追っ手
『不思議だと思わないかい、ユーゴ』
黒い森の中を歩いていた時、フミヤがこっそり問いかけてきた。ミラーナとジュゼッタは2人並んで少し前方を歩いている。
『何がだ?』
『聖霊のことだよ。ほら、僕たちはいろんなところで聖霊廟の神殿を見ただろ。フィクシュテ以外にもいろんなご加護を持つ聖霊が祀られていた。武運を司る聖霊、豊穣を助ける聖霊、お産を加護する聖霊なんてのもいる。そしてフィクシュテは瘴気の浄化を担う聖霊だ。この感じ、どこか日本の神社と似ているよね』
フミヤは指を空中に滑らせた。キンと音がして聖霊術が発動する。フミヤが指先で描いた光の蝶が、森の木々のあいだを飛び、弾けて消える。これは聖霊力のコントロールを練習するために使われる術だ。
『それの何が不思議なんだ』
『不思議だろ。だって僕たちは聖霊のご加護の賜物である聖霊術は使えるし、聖霊力の存在は実感しているけど、聖霊そのものは見たことも感じたこともない。実際に聖霊を見たという人の話もいまのところ聞いたことがない』
そう言われてみればそうだと俺は思った。これほど魔法じみた力は確かにいま俺の中にも存在しているのに、聖霊はただ太古の口伝と言い伝えの中に存在しているだけであって、その存在に触れたことがあるという人間には会ったことがない。聖霊廟の人間でさえ『聖霊は天の国から我ら人間を見守っているのですよ』と言うだけだ。
たとえば武運を司ると言われる聖霊だって別に直接戦いに参加してくれるわけでもなければ、援軍を送ってくれるわけでもない。聖霊廟に赴いて供物をささげお祈りをし、そして戦いに負ければ「今回は祈りが届かなかった」と言われるだけだ。まさに日本の神社と大差がない。
それに比べて瘴気が生み出す魔物と、それを撒き散らす邪神そのものは確かに実態を持ち、大勢が目撃しているというのに。
『僕たちの旅の先に、聖霊フィクシュテは本当にいると思うかい?』
黒い森の木々の間を生ぬるい風が吹き抜ける。一瞬の沈黙のあと『もちろんですよ』とミラーナの甘い声が響いた。
『聖霊とは聖なる御霊のこと。矮小な我々人間の目にはうつりませんが確かにいらっしゃるのです』
ミラーナはその細くて白い指を胸の前で組んで微笑む。
『なら、僕たちはその目には見えない御霊とやらを救いにいくのかな』
『ご安心を。フィクシュテは特別なのです』
『ミラーナ』
ジュゼッタがとがめるような声を上げる。ミラーナは「いいじゃないですか。これくらいは彼らも知っておかなければ」とうっそり微笑んだ。ミラーナは先ほどフミヤがそうしたように、空中へと指を走らせる。しかし彼女が描いたのは蝶ではなく、西洋の甲冑のようなモノだった。
『フィクシュテは聖霊廟の知る限り唯一、この世に実体をもって顕現した聖霊なのです。聖霊廟の作った特別な鎧……聖なる鎧を依代として」
ミラーナが過去に語ったその言葉を思い出して、俺は聖鎧の操縦席から僅かに腰を浮かせた。俺は蝕まれた黒い森での夜の見張りの途中、過去のことを思い返していた。そして途中でふとそのことに気づいたのだ。
俺はあのとき聖鎧のことを確かに聞いていた。
そうだ。ということはあの白く巨大な鎧はミラーナが乗る聖鎧というだけでなく、フィクシュテという聖霊を入れる器という役割でもあるのだろう。そうだとするなら。……
あの時、ミラーナは聖鎧フィクシュテから取り出した剣でフミヤを刺した。今日までずっと頭に血が上りっぱなしで理由まで考えていなかったけれど、あれはなんだったのか。どうしてフミヤは殺されなければならなかったのか。なぜ俺は殺されず、あんな風に閉じ込められていたのか。
フミヤが殺された理由はなんとなく想像することはできる。フィクシュテ復活のイケニエだとか、あの聖鎧を動かすためのエネルギーとして聖霊力が必要だったから、とか。
どちらにしても、俺が殺されなかった理由はわからない。だが、それを知らないままでは、きっとまた足元を掬われる。
しかし、連中の真意を知るにしても、どうすればいいだろうか。聖霊廟の内情に詳しい人間に事情を聞けるならば一番話は早いが、そういった人間は当然俺たちの敵だ。ロンガやその仲間たちのように交渉や脅しが通じる相手はそもそもそんな情報は持っていないだろうし。
さて、それならどうすれば情報を得られるだろうか。
……遠くで鳥型の魔物が飛び立つ。
俺はいったん聖鎧とのリンクを遮断してコックピットの時計を見る。時計といっても、日本でよく見たどの時計とも違う。歯車とハンドルのようなものが複雑に組み合わせられた見知らぬ機械だ。俺は召喚された直後の聖霊廟の教育でなんとか読めるようになったものの、いまだに見慣れない。
その時計によると、時刻は日付が変わってから一時間ほどといった所だ。
自分で思っているよりもボーッとしていたらしい。
聖鎧とのリンクを繋ぎ直した時、俺はふと違和感を覚えた。
『あの鳥の魔物は昼行性だ。夜には巣から動かないはずだよ』
かつての仲間、ジュゼッタの声が脳裏によぎる。これはたしか、あの旅の途中に聞いた話だ。確かこの後はこう続く。
『あんな風に飛び立つのは……大きな外敵が巣の近くを通りかかった時だ』
俺は考えるよりも早く聖鎧を立ち上がらせた。
