辺境の村からの悲鳴
朝のギルドは、いつもよりざわついていた。
緊急依頼の貼り紙の周りに、冒険者たちが集まっている。
俺とルナリアもその輪に加わると、受付嬢が深刻な表情で説明を始めた。
「今朝早く、リヴェール村から緊急の鳩が届きました。大規模な魔獣の群れが、村に向かって南の森から迫っています。数は五十以上……おそらく『黒牙の群れ』です。村の自警団だけでは到底持ちこたえられません」
周囲からため息と緊張した声が漏れた。
「黒牙の群れ……あの凶暴な魔狼の亜種か」
「五十匹以上って、マジかよ……Cランクパーティーでも厳しいぞ」
俺は依頼書をじっくり読んだ。
【緊急依頼:辺境の村リヴェールへの救援】
報酬:銀貨5枚+特別ボーナス
危険度:B
期限:本日中に出発、可能な限り急行
ルナリアが隣で依頼書を握りしめ、唇を強く結んでいた。
いつも明るい彼女の顔が、珍しく強張っている。
「……リヴェール村」
彼女が小さく呟いた。
俺は気づいて声をかけた。
「ルナリア? 知ってる村なのか?」
彼女は少し迷った後、静かに頷いた。
「あたしの……昔の領地に、すごく近い村なの。子供の頃、何度か行ったことがある。……今はもう領地なんてないけど、村の人たちは昔から苦労してて……」
ルナリアの碧い瞳に、強い決意が宿った。
「零。あたし、絶対に行く。村の人たちを放っておけない!」
その声はいつもより低く、しかし燃えるような熱を帯びていた。
行動的で気が強い彼女らしい、迷いのない言葉だった。
俺は一瞬、逡巡した。
これまでの小さな依頼とは規模が違う。五十匹以上の魔獣の群れ……正直、俺の知識だけでどこまで通用するか分からない。
しかし、ルナリアの横顔を見ていると、胸の奥がざわついた。
(この世界で、俺は英雄になれるかもしれない……って、思ってたのに。ここで逃げたら、また現実と同じだ)
俺は深く息を吸い、ゆっくり吐き出した。
「……わかった。一緒に行く」
「零……!」
ルナリアの顔がぱっと明るくなった。
彼女はすぐに俺の腕を掴み、受付嬢に向かって宣言する。
「この依頼、あたしたちで受けます! 零とあたしのパーティーで!」
受付嬢が少し驚いた顔をしたが、すぐに手続きを進めてくれた。
出発準備を整え、昼前にはリヴェール村に向かって街道を急いだ。
馬車を借りての移動だ。ルナリアは馬車の上で杖を握りしめ、時折遠くを見つめていた。
道中、彼女は珍しく饒舌に話した。
「リヴェール村はね、土が痩せてるの。毎年税金が重くて、魔獣の被害も多い。昔、父さんが領主だった頃も、助けきれなかった……。あたし、ずっと気になってたの」
彼女の声に、悔しさと怒りが混じっていた。
「貧乏貴族の三女として生まれて、毎日『どうやったら家族を守れるか』ばかり考えてきた。……零みたいに頭が良ければ、もっと上手くやれたかもしれないのに」
俺は静かに彼女の言葉を聞いていた。
現実世界の俺は、家族の苦労なんて見ないふりをしていた。
母親の心配のメッセージすら、鬱陶しいと思って無視していた。
でもルナリアは違う。貧困の中で必死に行動し続けている。
(俺は……ここで何ができる?)
三時間後、リヴェール村に到着した。
村の入り口はすでに緊張感に包まれていた。
木の柵が急ごしらえで補強され、村民たちが農具や古い剣を持って立っている。
子供や老人は家の中に避難させ、若い男たちが必死に準備をしていた。
村長らしい中年の男が、俺たちを見て駆け寄ってきた。
「冒険者の方々……!来てくださってありがとうございます!魔獣の群れはもうすぐです……どうか、村を……村だけでも守ってください!」
ルナリアが前に出て、力強く言った。
「任せて!あたし、ルナリア・ヴォルテルよ。昔、この近くの領地にいたわ。絶対に守るから!」
村長が彼女の名前を聞いて、少し目を丸くした。
「ヴォルテル……まさか、昔の……」
ルナリアは照れくさそうに笑って、すぐに動き始めた。
「零!まずは状況確認よ!あたし、村の人たちから情報を集めてくる!」
彼女はすぐに村民たちに声をかけ、魔獣の出現パターンや村の地形、弱っている場所を次々と聞き出していく。
座って待つなんて彼女の性格にはない。
俺は村の周囲を歩きながら、境界演算システムで地形を解析した。
南側の森から魔獣が来る。
村の防御は脆弱。柵は低く、魔法陣もほとんどない。
村民の士気は低い……長年の貧困と重税で、心が折れかけているのが見て取れた。
(この村……現実世界の俺がいた場所みたいだ)
何も変えられない、無力感。
毎日をただ耐えるだけの生活。
そのとき、遠くの森から低い咆哮が聞こえてきた。
村民たちがざわめく。
「来た……! 魔獣が来るぞ!」
ルナリアが俺の横に駆け寄り、杖を強く握った。
「零……どうする? あたしは戦えるけど、村全体を守るのは……」
俺は村の惨状と、ルナリアの真剣な横顔を見た。
ここで小さな勝利を積み重ねてきた俺が、初めて本格的な試練に直面していた。
胸の奥で、何かが熱くなった。
「ルナリア」
俺は静かに、しかしはっきりと言った。
「この村を、守ろう。俺の知識で……できる限り、変えてみせる」
ルナリアが力強く頷いた。
「うん! 一緒にやろう、零!」
辺境の村リヴェールに、魔獣の影が迫っていた。
これは、最初の、本当の戦いの始まりだった。




