表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
121/141

第121話 絶望の味

淵の底から、響く地鳴り。


それは、やがて、淵を満たす声のうねりへと変わっていった。無数の悲鳴。

嘆き。呪い。

世界中のありとあらゆる負の声が、統べる者の意志に呼応するように、淵から溢れ出してくる。


『——これが、わしの聞いてきた、世界だ』

霞の中から、声が響く。


『聞くがいい。お前の守りたい世界の、本当の姿を』



声のうねりが、わたくしを呑み込んだ。


その瞬間——頭の中に、直接、流れ込んでくる。飢えた子の泣き声。

戦で、すべてを失った者の慟哭。裏切られ、見捨てられた者の呪い。

世界中の悲しみが、いっぺんに押し寄せてくる。


「ぐ……っ」


あまりの苦しみに、わたくしは膝をついた。これを、統べる者は、何百年も、たった独りで聞き続けてきた。

その重さが、今、わたくしの肩にのしかかる。



『どうだ』

統べる者の声が、響く。


『耐えられまい。これが、声を聞く者の宿命。世界が続く限り、終わらぬ地獄だ』


声の洪水は、容赦なく、わたくしの心を削っていく。意識が、霞む。

ああ。確かに、これは、あまりにつらい。

逃げ出したくなるほどに。


(……でも)


朦朧とする中で、わたくしは、奥歯を噛みしめた。逃げては、いけない。

この苦しみから、目を背けては、統べる者を、救えない。


それに、わたくしは、前世で知っている。苦しみを独りで抱える、つらさを。

誰にも言えず、ただ耐え続ける、あの孤独を。だから、今、思う。

この声の洪水を、統べる者が、たった独りで、何百年も。どれほど心細かっただろう。

どれほど、誰かに隣にいてほしかっただろう。


そう思えば、この苦しみは、もう、ただの苦しみではなかった。統べる者の心に寄り添うための、通らねばならない道だった。



「アルヴィス、さま……」


「セラ!」

アルヴィスが、駆け寄ろうとする。けれど、声のうねりが、壁となって阻む。


「くっ……近づけ、ない」


「来ないで、ください」

なんとか、声を絞り出した。


「これは……わたくしが、向き合うべきこと。大丈夫、です」


震える足で、立ち上がった。声の洪水の、ただ中で、まっすぐに、霞の方を見据えて。



「確かに……これは、つらい」

わたくしは、声を落とした。


「こんなものを、何百年も、あなたは、独りで抱えてきた。その、お苦しみが、今、わかりました」


『ならば——』


「でも」

わたくしは、遮った。


「わたくしには、この声の奥に。別のものも、聞こえます」


意識を研ぎ澄ます。《美食家の舌》が、声を聞く力と響き合い、うねりの奥に隠された、かすかな味を捉えた。

悲鳴の苦さの、その奥。ほんの、わずかに、あたたかなものが、混じっている。


それは、ごく小さな味だった。怒涛の絶望の中では、聞き逃してしまうほど、かすかな。

けれど、確かにある。濁った海水の底に、愛の旨味を見つけたように、今も、わたくしの舌は、絶望の底に潜む、ひとすじの希望を捉えていた。



「希望の、味です」

わたくしは、言った。


「飢えた子を抱きしめる、母のぬくもり。失った者に差し出される、誰かの手。絶望の声の、すぐ隣で、小さな優しさも、確かに響いている」


『……何を』


わたくしは、首を振った。言葉で説き伏せようとは、思わなかった。

あの日誌を読んだ時から、知っている。これほど深い絶望に、正論は届かない。

正しさは、時に刃となって、傷ついた心を、さらに追い詰める。前世のわたくしが、そうだったように。


だから、わたくしは、言葉ではなく、味で伝えることにした。


「言葉では、何も申しません」

わたくしは、静かに言った。


「ただ、ひとつだけ、確かめてほしいのです。世界に、まだ、あたたかいものが、残っているかどうかを。——わたくしの料理で」


声のうねりが、わずかに、ざわめいた。動揺するように。

霞の奥の統べる者が、何かを思い出そうと、するかのように。



「証明します」

わたくしは、宣言した。


「料理で、この淵に、あたたかな声を響かせてみせる。絶望の声を、希望の声で、満たしてみせます」


わたくしは、すぐに火を起こした。この始まりの淵で、今こそ、料理人としての、すべてを懸ける時だ。


ヴァルドで。アスタリカで。

砂漠で。海で。

わたくしは、いくつもの食卓を囲んできた。飢えを満たし、渇きを癒し、孤独を繋いできた。

その、ひと皿ひと皿が、世界に、あたたかな声を増やしてきた。ならば、この絶望の淵にも、きっと、届くはずだ。


『……無駄なことを』

統べる者の声。けれど、そこには、かすかな揺らぎがあった。

否定しきれない、何か。期待にも似た、その響きを、わたくしは、聞き逃さなかった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

続きが気になったら、評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