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追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第2章 飢えの理由、商会の影

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第12話 止められた荷

 使者の脅しが、ただの捨て台詞でなかったと知れたのは、それからわずか十日後のことだった。


 その日、街へ品を運んだはずのハンスが、荷をほとんど積んだまま、青い顔で館へ戻ってきた。


「奥方様……やられました」


 彼は、いつもの陽気さをすっかり失っていた。


「街の市場が、突然、ヴァルドの品の取り扱いを断ってきたんでさ。どの店も、どの商人も、判で押したように『すまないが、おたくの品はもう置けない』と。——裏で、糸を引いてる奴がいる。間違いねえ」


 ハンスの拳が、わなわなと震えていた。


「……いや、ただ断られただけじゃねえんで。市場の真ん中で、奴らの手下が、おれの積んでた魚醤の樽を、思いっきり蹴り倒しやがった。『こんな辺境の泥水、犬の餌にもならねえ』ってね。樽は割れて、中身は、ぜんぶ地面にぶちまけられちまった。……村のみんなが、汗水たらして仕込んだ、大事な魚醤が、ですよ」


 その光景が目に浮かんで、わたくしも、ぐっと胸が締めつけられた。


「市場の連中も、見て見ぬふりだ。バルトロスに睨まれるのが怖くて、誰も、おれに味方しちゃくれねえ。……悔しくて、悔しくて。おれ一人なら我慢もする。けど、あれは、村のみんなの想いだ。それを、泥水呼ばわりして、踏みにじりやがって」


「大商会、ですね」


 わたくしが言うと、ハンスは苦々しげに頷いた。


「ええ。バルトロス商会。王都にまで太いパイプを持つ、この地方一帯を牛耳る化け物みてえな商会でさ。そこが手を回したとなりゃ、街の連中は逆らえねえ。商売を干されちまいますからね」


 魚醤も、保存食も、せっかく軌道に乗りかけた販路が、一夜にして閉ざされた。あの使者の言葉が、まざまざと甦る。——商いというものは、誰かの一存で、いとも簡単に止められる。


「奥方様、どうしやす。このままじゃ、村に約束した支払いも……」


 ハンスの声には、焦りが滲んでいた。当然だ。販路が断たれれば、せっかく回りはじめた村の経済が、また止まってしまう。村人たちは、ようやく掴んだ希望を、再び失うことになる。


 それだけは、させたくなかった。



「——落ち着いて、ハンスさん」


 わたくしは、努めて冷静に言った。頭の中では、すでに、いくつもの算段が動きはじめている。


 前世でも、こういうことは、いくらでもあった。わたくしは、自分の小さな食堂を切り盛りするかたわら、潰れかけた個人店の立て直しを、数えきれないほど請け負ってきた。大手チェーンの理不尽な嫌がらせ。値下げ圧力。兵糧攻めのような取引妨害。——弱い個人店が、巨大資本を相手に、どうやって生き延びるか。それを、現場で、嫌というほど見て、考え抜いてきた。だから、知っている。大きな相手には、大きさで張り合わない。別の土俵を、作ればいい。


「ひとつ、確認させてください。バルトロス商会が押さえているのは、“あの街”の市場だけ、ですよね?」


「へ? ……ええ、まあ、奴らの縄張りは、あの街とその周辺でさ。けど、あそこが一番でかい市場で——」


「では、別の街へ売りましょう」


 ハンスが、きょとんとした。


「別の、街……? いや、奥方様、他の街は遠すぎる。運ぶだけで日数がかかって、その間に品が——」


「傷む、でしょう? 普通の品なら」


 わたくしは、にっこりと笑った。「でも、思い出してください。わたくしたちの主力は、何でしたか?」


 ハンスの目が、はっと見開かれた。


「……保存食」


「ええ。魚醤も、燻製も、干物も——日持ちするのが、最大の強み。遠くへ運んでも、傷まない。むしろ、時間が経つほど味がなじむものさえあります。バルトロス商会は、わたくしたちの品の“本当の強み”を、わかっていない。だから、近場の市場さえ押さえれば潰せると、高をくくっている」


 立ち上がり、わたくしは窓の外を——その先に広がる、まだ見ぬ街道を見据えた。


「逆に、好都合です。この機会に、もっと遠く、もっと広く、販路を広げましょう。一つの街に依存していたら、また同じ手で潰される。なら、最初から、いくつもの街に売る仕組みを作ればいい」


 ピンチを、好機に。閉ざされた一つの扉は、十の扉を開く理由になる。


「それも、ただ売り歩くだけではいけません。——いくつかの街に、信頼できる“卸の拠点”を作りましょう。一軒の大きな店に全部を任せるのではなく、小さくても誠実な店を、各地に少しずつ。そうすれば、たとえ一つの街で妨害されても、他の拠点が生きている。商会がいくら大きくても、すべての街のすべての店を、同時には潰せません」


 これは、前世で学んだ、弱者が巨人と戦うための鉄則だった。一点に賭けない。分散する。相手が大きければ大きいほど、その図体は、小回りの利かなさという弱点に変わる。


「それに——日持ちする品を、遠くまで安全に運ぶ。それこそ、腕利きの行商人の、腕の見せどころでは?」


 ハンスの顔に、みるみる生気が戻ってきた。萎れていた背筋が、しゃんと伸びる。商人の目に、再び、あの熱が灯る。


「……ははっ。まいったね、どうも。こっちが落ち込んでる場合じゃねえや」


 彼は、ばしんと自分の頬を叩いた。


「いいでしょう、やってやりますよ! このハンス様の行商人人生、ここらで一花咲かせてやらあ! どこへだって運んでみせまさあ!」



 けれど、その夜。


 執務室で一人、わたくしは、窓の外の闇を見つめていた。


 ハンスの前では、強気を貫いた。実際、販路は広げられる。それは、嘘ではない。


 けれど——相手は、王都に通じた巨大商会。今回の妨害は、おそらく、ほんの小手調べにすぎない。販路を広げれば、また別の手で潰しにくるだろう。これは、長い戦いになる。


(……それでも)


 わたくしは、ぐっと拳を握った。退くつもりは、微塵もなかった。この辺境の、人々の笑顔を。アルヴィス様と取り戻すと誓った、この土地の未来を。誰にも、奪わせはしない。


「セラ」


 ノックの音とともに、アルヴィスが入ってきた。手には、湯気の立つカップを二つ。


「……根を詰めていると聞いた。少しは、休め」


 差し出されたのは、わたくしが先日彼に淹れ方を教えた、香草茶だった。不器用な手つきで淹れたのだろう、少し濃すぎる。けれど、その心遣いが、冷えた心に、じんと沁みた。


「ありがとうございます」


 ひと口飲んで、わたくしは、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。


 そうだ。わたくしは、もう、一人で戦っているのではない。隣には、この人がいる。背後には、笑顔を取り戻した人々がいる。


 ——だったら、怖いものなど、何もない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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