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テロム  作者: 冷凍御飯
タイガーカブ
3/22

痛い目

倫理観が終わってるかもしれない。

「護衛をつける?」


 ミロクの言葉に対して甚だ疑問に思ったのであろう、リンが首を傾げて言った。


「はい、護衛です」

「普通はつけるものだろう?」

「そうだけど……」


 私が付け足すと、リンは不服そうにする。

 夏休みに入っているのに私達は生徒会室にいる。丸いテーブルを囲み、いつもの定位置に座っていて、まだ休みに入っていないのではないかと錯覚してしまう。だが、今は休暇だ。

 それなのになぜここにいるのかと言うと、夏休み中の仕事があるからである。その仕事が終わり、今はゆっくりしていたところだ。


「今までつけていなかった君がおかしかったんだ」

「でも、必要ないと思うよ」


 私の言葉に、毅然とした態度でリンが睨んでくる。

 正直な話、リンの言う通りだ。この貴族は強すぎる。今まで何度も闇討ちに遭ってきたのに、全て返り討ちにしてきたらしい。普通の人はもう死んでいるはずなのに、まるでゾウムシのように死なない。

 護衛というのは名目で、ただ監視をつけたいだけだ。


「私の部下に風紀委員で一番強い平民がいます。その方だったらあなたに釣り合うかと思いますが」

「平民ねぇ……」


 ミロクの言葉に、最強の自負がある幼馴染が顔を歪めた。


「例の、イノカミサキだね?」

「その通りです」


 私が訊くと、ミロクは頷く。

 イノカミサキ、漢字で猪上左希というが、アカント女子学園はもちろん男子学園にまで噂が広まっている一人の風紀委員だ。平民であるのにも関わらず風紀委員で一目おかれていて、統率を取る事もあるという。もし貴族であったのなら、風紀委員長か副委員長にはなっていたであろう。

 噂では、実際に委員長になりかけていたらしいが、辞退したとの事だ。


「誰?」

「あなたには言ったはずですが」

「興味ないもん」


 お嬢様には似つかない口調で、リンが小首を傾げる。

 本当にこの貴族は、どうしてこうなのだろうか。友達にしたくないランキング一位常連になりそうなくらいに反吐が出る。

 イノカミサキサキというのは、三年生になる直前の春にミロクが部下になるように打診していたようだ。


「はあ、はっきり言う。君には監視が必要だ。だから拒否権はない」

「本当にはっきり言うね、というか絶対にそうだと思った」


 知っていたかのように、リンは溜息交じりに言う。


「気が付いているのなら話は早いね」

「屋外に出るときは、必ず同行させますので。そのときは必ず連絡してくださいね」

「はーい」


 案外素直に、ミロクの幼馴染は言った。

 意外に、リンはこういう素直な所がある。実際はとてもめんどくさそうに口を尖らせて不満そうにしているが、言葉にして出してはこない。


「では、今日の帰りから同行させますね」

「いきなりだなぁ……」

「問題行動を起こさないように、本気を出させてもらうよ」

「誰もわたしの事を制限する事はできないよ、今までもそうであったように」


 私による強めの言葉に、リンは珍しく不適な笑みを浮かべた。


◇◇◇◇◇


「マスター・リン、お初にお目にかかります。マスター・ミロクのご命令により護衛を務めさせて頂きます、イノカミサキと申します」


 丁寧な口調で、わたしを監視する平民が敬礼した。

 しっかりとした仕草で跪いて、こちらを見上げてわたしの目を見てくる平民。しっかりと教育されているようで、安心。


「よろしく」


 テキトーに返して、踵を返す。そして、右腕をわたしの向いた方向に振って、ついてくるように合図をする。


「は!」


 下民は元気よく返事をしてくる。

 後ろを見ていないからわからないけど、多分ついてきていると思う。

 アカント女子学園の校門にて、わたしは人生で初めての護衛をつけながら帰路についている。護衛、本当はイケメンで家柄の良い男の人が良かったけど、ミロクはそんなに気を利かせてくれない。


