幻影
「ユーゴ、起きて」
しばらくして、誰かに肩を叩かれて目を覚ました。
今はいったい何時なのだろう。時計を見ようと顔を上げると部屋は窓から差し込む光で金色に染まっている。夕方か。
その時、ふと違和感に気づく。誰かが俺のそばにいた。
だれだ、と問いかけようとしても、なぜか声が出ない。
白い手と服、金色の短い髪。俺より少し小さい身体。
その人物の金色の瞳を覗き込んだ時、俺は息を呑んだ。
フミヤだった。
俺と同じ黒髪と黒い目は不可思議な金色に変わっている。しかしその顔は見間違えるはずもない。
生きていたのか……?
やはり問いかけは声にならない。フミヤは曖昧に笑うだけだ。
「もうすぐ君を日本に帰してあげられる。ミラーナさんから逃げないで。聖霊廟は少なくとも、君の敵じゃない」
まるで用意していたセリフを喋っているようだ、
それだけを一方的に言い残すと、フミヤは俺に背を向けて窓の方へと歩き出す。
「また会えるよ。さよならはまだ先だ」
ベッドから降りてフミヤを追いかけようとするも、そこから身体が動かない。窓から差し込む光がどんどん強くなる。やがて目を開けていられなくなったころ、足元が急に崩れて落ちていくような感覚に襲われる。
ビクリと身体が震えて……俺は、目を覚ました。
俺はベッドに仰向けに横たわっており、頭の後ろには枕。
眠っていたのだ。あれは、夢だった。
俺は何かに対して無意識に手を伸ばしていたことに気づき、その手をゆっくりと降ろし、起き上がる。
……フミヤは殺された。生きているわけがない。心臓を貫いたあの剣を、俺は確かにこの目で見た。なのに、まだ希望を捨て切れないのだろうか。
日本に帰してあげられる。ミラーナから逃げるな。聖霊廟は俺にとって敵じゃない。……また会えるよ。
どれをとっても戯言としか思えない。夢とはいえ、そんな言葉をフミヤの口から聞きたくなかった。
窓の外は未だ青空が広がり、時計から読み取れる時刻も夕方より前を指している。やり場のない苛立ちが込み上げてきて、……どうしようもなく、力一杯枕を殴るに留めた。
それから寝直す気にもなれなくてしばらく窓から外を眺めていると、部屋にノックの音が響く。
やってきたのは先ほどオルハが助けたメイドの女だった。
「キュリアといいます」
キュリアは少しサイズの大きなお仕着せの服を着て笑った。少しお手伝いをしているとのこと。
もうすぐ夕食の時間だというので、彼女の案内に従って部屋を出る。
「さっきは助けてくれてありがとうございました」
「別に。あのオッサンが気に食わなかっただけで、あんたを助けたわけじゃない」
一応気になったのであの時なぜ叱られていたのかを聞いてみると、キュリアはバツが悪そうにその理由を話した。
「あのブティックでご主人様のお召し物を選ぶお手伝いをしていたのですが……あの人、真面目に服も見ずに関係ないあたしの身体にしつこく触るから頭に来て……ご主人様の奥さんが愛人に寝取られて出て行ったことをブティックの人と他のお客さんにバラしてしまったんです」
「……あんたも大概だな」
セクハラは最悪だし殴るのはやり過ぎにしろ、叱られてもやむなしではある。うっすら「助けてよかったのか」と思い始めた頃、ちょうどその部屋に着いたようだった。
その部屋は先ほどの応接間より少し狭い(それでも広いが)。部屋には大きく毛足の長い豪華な絨毯。その上には座椅子とソファの中間みたいなものがぐるりと置かれ、真ん中に料理の並べられたローテーブルがある。その部屋の中心に、オルハが腰掛けていた。
「やあユーゴ」
オルハはワインめいた赤い液体の入った小さいコップを掲げて言った。「さあそこに座って」と彼は自身の斜め前を示す。
「まあひとまず飲め」
オルハは大きな硝子のピッチャーに入った赤い液体をコップに注いで俺に渡す。
「未成年だから酒は飲めないぞ」
