第3話 帰宅
呆然とすること数秒
ハッと気づくと、転がった際に投げ出されたバッグを拾い、少しこぼれた荷物を詰め込み直すと、バッグを肩に掛け今度は静かにゆっくりと歩き出しアパートにある部屋に向かった。
公園の出入り口を出て、2つ目のブロックの奥右手に美羽の部屋があるアパートはある。築年数は古いが内装は新しく、後で取ってつけたような簡易な番号キーの付いた胸辺りまである門扉と周囲に巡らされた柵が第1のセキュリティー。
通路の先に通路全体を範囲に収めた防犯カメラが設置されていてこれが第2のセキュリティー。
あとはせいぜい各部屋の扉がディンプルキーになっている程度。
宅配業者なら簡単に部屋の扉の前にまでは来れる。一応これでも女性専用アパートとされている安心?物件である。
「ただいま」
いつもなら誰もいないと分かっていても、部屋に向かって元気に声を掛けるのだが、さすがに今日はトーンが落ちている。
後ろ手に施錠を済ませると、そのまま扉にもたれかかって今日一番の大きなため息を漏らした。
(何とか戻って来れた。)
部屋に戻ったことで一気に気が抜け、今度は小さく息を吐く。
先ほどまで早鐘を打っていた心臓が少しずつ元に戻って行くのが分かったが、足元に目をやると次の障害があるのが判明した。
(このブーツ、脱げない。)
ひょっとすれば脱げるかもと淡い期待を抱いたが、見た目通りの一体型となったミッドカーフブーツ?は脱ぐことができなかった。
(……さて、これはいったいどうすればいいのか?)
ひょっとすれば後ろにジッパーなりがあるのではないかと手で探ってみるも一切の凹凸がなくすべすべした触感が返ってくるのみ。
もちろん前にも横にもどこにもそういうものは存在していないということが判明する。
(いっそのこと、このスーツ切っちゃうか?)
手で破れそうな生地でもなく、切るにもカッターやハサミは部屋の中。
(土足で上がるしかないか……)
公園からここまで歩いたのだからブーツの裏はきっと汚れている。
どちらにしてもこのまま部屋に上がるよりほかはなく、思い切りよく部屋に上がるとハサミを手にし、ベッドに腰を下ろす。
(とは言ったものの、これって切れるの。)
目星をつけたブーツとスーツの区切りと思える部分をつまんで引っ張ってみれば、思いのほかよく伸びる。意外と柔らかそうな柔軟な生地のようで、引っ張られた部分にかすかにハニカムの形が透けた模様のように見て取れる。
皮膚に張り付いているわけでもなく切ったとしても皮膚に危険がなさそうなので、つまんで伸ばした生地をはさみで切ってみた。
生地に当てた刃はハサミを切るように動かしても一向に刃が立たず、生地に傷をつけるどころかその上を刃が滑るだけ、全く切れる気配がしない。向こうが透けるほど薄く延ばしても結果は同じ……
カッターナイフを突き通そうと伸ばした生地に突き切るように押し込んでも無駄だった。
(……無理か。)
ハサミを置いて部屋の隅に置かれた鏡に向き直る。
見るからに真っ黒で首から下は全て、背中を映してみてもやはり全体が一様に覆われている。
風を通すわけでもなく、かと言って熱がこもるかと言えばそんなことはない。
部屋の中で鏡に向かって途方に暮れる。
このスーツどうして脱げばいいのか。
このスーツと一体化した靴が玄関で脱げずにやむなく部屋まで入ったが考えてみれば手指の先まで全くぴったりとスーツで覆われている。
鏡で確認したけれど、首筋まではしっかりとスーツがあって、後ろは分からないけれど、前方に限って言えば、顎のあたりまで正に一体化していて少しやってみたが全く捲れる気配がしない。
普通に脱ぐのも無理、切ったり、どこかを外したりと言うこともできそうもない。
つまり、このスーツからどうすれば解放されるのかが皆目分からないという状況と言えた。。
ついでに言ってみれば、いつスーツ姿になったかも分かってないんだから当然と言えば当然のこと。
ふと、あきらめに似た感情が湧く。
(シャワー、浴びてすっきりしたいなぁ。)
でもこのスーツ不思議だ。
伸縮性に優れやわらかいのに刃も立たないくらい硬く、保温?保湿?もよさそう。
少なくとも私はこんな素材知らない。
(そもそもどこから来たんだろう?これ。)
でも、けど……
スーツが服のように普通に脱げないとしたら――この不思議状態からの元に戻すのはこの状態を“解除”?することと考えて良いわよね。
何が“解除”のカギなのか分からないけどできるよね?