「はぁ……」


 鬱陶しい。

 この、確かイノカミサキっていう人は、下民だけど貴族の部下。だから、雑に扱うのは禁止されてる。今すぐに置いて行きたいのに、それをしたらミロクに怒られる。


「ねぇ、ミロクからはなんて言われてるの?」

「それは……」


 わたしの命令を素直に聞かず躊躇っている平民に対して、苛立ちを覚える。


「監視でしょ? どういう風に行えって言われてるの?」

「……何か問題行動を起こしたら、止めるように承っております」


 圧をかけるように、止まって下民を凝視した。そうしたら、ポロっと吐いてくれた。

 わたしはミロクより立場が上の人間だ。おそらく上司から監視に対して何も話すなって言われてたと思うけど、わたしの命令が優先される。


「ふーん……」


 目を細めながら、ミロクの部下を見た。


「何か問題でも?」

「なんでもないよ」


 再び踵を返して、歩みを再開する。

 黒い髪を腰まで伸ばしている平民は、わたしよりも背が高い。貴族で男の人だったら凄くドキドキするのに。


「……そういえば、わたしの家に泊まるの?」


 さっき聞きそびれた事を、振り返らずに平民に訊く。


「いえ、家に送り届けたら帰るように言われております」

「変なの」


 そう言われて、違和感を覚えた。

 これ、意味があるのか。外出するとき、ミロクは必ず連絡するように言っていた。だけど、非効率なような気もする。


「……まあいいや」


 どうでも良かったので、考えるのをやめた。


◇◇◇◇◇


「プライドの高いリンが平民のサキを家に泊めるとは思えないのだが」


 帰りの道中、ミロクに訊いてみた。


「それは折り込み済みです」

「ほう。なら君の作戦を聞かせてもらおうか」


 後ろに護衛を付けながら、挑戦状を叩きつけるように訊く。

 私とミロクには、それぞれ一人ずつ平民の護衛をつけている。私は、護衛と二人きりの時はよく話しかけるのだが、ミロクはサキ以外をいないものとして扱っているらしい。


「私よりもミスター・リンの方が身分が高い、これは知っていますよね?」

「もちろん、知っているよ」


 親友が挑戦を受け取ったチャレンジャーみたいに訊いてきて、私は思わず不敵な笑みを浮かべた。


「ですが、それを理由に私をコケにして良いわけではありません。その場合、然るべき対処が取られます」

「そうだね。あの子が”その対処”に、素直に応じるとは思えないがね」

「確かに、普段のミスター・リンを見ていると、そう思えますよね」

「その言い方だと、そうしないのかい?」


 自信を持って答えたミロクに、試すような口調で問う。


「はい」

「相当な自信だね。どこか確信できる根拠があるのかい?」

「ありますよ」


 ミロクが強く頷いた。


「そうか、君がそう言うなら、そうなのだろうね」

「もちろんです。そして、それは私の部下にも当てはまります」

「貴族の部下は、例え平民だったとしても危害を加える事は許されない、って事か」

「ミスター・リンは、少なくとも私の部下にならその規則を守ります。これは絶対です」

「わかった。ミロクを信頼するよ」


 言葉足らずだが、意図は理解できた。暖かな笑みを崩さずに、穏やかな表情を続ける。


「詳細は説明しませんが、大丈夫ですね?」

「長く一緒にいて、君の事は大分理解したつもりだ」

「ふふふ」


 私の決め顔に、ミロクが破顔する。

 本当に、知り合えて良かったと心の底から思う。ここまで気の合う友人というのはそうそういない。


「……監視を付けるのは賛成だ。だけれど、いずれリンは痛い目に遭う」


 それは別として、厳しい視線を送った。


「そうですね」

「監視を付けるのは、リンが痛い目を見てからでも良かったはずだ。私の言葉が信じられなかったのかな?」


 責め立てるような言い方になってしまった。

 この間の、リンが痛い目を見るという警告について、無視したのか。それとも、想定済みなのか。


「痛い目、それがもし死に直結するものだったら、夜も眠れなくて」

「生死はわからないが、もしそうだったら君の部下も巻き込まれてしまうのではないか?」

「確かに、サキを失うのは痛手ではありますね。せっかく部下にしたというのに」


 イノカミサキというのはは、ミロクが独断で専属の部下にしたらしい。風紀委員長にも副委員長にもならないと言っていた彼女を、ミロクが逃す訳がないだろう。

 最強であると話題になる前から、目をつけていたようだ。私にすらバレないように、内密に親交を深めてきたようで。今では普通に仲良くなっている。委員長にならないと宣言したのは、ミロクの部下になるという約束を守ってくれた側面でもあるかもしれない。


