第二百七十五話:不気味な誘い
森は独特な空気に包まれていた。
なんて言えばいいのか、自分でもわからないけど……強いて言うなら、しっとりしている、かな?
雨が降っているわけではないし、むしろ乾燥している方だと思うけど、体に絡みつくように何かが覆いかぶさってくる。
それが不快なわけではないけど、いつもの森とは少し雰囲気が違うのはわかった。
『結構暗いね』
『密集しているからかな? この姿だとちょっと大変かも』
森の中では、体が大きいと不便なことも多いけど、ここは特にそう感じる。
木々の間隔がとても狭い。まともに通ろうとすれば、絶対にどこかにぶつけてしまうだろう。
町の中ならともかく、あんまり森の中で人化はしたくないけど、ここは仕方ないかもしれない。
『焼き払えたら一番楽なのだがな』
『そんなことしたら大騒ぎだよ』
流石に、そんなことは許容できないので、素直に人化する。
人化すると、まとわりついてくる何かがより一層強く感じられた。
これ、何だろう? 魔力なんだろうか。
体が重いとか、濡れるとか、そういうことはないんだけど、なんとなく気になる。
フェルもそれは感じているのか、しきりに肌をさすっていた。
「にくす、なんか、からみつく」
「それは魔力の糸だ。この森の魔力は、あらゆるものに結び付き、そして蓄積させる。言うなれば、魔力を供給するための管のようなものだ」
「それ、だいじょうぶ?」
「害はない。まあ、人間なら魔力過多で体調不良を起こすだろうが、我らにはこの程度の魔力はむしろいいおやつになるだろう」
「へぇ」
魔力の層が厚くて、どこに行ってもそれがあるらしいから、そんな場所に、この森からしたら魔力が薄い者が現れたら、引き寄せられるのは道理だという。
ただ、幻獣は魔力の許容量がとても多いから、魔力過多になって気持ち悪くなることはほとんどない。むしろ、人化して常に魔力を消費している今、それを自動で補充してくれるありがたい存在だ。
ここならば、いくらでも人化したままでいられるってことだね。
こんな森の中で人化してもあんまり嬉しくはないけど、まあ、探索が楽になるなら、あって困ることではないか。
「それよりも、泉だ。奴が辿り着けたということは、そう奥地ではないと思うが」
「確か、深手を負って、ようやくたどり着けた場所でしたね」
ディートリヒさんの話では、この森で深手を負い、もうだめかと思ったところに現れたのが、その泉だったという。
泉の水を飲むと、怪我は癒え、声が聞こえたという話だった。
この森は、人にとってはいるだけで体調不良になるかもしれないほどの場所らしいし、いくら人間離れしているとはいっても、ディートリヒさんがそこまで奥に入っていったとは考えにくい。
となると、泉の場所は、意外に浅瀬に近いのかもしれない。
「固まって探すのも面倒だ。ここは手分けするぞ」
「わかりました」
「おっけー」
「ある程度調べたら、上空で合流するぞ」
ある程度絞れているとはいっても、流石に広すぎるし、ここは手分けした方が効率的だ。
ニクスとフェルと別れ、俺はひとまず、東の方角を探してみることにする。
うまいこと見つかればいいんだけど。
「なんか、そわそわ、する」
さっきから、まとわりついてくる魔力の糸が、凄く気になる。
害はないと言っていたし、実際何の不調もないけど、目に見えない何かが肌についているって考えると、誰だって気にするだろう。
でも、いくら肌をさすっても、解消されるものではないし、我慢するしかない。
できるだけ、気にしないようにするために、適当に鼻歌を歌いながら、探してく。
しかし、流石に広い。すぐには泉は見つからなかった。
「かんたん、いかない」
ある程度調べたら、合流する手はずになっていたけど、そろそろ考えるべきだろうか?
でも、何の成果もなしに合流するのも気が引ける。
あちらが見つけている可能性もある以上、恥じる必要はないとは思うけど、なんとなくね。
せめて、もう少し調べてみよう。そう思って、草をかき分けた、その時だった。
「……これは?」
それは、地面に落ちていた。
可愛らしい包装紙の小さな包み。それは、俺も何度も見たことがある親しみ深いお菓子、飴だった。
まず最初に思ったのは、なんでこんなところに飴が落ちているのか、という話である。
この世界にも、飴は存在するけど、それなりに高級品で、一般にはあまり出回らないらしい。
これを気軽に舐められる人は、貴族くらいだし、そんな人がこんな場所に来るとは思えない。
飴に見えるだけで、実際は違うのではないかと、念入りに観察してみたけど、やっぱりどう見ても飴にしか見えない。
「なんで、こんなとこ……」
恐る恐る近寄って見る。
世の中には、擬態して油断を誘い、狩りをする魔物も存在するから、これもその類かなと一瞬思ったけど、流石にこんな森の中で擬態するには不釣り合いすぎるだろう。
探知魔法で調べてみても、何も反応がないし、魔物という線はなさそうだ。
拾い上げ、包装紙を剥がしてみても、やはり飴である。
かすかに香る甘い匂いが、俺の鼻孔をくすぐった。
「……あ、あっちにも、ある」
どうしたものかと考えていると、先の方に、また飴が落ちているのに気が付いた。
一個ならまだしも、二個、三個と落ちていると考えると、作為的なものを感じる。
どう考えても、罠。でも、罠にしては、場違いすぎる。
まさか、本当に飴を持つ人が、この森に迷い込んで、目印代わりに置いていったのだろうか?
どこかの童話に出て来そうな展開だけど、ゼロパーセントと言い切るには微妙な気もする。
限りなくゼロパーセントには近いだろうけど、小数点以下で可能性があるみたいな。
「……いって、みる」
もし万が一、誰かがこの先に進んだのだとするならば、危険な目に遭っているかもしれない。
なら、助けてあげないと。
心の中では、そんなこと絶対にないだろうと思っているのに、その足を止めることができなかった。
飴のある場所に行くと、その先にさらに別の飴がある。
それを繰り返して、どんどん先へと進んでいった。
そうして、しばらく進んでいると、開けた場所に出てくる。
そこには、この森には似つかわしくない、巨大な洋館が佇んでいた。
そこはお菓子の家じゃないのかと思ったけど、それはこの際どっちでもいい。
人はいるだけでも体調不良を起こしてしまうようなこんな森の中に、明らかな人工物。これは明らかにおかしい。
やはり、あの飴は罠。この洋館に誘い出すためのものだろう。
人間がいるとは思えないし、仮に人間だとしても、まともな人間ではない。
今すぐに引き返し、ニクス達に知らせるべきだ。
そう、頭の中では思っていた。しかし……。
『おいで……』
ふと、頭の中に聞こえた声。その声に導かれるようにして、俺の足は勝手に動いていた。
この洋館に入ってはいけない。絶対にろくなことにならない。
そう思っているはずなのに、足は止まらない。
入り口まで行くと、扉が勝手に開いた。
俺は、ダメだと思いながらも、その中へと吸い込まれていく。
俺の体が、完全に中に入ると、扉は静かに閉まっていった。
それはまるで、獲物を飲み込んだ魔物の口のようだった。
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