。《美食家の舌》で、日誌の、わずかな記述から、二人が、かつて味わったであろう、その味を再現したのだ。


「あのお方に。そして、統べる者。あなたに」

わたくしは、湯気の立つ椀を掲げた。


「これは、わたくしが旅で出会った、すべてのあたたかさの結晶です。どうか、受け取ってください」


椀から立ちのぼる湯気が、淵の底へと、そして霞の統べる者へと、ゆっくり流れていく。


その瞬間。——淵の底から、深い、深いため息のような、安らぎの気配が立ちのぼった。

眠れるあのお方が、かすかに反応したのだ。


何百年も、絶望の中で眠り続けた、世界の親神。その心に、ほんのわずか、あたたかな何かが触れたのか。

淵の光が、それまでの淡い青から、ほんのり金色を帯びはじめた。まるで、固く凍った氷に、最初のひとすじの陽が差したように。


(……あのお方も。きっと、応えてくれる)


わたくしは、確信した。けれど、その前に。

まずは、目の前の、統べる者を。



『——あたたかい』


それは、統べる者の声だった。けれど、今までとは、まるで違った。

冷たさも、虚無も消えて、ただ震える、子どものような声。


『この、味は』

声が、大きく揺らいだ。


『この香草の香り。素朴な、根菜の滋味。知っている。わしは、これを知っている。遠い、遠い昔。あの男と。アーデンと。野山で分け合った、あの味だ。なぜ。なぜ、お前が、これを』


何百年も、忘れていたはずの記憶。それが、たったひと匙の味で、堰を切ったようによみがえる。


『なんという、ことだ。こんなあたたかいものが、まだ、世界にあったのか。わしは……わしは、ずっと、冷たい声ばかりを、聞いてきたのに』


香りが、統べる者を包む。その瞬間、彼の脳裏に、よみがえったのだろうか。

まだ絶望に呑まれる前の、友と肩を並べ、ささやかな食事を分け合った、あのあたたかな日々が。声に、忘れていた、震えが、宿った。


霞んだ輪郭が、揺らぐ。何百年もの孤独の鎧が、あたたかなひと匙の前で。

——剥がれ落ちていく。



「あなたは、聞こうとしなかっただけ」

わたくしは、優しく言った。


「世界には、あなたをあたためる声も、確かにあった。ただ、絶望が、それを覆い隠していただけ」


『……わしは』

統べる者の声が、揺れる。


『わしは、どうすればよかったのだ。あの男が逝き、独りになって。もう、誰も、わしの苦しみを、わかってくれぬと。そう思って……』


「いいえ」

首を振った。


「ここに、わかる者が、います。あなたの苦しみを、受け止める者が。——もう、独りでは、ありません」



霞が晴れていく。


その奥から、現れたのは。——ひどく疲れた、けれど、どこかあどけなさの残る、一人の人の姿だった。

何百年も独りで、世界の悲鳴を背負い続けた者の。——本当の顔。


『……うまそうな、匂いだ』

その人は、泣き笑いのような表情で呟いた。


『なあ、その一杯。わしも、相伴にあずかっていいか。ずっと、ずっと昔、あの男と囲んだ食卓の。あのあたたかさを。——もう一度、感じてもいいだろうか』


「もちろんです」

「さあ、一緒に、いただきましょう」

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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