「ですが、彼女はミスター・リンより強いです。余程の事がなければ、カモフラージュである護衛の任務もほとんど遂行できるはずです」

「大した自信だね。あの『ホロセネ派』首長の娘が平民を部下にするだけあるか」

「お母様と私は違いますから」

「容姿は蝶と蛾くらい似ているがね」

「例えが絶妙にわかりにくいですね……」


 わたしの表現に、ミロクが苦笑いをする。

 容姿が似ているなどと言ったが、親と子の容姿は似て当然なものなのだから、内面を形容した。それはミロクだってわかっているはずだ。


「……私は見守るだけだ。リンの行く末が良いものになる事を願うよ」

「それしかありませんよ」


 目を閉じて言うと、淡々と言葉が返ってきた。


◇◇◇◇◇


「ふわぁ……」


 朝が来た。昨日みたいな夏休み中に学校があるなど、しばらくはない。

 あくびをしながら窓の外を見ると、雲一つない快晴が広がっていた。日が鬱陶しいくらいに差し込んでいて、外に出るのが億劫なくらいに暑い。


「どうせ外出しても監視がつくし、今日は家でのんびりしてよっと」


 何もない部屋を見渡して、溜息をつく。

 ベッドから立ち上がって、とりあえず勉強デスクに向かった。ちょこんとあるチックのぬいぐるみを見ながら、チェアを引いて座る。


「する事ないし、勉強でもしよっかな」


 デスクの横にあるカバンから数学Ⅲの問題集とノートを取り出して開く。


「……もう五周してる問題集じゃん。別のは……ないや」


 最近買ったばかりな気がするが、結構やっていた。分厚い問題集で、すぐに終わらないはずだったのだが、そんな事はなかった。

 仕方ないから、数学は諦めて他の科目を勉強する。物理か、化学か、はたまた世界史か、候補はここら辺だ。政治の事なんて、つまらないからやらない。


「うーん、今日は数学の気分……というかここ最近はそれしかやってないかも」


 あんまり他科目をやる気にならなかったから、問題集とノートをカバンの中にしまった。

 仕方がないから、外で新しい数学の問題集でも買う事にする。どうせなら高等部で学ぶ数学を全部含んだ問題集でも買ってしまおう。


「よーし、買いに行こうっと」


 デスクの上で充電してあったスマホを充電器から外して手に持ち、小さめのカバンに入れて、外出の準備をした。


「……連絡しないと後がめんどくさいからなぁ」

『外出時に私に連絡しなかった理由を、しっかりと聞かせてもらいますからね?』


 満面の笑みを浮かべ、声を高くして言う幼馴染が思い浮かんで、スマホを取り出した。


「今から出かけます……待っておいた方が良いよね」


 チャットアプリでミロクにメッセージを送り、再度スマホをしまう。

 こういうときの待ち時間は長い。その間に着る服を決めておく。といっても、平民の護衛がいるだけなのであまり深く考える必要はないから、時間はかからない。


「服は……こんなんで良いや」


 白い半袖の服に白い半ズボン、我ながら真っ白になる。

 本来なら、貴族は黒い服を着ないといけない。だけど、黒より白が好きなわたしは、あんまりそういうのを好まない。

 それと、いつもは結ばずに下ろしている髪を、今日はポニーテールにする。赤みが強いピンク、もう少し白色が強かったらわたしは雪に紛れる事ができたのに。


「……もう外に出っちゃおうかな」


 考えたら、別に待つ必要がない気がしてきた。行先を連絡して、そこで合流するって事でも良いように思えてくる。手早く外出してしまおう。


「そういえば、ミロクの部下って寮にいるのかな」


 独り言を呟きながら、部屋の扉を開ける。


 わたしの部屋は、パレオセネの貴族寮にある。家から通うのには学園は遠いし、親とか使用人がめんどくさいから、一人部屋を特別に用意してもらった。

 例のイノカミサキっていう平民なら、共通の平民寮だろう。それとも、ミロクから特別に部屋を用意されているのかも。


「ふんふふーん」


 鼻歌を歌いながら、寮の玄関に向かう。周りにいる人は気にしない。

 ミロクも詰めが甘い。自分が素直に話を聞くなんて思い込んじゃって――確かに従ってるかもしれないけど――抜け道なんていくらでもある。

 そう思って、玄関から外に出た。


「お待ちしておりました」

「……」


 丁寧に跪きながら、わたしの監視役は言った。

 外に出て出会った最初の人がミロクの部下だなんて、流石に予想外だ。手配が早すぎる。


「えっと、どうやって?」

「……?」

「あー、どこからどうやってここまで来たの?」

「マスター・ミロクのお屋敷から走って、ですが」

「ごめん、理解できない」


 イノカミサキの言った事を理解できず、直接言葉にしてしまった。

 いや、言いたい事はわかる。ミロクは学園の近くで大きな家を借りていて、シオンと二人暮らしをしているらしいけど、学園を介してパレオセネ寮の反対にあったはず。今日は学園の閉鎖日だから通り抜けができないし、迂回すると一時間はかかるはずだけど。


「先程マスターが連絡を受けた後、すぐに私が派遣されました」

「わたしを理解から遠ざけるのはやめてね」

「申し訳ございません」

「いやいや、攻めてるわけじゃなくて」


 平民の平謝りを止めながら、状況を考える。


「……もういいや。早く行こう」

「かしこまりました」


 しかし、脳の容量が無駄だと思ったから、やめた。


◇◇◇◇◇


「並んでるなー」


 問題集を買うために、いわゆるショッピングモールなどと呼ばれる場所に来た。

 いつもは実家に近い本屋で買うのだけど、今回は下民――ミロクの部下である平民――が一緒だったから、下町の大きな商業施設で、いくつか問題集でも買っていこうと思いついた。


「一応言っておきますが、お金による買収は監視対象です」

「ふーん」

「ここではなく別の場所で買うのがよろしかったと考えられますが」

「だって帰るのめんどくさいし」


 生意気にも睨みを効かせて、イノカミサキは自分を見つめてくる。その視線がうざったいけど、ミロクの命令を実行していると考えたら、何か小言を呟く気が失せる。

 監視がいると鬱陶しいし、休日くらいは一人でお出かけしたい。わたしに敵う人類なんて存在するはずがないのだから護衛なんて必要ないのもそうだけど、自由に行動できないのが息苦しい。

 どうにかして監視を撒けないものか。


「並ぶのって、本当にめんどくさいな」

「あと五人程で順番が回ってくると思いますが」

「はぁ……」


 何もわかっていない平民の戯言に、溜息をつく。


「金はたくさん持って来てるから、渡せば譲ってくれると思うんだけどな」

「もう少しの辛抱です。マスター・ミロクなら、素直に待っているかと」

「はいはい」


 ミロクを引き合いに出されて、二つ返事をした。

 少し待って、順番が回ってきた。


「いらっしゃい……マスター・リン、ご来店いただきまして、誠に光栄でございます」


 意外にも、店員は自分の事を認識しているらしい。胸に右手を当てて、お辞儀をしてきた。

 周りの下民どもは無知なのか、それとも今日はチトラリンらしい恰好をしていないからなのか、気づかれていない。だから、列を譲られる事がなく、そのまま待たされていたのだろうか。

 それとも、有名らしいイノカミサキという平民がわたしの隣にいたからなのか。


「はーい、これ買わせてね」

「かしこまりました」


 慣れた手つきで、男性店員が本のバーコードを読み取っていく。

 しかし、この下民は背が高くてかっこいい。もし貴族であったら、どうにかしてわたしの婿入りをさせてたかもしれない。本当に残念だ。

 せめて、写真くらいは撮っていこう。


「マスター・リン、何をしているのですか?」


 わたしのスマホをカバンから取り出し、写真を撮る用意をしたら、監視役から声をかけられた。


「何って、この平民の写真を撮ろうって思っただけだけど」

「ダメです。許可なく他人を撮る事は、マナー違反です」

「ミロクが言ったの?」

「マナー違反は取り締まれと言われているので」

「……チッ」


 強い意志で言われて、煩わしい感覚を覚える。思わず舌打ちをしてしまった。


「お待たせ致しました、こちら十五冊で……えっと」


 雰囲気に飲まれてか、店員が怯えた様子でこちらを見る。

 本当にもったいない。かっこいいイケメンなだけではなく、こういうかわいらしいところもあるのに、下民の一人だなんて。


「あー、ごめんね」


 表面を取り繕って、ニッコリと笑う。相手の方は安心してくれたらしくて、店員らしい笑顔を浮かべた。


◇◇◇◇◇


「はぁ……」


 溜息をつきながら、監視であるサキを見る。


「マスター・リン、どうかされましたか?」

「いや、別に……」


 すっとぼけたようにように、ミロクの部下は飄々と訊いてきた。

 問題集を買ってから、本屋以外のお店を見て回ろうかと思っていたけど、監視がうるさかったので外に出た。


「……」


 平民ごときが、貴族に指図をして、反吐が出る。ミロクの部下だけど、殴り倒してやろうか。

 今日は本当に気分が悪い。ほとんど水のない所でうねりながら地面を徘徊するラングフィッシュのように、自由に振舞えない。これも、全てミロクのせいだ。

 それだけじゃない、周りの下民どもはほとんどわたしの正体に気づいていない。いつもの黒を基調とした服装ではなく、全身真っ白だからなのか、貴族だと認識されていないような気がする。