まさかこのままってことは……ないよね?
(“変身”が不可逆的なものだったら戻れないってことも……)
幼虫からさなぎ、そして成虫へと変態するのと同じってことはないよね?
笑えない考えが頭をよぎって思わず身震いした。
(戻れないってことはないと信じたい。)
頭をぶんぶんと振ってよくない思いを振りほどき、前向きに考えることにする。
時間が経ったら自動的に“解除”になるのかな?
そうだとすればどれくらい待てば元に戻る?もうすぐ?まだもっと先?
……いやいや、そもそも“解除”の条件は時間?
落ち着けわたし
(考えられるのは何?)
時間? 言葉? ポーズとか動作? 意志? それとも何かの偶然――さすがにずっとこのままってことはないと思う。
根拠はないけど……
美羽はゆっくりと考えることにする。もし時間がカギなら考えている間に時間が来て“解除”されるかもしれず、そうでなければ他にあるってことだから。
(先ず、考えるべきはどうやってこうなったかよね?)
何かのきっかけがあってこの姿になったはずだから、きっかけが分かれば解決の方法にも近づけるはず。
このまま変身が“解除”されなかったなら明日どういうことになるのかが頭をよぎるが、あえて無視をした。
(考えたってどうしようもないことなんだから、服で隠すにも無理があるし……)
そう思って服を着ても隠しきれないスーツの形状にあきらめたように首を振りつつ溜息をつく。
(……って、そもそもこれは“変身”でいいのよね?)
私の中で“変身”とはコスチュームとかに代表されるように外見が変わって、特殊能力――身体能力が高まるとか超能力が付与されるとか、今風だとチート能力ってことかな。
(チートって言っても、いろいろ過ぎて でも何かの特殊能力ってことだよね)
思えばこの黒スーツで確かに身体能力は上がっている。ただの一歩が10m越えってありえない。
(確かにスピードと言うか、瞬発力はすごかった……けど。)
思い返せば、幼少期から記憶にある限り怪我や病気の記憶がない。
(あ、組み込まれていた能力が何かで開花したとか?)
足の速さはぶち抜きの全校一で中学・高校は陸上部の勧誘が、『絶対記録が残せる逸材なのに……』とうるさかったな。
まあ、陸上は足の速さだけじゃないとは思うけど……うん。
(まあそれくらいだったし、予兆とは言い切れんよね。あ、話がそれた)
そう、この“変身”に至った、そのきっかけの話だったことを思い出す。。
“変身”したのだとしたら、服がバラバラになっていたのはあの公園だから、その前から“変身”していたとは考えにくい。公園が“変身”場所で間違いなさそう。
とすればだ、
(私、あの場所で何を考えて何をやった?)
怒りを覚えて大声出した――だよね。
あ。そうすれば電車の中でも、駅員室でも怒りは覚えたけど、そこでは“変身”しなかったから、単純に怒りの感情が引き金じゃないことは分かる。
(で、何したっけ?)
怒りでこぶしを握って――
握って、地団太踏んだ。
(どっちの足だっけ)
立ち上がって同じようにやってみる。足を動かすと腕も同時に上下する。記憶と動きに違和感がないのでおそらくこれで間違いないと思う。
けど、そーっとだよ床踏み抜きたくないからね。
(あー、多分左だね。 それで2回だったかな……)
受け入れるしかない”変身”の事実。変身の事実を受け入れて”変身”の検証が始まります。




