第117話 眠れる場所への糸口
統べる者を救う。そう決めたものの。
肝心の、その居所も、あのお方の眠る場所も、まだ何もわかっていなかった。手がかりは、初代辺境伯の日誌と覚え書き。
けれど、そこにも、具体的な場所までは記されていない。
「焦っても、仕方ない」
アルヴィスが、言った。
「一つずつ、糸を手繰るしかない」
その通りだった。わたくしは、もう一度、これまでに集めた断片を並べ直してみることにした。
◇
救ってきた神々の記憶。覚え書きの伝承。
日誌の記述。
それらを卓に広げ、皆で囲んで考える。ふと、あることに気づいた。
「ねえ、ティナ。あなたが、初めて水の声を聞いたのは、どこ?」
「えっと……ミルディアの泉。すごく古い泉だった」
「ダグさんは?」
「俺は、鉱山のいちばん深いところだ。古い坑道の奥」
「ナギは、群島のいちばん深い海。みんな、共通してる」
わたくしは、呟いた。
「“古く”て、“深い”場所。世界の根源に近い場所で、声は、強く響く」
それは、料理で言えば、一番出汁の出る場所だ。素材の、最も深いところ。
雑味のない、純粋な旨味が湧き出す、源泉。世界の声もまた、きっと、最も古く、最も深い場所から湧き出している。
ならば、その源泉を、たどっていけば。
「あのお方の眠る場所も、きっと、世界で、いちばん古くて、いちばん深い場所」
わたくしは、確信を込めて言った。
「そこに、すべての声の源がある」
◇
『——ほう。気づいたか』
ふいに、あの声が、頭の中に響いた。統べる者だ。
けれど、今度は、襲撃の気配はない。ただ、語りかけてくるだけ。
「……統べる者。あなた」
『感心したのだ。お前は、存外聡い』
その声には、どこか、面白がるような響きがあった。
『自力で、そこまでたどり着くとはな。よかろう。その見立て、間違ってはおらぬ』
なぜ、肯定するのか。訝しんだ。
けれど、統べる者の声には、あの底知れぬ疲弊と、かすかな期待のようなものが、滲んでいた。
◇
『お前が、本気で、あのお方を救えると思うなら、来るがいい。世界の中心。すべての声が生まれ、還る場所。——“始まりの淵”へ』
「始まりの、淵……」
『だが、忘れるな』
声が、低くなる。
『そこへ至る道は、生半可な覚悟では越えられぬ。幾多の試練が、お前たちを阻むだろう。そして、その果てで、わしが待っている』
声が、遠ざかる。統べる者は、わたくしたちを、導いている。
敵でありながら、まるで試すように。あるいは——救いを求めるように。
(……やっぱり。あの人は)
わたくしは、確信を強めた。本当に、すべてを無に還したいだけなら、わたくしたちを淵へ招く必要などない。
放っておけば、いい。なのに、わざわざ道を示し、「来い」と言う。
それは、心のどこかで、まだ、誰かに止めてほしいと、願っている証ではないか。倒れる前のわたくしが、誰かに気づいてほしかったように。
◇
「セラ。罠かもしれん」
アルヴィスが、警戒した。
「敵の言葉だ。鵜呑みには、できん」
「ええ。でも」
わたくしは、頷いた。
「あの声には、嘘はなかった、と思います。それに、どのみち、あのお方の眠る場所へは、行かなければならない。なら、統べる者の待つ、その場所こそ、わたくしたちの、目指す場所です」
罠か、否か。それでも、進むしかない。
世界を救うために。そして、統べる者を救うために。
◇
その夜。出立の準備を進めながら、わたくしは厨房に立っていた。
長い旅になる。試練が待つ、という道。
だからこそ、皆の力になるものを、作りたかった。滋養があり、日持ちがして、食べれば心まであたたまるもの。
ヴァルドの燻製肉。乾燥させた根菜。
木の実と蜂蜜を固めた、携行食。前世の知識を総動員して、旅路を支える保存食を、こしらえていく。
燻製肉は、薄く削げば、噛むほどに旨味が滲む。乾燥根菜は、湯を注ぐだけで、滋味深い汁になる。
木の実と蜂蜜の塊は、ひと欠片で、疲れた体に力が戻る。どれも、見た目は地味だけれど、極限の旅で、心と体を支えてくれる、頼もしい味方だ。
手早く、確実に。けれど、一つひとつに、心を込めて。
「いい匂いだ」
アルヴィスが、厨房を覗いた。
「お前の作るものは、どんな時も、人をほっとさせる」
「そう、でしょうか」
「ああ。きっと、統べる者にも、届く」
その言葉に、わたくしは、微笑んで頷いた。
◇
支度は、整った。
行き先は、世界の最も深い場所。——“始まりの淵”。
あのお方が眠り、統べる者が待つ場所。
長い旅だった。凍てつく辺境に嫁いだ、あの日。
誰にも必要とされず、ハズレスキルと笑われたわたくしが。今は、こんなにも頼もしい仲間と、世界の命運を賭けた旅に出ようとしている。
けれど、迷いは、なかった。
「行きましょう」
皆を、見渡した。
「すべてを終わらせ、すべてを救うために。わたくしたちの、最後の旅が、始まります」
ティナが、ダグが、ナギが。そして、アルヴィスが、力強く頷いた。
世界の根源へ。料理という希望を携えた旅が、今、新たな一歩を踏み出した。
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