「わたしの顔、誰も覚えてないのかな。髪型と服装は変わってるけど、おかしいよね」


 嘆くように、イノカミサキに問いかける。

 普段は結ばない腰まで伸びた髪を、今日はポニーテールにしている。だけど、気づかれないはずはないのに。もしかしたら、みんな顔を覚えていないのかも。


「大分違います。例えるなら、ホワイトタイガーとブラックパンサーくらいには」

「結構違うね。でも同じネコ科だよね」

「逆に問いますが、イヌ科のフォックスとウルフは同じに思えますか?」

「まあ、確かに同じには見えないけど」


 丁寧な口調を崩さずに、平民の部下が淡々と持論を述べる。

 なんか、諭されているようで腹が立つ。下民の分際で、貴族である自分に意見をするなんて――ミロクの意見でもあるのだろう。だけど、苛立ちが止まらない。


「はぁ、わたしの証明でもしようかな」

「ダメです」

「わかってるって。ジョークだよ」


 軽い冗談を、割とガチで制されて、心の中に黒いモヤモヤが現れる。


「それに、貴族がこんな下町に来るなんて、通常は考えません」

「ふーん……」


 先程の店員も、わたしに集中して初めて気が付いた感じであった。


「今日はお帰りになられますか?」

「もう少し覗いていくよ」

「かしこまりました」


 もう家に帰りたい、そんな気持ちを制して、下民の町を歩く。

 周りを見渡すと、あまりにも下町であるといった大きな建物が視界に入ってくる。さっきの巨大なショッピングモールの他に、下民がよく利用するという鉄道の駅、その周りには天に向かっているようなビルの群、下民の町というのにピッタリな建物が、いたる所にある。

 少し遠くを見ると、住宅街が広がっているのが見えた。


「あそこの住宅街にさ、隕石とか落としたくない?」

「意図が理解できません」

「だってさ、あんな汚い所に住んでるなんて、感染症を持ってるラットと同じじゃん。ペストが流行ったら困るし」

「あまりに酷い口調だと、報告しろとマスターは宣っておりましたが」

「そんな事言ったら黙るしかなくなっちゃうじゃん。それに、被害は出してないし、良くない?」

「そうですか」


 わたしが発した言葉に対して、イノカミサキは溜息をつかんばかりに呆れた口調で言葉を吐く。それが、どことなくミロクに似ているような気がした。


◇◇◇◇◇


「ふわぁ……」


 あくびを手で押さえながら、アカント州の、歩行者天国となっている大通りを歩く。


「ったく、どこもかしこも白人ばっかりだな」


 大通りには白い肌の奴しかいない。最近はトリアス州にいたから、この感覚は久しぶりだ。

 褐色のいたずら少年とそれを制する先輩、薄っすら色味がある双子、所謂有色人種といった奴らがいるのが普通、それがトリアス州って所だ。あたしはそこのトリアス学園って所に通っている。


「まあ、エクシオも大差ないけどな……ふわぁ」


 あたしはアカント出身ではなく、その南にあるエクシオ州出身だ。エクシオも白人しかいなくて、アカントと接している。

 その昔、アカントとエクシオは一つの州であったらしい。確かティクタ州なんて言ったか、『アカント—エクシオ分裂騒動』っていう事件があって、そこそこ大きめな州が分裂したとの事だ。

 最近では薄れてきているらしいが、アカントとエクシオというのはとても仲悪いらしい。


「誰かに喧嘩でも吹っ掛けて……いや、それだとカズラに怒られるな」


 カズラ、あたしの幼馴染の顔を思い浮かべて、考えを改める。

 あいつは、怒ったらめんどくさい。お金を奪おうとしてくるクソガキみたいに、じわじわと圧を放ってくる。


「せっかくエクシオ中学校の校章がでかでかと目立つ制服を持って来たっていうのに、誰も喧嘩を売ってこねぇな」


 今回は、名目としてはアカント州を旅行しようっていう事で来た。

 本来の目的は、アカントで合法的に暴れてやろうっていった所だ。理由は単純で、新しい敵が欲しいからである。

 エクシオ州とトリアス州の奴らには、ほとんど勝ったと言ってもいい。トリアスで一回だけ負けて、その事をカズラに追い詰められたときはあるが、それ以外は全勝だ。

 カズラは自分より少し強いくらいで、勝率は四割くらい。といっても、カズラはあたしの幼馴染であり師匠であるので、最初期の敗北数を覗けばほぼ五分だと思う。


「自分からがダメなら、相手から……そのはずだったんだけどな」


 あまりにも襲われなさずぎて、眠くなっていたところだ。

 エクシオなら、アカント出身ってだけで襲うやつが人口の一割くらいいる。それ基準で来たが、既に失敗濃厚で、つまらない。

 周りには人がたくさんいる。列をなしてるアリなんて比じゃない。でっかい建物が並んでいて、大型ショッピングモールとか安そうで入りやすいレストランとか、人を寄せ付けるものがたくさんある。


「……キゾクだっけか。黒い衣装を身にまとっている奴らは絶対に襲うなって、口酸っぱく言われてるし、帰るか」


 今は眠くて仕方ない。周りに人がうろちょろ歩いているのに、そこら辺の道路で寝っ転がったらすぐに眠れそうな気分。

 退屈しのぎに、映画でも見てやろうと意気込む。


「……ハジメの好きな映画は、『スター・ファイターズ』だったな」


 ホシヤハジメ、あたしが結構気に入っている男の好きな映画を見たくなったから、近くの映画館を探す。

 ここら辺は繁華街って感じだから、映画館くらいならすぐに見つけられそうだ。マンモスよりもでかいショッピングモール、大型という表現が似合う駅、周りには必要ない程に高いビル。これらがあるのに、映画館がないわけがない。


