まるで虫を食べたような苦さ
卑猥な言葉注意。
「昨日の夜、いつもの草原で修行してたら、この間のキゾクって奴が襲ってきたから、ぶっ飛ばしといた」
「は?」
朝の陽ざしが窓から差し込み、久しぶりに迎える目覚めの良い朝。優雅に動きやすい服に着替えて、朝食を美味しく食べれるはずだった。この間の騒動がやっと落ち着いてきて、ゆっくり眠れたというのに、爆弾を投げ込まれた気分。
黒いパーカー風パジャマのままリビングに来た幼馴染は、常に手榴弾を携帯しているらしい。
いや待て、この間の貴族、おそらくチトラリンの事だろうが、なぜエクシオの大草原にいる。おかしい、トラが草原の真ん中で堂々と歩いているくらいにはおかしい。臭くないヒラタシデムシくらいには意味不明。
「ついでに、めんどくさかったから放置してきた」
「は??」
「ボコボコにしたから、ワンチャン食われてるかもな、ハハ」
「は???」
冗談っぽく笑っているこのバカを殴りたい。そんな衝動を抑えて、私は光の速さよりも速い意識で食事を済ませて、家を飛び出る。顔を洗ったり、化粧をしたり、そんな事はパス。
アンズが夜に修行すると言ったら、エクシオ大草原一択だ。クジラの体長を遥かに凌駕する広さを持つ大草原、獰猛な大型肉食動物が多く発生する夜に倒れている。それは何を意味するのか、考えている暇はない。
どうせ、私との稽古の後も修行していたのだろう。
「あのバカ、何をしてくれてるの。せめて連れて帰って来てよ」
本音を漏らしながら走る。
大草原に着いた。アンズが暴れていたであろう場所を探す。どこだ、ここか。
見つけた。
「……所々草が剥げてる……派手にやってくれたね」
周りを見渡す。本来だったら草が生い茂っていて、草食動物が身を隠せるはずの地帯。だけど今は更地。
酷い有様だ。マンモスが好き勝手暴れたとしてもここまで酷い事なんてないはずで、アンズが過去にここまで暴れた記憶もない……いや、私と本気でやった時はもっと広範囲を更地にしたような覚えがあるけれど。
「おいおい、置いてくな」
「ねえ、どこでトドメを刺したか覚えてる?」
「さあ? というか、もう帰ったんじゃねぇか?」
「あんた、本当に制裁されたいようね?」
「なんでだよ! 先に襲ってきたのはあっちだっての!!」
いつの間にか私の背後にいた、全く着替えてないアンズの叫びを無視して、場所を特定させる。
最も、バカな幼馴染が言った事には一理あり、荒れ地になり果てている草原を見渡しても姿形が見えないとなれば、食べられたか帰ったかのどちらかであろう。
「……私を叩き起こして呼びなさい。どうしてそうしなかったの?」
「気分」
イライラがマックスになったので、思わず殴ってしまった。それは余裕で受け止められて、冷静になる。
胃が痛い、気が重い。あの貴族、懲りたのではなく、余計にプライドを刺激されたらしい。でないと、アンズを襲う動機が見えない。
カラミミロク、シダシオン、アカントの貴族にどう説明したものか。チトラリンの現状をよく知っている二人なら、納得してくれるはず。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
「溜息長すぎだろ」
笑いながら私の手を解放する無責任な幼馴染。久しぶりに、三枚おろしにしてあげたいくらいは殺意が湧いた。
このバカ、原形がわからなくなる程に捌いてやろうか。今日の夕飯はスミアンズの三枚おろし焼きにしてやっても良いんだぞ。
「……過ぎた事を考えても仕方ない」
首を横に振って、アンズの面と向かう。
「お、あそこに倒れてる人影があるな」
「私を見ろ……で、チトラリンなの?」
アンズがそう言ったので、同じ方向を凝視した。
病院で見るような服だが、黒くて高貴な衣類を身に着けた女性が倒れていた。明らかにチトラリンだろう。