さっき鳥の魔物の影が飛び立った近くを凝視してみると、ぎらりと鈍い金属が月光を反射して煌めいている。明らかに魔物のそれではない。聖鎧。おそらく一体だが、それはどうやらこちらの方角に向かってきている。
「リューネ、起きろっ!」
声をかけると、すぐさまリューネの聖鎧が起動する。
「何事ですか!」
リューネの慌てた声に、俺は聖鎧で「それ」を指差すことで応えた。リューネはすぐにそれを見つけたようで、息を呑む気配が伝わってくる。
「……追っ手ですね。あれは聖霊廟の聖鎧オルドーネです。一番の新型ですよ」
「どうする。相手は一体のようだが、戦うか?」
「いいえ、どんな手練が乗っているか分かりませんし、こちらは二体いるとはいえ聖鎧の機能で劣っています。隠れるべきでしょう」
「なら、さっさと行こう」
俺たちがいるのは岩陰だが、あの聖鎧……オルドーネのいる方向には開けているし、何よりこの場所は地図での最短ルートの上だ。こちらを探しているなら当然ここも通るだろう。
それに俺たちは聖鎧に乗っている。直立すればその辺の木々よりも背が高いのだ。ましてや俺の乗るヴェルメーヌは藍色だからまだしも、リューネのフォーシルは黄色に塗装されている。夜の森の中でさえこれは目立つ。
仕方なく、俺たちは聖鎧に乗ったまま忍者のように身を屈ませて進む。ろくに地図や方角も確認できない状況で夜の森をさまようのは自殺行為だがやむを得ない。ひとまず追っ手らしき聖鎧オルドーネの視界に入らないよう、目立たない場所まで逃げることにする。
森の地形をたどり、先ほど水を汲んだ沢に下る。崖の岩がひさしのようにせり出している部分を見つけ、その下に張り付くようにして隠れる。
相手から見つからないように隠れたことで、こちらからも相手の動向がわからなくなる。俺たちは息を殺して向こうの気配に耳を澄ませる。……遠くで何か、夜の森には存在しないような不自然な音が聞こえた。まるでフリスビーを投げた時のような、空気を裂いて何かが飛び回る音。
「……!」
素早く、俺たちの前にそれは現れた。
UFO。俺の頭に瞬時に浮かんだ言葉はそれだった。大きさは俺が両手を広げたくらいだろうか。平べったい円盤上の機械が重力に反して浮かんでいる。
円盤はこちらの聖鎧から少し離れた所で静止した。俺はその姿を掃除用のロボットか、あるいはプロペラのついていないドローンのようだと思い……そこでようやくその円盤の用途に気がついた。
「逃げるぞ、リューネ!」
「え、ええ!」
俺は崖下のひさしを形振り構わず飛び出し、リューネも戸惑った声を上げながらついてくる。それと同時に円盤がけたたましい警告音のような音を上げる。ちくしょう、やはりこいつは無人偵察機だったのだ。
こうなったらもはやコソコソする意味はない。森の中で迷ってしまうかも知れないが、ここで捕まるよりはマシなはずだ。
だが甘かった。背後から迫る銀色の聖鎧オルドーネはおそらく俺たちが円盤に気づいた頃にはもうこちらに接近を始めていたのだろう。思ったよりも距離を詰められるのが早い。俺だけならまだしも、リューネはすでに遅れ始めていて逃げきれない。彼女は昨日からろくに休めていなくて疲労しているし、そもそもフォーシルはあちこちガタの来ているボロなのだ。
「ユーゴ、聞こえますか」
「なんだ」
「あちらに……サトラが見える方角に崖があります。そこまであの聖鎧を誘い込みます。できますね?」
サトラとはこの世界の衛星のひとつだ。赤くて他の星よりも大きく目立つ。
「わかった」
そう返事はしたものの、俺はなんでリューネがそんなことを言い出したのかは理解していない。だが彼女には作戦があるのだろう。そして、それを詳しく説明してもらう時間がないことは分かっていた。
俺たちの会話を聞いていたわけじゃないだろうが、作戦会議をさせるつもりは無いとばかりに左右の円盤が飛んでくる。ただの体当たりかと思ったが、その円盤の側面から四本の刃が突き出て、回転しながら襲いかかる。まるで手裏剣のようだ。俺はどうにかその円盤を避けきった。ヴェルメーヌの視界の端でリューネのフォーシルもかろうじて避けたのを見る。
息を吐く間もなく白銀の聖鎧オルドーネが槍を振りかぶって飛ぶ。標的は俺だ。円盤も絶え間なく俺を狙ってくるが……相手が俺をターゲットに定めたのなら話は早い。
俺はその場を飛び退き、円盤の一つを斬りつける。その勢いのまま、サトラの星の方角に向けて駆け出した。リューネのフォーシルがついてこれないのは承知でひとまず振り切る。
すぐさま円盤が俺の背後を狙う。それをヴェルメーヌの両手のナイフで振り払った。その隙をつくようにオルドーネの槍。身をよじって避けるが、すぐに次、さらにその次が飛んでくる。素早い。
その槍の攻撃を避けながら、俺の頭にひらめきが走った。この槍さばき、見覚えがある。
オルドーネが槍をひときわ大きく振りかぶる。その動作を見て、俺は咄嗟に飛んでその場を離れる。一瞬遅れて、さっきまで俺がいた場所に雷が落ちた。振り返って見れば地面はえぐれ、草木は焼けこげている。俺はそれを見て確信を得た。
「お前、ジュゼッタだな!」
コックピットの中身は見えないが、その槍さばきで分かる。なによりあの槍と雷の聖霊術の組み合わせ。あれはジュゼッタが得意としていたものだ。俺は隣で何度も見た。
オルドーネは槍の猛攻撃をいったん収める。