「トリアスではリバイバル上映がやってるなんて言っていたが、アカントはどうなんだろうな」


 懐からスマホを取り出して、映画館の場所を調べた。


◇◇◇◇◇


 不自由というのは、本当に腹立たしい。


「ねえねえ、先頭を譲ってくれない? これくらいは出すから」

「え、その……」

「マスター・リン、ダメです」

「なんで?」

「先程も言いましたが、列は並ぶものですよ」

「わたしは一番偉いのに、どうして並ぶの?」

「貴族社会では並ぶのでしょう?」

「お金を出せば譲ってくれるよ?」

「……とにかく、マスターの意向ですので並んでください」

「……チッ」


 長蛇の列ができているスイーツ店に入ろうと思ったら止められたり。


「てめぇ、どこ見て歩いてるんだよ」

「は? わたしは貴族なんだけど、死刑にするよ?」

「なんだと!?」

「おやめください」

「どうして?」

「チッ、風紀委員最強がいるのかよ……」

「待ってよ、君は死刑なんだから」

「ダメです。マスターの意向ですので」

「……チッ」


 肩がぶつかってきたくらいでわたしに喧嘩を売ってきた下民を死刑にしたかったのに、間に入られて逃げられたり。


「そこの可愛い子、ちょっと良い?」

「何? 気持ち悪いんだけど?」

「そんな事言わずにさ」

「殴られたいの?」

「やめてください」

「風紀委員最強……チッ」

「舌打ちしたいのはこっちなんだけど」

「行きますよ」

「まだ殴ってない」

「マスターの意向です」

「……チッ」


 かっこよくもない醜い姿の男が話しかけてきたのに殴らせてもらえなかったり。

 本当に、ミロクの意向なのか、わからない。実は勝手な判断でした、なんて言われた方が納得できる。


「ぁあ、ホントにイライラするんだけど」

「仕事ですので」

「本当に? わたしが気に食わないだけじゃない?」

「マスターから承っている事を実行しているだけです」

「チッ」


 怒りっぽく言っても相手は毅然としている。

 気に食わない。平民のくせにミロクの部下になりやがって、平民のくせにわたしに指図しやがって、平民のくせに――


「ちょっとお花摘みに行きたいんだけど」

「公衆のお手洗い場でもよろしければ」

「……まあ良いや」

「仰せのままに」


 敬礼をしながらイノカミサキは言う。

 どうにかして撒きたい。こんなにも不自由であるなんて思ってなかった。

 でも、ミロクの部下だから手を出しづらい。もし手を出そうものならわたしが怒られる。ミロクの部下じゃなかったら大丈夫なのに。

 いろいろ考えていたら、人がほとんどいない住宅街にポツンと存在する公園に来ていた。そこにあるお手洗い場に、監視役を外で待機させながら、入る。


「汚いなぁ……」


 公衆のお手洗いはとても汚かった。こんな所で用を足すなんて、わたしでは絶対にできない。

 イノカミサキは、入り口で待っている。そして、中には個室が三個と、外と繋がる窓枠が小さく上にある。


「……バレないように、よし」


 慎重に、丁寧に、ジャンプをする。そうして、窓枠を掴んだ。

 汚い、でも今は気にしている場合じゃない。音を殺して、ゆっくりと窓を開ける。このサイズなら、ギリギリ通れそうだ。


「……完全に開かないようになってる」


 だけど、目論見が外れた。窓の上側がこっち側に倒れるようになっていて、外に出る事ができない。


「やはり、そうしますか」

「……入って来ないでよ」


 後ろから、イノカミサキの声が聞こえた。


「逃げようなどとは考えないでください」

「……もういいや」

「……まさか」


 咎めるように言ってきた監視役から逃れるために、窓を割って外に出る。そして、全速力で走る。


「待ちなさい!」


 後ろで、叫び声が聞こえた。

 速い、ただそれだけ。だけど、わたしの方がスピードは上らしい。だったら、追いつかれる事はない。


「……突っ切ろう」


 それでも不安は拭い切れなかったから、平民が無数にいる場所を目掛けて走る。

 ミロクの部下は細かい事にうるさい。なら、自分自身でそれに反する事はしないはず。

 障害物を退けながら進む。わたしの進む先にあれば吹き飛ばすし、壊す。一直線に走ればわたしの方に分があると思う。


「……逃げきれたかな?」


 急いで急旋回をして、隠れる場所を探す。

 良い場所があった。汚いけど、絶対に隠れないって思ってくれそうな場所。


「手段は選んでいられない。とにかく隠れてやり過ごさないと」


 排水溝の蓋を力づくで取って、中に急いで入る。そして、蓋をしなおす。

 わたしなら絶対にしないであろう所に身を隠せば、意表を突けるはず。


「……臭いけど、待機しておこう」


 臭いを我慢して、ここで身を潜めていた。


◇◇◇◇◇


「ったく、やってねぇのかよ」


 わかりやすく悪態をつきながら、騒がしい町を徘徊していた。

 相変わらず人も建物も多い大通り、娯楽施設がたくさんあるし、治安も悪いはずだったのに。


「こんな事なら勇気を出して誘って行けばなぁ……」


 ハジメっていう、あたしが好きな奴の顔を思い浮かべながら、溜息をつく。

 星谷一(ホシヤハジメ)、映画製作同好会というのは名ばかりで実質は映画鑑賞同好会のメンバー、そして双子の弟。『スター・ファイターズ』シリーズの大ファンである彼。トリアス州でリバイバル上映をやっているそれを見ようって誘っておけば良かった。時間には猶予があったし、あいつは優しいからきっと乗ってくれたと思う。

