白い世界と青い空
森の中は、想像以上に静かだった。
木々のざわめき、遠くで聞こえる鳥の声、足元を踏む柔らかい落ち葉。
すべてが現実味を帯びていて、俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「……夢じゃないよな」
視界の隅に浮かぶ半透明のウィンドウを、もう一度確認する。
【境界演算システム 起動中】
【契約者:秋月 零】
【現在の滞在可能時間:残り 71時間 47分 12秒】
【最初のミッション:近隣ギルドへの登録と、初級依頼の完了】
【報酬:滞在時間延長+基本装備支給】
滞在時間……つまり、ミッションをクリアしないと現実に戻されるってことか。
三日弱。短い。
でも、それが逆にありがたかった。現実に戻りたくないという気持ちが、俺を突き動かした。
「まずは動く。情報収集だ」
俺は深呼吸して、木々の隙間から差し込む光を頼りに歩き始めた。
幸い、道らしい獣道が見つかった。足を進めると、徐々に木々がまばらになり、開けた場所に出た。
そこに、青い空が広がっていた。
白い雲がゆっくり流れ、太陽の光がまぶしい。
現実の灰色っぽい空とは全然違う。空気が澄んでいて、胸の奥まで染み込んでくるような感覚があった。
「……綺麗だな」
思わず声が出た。
こんな感想を抱くなんて、俺らしくない。でも本当だった。
さらに進むと、街道に出た。
石畳が敷かれた道の先、木造の建物がいくつか見える。小さな集落か町の入り口らしい。
近づくと、看板が見えた。
【冒険者ギルド リヴェール支部】
「ギルド……まさか、本当にゲームみたいな……」
ドアを押して中に入ると、木の匂いと人のざわめきが一気に押し寄せてきた。
カウンターの向こうに、若い女性の受付嬢が座っている。
他にも数人の冒険者らしき人たちが、依頼板の前で話し合っていた。
俺が少し戸惑っていると、受付嬢が明るい声をかけてきた。
「いらっしゃいませ! 新規の方ですか?」
「あ、ああ……そうだけど」
「では、こちらで登録を。冒険者カードをお作りしますね」
彼女は慣れた手つきで紙と羽ペンを差し出してきた。
名前、年齢、簡単な特技を記入する欄がある。
俺は適当に書きながら、内心で状況を整理していた。
(これは現実だ。魔法とか魔獣とか、本当にある世界なんだろうな……)
登録が終わると、カードが発行された。
【秋月 零 Eランク冒険者】
【保有スキル:境界演算(特殊)】
「Eランク……まあ、最初はこんなもんか」
受付嬢がカードを眺めながら微笑んだ。
「零さんですね。珍しいお名前……それに、スキル欄に『特殊』って書いてありますけど、何か変わった力をお持ちなんですか?」
「いや、よくわからないんだ。とりあえず、仕事がしたい」
「わかりました! では、初心者向けの依頼からどうぞ。今日は『森の薬草採取』がおすすめですよ。報酬は銅貨15枚。期限は今日中です」
依頼内容を確認する。
必要な薬草は「白藍草」という青い花。
一日で三十本集めればクリアらしい。
(白藍草……植物図鑑の知識があれば、効率よく探せるかも)
俺は依頼を受け、ギルドの外に出た。
再び森に戻り、木陰に座って戦略を立てる。
「まず、地形を考える。日当たりが良くて、水辺に近い場所……」
現実世界でゲームをやり込んで得た知識と、ネットで見た植物の生態を総動員する。
白藍草は朝露を好むらしい。朝方に集めた方が効率的だが、今は午後。
なら、日陰の湿った場所を優先しよう。
俺は歩きながら、周囲を注意深く観察した。
一時間ほどで十本ほど見つけたが、普通のペースだと明らかに間に合わない。
「最適ルート……そうだ、プログラミングの考え方だ」
頭の中で、森をグリッド状に区切り、探索効率を計算する。
無駄な往復を減らし、重複しないルートを作成。
さらに、葉の形や花の色を記憶して、遠くからでも判別できるようにした。
二時間後。
「よし、これで四十二本」
袋はいっぱいになっていた。
予定の三十本を大幅に超えた。
しかも、傷一つなく新鮮なものばかりだ。
ギルドに戻ると、受付嬢が目を丸くした。
「え……零さん、これ全部白藍草ですか? しかもこんなに綺麗な……通常の倍以上ありますよ!?」
「たまたま、いい場所を見つけただけだ」
「すごい……Eランクの新人さんで、こんなに効率よく集めてくる方、初めてです!」
周りの冒険者たちもちらちらと俺を見ている。
誰かが「変わった新入りだな」と小声で言ったのが聞こえた。
報酬を受け取り、銅貨15枚を手にする。
重みと金属の冷たさが、妙に現実的だった。
「これで……少しは滞在時間が延びるのか?」
ウィンドウを確認すると、確かに残り時間が少し増えていた。
71時間 → 74時間。
小さな成功。
でも、俺にとっては久しぶりの「できた」という実感だった。
ギルドの外に出て、青い空をもう一度見上げる。
現実では何をやっても中途半端だった俺が、
ここでは、ちょっとだけ「まともな人間になれるのかもしれない」
そのとき、背後から元気な声が飛んできた。
「ねえ、あんた! さっきの薬草採取、すごかったわね!」
振り返ると、銀色の髪をポニーテールに結んだ少女が立っていた。
碧い瞳が、好奇心と活発さで輝いている。
彼女が——ルナリア・ヴォルテルだった。