「昨日はよくわからなかったが、こんな服着てたのか」
「黒は高貴な色なの。エクシオの生徒会共もみんな黒い服を着てたはずだけど」
「黒人って高貴だったのか」
「アカントとエクシオではそうね。貴族の着る服は基本的に黒いの、覚えておきなさい」
アンズの的を外した表現を適当に流して、念を押しておく。
「だからお前も黒い服ばっかり着てたのか」
「私はただの好み」
この女には危機感を持ってほしい。
とにかく、無限とも思えるような草原の真ん中で倒れている女性を助けないとならない。
近くに寄って、脈を確認する。特に問題なく動いており、生きている。その事実にほっとしつつ、私はチトラリンを背負った。
「どうして黒色が好きなんだ?」
「落ち着くから」
私を助ける素振りすら見せず、初対面の人へ訊く質問みたいな問いをしてくるアンズを睨む。
少しくらい手伝ってくれても良いはずなのに、無頓着な態度。毎度の如く苛立ちを覚えている。
「ほら、走る」
「わかったよ」
冷たい声で、アンズを家まで走らせた。私も、アカントの貴族を背負って、同じく走った。
◇◇◇◇◇
目が覚めると、心が落ち着くような匂いがした。
特に何ともないけど、白い天井。ベッドも白い。
起き上がって部屋を見渡してみる。派手な装飾とかが一切なくて、だけど隣には本がぎっしり詰まったブックシェルフが置いてある。試しに、まだ読んだ事のないペルム州の童話『偽物のライオン』を取ってみた。
ページをめくる。本はあまり読まないけれど、物語は好き。だから、目に刻んでおきたい。
「呑気に本を読んでるな」
いざ、物語の世界へ飛び込もうとしたときに、扉が開いて忌々しい声が耳に入ってきた。
「……スミアンズ」
「おっと、名前を憶えられてるなんてな」
声量があるわけでもないのに、耳が千切れてしまいそう。
負けじとわたしも言葉を発しようって思うけど、口の中にスティンクバグが這っていて、吐き気がする。名前を吐き出すのでやっと。
「その苦い虫を食べたような顔、ウコッケイだな」
「普通は滑稽じゃない?」
「細かい事は良いんだよ。顔が似てるかもしれないだろ?」
「ねえ、侮辱してるの?」
口の中にいた臭い虫を吐き出すように、お気持ち表明をする。
この平民、口元を歪めてわたしを煽っている。忌々しい、今この場で命を奪ってやっても良い――実際はわたしが追い詰められるからやらないけれど。
「っと、そいつは『偽物のライオン』じゃねぇか。読むのか?」
「別に」
本を戻しながら、否定をした。
「ちなみにあたしは読んだ事はないぞ」
「訊いてない」
「なら聞け」
「……何を聞けばいいの?」
「ウコッケイの話でもしようぜ」
「角っこに頭を打っちゃえ」
ウコッケイ――シルキーだなんて例えられたら、わたしは怒る。
この不躾な平民が、わたしじゃ絶対に倒せないからって、雲の上に潜んでいやがって。挙句の果てには不意打ちしても勝てないというか、不意打ちできないというか、一旦石に括りつけても……いやダメだ。
いくら考えても、最終的にはこの平民に負ける。
「ダチョウのようにか?」
「オストリッチの話はしてないよ」
「気になってたんだが、お前らアカント人って、動物名を頑なに古い名前で呼ぶよな。アホか?」
「エクシオ人がおかしいんだよ。昔から親しんだ名前で呼んで何が悪いの?」
「知ってるくせにな」
「うるさい」
正論を言うのはやめろ。
わたしは名前に誇りを持ってるんだ。せめて生物名とか家具名とか、そういうのは絶対に自分の呼び方に言い換える。
「キゾクってのはよく知らないが、普通に死ねとかクソとか言えば良いんじゃないか?」
「貴族を貶めるような言葉遣いはしないから」
「ファックとかもか?」
「その意味は知らない」
「セックス、チンチン、ペニス、おっぱい」
「あのさぁ……」