 だけど、勇気がなかった。何度か誘おうとしても、気恥ずかしくて誘えなかった。それを嘲笑うような笑い声が聞こえて、イライラする。


「……興が冷めたし帰るか」


 帰る、といってもエクシオ州に、だ。

 暇潰しにアカントに来たのは、地元帰りしていたから。夏休みに入って、幼馴染のカズラに帰って来いなどと言われて、渋々戻って来た。

 家族がいないあたしにとって、カズラがその代わりだ。


「せめて誰か喧嘩を売ってきてくれれば良かったんだけどな」


 アカントの奴らは腰抜けどもの集まりのようだ。

 道は広いくせに人が多くて狭い通りを歩いていく。意味がなくなってしまった制服のブレザーを脱ぎながら帰路につく。下は至って普通のTシャツで、エクシオ出身である事を示す物は何もない。


「もう吹っ切れて、あたしから喧嘩を売るか」


 辺りを見渡す。幸いにも、柄の悪そうな奴がいた。

 タトゥーを見せびらかしている奴、そいつにしよう。アカントに反社がいるのかは知らないが、喧嘩を吹っ掛ければ楽しめるかもしれない。カズラに怒られるとか、もうどうでも良い。

 バレないように、タトゥー付きの奴に近づく。そして、わざとぶつかった。


「おい、お前」

「なんだ?」

「……なんでもねぇ」


 ぶつかってから、最初は怒気を含んだ表情で話しかけられた。しかし、あたしを見た瞬間に、目を逸らされた。


「なんだよ、それはないだろ。何か用があって話しかけてきたんじゃねぇのか?」

「ほ、本当に何でもないんだよ。じ、じゃあな」


 逃がさないといった感じで服を引っ張ると、その手を振り払われてどこかに行かれた。

 明らかに、自分を怖がっている。足早に、その場を去って行った。


「チッ、腰抜けが」


 不満を吐きながら周りを見る。

 どいつもこいつも、気に入らない顔をしている。あたしをみて、怖がっている奴が多数だ。

 あたしから、とんでもないオーラが出ているらしい。


「……はぁ」


 楽しみを全て奪われて、大きなため息をついた。


 今度はカツアゲをしている奴を見つけた。


「ほら、金を出せよ」

「も、持ってないです……」

「あたしはめっちゃ持ってるぞ。喧嘩で勝ったらやる」

「……今日はこの辺にしといてやる」

「おい、逃げるなよ。金ならやるから喧嘩しろ」

「付いてくるな!」


 喧嘩を吹っ掛けようとしたが、全速力で逃げられた。


「あ、ありがとうございま……ヒッ」

「……チッ」


 何も知らずにお礼をしてきた奴を睨んでしまった。

 せっかくの喧嘩チャンスが逃げて、まるでクソを投げつけられた気分になった。


 今度は五人くらいの集団で一人を虐めている奴らを見かけた。


「ほら、悔しかったらやり返してみろ」

「そうそう、そんなんで惨めにならないの?」

「ひ、ひぐっ……」

「おう、あたしを混ぜろ。五対一で良いから喧嘩しようぜ」

「……今日はこの辺にしとこうか」

「賛成」

「逃がさねぇよ? 喧嘩しようぜ? 弱い奴を虐めるのか好きなんだろ? あたしも弱そうだろ?」

「は、早く逃げよ――ギャア!?」

「や、やめ……きゃあ!?」

「何してるんだよ! 足を止めるな!!」


 試しに二人、チャラい恰好をしている金髪の男女を蹴ってみたが、誰も仕返しをしてこないで全力で逃げて行きやがった。そんな様子はまるで意地汚いサルどもを見ているみたいだった。


「……ありがとう」

「……」


 ひ弱そうな、あたしと背が同じくらいの奴が礼をしてくる。

 それを無視して、あたしと喧嘩をしてくれそうな奴を探した。


「……あたしが喧嘩を吹っ掛け始めた瞬間、大人しくなりやがって」


 あたしの事を恐れて見始めたような周りの奴らに対して、興味を失った。


◇◇◇◇◇


「……そろそろ出ようっと」


 排水溝から抜け出して、周りを見る。

 とりあえず、監視は撒けたっぽい。どんよりとした住宅街、周りには人気がなくて、わたしだけが存在している。


「ふぅ。やっぱり監視はめんどくさいね」


 シオンが言っていた事、本気を出すだなんて言葉を思い出す。

 別に自分で手配したわけじゃないくせに、何を本気でやるのか気になるけど、確かにミロクは本気らしい。

 まったく、シオンもお茶目さんだ。手柄を横取りしようだなんて、レイブンとかクロウみたいに性格が悪い。


「だけど、逃げ切れましたよー、だ」


 いつもすまし顔をする性悪女を煽るように、声を裏返らせて言う。

 こういう事を本人に言ったら毒が延々とまき散らされるから絶対に言わないけど、普段はわたしを抑圧してくるシオンから解放されると気分が良い。例えるならライオンを逆に撃退したゼブラかな。


