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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第12章 海を越えて世界の真実へ

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第112話 影の口を割らせて

黒い影が、書庫の扉に手をかけた、その瞬間。


「——今です!」


わたくしの合図で、潜んでいた衛兵たちが、一斉に躍り出た。同時に、ダグが地面に手をつく。


「逃がさねえ!」


ずん、と地が鳴った。書庫の周囲の地面が、不自然にせり上がり、影たちの退路を塞ぐ。 狼狽える黒装束。その隙を、衛兵たちが突いた。



けれど、敵も手練れだった。


一人が、懐から黒い玉を取り出し、床に叩きつけると、黒い煙が立ちこめた。 視界が、奪われる。影たちは、その煙に紛れ、散り散りに逃げ出そうとした。


「ティナ!」


「うん!」ティナが、水鏡をかざす。

「煙の中でも、見える! 右に二人。左の窓へ、一人。奥の柱の陰に、一人!」


煙幕も、ティナの水鏡の前では無意味だった。位置をすべて見抜かれた影たちは、次々と取り押さえられていく。



最後の一人が、窓から逃れようとした。


「させるか」アルヴィスが、音もなく回り込み、その行く手を阻んだ。

「逃げ場はない。観念しろ」


黒装束の男が、短剣を抜く。けれど、アルヴィスの剣のほうが速かった。 一閃。

男の短剣が弾き飛ばされ、床を滑る。


次の瞬間には、男は、床に組み伏せられていた。


「全員、確保しました」セバスが、告げた。


囮作戦は、見事に成功した。逃げた者は、一人もいない。 滅び派の手の者、五人。すべて、わたくしたちの手の中に落ちた。


ティナの水鏡、ダグの地の声、アルヴィスの剣。みなの力が噛み合えば、手練れの刺客とて、もはや敵ではない。 これまでの旅で積み重ねてきた、連携の成果が、ここでも、確かに活きていた。



捕らえた男たちを、館の一室に集める。


けれど、彼らは、頑なに口を閉ざしていた。前宰相の手の者と、同じ。 固い忠誠か、あるいは恐怖で、何を訊いても、貝のように押し黙る。


「無駄だ。我らは、何も語らん」頭目らしき男が嗤った。「拷問でも、何でもするがいい。あの方のご計画は、もはや、誰にも止められん」


その言葉に、けれど、わたくしは動じなかった。彼らの口を開かせる方法を、わたくしは知っていた。 拷問でも、脅しでもない。もっと確実な方法を。



「皆さん。お腹が、空いていませんか」


わたくしの言葉に、男たちが、怪訝な顔をした。


わたくしは、頭目の男をじっと観察した。《美食家の舌》は、食材だけでなく、人の体からも、多くを読み取る。


荒れた手のひらに刻まれた、独特のタコ。すり鉢のような道具を、長年握ってきた者の手。 痩せた頬と、土気色の肌。長く刺激の強い香辛料を摂り続けた者の、胃の弱り。 そして——彼の吐く息に、ごくわずかに残る、乾いた薬草のような香り。魔除けに焚くのだろうか。 内陸の、限られた地方でしか使われない、独特のものだった。


(……この人は、内陸の乾いた土地の生まれ。香辛料をすり潰して使う食文化。痺れる辛さを好む地方。魔除けの薬草を焚く風習)


読み取った断片を、頭の中で組み合わせる。前世で知った、無数の味の記憶と、彼の故郷の食卓に、必ずあったはずの味。 その決め手となる、隠し味まで、たどり着いた。


わたくしは、厨房へ向かい、料理を作りはじめた。あたたかなスープ。 焼きたてのパン。滋味あふれる煮込み。 そして、スープには、そっと、その隠し味を忍ばせた。痺れる辛みと、爽やかな香りを持つ、乾いた土地の香辛料を、すり潰して、ひと匙。 捕らえた敵に振る舞うには、あまりに心のこもった食事だった。


「……何の、つもりだ」頭目が警戒した。


「ただの食事です」湯気の立つ椀を、彼らの前に置いた。「毒など、入っていません。あなた方も、人間。お腹は、空くでしょう」


男たちは、警戒しながらも、漂う匂いに抗えなかった。長旅と潜伏で、まともな食事もしていなかったのだろう。 やがて、一人が、おそるおそるスープに口をつけた。



その瞬間。


男の目が、見開かれた。そして——その頬を、つうっと涙が伝った。


「……っ。なんだ、これは」声が、震えた。

「なんで……なんで、この味を。このすり潰した香辛料の配合。痺れの奥にある、かすかな甘み。これは、おれの……死んだ母さんが。おれだけのために、作ってくれた味だ」


男の手が、わなわなと震えた。

「母さんしか、知らないはずだ。誰にも教えなかった。なのに、なんで、お前が。なんで、こんな遠い島で。——あの日の、あの味が……!」


理性を、根底から揺さぶる驚愕。彼の中で、固く張り詰めていた何かが、音を立てて崩れていくのが、わかった。


「あなたの体が、教えてくれました」静かに、言った。

「あなたが滅びを望む、その世界にも、きっと、守りたい誰かの味があったはず」


固く閉ざしていた、心の奥。そこにしまい込んでいた、亡き母との記憶が。

あたたかなひと口で、呼び覚まされたのだ。

滅びを唱える者にも、かつては、あたたかな食卓があった。


「……おれは」男が、声を絞り出した。

「おれは、ただ……故郷を奪われた。戦で何もかも。家族も、村も、畑も。だから、こんな世界、もう、どうなってもいいと。滅びれば、いいと思った」


その告白に、胸を痛めた。彼もまた、深い喪失を抱えていた。 世界を憎むだけの理由を。けれど。


「その、お気持ちは、わかります」静かに、言った。

「大切なものを失う悲しみは、きっと、世界を呪いたくなるほど深い。でも」


わたくしは、彼の前の椀を指した。

「この、あたたかさを。あなたは、まだ覚えていた。涙が出るほどに。それは、あなたの中に、まだ、守りたい何かが残っている、証です」


男は、椀を見つめ。そして、ぽろぽろと涙をこぼした。 滅びを信じきれない心が、あたたかなひと皿に暴かれていた。



頭目が、慌てて制した。「やめろ! 喋るな!」


けれど、もう、遅かった。あたたかな食事は、男たちの固い結束に、小さな、けれど確かなひびを入れていた。


「教えてください」優しく、問う。

「あなた方を動かしているのは、誰ですか。“あのお方”を、目覚めさせようとしているのは」


男は、しばらくためらい、震える声で呟いた。


「……“統べる者”。おれたちは、そう呼んでいる。前宰相のさらに上。滅びを導く、本当の頭だ」


統べる者。ついに、滅び派の中枢の輪郭が、あたたかなひと皿によって、静かに暴かれはじめた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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