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【完結】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第13章 世界の始まりへ

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第116話 傷ついた者の面影

統べる者の襲撃から、一夜が明けた。


瘴気に枯らされた、村はずれの草木。その痛々しい黒い跡を前に、わたくしは立ち尽くしていた。

あれが、村の中心に届いていたら、どれほどの被害が出ていたか。


「セラ」

アルヴィスが、隣に立った。


「気に病むな。誰も欠けなかった。それで、十分だ」


そう言って、彼は、わたくしの背に、そっと手を添えた。冷えた朝の空気の中、その手の温もりだけが、確かだった。

「お前は、いつも背負いすぎる。少しは、おれにも、分けろ」


「……はい」

その優しさに、強張っていた心が、ほどける。


「ありがとうございます」


「ええ。でも」

わたくしは、黒い跡に、そっと触れた。


「次は、もっと強い力で来る。そう、言っていました。その前に、統べる者のことを、もっと知らなければ」



館に戻ると、セバスが、一冊の古びた書物を抱えて待っていた。


「奥様。書庫を改めて調べておりましたら、こんなものが」

差し出されたのは、虫食いだらけの、古い日誌のような冊子だった。


「初代様の覚え書きと、同じ棚の奥に。隠すように、しまわれておりました」


わたくしは、慎重に頁をめくった。インクはかすれ、文字も、所々欠けている。

けれど——そこに記されていたのは、初代辺境伯の、若き日の記録だった。



『——今日、奇妙な男に出会った』


掠れた文字を、追った。


『わしと同じ、世界の声を聞く者だという。名を問うても、答えぬ。ただ、悲しげな目で、世界を見ていた。彼の聞く声は、わしのそれより、ずっと多く、ずっと深いらしい。彼は言った。「お前も、いずれわかる。声は増えていく。世界が汚れるほど、悲鳴は増える」と』


その男。——統べる者だ。

確信した。初代辺境伯と統べる者は、かつて出会っていたのだ。



頁を繰る。日誌は、二人の交流を記していた。


最初、二人は、同じ力を持つ者として、心を通わせていた。世界の声を聞く、孤独。

それを分かち合える、唯一の相手。けれど、やがて、二人の道は分かれていく。


『彼と語り合う夜は、心が安らいだ』

ある頁には、そう記されていた。


『この苦しみを、わかってくれる者がいる。それだけで、わしは救われた。だが、彼の苦しみは、わしの比ではなかった。わしが十の声を聞くなら、彼は、千の声を聞いていた』


千の声。世界中の、ありとあらゆる悲鳴を、たった一人で聞き続ける。

その重さを想像して、わたくしは身震いした。


『彼は、もう限界だと言う。世界の悲鳴に、耐えられぬと。いっそ、すべてを終わらせれば、この苦しみも終わると。わしは、必死に止めた。声が苦しいなら、その声を減らせばいい。世界を、より良くすればいい、と。だが、彼は、力なく笑うだけだった』



わたくしは、頁から目を上げた。胸が、締めつけられる。


統べる者は、かつて、初代辺境伯に救いを求めていたのかもしれない。けれど、初代の言葉は届かなかった。

あまりに深い絶望には、正論は届かない。それは、前世のわたくしも知っている。

働きすぎて倒れる、その時まで、誰の「休め」という言葉も届かなかった、あの日々を。


「……わかる、気がします」

わたくしは、呟いた。


「あの人は、本当は、救われたかった。でも、誰にも、その手を掴めなかった」


絶望の底にいる者には、「がんばれ」も「希望を持て」も届かない。むしろ、その正しさが、追い詰める。

わからないくせに、と。前世のわたくしも、そうだった。

倒れる、その瞬間まで、「もっとできる」「休むのは甘え」と、自分で自分を追い込んでいた。


だから、わかる。統べる者に必要なのは、正論でも説教でもない。

ただ寄り添い、その苦しみを丸ごと受け止める、あたたかな何かだ。



『せめて、未来に希望を託そう』


日誌の、最後の頁は、初代辺境伯の決意で結ばれていた。


『わしの力では、彼を救えなかった。あのお方の絶望も、解けなかった。だが、いつか。わしより、ずっと深く、世界の声を聞き。なお、絶望に呑まれぬ者が、現れるかもしれぬ。その者に託そう。神の声を聞く舌は、いつか必ず、還ってくる。——その日を、信じて』


その一文に、わたくしの目に涙が滲んだ。初代辺境伯が託した希望。

それが、わたくしだ。彼が救えなかった、統べる者を。

あのお方を。——わたくしが、救う。



「アルヴィス様」

わたくしは、顔を上げた。


「わたくし、決めました。統べる者を、倒すのではなく、救います」


アルヴィスは、静かにわたくしを見つめ、そして頷いた。「ああ。お前らしい」


「あの人の絶望は、きっと、誰よりも深い。何百年も、世界の悲鳴を聞き続けて。それでも」

わたくしは、拳を握った。


「料理は、言葉が届かない心にも、届く。海の神に届いたように。きっと、あの人にも」


窓の外、晴れた空に、つかの間の平穏が、戻っていた。けれど、わたくしの胸には、新たな決意が——静かに燃えていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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