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【7/5 7AMに最終話投稿予定】追放された令嬢ですが、前世は料理人でした ~辺境で餌付けしていたら、冷徹な旦那様に溺愛されています~  作者: P作
第12章 海を越えて世界の真実へ

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第108話 海の慟哭

翌朝。わたくしたちは、ナギの小舟で沖へと、漕ぎ出した。


海の神の苦しみの源を探るため、ナギの海の声が頼りだった。彼は、舳先に立ち、じっと海面を見つめている。

その耳が、人には聞こえぬ海の囁きを、捉えていた。


「……こっちだ」

ナギが、北の方角を指さした。


「海の声が、いちばん悲しく聞こえる。たぶん、あそこに神様がいる」


舟は、穏やかな波を切って進んでいく。けれど、進むにつれて、海の色が、少しずつ変わっていった。



「……海が、濁ってる」

ティナが、眉をひそめた。


澄んでいた青い海が、だんだんと、どんよりと暗い色に。魚の姿も、めっきり減っていく。

生命の気配が、薄れていくのだ。


「ここの海はもう、長いこと、こうなんだ」

ナギが、沈んだ声で言った。


「魚が獲れない。海藻も枯れる。村が貧しくなったのも、これが原因だ」


わたくしは、海面に手を浸した。《美食家の舌》が、海の水の味を読み取る。

苦い。淀んで、生命力を失った味。

本来、海が持つべき豊かな塩味も、旨味も、ほとんど感じられなかった。


(……これは、ひどい。海そのものが、弱っている)



やがて、舟は、奇妙な海域にたどり着いた。


そこだけ、海が渦を巻いていた。ごうごうと、低い唸りを上げながら。

まるで、巨大な生き物が、苦しんでもがいているかのように。その渦のほとりに、波に洗われた、平らな岩礁が、ぽつんと顔を出していた。

わたくしたちは、舟をその岩場へとつけ、足場を確保した。


「ここだ」

ナギの声が、緊張に強張る。


「海の声が……すぐ近くで聞こえる。すごく苦しそうだ。“助けて”って」


その時、渦の中心から、ぬっと、巨大な影が浮かび上がった。


それは——水でできた、巨大な龍だった。けれど、その姿は痛々しい。

濁った黒い水をまとい、体のあちこちが、ぼろぼろと崩れかけている。澄んだ海の青さなど、どこにもない。

鱗の一枚一枚が、よどんだ泥のように、にごり、剥がれ落ちては、黒い水となって海に溶けていく。


「あれが……海の神」

わたくしは、息を呑んだ。


かつて、この海に豊かな恵みをもたらしていたであろう、気高い水の龍。それが今は、見る影もなく衰え、苦しんでいる。

長い年月、誰にも顧みられず、ただ独りで朽ちていく――その姿は、あまりに悲しかった。



海の神は、苦しげに身をよじり、咆哮した。


その叫びは、怒りではなかった。——悲鳴だった。

誰にも届かない、長い、長い、孤独の慟哭。濁った水の龍が、のたうつたびに、周囲の海が、激しく荒れ狂う。


「グ、ガアアア……ッ!」


「……かわいそうに」

わたくしは、思わず呟いた。


ナギが、両手で耳を押さえ、うずくまった。

「うっ……! 声が、声が、すごい。苦しい、苦しいって。誰か、わかってくれって。ずっと、独りで叫んでる!」


その苦痛に満ちた声を、ナギは、誰よりも深く感じ取っていた。彼の頬を、涙が伝う。

同じ孤独を知る者として。



「ナギさん。大丈夫ですか」


「平気だ。でも、セラさん」

ナギは、苦しげに、けれど、まっすぐわたくしを見た。


「あの神様、本当に限界なんだ。このままじゃ、もっと大きな災いを起こす。村だけじゃない。この海一帯が、死んでしまう」


その言葉に、決意を固めた。あの孤独な神を、救わなければならない。

けれど——どうやって。


海の神は、苦しみのあまり、近づく者を拒むように濁流を撒き散らしている。生半可な接近では、あのもがく龍のもとへは、たどり着けない。



「アルヴィス様」

わたくしは、夫を見た。


「ああ。おれが、活路を開く」

アルヴィスは、すでに剣の柄に手をかけていた。


「あの濁流を、おれが引きつける。お前は、その隙に、神を鎮める料理を」


「お待ちください」


これまでの神救済とは、違う。力で押し通るだけでは、足りない。

あの神は、暴れているのではない。苦しんで、助けを求めているのだ。

ならば、必要なのは、剣でも防御でもない。


「ナギさん。あなたの力が、必要です」

彼を見た。


「あの神様に、わたくしたちの声を届けたい。“あなたは、独りじゃない”と。その橋渡しを、してくれますか」


「橋渡し……おれが?」

ナギは、戸惑った。


「で、でも。おれは、ただ声が聞こえるだけで。どうやって、こっちの気持ちを伝えりゃいい」


「あなたなら、できます」

確信を込めて、言った。


「あなたは、海の声の苦しみを、誰よりもわかってあげられた。それは、心が通じているということ。聞くだけでなく、きっと、届けることもできるはずです」


ナギは、しばし、海の神を見つめた。のたうつ、濁った龍。

その慟哭を、かつての自分と、重ねるように。


「……そうだな。おれだって、ずっと、誰かにわかってほしかった」

彼は、ぐっと拳を握った。


「あの神様の気持ちが、痛いほどわかる。だったら、おれが伝えなきゃ。独りじゃないって」


ナギの目に、強い光が宿った。海の神の慟哭に、今、応える者が現れたのだ。

同じ孤独を知る者だけができる、救いの形で。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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