下品なワードを連発する下民。
「死ね」
そんな下民に、新しく部屋に入ってきた人が殺害予告を送った。ドアが開かれた瞬間だった。
白く、肩あたりまで伸びた髪。目つきは鋭く、殺気を感じられる。小柄だけれど、侮れない。そんな女の子が扉を開けて入ってきた。
「良いじゃねえか。これくらいスラムだと普通だったぞ」
「ここは私の家。殺すよ?」
「すーぐあたしを殺そうとする」
「すぐ調子に乗るからよ。少しくらい謙虚になりなさい」
重厚な雰囲気を醸し出している女の子に対して、思わず息を飲む。
しかし、このスミアンズって子は動じていない。まるで今から激怒しそうなくらいな剣幕なのに、冷静沈着。
「謙虚っつてもよ、それで死んだら意味ないだろうが」
「それはスラムでの話。いい加減わかりなさい」
「それはそうだけどさぁ……」
「何? 奥手と謙虚の違いがわからないの?」
「それは関係ないだろうが!!!!!」
なんか、急にかわいげがあるように思えてきた。それくらいの叫び声が聞こえたような感じ。
淡々と話している白髪の少女は無表情のまま。顔が動かなさ過ぎて怖い。虫より動いてないよこれ。気持ち悪い越して悍ましいかも。
「それで、調子はどう?」
「は、はい……!?」
「そんなに警戒しないで」
わたしを真っすぐ見据えて、女の子はベッドの近くに寄って来る。
身の毛がよだち、気が付いたら距離を取ろうとしてた。それに気が付いたのか、少女が柔らかい笑みを浮かべてくる。
これが本当のビジネススマイルなのか。にしては気持ち悪くない。普段は真顔でいるシオンのビジネススマイルは、唐揚げの肉がフロッグだったなんて言われた感じなのに。
「シーツを握りしめてどうしたんだよ」
「うるさい」
「まーたそれか」
「良いじゃん」
「……とりあえず、落ち着くまでは寛いで。アンズ、出るよ」
「わーったよ」
堂々とした態度、それでいて優しく、白髪の女の子は出て行った。
スミアンズは、渋々と同行していった。
◇◇◇◇◇
「……今なんと?」
さながらイーグルに狙われたマウスの如く、ミロクは狼狽えた。
悠久に続いてほしいと思えるような朝、朝食を食べた後、私はミロクの部屋で、彼女と共に穏やかな時を迎えていた。二人で他愛のない会話をし、互いの彼氏の愚痴や惚気を披露する。時々汚い言葉が現れてしまう事はあるが、彼女との空間というものは、このシダシオンという自己を晒し出してくれる。
そんな中、まさに昼を歓迎しようという頃合い、まるでキングフィッシャーが川の中に飛び込むように、一つの電子音が鳴った。
ミロクはスマートフォンを取り、電話に出る。さっきまでの笑顔が、苦虫を食べている時のような表情に変わっていく。
「……かしこまりました」
そして、焦点の合っていない目で、ミロクは呟いた。
「リンかな。きっと、エクシオで暴れたのだろう」
頭の中に流れてきた情報を口に出す。焦点が合っていないミロクは、力なく頷いた。
リンが、エクシオの平民によって、完膚なきにまで倒された。それも、エクシオの平原で。
どうやら今朝、入院していた病院でリンが行方不明になっていたらしい。その報告は私達に届いていない。すぐに発見して隠蔽しようという算段のようだ。これに対しては然るべき対応を取ろう。
問題は、リンが病院を抜け出した事だ。先の出来事で、彼女はスミアンズによって気を失っている。それはプライドを大いに傷つけたのだろうが、まさかエクシオに直接訪問するとは、リンの性格からして考える事ができなかった。
「……ミスター・リンが病院から抜け出す未来は、観測できたのですか?」
「いや、見えなかった」
「……やはり、不便な能力ですね」
「私の頭に流れてくる情報は、確定している事情のみだ。私達がリンのお見舞いに出向いた頃は、まだ病院を抜け出すという意志を持っていなかったはずだ」
