暗い世界の中で
それからのことはよく覚えていない。
気づけば俺は黒い闇の中にいた。
何も見えない。音も聞こえない。なのに意識だけはぼんやりと浮かんでいる。
俺はその暗闇の中で、ひたすら同じことを考え続けていた。
フミヤがミラーナの剣に貫かれる、あの瞬間。
何度思い返してもあの剣は左胸を、心臓を貫いていた。……殺された。
ミラーナはフミヤと俺を裏切って、フミヤを殺した。ジュゼッタも同罪だ。あいつは俺がミラーナを邪魔しないようにと立ち回っていた。
俺は体の中を暴れ回る憎しみに食い殺されそうだった。
許せない。フミヤは彼女たちを信じていた。この世界を救おうと懸命だった。ミラーナとジュゼッタは、あの優しいやつの気持ちを踏みにじった。一番ひどい形で裏切った。
今思えば、邪神を倒せば元の世界に帰れるといったのも嘘だったのだ。
現に俺はどこにも帰れずにいまだこの暗闇の中にいる。
もしここを出られるのならば、必ず、必ず報いを受けさせてやる。同じだけの痛みを食らわせて、フミヤを裏切ったことを後悔させてから殺す。
なにもできない意識だけの世界で、俺はただ一つそのことだけを考え続けた。
……それからどのくらいの時間が経ったか。
ある時、カーテンが開かれたように光が飛び込んできた。
一気に視界が広がる。久しぶりに浴びた白い光に目がくらむ。やがて目が慣れてくると、周りの風景がわかるようにな った。
目の前は、出来の悪いガラスを隔てたみたいに歪んでいる。そこは暗い地下室のような場所だった。
俺の前には一人の女が立っていて、片手に床まで引きずる大きな布を、もう片手に鈍色の燭台を持っている。眩しいと感じていた光はそのロウソクの小さな灯だったようだ。
「あなたは……」
女が小さな声で呟く。ここはどこだ。お前は一体誰なんだ。俺も問い返したいことは山ほどあったが、口が動かない。口どころか手足の指の一本さえピクリとも動かせない。そこで俺は自分がどういう状況なのか気づく。
俺はまるで琥珀に閉じ込められた古代の昆虫のように、巨大な氷か水晶のようなものの中に閉じ込められている。
目の前の女は俺の顔を見て、何かを悩んでいた。女の年齢は高校か大学生くらいで、俺より年上に見えた。背が高く、長い金髪を三つ編みにしている。服装はジュゼッタが身に纏っていた聖霊廟の女性騎士の制服に似ているが、こちらの方がやや装飾が多い。
「あなた、聞こえていますか? わたくしが今からあなたをここから出します」
三つ編み女は言うが早いか、その指先を空中に走らせる。その指に沿って、魔法陣のような模様が空中に描かれていく。完成した魔法陣を彼女が手で押し出すと、それは俺を閉じ込めている水晶のようなものに吸い込まれた。
俺を取り囲む水晶が熱せられた氷のようにじわじわと溶けていく。そうすると、どこか曖昧だった意識と感覚がだんだんとはっきりしてきた。温度、匂い、皮膚の感覚。それらが鮮やかになっていく。
やがて水晶が溶け切ると、俺の足はこの地下室の床に降り立つ。意識ははっきりとしていた。体も、もう自由に動く。もう指先までしっかりと自由に動くことを確かめた後、俺は目の前の三つ編み女を見据えた。
「助けてくれて感謝する。ありがとう」
俺としてはその他にも色々と聞きたいことがあったのだが、ひとまず礼を言う。次に聞くべきと思うことを口にしようとした時、地下室の外からドタドタと慌ただしい足音。誰かの話し声が遠くに聞こえる。「どこだ」「こっちか」「早く追え!」と、逃げ出した人間を探す追っ手の声だ。
「話は後にしましょう。ひとまずこっちへ」
とりあえず三つ編み女の誘導に従うことにする。彼女は俺が閉じ込められていた場所、石造りの床をコンコンとかかとで叩く。何度かそれを繰り返すと、明らかに音の違う場所があった。
三つ編み女は石畳の隙間に細い指を差し込む。すると、その石畳の一部がガコンと音を立てて持ち上がった。
「地下通路か……」
いかにもな隠し通路だ。三つ編み女は先にその階段に足を踏み入れ、俺を手招きした。俺が通路に入った後、女は隠し通路の扉を閉じた。中は完全な暗闇で、女の持つ小さな燭台だけではほんの数歩先さえ見えない。
「周りを照らしていいか」
「頼みます」
俺は了解を得て、光の聖霊術で辺りをほのかに明るく照らした。そこは上下左右を石に囲まれた狭い通路だった。体格のいい男だったらすれ違うのも困難なくらいだろう。女は無言でその通路を突き進む。俺はその後を黙って歩いた。
通路は下水のような不潔な匂いがした。
実際、そういった水路に沿って作られているのかもしれない。彼女はいかにも不衛生さに慣れていなさそうな顔をしていたが、ひとつも文句を言うことなく突き進んでいく。
時計はないからわからないが、たぶん一時間ほど歩いた頃だろう。通路が上りの階段になる。それをしばらく登ると、三つ編み女が階段の行き止まりの天井を押す。先ほどまでとは比べ物にならないほど強い光が差し込んできた。地上だ。
地下から這い出た先は町はずれといった風情の路地裏だった。
俺たちが地上に出ると、三つ編み女は出入り口を塞ぎ、その上に路地裏で放置されているゴミや木箱を重ねて置く。
「さ、行きましょう。付いてきなさい」
三つ編み女は有無を言わせない口調だった。
言われるまま彼女の背中を追うと、彼女は小さな家の中に入って行った。俺もその後に続く。家の中は小さいが家庭的な雰囲気で、しかし埃っぽい。ずいぶん長いあいだ人の出入りがなかったように見える。
三つ編み女は少し安心したみたいに、フウと小さくため息をついた。