「やっぱり、自分自身が本気を出さないとね、アハ」


 それにしても、本当に気持ちが良い。上を向いたら快晴の空が視界を覆いつくす。

 わたしの嫌味な呟きが、空に消えていく。

 ふと、人の気配がした。ほんの少しだけ開けた場所、隣にはさっきとは別の公園があるような場所。気配の方向を向くと、さっきわたしに対して唾をかけてきた下民がいた。


「あはは、丁度いい所にいるね」

「お前、さっきの――」


 下民が言い終わる前に、手が出ていた。

 わたしが繰り出した拳は、下民の顔にヒットする。


「今からあなたを死刑にするね」

「い、いった……!?」

「わたしに危害を加えようとした罰だよ」


 手を握り締めて、さっきまでの鬱憤を晴らすために、思いっきり相手の顔を殴る。

 どうせ死刑だし、この人はもうこの世からいなくなるから、溜まったストレスを解消させてもらおう。


「クソが! ただじゃおかねぇ!」

「口を開かないで、もう終わりだから」

「むぐっ……!?」


 下民の口を塞ぐ。

 閃いた、絞首刑だ。首を絞めて、窒息させてやろう。貴族に逆らったのだから、当然だ。

 思いついたら即行動、左手で目の前にいる下民の首を掴んだ。


「あがっ……」

「良いね、それ。ほっっっんとうに……最高だよ。もっと苦しんだ顔をして」


 さっきまで目を見開いてこちらを睨んでいた下民が、水を得ようとしている魚みたいに苦しんでいる。

 気分が良すぎて、イってしまいそうだ。薬物中毒になってしまったお間抜けさん達もこんな快感を得ていたのかと思うと、途端に同情する。確かに、これはやめられない。

 これからは人に処刑を任せるんじゃなくて、自分自身で行う事にしよう。


「そろそろいなくなるかなー?」


 そうやって、気分よく死刑執行をしていた。


「おいおい、ダメだろそれ」

「……!?」


 そんな中、突如として足払いをされた。

 突然の事で対応できなくて転ぶ。そのせいで、下民をから手を放す羽目になってしまった。


「……っが、はぁ、はぁ……」


 苦しそうに息をする下民。地面に両手をついて、必死に息を吸ったり吐いたりしている。


「邪魔しないでよ、あなたも死刑にするよ?」

「おっと、お前はあたしが怖くないのか?」

「質問に答えて」


 質問に質問で返してきた、乱れた服装をした相手を睨む。腰には、エクシオにある中学校の校章が刻んである制服を巻いていた。

 ワイシャツは第二ボタンまで空いているし、スカートはアカント規定の丈よりも短い。いかにも下民ですと自己紹介をしているような恰好をした人に、わたしは邪魔をされて、頭に血が上っていた。


