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【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

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第119話 霧の中の灯火

門の向こうに広がっていたのは——どこまでも続く、深い霧の世界だった。


数歩先も見えない。白い霧が、すべてを包み込んでいる。

方角もわからない。ただ、足元のわずかな道だけを頼りに、わたくしたちは慎重に進んでいった。


「……はぐれないよう、気をつけて」

わたくしは、皆に声をかけた。この霧の中で離れれば、二度と合流できない気がした。


アルヴィスが、わたくしの手を、しっかりと握った。

「離すなよ。絶対に」

その手の確かな温もりが、心細さを和らげてくれる。

ティナとダグ、ナギも、互いの存在を確かめ合うように、身を寄せて進む。この霧は、ただ視界を奪うだけでなく、人の心から、寄る辺を奪っていくようだった。



どれほど、歩いただろう。


ふいに、ティナが足を止めた。

「……セラ様。なにか、聞こえる」


「声、ですか」


「うん。でも、変なの。すごく小さくて、消えそうで。——“さむい、さむい”って、泣いてる」

ティナの表情が、曇る。


「これ、神様の声だ。でも、今までと違う。すごく弱ってる」


弱った神の声。息を、呑んだ。

こんな世界の果ての、霧の中にも、苦しむ神が、いるのだ。



声のする方へ、霧をかき分け、進んでいく。


やがて、霧の晴れた、小さな窪地に、それは、いた。淡い光の塊。

けれど、その光は、今にも消えそうなほど、か細く、頼りなかった。ちらちらと震えながら、必死に灯ろうとしている、小さな炎のような神。


「霧の神……?」

ナギが、呟く。


「いや、違う。光の神かな。でも、こんなに弱って」


その神は、長い間、この霧に閉ざされ、誰にも気づかれず、ひとりきりで消えかけていたのだ。



わたくしは、そっと、その光に近づいた。


『……さむい。……くらい。……ひとり、ぼっち』


か細い声が、直接、胸に響いてくる。ナギの力を借りずとも、これほど近ければ、その悲しみが伝わってきた。

孤独。そして、衰弱。

この神は、忘れられたまま、ゆっくりと消えようとしている。


「大丈夫。もう、ひとりじゃない」

わたくしは、優しく語りかけた。


「わたくしたちが、来ました。あなたを、あたために」



けれど、この神に、料理でできることは、あるだろうか。


弱り、消えかけた光。海の神のように、苦しみを聞いて、というのとも違う。

この神は、ただ衰弱している。生命の灯火が、尽きかけているのだ。

ならば、必要なのは、その灯を、もう一度燃え上がらせる力。


(……あたたかいものを。芯から、あたためるものを)


わたくしは、すぐに火を起こした。この極限の地で、冷えきった心と体を、芯から灯す一杯を。



携えてきた燻製肉と乾燥根菜を、惜しみなく鍋に放つ。


ことことと煮込めば、滋味深い湯気が、霧の中に立ちのぼった。仕上げに、木の実と蜂蜜の携行食を少し溶かし込む。

疲れた体に染み渡る、優しい甘み。生命力を呼び覚ます、あたたかなスープができあがった。


「さあ、召し上がれ」

湯気の立つ椀を、消えかけた光の神へと、そっと捧げた。


「あたたかいですよ。あなたの、その芯まで、きっと届きます」



あたたかな湯気が、か細い光を、ふわりと包んだ。


その瞬間——消えかけていた光が、ぽっと明るさを増した。ちらちらと震えていた炎が、しっかりと力強く、燃えはじめる。


『……あたたかい』

神の声が、変わった。震えるような安らぎとともに。


『あたたかい……。ひとりじゃ、ない……』


何百年、いや、それ以上。この霧の底で、たった独り、誰にも気づかれず、消えることだけを待っていた、小さな神。

その心に、あたたかなひと匙が、確かに届いた。忘れられていた、ということ。

それ自体が、どれほど寒く、暗かったか。わたくしには、わかる気がした。


光が、みるみる大きくなる。窪地を、霧を、わたくしたちを。

やわらかな金色の光が、照らし出した。消えかけた命が、今、確かによみがえったのだ。


この神は、世界の綻びで暴走した、あの六柱とは違うのだろう。淵の近くで生まれ、ひっそりと忘れられていた、小さな神。

けれど——救うべき命に、大小はない。目の前の、消えかけた灯を見過ごすことなど、わたくしには、できなかった。



光の神は、感謝するように、わたくしたちの周りをぐるりと舞った。


そして——その光が、霧を払っていく。立ち込めていた白い霧が、神の光に照らされ、晴れていった。

その先に、道が見えた。深く、暗い、地の底へと続く、一本の道が。


「……この先が」

わたくしは、息を呑んだ。


「“始まりの淵”へ」


光の神が、先導するように、その道の先で、ぽうっと灯る。消えかけた小さな神は、今度は、わたくしたちの行く道を照らす灯火に、なってくれたのだった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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