「そうですね。プライドをへし折られたあの子を見るのが初めてであった……いえ、やられたらやり返さないと気が済まないという性質を知っていながら、放置していた私に非があります」
頭を抱えるミロク。
リンはプライドが高い。それは知っている。そして、攻撃をされたら仕返しもする。だが、それ以上に、彼女はめんどくさがり屋だ。今まで、プライドを傷つけられながらも、億劫になってやり返さない事が多かった。
今回も、そのような一面が出ると、無意識に断定していた。
「電話の相手は、ミスター・カズラかい?」
「ええ。彼女の家で、今保護しているとの事です」
「……あの女、本当にクソったれだね」
「はい。私の幼馴染はゴミです」
余計な事をしやがって、説教しに行ってやる。
そういう思いを心に芽吹かせながら、リンの顔を思い浮かべる。悪行を犯していない、むしろ被害者だ、などとほざくのだろう。その時はビンタでもお見舞いしてやる。
スティングバグみたいにふざけた顔をしていそうだ。
「あれで夫が欲しいなどと抜かしているのか」
「生涯独身で終了です」
「現実逃避はこれくらいにして、リンを迎えに行こうか」
私が諭すと、ミロクは右手の人差し指に紺色の長髪を巻きつけ、
「そうですね」
心底嫌そうな顔をしながら頷いた。
◇◇◇◇◇
カラミミロクへの報告を終わらせて、私は一息つく。
「んで、どうなんだ?」
「今日中には迎えに来るだろうね」
「ちぇ、つまんねぇの」
生意気にも舌打ちをする幼馴染に、私は思わず拳を振りかざす。もちろん、簡単に受け止められた。
この女、私を苛立たせないと気が済まないらしい。誰だ、こんな奴を育てた奴は。ほとんど私だ。
「はあ、ストレス発散のために、戦って」
「良いぞ」
イライラして仕方ないから、私はアンズと戦う事にした。
場所を変えるために、家の地下室に向かう。私の幼馴染であるスミアンズとは今年で十年目になる。スラム街で暴走していた彼女を、私が沈静化して、引き取った。当時はまだ私の両親やおじいちゃんが生きていたから、生きるのに不自由はほとんどなかった。
私が無理を言って、スミアンズという少女を、家に招いた。
「だだっ広い地下室かよ」
「何か不満があるの?」
「ない。だけどよ、地下室の整備はしてあるのか?」
「してる。毎日使ってるから」
「マジかよ」
地下室に降りる階段を一歩一歩踏み出す。
ただの階段。奇を衒うわけでもなく、怪談じみている事もない。単なる下への通路。
そんな道の先に、重厚な扉がある。その先が地下室だ。
「よっと」
一般な人類だったら開けるのに一週間かかるらしい扉を、アンズは一瞬で開く。
「相変わらず暗いな」
「灯りが点いてないだけ」
「電気が流れてもだろ」
ぶっきらぼうに言うわがまま女子。
ゾウを五十頭入れられそうな広い地下室。辺り一面にある電灯を光らせると、その全貌が視界に入ってきた。
アンズと私が戦ったところで、家が崩れる事なんてありえない。地上において、本気で一戦を交えたら震度六強の地震が起きてしまうのだけど、ここでなら安心だ。
「やっぱり薄暗いじゃん。お前の脳みそは黒い虫に侵されてるんじゃねぇのか?」
「死肉にくるのは黒いヒラタシデムシだけじゃないわ。モンシデムシ、ハエ、フンチュウ――」
「どうでもいいわ」
会話をバッサリと遮られてしまって、少し憤る。
「そうやって人の話を最後まで聞かないから、好きな人の趣味を理解できないの」
「うるせぇ! ハジメと映画が見れるならそれで嬉しいんだよ!」
「誘ったの?」
「……」
「はぁ、このヘタレ。もっと発情期のオスカブトムシみたいに積極的にいきなさい」
「キモイだろうが!」
顔を真っ赤にして叫ぶ、赤髪ショートの幼馴染。可愛らしく動いていて、恋する乙女の真髄を見ている気分。
「早く戦うぞ。まったく……」
「可愛いね」
