ゆらめく幻
ナスタシアに着いたのは、翌日の昼前のことだった。
進むにつれ道が荒れていたり、途中の建物が壊れていたりと荒廃した様子が目立ってきた。外から見るナスタシアの市壁もところどころ崩れている。
以前の旅ではナスタシアの街には立ち寄っていないから、俺がここに来るのは初めてだ。
北部の街だけあって、王都や南部のメガリディアよりも肌寒い。そういえばフィクシュテ神殿の周囲も寒いくらいだったが、その頃に比べればまだマシに思える。
「王都は夏になると暑いですから、かつての王家が避暑のために建てたのがナスタシア離宮です」
さすが王族、スケールのでかい話だ。
ナスタシアには僅かに戻ってきた住民や復興のための大工、それに太守の衛兵隊がいるだけだ。大袈裟な関所などは存在しておらず、俺たちはオルドーネから降りるだけで全く怪しまれることなくナスタシア内部に入ることができた。
リューネの案内に従って俺たちは街の中を進んだ。
ナスタシア離宮は、街の中心部からはかなり離れている。しばらく歩くとまず広大な庭園が俺たちを出迎えた。ざっと見渡しただけで俺の中学の校庭がまるごと入りそうなほどデカい。しかしどこも手入れが入っていないから朽ちている。
庭の中心にある噴水には泥水が溜まり、生垣は伸び放題、道の石畳の隙間からは背の高い雑草が生え、俺たちの進む道を塞いでいた。立派な石像もあるが、苔がその表面を覆っていて顔もよく分からない。こんな有様なので他に人は歩いていないのはありがたいことだが。
「宝物殿はこの本邸の中にあります。行きましょう」
ナスタシア離宮は「ロ」の字型になっており、宝物殿はその中心の中庭にあるようだ。
本邸はいかにも洋風のお屋敷だった。白い壁、青い屋根。おそらく3階建てくらいだろう。左右対称で、端から端までは首を大きく動かさないと視界に収められない。
「王宮と神殿以外でこんなに大きい建物は初めて見たよ」
ジュゼッタが場違いに呑気なことを言っている。バライバは俺が元いた世界よりも人口が少なそうだしおそらく建設機械のたぐいもないので大きな建物が少ない。
いつまでも観光しているわけには行かないので、俺たちは玄関らしき場所に足を向けた。そこは他の場所より一段高くなっており、階段がある。扉は壊されていた。おそらく、噂の盗賊が押し入った時に壊したのだろう。俺たちは壊れた扉をまたいで本邸の内部に入った。
そこは薄暗くて湿気っぽい場所だった。あちこちに蜘蛛の巣がかかっていて、扉が壊されているせいか土埃やゴミの吹き溜まりがあちこちにあった。壊れた調度品の残骸なんかも落ちている。
入ってすぐは2階までの吹き抜けの大きなエントランスになっている。今は見る影もないが、かつては立派な玄関だったのだろうなと思う。その正面には2階への階段がある。汚れたカーペットが敷かれていて、その階段の先には、……
「誰かいる」
最初に声を上げたのはジュゼッタだった。彼女の言う通り、そこには誰かが立っている。小柄な人影。長いローブを身に纏った人物の後ろ姿。その人物は、ジュゼッタの声に反応してかゆっくりと振り返る。
「遅いよ! もう、待ちくたびれちゃったじゃないか」
その姿、そしてその声を聞いて、俺とジュゼッタは絶句した。
……フミヤだ。
黒髪、青いローブ、聖霊術を使うための木の杖。
その姿はミラーナも含めて4人で旅をした、あの時のフミヤそのままだった。
「彼が、フミヤ殿なのですか?」
「幻だよ。フミヤは聖鎧フィクシュテの中にいるはずだ。こんなところにいる訳がない」
リューネの言葉をジュゼッタがすぐさま否定する。するとフミヤのような人物は「現にいるじゃないか。幻なんかじゃないよ」と声を上げた。
「あそこから抜け出すのは結構大変だったんだよ。それに、僕が幻に見えるかい? 足だってあるのに」
フミヤはそう言ってゆっくりと階段を降りてこちらに向かってくる。重力を感じさせる足取り、揺れるローブが起こした僅かな空気の動きが床の土埃を巻き上げる様子は、幻には思えない。
「ユーゴ」
フミヤがこちらに顔を向けた。その黒い目が、懐かしそうに細められる。
「ずっとひとりで戦わせてごめんね。これからは僕も一緒に行くよ。2人で一緒に帰るって約束したからね」
そう言ってフミヤはこちらに向かって手を差し出してきた。あの夢の中で見た、ぼやけて曖昧な姿ではない。はっきりした輪郭と声。俺はフミヤの手をとった。フミヤは剣を使わないからか手の皮膚は柔らかい。俺よりも低いその体温が、手のひらに伝わってくる。
お前は一体どうやってここまで来たんだ。今までどうしていたんだ。
……そう問いかけようとして、俺は自分の喉からまったく声が出ないことに気づいた。
脳裏にあの夢の中の、金色の姿をしたフミヤの声がよみがえる。
『ああ、そうだよね。幻術をかけられている人は声が出せないんだ』
「ユーゴ!」
リューネの声が俺の名前を叫ぶ。俺は剣を抜き放ち、目の前にいる「それ」の胸を突き刺していた。手応えは感じなかった。その「フミヤの姿をした何か」は、まるで蝋燭の火を吹き消したように跡形もなく消える。目の前の階段にはうっすら埃が積もったまま、誰かがその上を歩いた形跡はなくなっていた。
「……やっぱり幻だった」
俺は小さく呟く。……声が出た。幻術は消えたということだろう。剣を鞘におさめる。幻のフミヤが差し出した手の冷たい体温がまだ手のひらに残っている気がした。
顔を上げると、リューネやジュゼッタが先ほどまでとは違う様子で周囲を見回している。俺から見えていたこの2人の様子も幻覚だったのだ。彼女たちも多分俺とは違う幻を見ていたのだろう。
「あれが、幻覚……」
ジュゼッタが呆然とした声色でつぶやく。他の2人が何を見たのかは分からない。俺も自分が何を見たのかは言いたくないので聞くことはしない。
「行きましょうか。……早く核石エシュテインを手に入れなければ」
リューネが先陣を切って屋敷の中を進む。俺とジュゼッタも黙ってその後に続いた。