「死刑か……良いぜ。受けてやるよ」


 赤い短髪で、目つきが鋭い少女の下民が、不敵に笑う。

 そして、両手に一本ずつ棒を構えた。その棒は、光みたいな物を発していた。


「ただし、あたしに勝ったら……だがなぁ!?」

「!?」


 急に下民が消えたと思ったら、背中に強い衝撃が襲ってくる。


「いった……!?」

「お前硬いな! いい勝負を期待しているぜ!!」


 女性のくせに低い声で、相手は叫ぶ。

 痛い、痛い、痛い。

 相手が見えない。それだけじゃない、焼かれたような痛みが走る。


「ほら、どうした? 反撃してこいよ」

「……言われなくても!」


 挑発するような声に、とりあえず防御の姿勢を取る。しかし、全く意味を為してくれない。

 腕、足、背中、肩、焼き切られているような感触がどんどん全身に来る。

 どうすれば良いのかわからない。下民の赤髪少女がわたしに攻撃している事だけはわかるけど、それ以外が全くわからない。

 さっきの光を発する棒で切られている。それなのに、肝心な相手の姿を認識できない。だから、反撃のしようがない。


「あたしのスピードについて来れねぇのか!?」

「うぐっ……」


 大きくて裏返った声で、相手は罵倒してくる。

 痛みが積み重なっていく。このままだと、わたしがこの世から消えてしまう。それだけは阻止したい。

 体が悲鳴をあげている中で、頭をフル回転させて考える――スピードについて来れない――この言葉から、相手は目に見えない程の速さで攻撃している事だけはわかった。

 ただ、それがわかったからといって、状況は何も好転しない。


「はぁ、弱いな、お前」

「あがっ!?」


 急に目の前に、赤髪の少女が現れた。その少女に、顎を蹴り上げられる。

 勢いが凄いサマーソルトキックで、凄い勢いだった。そのせいで、仰向けに倒される。

 後頭部を含むわたしの後ろ側に強烈な衝撃がやってきた。


「チッ、期待外れだな」

「……はぁ、はぁ……」

「ほら、蹴り上げるぞ」


 そう宣言して、仰向けになったわたしの横っ腹を、相手は蹴り上げる。

 一度宙に浮いた後、横に転がった。五回くらい転がると、わたしはうつ伏せの状態になる。


「んじゃ、トドメだな」


 そうして、下民がゆっくりと近づいてくる。

 反撃をしたい。ここまでわたしに痛い思いをさせてきた下民の顔に、力いっぱいのパンチをお見舞いしたい。

 だけれど、身体が思うように動かない。どうにかして立ち上がろうとしても、痛くてできない。


「安心しろ、あたしは優しいんだ。あたしを殺そうとしたお前を殺そうだなんて考えてねぇ」


 近くに来て、わざわざ顔を近づけてきて、下民が言う。

 イラつく。自分の強さを否定されたような気がして、腹が立つ。だけど、同時に無力感も覚える。


「マスター・リン!!」

「おっと」


 不意に、わたしを呼ぶ叫び声が聞こえた。イノカミサキの声だった。

 目の前にいる下民を殴ろうとしたっぽい。だけど、下民は後ろにヒョイと飛んで、難なく避ける。


「大丈夫ですか!?」


 心配そうに、ミロクの部下はわたしの顔を覗き込んでくる。


「なんだ、知り合いかよ」


 しかし、下民の声を聞いて、立ち上がってからそっちに向いた。


「……ユーは何の目的でこのような事を?」

「喧嘩だよ。そいつから売ってきたんだからな」


 「なるほど」、サキがそう言った瞬間に、雰囲気が豹変した。まるで血気盛んなワイルドピッグが出現したような空気が流れた。


「ミーはマスター・リンの護衛だ。続きは、ミーとやるべき」

「言ってくれるじゃん。良いぞ。やろうぜ!」


 わたしと接しているときとは全く違う一人称で、ミロクの部下が下民と向き合う。


「ただし、根をあげるなよ!?」

「それはミーのセリフだ」


 そうして、部下は建前上の役割、わたしの護衛任務を遂行し始めた。


「……?」


 途端に、二人が消える。代わりに、風を劈くような音が聞こえてきた。

 戦闘が始まった、きっとそうだ。姿形が見えないのは、わたしの目で追えていないかららしい。


「ユー、中々やるな、何者だ?」

「エクシオ出身のスミアンズって奴だ! お前も強いな!」

「……ミーはイノカミサキ」


 風の轟音をすり抜けて、耳にそんな会話が入ってきた。

 わたしが手も足も出なかった相手に、ミロクの部下は互角に戦っている。


「……」


 苦しい、痛い、気持ち悪い、そんな感情が込み上げてくる。

 わたしは貴族で、誰よりも強い。誰もわたしに逆らおうだなんて考えないし、皆が素直に従ってくれる。

 権力、財力――そして暴力――わたしは全部持っている。これさえあれば、わたしは不自由なく暮らせる。わたしより強い人なんて、存在するはずがない。


「……」


 そのはずなのに、何もできなかった。

 気が付けば、頭が空っぽになっていた。


◇◇◇◇◇


「もっと楽しませてくれよ!」

「キャハハハハ!」


 さっきまでとは正反対に、相手は狂気的な笑いを発する。

 あたしの武器がレーザーソードだったら、相手はナイフか。両手に二本ずつ、計四本持っていて、それがあたしを斬りつけようと狙ってくる。

 イノカミサキ、だったか、ここまで強い奴はカズラ以外だと初めてだ。しかも、近接戦闘型。遠距離型のカズラとは違って疾走感があって、爽快感がある。


「オラァ!」

「カハハ!」


 最高だ、痛快だ、天晴だ。全てがあたしの心を満たしてくれる。

 さっきまでのクソみたいな気分が吹き飛んだ。自分より弱そうな奴を襲っている奴に声をかけても逃げられていた鬱憤が、あたしに怖気ついて逃げていくクズどもに対する怒りが、滝みたいに外に流れていく。

 そうそう、この感覚だ。チーターの全速力よりも速い、ダチョウの免疫力よりも強い、センザンコウの鱗よりも固い、そんなあたしの心が弾けてしまいそうなくらいに、気分が良い。


「もっと、もっと……お前をぶちのめしてやるよ!」

「キエェェェェェェェ!!!」

「ウオラァ!!」


 あたしの叫び声と共に、相手は奇声をあげる。

 金属すら切ってしまうくらいのレーザーソードでも切れないナイフ、それは持ち主と共鳴しているかのように硬い。何度叩いても防いでも、刃こぼれする様子を見せない。

 相手も同じだ。手とか足にレーザーを当てても、貫けない。焼き切る事が全くできずに、止めてくる。


 ナイフが突き立てられても、身体はむしろ反発するくらいに硬くなる。

 楽しい、楽しい、すっごい楽しい、近接戦闘で互角な奴と戦うと、こんなにも体が熱くなってくるのか。さっきの腰抜けども、エクシオとトリアスの貧弱どもにもこれを味合わせてやりたい。きっと覚せい剤を決めるよりハイになれる。


「……くはは、中毒になっちまうなぁ!」

「ケケケケケケケケケ!!!」


 相手はあたしのレーザーソードを当たる覚悟で突っ込んでくる。それを向かい撃つように、あたしは直接蹴りを入れる。

 脳天に蹴りが入っても、相手は逆に目を見開いてこちらを見てくる。そして、ナイフで足を切り刻んでくる。

 痛い、痒い、くすぐったい。癖になりそうだ。


 さっきの大きな町に来たらしい。

 巨大なショッピングモール、高いビル、それらがあると言う事は、人もいるって事だ。しかし、気にならない。

 目の前にいる強大な敵に、他人がどうでもよくなってくる。声は聞こえないし、周りに人がいる感じがしない。


「これでも食らいな!」


 大きなビルを切り刻んで、その中の瓦礫を相手の方向に蹴り飛ばす。

 相手はしなやかに避けて、こちらに突っ込んできた。面白い。


「ヒャッハー!!」

「まだまだ行くぞ!!」


 あたしと相手の叫び声が響く。この気持ちの昂りは、誰にも止められない――カズラを除いて。

 町を縦横無尽に駆け回り、破壊の限りを尽くす。


「……あ?」

「……?」


 不意に、横槍が入れられた。

 威力の高いミサイルが近くで着弾したらしい、その爆風に当てられて、あたしと相手は吹き飛ばされる。


「なんだ?」

「……マスター」


 ミサイルが飛んできた方向を見る。

 黒い衣装を着ている数人と、その周りを囲む多数の白い服の人がいた。


『そこのお二方、手を挙げなさい!』

『親を待つ子ラビットみたいにじっとしていてくれ』


 カラスみたいな声で、メガホン越しに二人の黒服が言った。

 黒い衣装、確かキゾクって奴が着ていて、そいつには喧嘩を売ってはいけないとか、そんな事はどうでもいい。


「うるせぇ! 邪魔すんな!!」

『君がシャキマキカズラの知り合いという事は知っている。穏便に済ませたいのなら、来ると良い』

「カズラがどうしたってんだよ!!」


 目が悪くなりそうな毒の色である長髪を持っている黒服が言った事に、とりあえず言い返す。


『おや、強気だね。それなら、連絡しても良さそうだ』

「待て、悪かった。やめてくれ」

『なら、素直に両手を挙げると良い』


 カズラにチクられると思ったら、無意識に武器をしまって両手を挙げていた。

 さっきまで戦っていた奴を見たら、既に両手を挙げていた。


『……では、拘束してください』

『暴れないように。もし暴れたら……わかるね?』

「……」


 白服の奴らが、あたしを拘束した。

倫理観が終わってた。

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