「うっっっっっっざ」
私を真っ直ぐ睨みながら頬を紅潮させているアンズ。野生動物が病気を隠しているように照れている事を感じさせない手腕は認めるけれど、いつまでも奥手だと意識すらされないだろう。
薄暗いと表現された地下室、光量は十分であるはずなのに、アンズは昔から薄暗いと言い続けている。相手の顔だって視認できるし、ネズミやゴキブリなんて一匹たりともいない。隙間風の音も、紫外線も、外の世界から隔絶された箱庭では陸のサメみたいに恐れる事はない。
「やるよ。時間がもったいない」
「ぜっっったいにぶっ飛ばす。マジで」
「代わりにチューチュー鳴いてなさい」
「オラァ!」
私の煽りと共に、地下室での戦いが始まった。
◇◇◇◇◇
「こんな物語だったんだ」
「偽物のライオン」を読み終えて、無意識に呟く。
わたし以外の存在が消えた寝室。まるで砂漠のど真ん中にいるかのような静けさに、心がざわざわしてくる。日差しは完全に上りきり、後は落ちていくだけ。料理人らしき人がさっきお昼ご飯を持ってきたから、それを食べて、思ったより美味しかったから完食し、午後は暇になった。
専属の料理人っぽい人がいたという事は、イケメンの使用人がいる可能性だってあるという事。だから、わたしを心配して来てくれないかなと心を躍らせて待っていたけれど、スミアンズと白髪の女の子ですら来る気配がないから、退屈凌ぎに本を読んでいた。
「主人公はいじめられっ子で、だけどそれは今まで皆に悪い事をしてきたからで……そんなある日、主人公はライオンに変身する。ライオンだから、普通の人は勝てるわけがない。それで、主人公は段々と調子に乗ってくる」
主人公がいじめられっ子なのにここまで同情できない話はそうそうない。生々しくいじめられる描写があるのに、その前の主人公が周りの皆から財布を盗んで全部ギャンブルに消費しちゃう描写がウザくて、逆に気分が爽快になってしまうくらいだ。ハムスターの母親が自身の仔を食べてしまったところを目撃したおバカさん達が騒ぎたている様子に同情できないような感じ。
だけど、主人公がライオンになってから、調子に乗っていくようになる過程が、本当にクズすぎる。見ていて吐き気を催してしまったくらいに、生理的に受け付けない。
「でも、調子に乗った主人公は、他の動物にまでに手を出し始める。その内、タイガーにすら勝てるのではないかと錯覚し始めて……負けて、後悔の最中にトドメを刺される」
見ていて一番スッキリした部分といえば、主人公がお亡くなりになるシーンだ。ラビット、ウルフ、ホースに圧勝して、勢い付いた主人公は、タイガーに喧嘩を売って負ける。それはもう、瞬殺だ。とてもブリリアントで、地面が割れるように鬱憤が晴らされた。
「前半は見てて辛かったけど、後半は面白かったな。特に、タイガーに負ける瞬間は、私のお気に入り」
独り言を呟く。いくらクズでも、いなくなってしまうのは少なからず悲しいはずなのに、この物語にはそれがない。主人公を徹底的に悪として描いていて、終盤でカタルシスを得られる展開は、昔話では珍しくない。特にアカントだったら、教訓話として主人公が悪者として登場するのがスタンダードだ。
「ふわぁ、読み切ったら眠くなっちゃった」
強烈な睡魔に襲われる。だけど、気分は最高潮だから良い夢を見られそう。
部屋の全貌を目に入れる。わたしの部屋なんかと違って、最低限の物が備えられている。ブックシェルフには様々な物語本が置いてあるし、退屈なんてしようがない。
「……スマートフォン、置いてきちゃった。寝る前にイケメン写真集を見ようと思ったのに」
失敗、寝る前の癒しが皆無で、良い夢見られそうだったのに台無し。
「お前の好きそうなイケメンって、クズそうだよな」
「クズだからイケメンなの」
扉が開くと同時に言い放たれた事実に、やけになって返す。
