価値の無い一日
俺の名前は秋月零。十九歳。大学は一年で中退した、ただの落第生だ。
夜になると思考が冴える。
嫌な現実に押しつぶされそうになる。
だから夜通し、ネットやゲームをやる。
うるさい朝が来る前に寝る。
安アパートの六畳一間。壁には黄ばんだ染み、床には脱ぎ散らかした服と空のペットボトル。
目を開けて枕元のスマホを手に取ると、時刻は午後一時十二分。……また、昼過ぎまで寝てた。
「はあ……」
ため息が漏れる。
通知は母親からのラインが一件だけ。「元気? ご飯はちゃんと食べてる?」
既読スルーした。返事する気力もない。
冷蔵庫を開けると、昨日買ったコンビニ弁当の残りと、賞味期限切れの牛乳しかなかった。適当に電子レンジでチンして、床に座りながらかきこむ。味なんかしない。
テレビをつけても、芸能人のスキャンダルやら政治の話やら、どうでもいいことばかりが流れている。
俺は何をやってるんだろう。
高校の頃はまだマシだった。成績も中の下で、友達も数人いた。
でも大学に入ってから全部狂った。講義はつまらない、アルバイトは続かない、人間関係は面倒くさい。
結局、ゲームとネットに逃げて、単位はほとんど落として中退。父親とは大喧嘩して絶縁状態だ。
「俺って、本当に何もできない人間なんだよな……」
独り言が部屋に響く。
唯一の取り柄は、ゲームで培った戦略思考と、プログラミングの独学知識くらい。でも現実でそれが活きる場面なんてない。
オンラインゲームでも、所詮は中堅。強い奴らを見ていると、むなしくなるだけだ。
午後三時を過ぎても、特にやることない。
ベッドに寝転がって天井を見つめる。
このまま一生、こんな日々が続くのかと思うと、胸の奥がざわつく。
変わりたい。
誰かに必要とされたい。
……そんな陳腐な願いすら、俺には重すぎる。
今から地道になにかを頑張るなんて、なにを頑張ればいいかもわからない。
望むのは、都合のいい「一瞬での離脱」。
そんなこと、現実にできるわけない。
夕方六時過ぎ、外に出ることにした。
近所のコンビニまで自転車を漕ぐ。夜風が少し冷たい。
いつものようにカップ麺とビール、適当な菓子を買ってレジへ。
店員の女の子は愛想笑いすらくれない。まあ、当然か。俺みたいな冴えない男なんて。
帰り道、信号待ちでスマホをいじっていると、後ろからクラクションが鳴った。
振り返った瞬間——
眩しいライト。
急ブレーキの音。
トラックのフロントグリルが、ものすごく近くに迫っていた。
「——っ!?」
衝撃。
体が浮くような感覚。
アスファルトに叩きつけられる音。
痛みより先に、視界が真っ白になった。
(死ぬ……? こんな人生で……?)
意識が遠のく中、声が聞こえた。
『お前は、本当に何も変えられない人間か?』
低くて、どこか機械的な声。
暗闇の中に、白い光が浮かび上がる。
『ならば、境界を越えてみせろ。お前の知識と意志で、世界を変える価値があるか——試してみるか?』
選択肢が、視界に浮かぶ。
【契約を結ぶ】 【拒否する】
……ふざけるな。
拒否して、この惨めな人生を続けるっていうのか?
俺は、歯を食いしばって心の中で叫んだ。
「契約を…… 結ぶ!!」
瞬間、世界が反転した。
白い光が爆発し、俺の意識を飲み込んだ。
次に目が覚めたとき、そこは見知らぬ森の中だった。
木々の匂い。鳥の声。柔らかい土の感触。
太陽の光が木漏れ日となって降り注いでいる。
「……ここ、どこだ?」
体を起こす。服は血まみれだったが、痛みはない。
むしろ、妙に体が軽い。
視界の隅に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【境界演算システム 起動】
【契約者:秋月 零】
【現在の滞在可能時間:残り 72時間 00分 00秒】
【最初のミッション:近隣ギルドへの登録と、初級依頼の完了】
「……は?」
俺は呆然とウィンドウを見つめた。
これは、ゲームのステータス画面じゃないか。
でも、明らかに現実だ。風が頰を撫で、土の匂いが鼻を突く。
そして、理解した。
俺は、異世界に来た。
現実の、あの底辺の人生から完全に、逃げ出した。
「やったぜえ……笑えるな」
口元が、自然に歪んだ。
現実では何も変えられなかった俺が、ここではもしかしたら!
「英雄に、なれるのか?」
胸の奥で、何かが熱くなった。
それは、長い間忘れていた感情だった。
希望。
俺はゆっくりと立ち上がり、森の奥に続く獣道を見つめた。
「よし……まずは、動くか」