俺がそう言うとオルハは不思議そうな顔をした。一応日本の法律について解説を入れてみる。
「俺の国では二十歳にならないと酒を飲んではいけないことになっている」
「なんだそれは、堅苦しい国だな。だがこれは酒じゃなく茶だよ。安心して飲め」
じゃあいただくか、と口にしてみる。やたらと甘酸っぱい。同級生の女子が飲んでいそうな味だ。
「次はこれだ」
オルハはテーブルの上に置いてあったナイフを取り、並べられた色とりどりの料理の中で一際目立つ肉の塊を切り出した。
「いいのか。若様自ら」
「宴会の主催者がメイン料理を切り分けて振る舞うのがメガリディア流だよ。ほら食べろ」
気楽なものだ。俺はテーブルマナーなんて知らないので助かるが。
オルハは手際よく切った肉を平べったいパンの上に乗せ、薄切りの野菜、それとチーズかバターのようなものを挟んで俺によこした。ありがたく食べてみると、食べ慣れない味付けだが腹が減っていたので美味い。
そのサンドイッチ的なものを食べている途中で、キュリアがリューネを連れてやってきた。いつもの男装めいた騎士姿ではなく、女神像のようなワンピースを着ている。
「待たせたでしょうか?」
「いいや、今始めたところさ」
リューネは美しい所作でソファに腰を下ろした。オルハが注いだ茶を受け取る様子も慣れたものだった。
それから一通り食事を終え、ミントのようなスースーした風味の飲み物が配られた後、ようやくオルハは本題に入った。
「さて、親父殿の言っていた『条件』についてだが……ユーゴ、君は聖霊廟、というよりも聖女ミラーナと事を構えるつもりらしいな。そんな君が今もっとも欲するものは何だね?」
そう言われて、俺はリューネに救われてすぐの頃に見たあの光景を思い出す。凱旋式、ミラーナが乗った聖鎧フィクシュテ。そのあまりの巨大さと凄まじい聖霊力に、俺はなす術がなかった。
「……強い聖鎧だ。フィクシュテに勝てるくらいの」
「そうだな。聖霊廟が使える兵の数は多いしほぼ全員が聖霊術を使える。これは脅威だが、それでもメガリディア太守の名をもって南部から動員できる戦力の方がまだ勝る。これが普通の戦いなら十分勝算があるものだ。だが問題はそのやたらバカでかいと噂の聖鎧だな。私はまだ見たことがないが、伝え聞いた話だけでも、そいつと戦えば勝っても負けても大変な損害が出ることは明らかだ」
それになあ、とオルハは困った顔をする。
「浄化の聖霊フィクシュテの化身たる聖鎧、それを操る聖女と戦うとなれば、兵たちの士気をどう保つかという問題もある」
それは想像にかたくない。たいして信心深くない俺でさえ、もし仏像をぶっ壊せと言われれば何となく罰が当たりそうで嫌だなと思う。より信心深いこっちの世界の人間からすればなおさらだろう。
「強い聖鎧と兵士たちに与える『正統性』。その二つを同時に手に入れることができれば……」
そこまで口にしたリューネが「あっ」と声を上げる。なにか思い浮かんだのだろうか。俺も少し考えて、ある事を思いついた。
「聖霊廟がフィクシュテを顕現させたように、巨大な聖鎧を用意してほかの聖霊を顕現させるということはできないのか」
こちら方にも聖霊の加護がついているとなれば、太守の演説次第で聖霊廟に歯向かう罰当たり者という印象を打ち消すことができそうに思える。
なにか方法に当てがあるが故の軽さなのだろうと思って問い返すと「いや、まだわからん」と首をかしげる。なんなんだこいつは。
「だが糸口はあるんだ。……君たちが通ってきた蝕まれし森の奥に、古くからメガリディア地域一帯で信仰されてきた聖霊の神殿がある」
そう言ってオルハは人差し指を己の顔の前に立て、その指で頭上をまっすぐに示す。
そこにはまるで神話の一ページのような天井画があった。
数多描かれた槍兵の中心に火を纏った大鎌を構える黒い鎧がいる。
「実際に見た方がきっと早い。明朝から私とともにそこへ向かおう。戦場の聖霊ダファティの神殿へ」