「クズが好きなのか。浮気されて不倫されて怒るまでがセットだな」
「クズは女の子の扱い方が上手いから。優しくリードしてほしいの」
「初々しいのが可愛いんだよ。やり慣れてるとか気持ち悪ぃ」
「初めてっていうのがカッコ悪いじゃん」
赤髪の平民が真面目な顔で言ってきた。
わたしがアカントの貴族で、スミアンズがエクシオの平民だからなのか、価値観に差がありすぎる。男の好みでここまで異なってくるだなんて。
可愛い男とか本当に無理。カッコよくてイケメンで、いつでも余裕な笑みを浮かべている男の人以外はイエローモンキーだ。黄口児を相手にするくらいならゴリラと性行為したい。
「はー、お前にあいつをバカにされるとは腹立ってきたな。ぶっ飛ばしてやるよ」
「何? 好きな人をこき下ろされた程度で怒ってるとか、冷笑案件だよ」
「ぶっ殺す」
殺意を向けられる。だけど、なぜだか精神的に優位に立っているから、軽く受け流せる。
「やっても良いけど、同居人の……あの怖い女の子に追い出されちゃうよ?」
「はん、お前、カズラを怖がってるのか」
わたしの言葉に強がりを見せる平民だけど、さっきのは大分効いたらしくて、硬い笑みを浮かべている。
白髪の女の子、カズラというのか。名前を覚えておこう。
「怖いじゃん。キラーウェールくらい」
「キラーウェールってなんだよ」
「シャチ」
「シャチ?」
「そこまで無知なのは想定外だなぁ……」
ポカンとしている平民に少し呆れつつ、
「うーん、コブラ……すっごい大きいヘビみたい?」
一般的であるはずの名前を出した。
「ヘビを怖がってんのか」
「見た目が気持ち悪いし、無駄に大きいし、コブラってヘビは見た事ない?」
「どんだけ大きくても、一刀両断してやるよ」
「平民だからって、受け答えくらいしっかりしてくれない?」
「あるぜ。エクシオの大草原に普通にいるしな」
「地味に美味いんだよな」だなんて耳が痒い言葉を発して、スミアンズは不敵な笑みを浮かべる。
学はないくせに、こんなにも強気でいられるだなんて。
「はあ、まあいいや」
一息入れて、
「それで、何の用?」
できるだけ目を細めながら、敵意剥き出しに訊いた。
「特にない。様子を見に来ただけ」
「チッ」
「さっきまでカズラと戦ってたもんでな。休憩がてら寄ったんだよ」
わたしの意図を知ってか知らずか、大振りに踵を返して、エクシオの平民はドアに向かった。
「ねえ」
「なんだ?」
「君がカズラって呼んでる子って、苗字は何?」
一切振り返らず、ただ足を止めて、
「シャチマキ」
「漢字は?」
「鯱に巻物の巻」
素っ気ない態度で吐き捨ててから、スミアンズは再度歩みを進めた。
そいつはドアノブに手をかけて、一言も発さずに部屋の外に出る。
恨めしい。小さいくせに、頭悪いくせに、貧乏そうな見た目をしているくせに――動物園で飼われてるボスザルに相手されないメスザルみたいな素振りをしてるくせに。
苦い、苦い、苦い。苦汁を飲まされて、虫を食わされて、喉がおかしくなりそう。
「……わたしは強いんだよ。みんなわたしに勝てないんだよ。ねえ、わたしが最強じゃないとダメなの。わたしより強い人なんて、存在する事は許されないの。わたしが、わたしが……どうして、どうしてなの?」
◇◇◇◇◇
理不尽だと思う事は多々ある。
親が小さい頃に死んで、慕ってたおじいちゃんも二年前に死んで、アンズはエクシオから出て行って――退屈になって。
それでも、最善手を尽くそうと努力して、自分の地位を確立して、居場所を確保する。幸い、使用人は親がいた頃から変えてないし、高校では私に付き添ってくれる男の子や同級生、後輩もできた。
ただ唯一、昔から失敗しかしてこなかった事があるとするならば、あいつとの仲だろう。未だに、あいつとの関係だけは上手くいかない。
護衛の立場だけど、私とあいつはほとんど対等な関係。だからこそ、馬が合わない。あいつの思考に私は同調しないし、かといってあいつの考えに私は賛同しない。
平行線、決して交わる事のない点。互いに歩みの速さも違うのなら、交点は決してできやしない。だけど、どうすれば解決できるかだなんて、思いつく事もない。
アンズとの戦いが終わって、一人になった地下室。物音、風の音――私を邪魔するような音は全てない。灯りも消えて、視界は真っ暗。しばらくしたら、自分自身が牙を向くのだろう。アームチェアをゆらゆらと揺らして、目を閉じる。
無音で暗闇の中、人間は精神を崩壊させるという。情報が何もない場所で、危機回避をするためなのだろうか。発狂すれば全てが解決、なんて幻想に縋る理由はないだろうが、進化してそのような性質が残ってきたというのなら、それが生存戦略において有利だったのか、はたまた偶然なのかはわからない。
『お前の考えが気に食わん』
『それはこっちのセリフ、ケイ。あなたは温室育ちのバナナね』
『なんだと? お前は人の考えを聞こうとしないトラだ』
『私なら全部を支配できる。それなのに、あなたはそうさせてくれない。虫に食べられた事がないから』
『全てを力で支配しようだなんて、それこそ虫に食べられた事ない奴のセリフだ』
頭の中に過る、あいつとの会話。怒鳴りつけたりはしないけれど、明確に怒りを相手にぶつける。威圧しても意味ないのなら、そんな労力をかけるのもバカバカしい。
エノモトケイ、私が仕えるはずの人間であり、護衛しなければならない相手。だけど、その仕事をした事なんて一度もない。
彼はエクシオ学園生徒会長で、私は風紀委員長。現在、風紀委員と生徒会は実質的な対立関係にある。そのせいで余計な仕事が回されて風紀委員は振り回されがちだから、その点に関してだけは申し訳ないと思ってる。関係修復をしようとは考えていないけれど。度が過ぎていると感じたら報復をするし、何より数は風紀委員の方が圧倒的に多い。力関係は、あいつもわかっている。
「……はあ」
現実を見た事がない人を相手するのは、単純に疲れる。思い出しただけでも疲弊してきた。
あいつの事を考えずにはいられない。嫌いで、理解してくれない男。私の事を理解してる副風紀委員長はしっかり納得してくれるのに、生徒会長は自我を貫いてばかり。
無駄にカリスマ性があるのが腹立たしい。
「……やめよ」
思い出すのが嫌になってきたから、目を開けて、座っていた椅子を立ち上がる。目の開閉は関係なく、地下室は真っ黒。
嫌いな人より、好きな人を思い浮かべていた方が楽しい。副委員長の子と楽しく話している時、同級生、後輩と一緒に活動しているとき、そんな思い出ができて、やっと退屈も凌げるようになってきた。
「……チトラリン。暴君気質で力の持て余している貴族。苦虫を嚙み潰した事なんてなさそうな、温室育ちのトラ」
赤身が強いピンク色の整えられた長髪、自身が絶対だと疑っていないような瞳、そしてアンズへの敵意剥き出しな視線。
プライドが無駄に高そうだ。ケイは私の意見には絶対に賛同しないだろうけど、自身を正しいと思い込んでいる感じではない。他人の意見に耳を傾けるし、自分の意見を貫ける。だけど、チトラリンにはそれが微塵も感じられない。
正しいのは自分で、それ以外は何もかも間違っている。世界は自分を中心に回っているから、それ以外は脇役。絶対君主の自分は皆認めている。
だからこそ、それに賛同せず、打ち負かしてきたアンズには、並大抵ではない、仔を奪われたクマみたいな殺意を向けているのだろう。
「しばらくは、チトラリン周りの事で忙しそう。めんどくさい」
溜息をついて、扉を開けて、地下室から出るための階段を登る。
扉が勝手に閉まる音を聞いて、私は暗闇を後にした。
チトラリンのプロローグは終わり。




