全てを持っている女
二話目
「ほぇー、面白そうなのがやってるんだね」
戯曲『ギムレット』のあらすじが書いてあるポスターを見て、思わず呟いた。
ギムレット、あらすじには一人の女性が元婚約者に復讐する話と書いてある。純粋に面白そうな物語で、興味が湧く。
「凄いなー、長い列もできてる」
劇場の入り口から形成されている列を見て、気になってきた。
角を曲がって列の尻尾を見つけようとしても、全く見えない。老若男女を問わず人がいて、わたしでも楽しめそうな劇である事を確信する。
試しに、スマートフォンで調べてみた。すると、今大注目の作品らしく、映画化も検討されているらしい。
「よし、見よう」
暇潰しに丁度いいと思ったので、先頭の列に割り込むために、お金を用意した。
「ねえねえ、そこの人。ちょっと良いかな?」
「あぁ、なんだよ」
先頭に並んでいる、いかにも下品な風貌をした女の人に話しかける。
黒いサングラスに、短く黒い髪、まるでペンキが飛んできて濡れたかのようにカラフルな服、下着が見えてしまいそうなスカート、この人は本当にこの劇場に入るつもりなのか。
ここは下町と言われる場所で、こういう下品な輩はたくさんいる。それが原因だからなのか、並んでいる人もドレスコードを満たしていない人ばかり。その中でも先頭の人は群を抜いている。劇場の方も、重厚感がないコンクリートの壁で、安っぽい。こんな劇場が豪華に見える程に、下町は汚い印象。
「うーん、百万を出すから、先頭を私に譲ってくれない?」
満面の笑みを浮かべて言う。
「は?」
「良いよね?」
相手は、わたしの言葉が理解できていないらしく、変な声を発した。
理解力のない相手はめんどくさい。下品で、学がなくて、いかにも犯罪を犯しそうな顔をしている下民に、わざわざ話を合わせないといけない。とんでもない苦痛だ。
「いや、ダメに決まってるだろ。昨日の夜から並んでるんだから」
信じられない言葉が返ってきた。
こいつ、わたしのことを知らないらしい。『チトラリン』という、崇高な『パレオセネ派』の首長の娘で、全てを持っている女の事を知らないなんて、常識が疑われる。
「えっと、もしかして理解力がない?」
「うるせえ、ここはあたしのモンだ」
「は?」
譲らないと言った態度で、強めに口答えをしてきた下民が腹立たしい。
全く、これだから下民は困る。頭が悪くて、自身の立場をまるで理解していない汚物のような存在、視界に入るだけで眩暈がする。
「わたしは貴族だよ? パレオセネ派の首長の娘であるチトラリンだよ? 自分の立場を理解してる?」
相手を服従させるために、冷静を装って淡々と言葉を吐いた。
この頭が悪い人類を早く救済してやりたい、そんな気分だ。
「知らねぇよ」
「何? あなたは頭がおかしい人なの?」
唾みたいに言葉を吐き捨てられて、心に激しい炎が灯る。
やはり、下町に来たのは間違いだったらしい。こんな下水道みたいな場所は貴族であるわたしにとって、全くの無縁な場所だ。好奇心から来てみたけど、失敗した。
「ケゾクやらなんやら知らねぇけどよ、列には並んだ方が良いぜ? 後ろを見てみな」
得意げに言われて、列の後ろを見る。
「……何、その目」
そして、不愉快な気分になった。
列に並んでいる大勢の下賎な輩が、わたしの事を睨みつけていた。
「早く後ろに並びな。お前の味方なんぞ誰もいねぇからよ」
頭にガンガンと響いてくる不快な声を聞いて、気分が最悪だ。
自分は貴族なのに、優遇されるべき存在なのに。ここにいる奴らは全員、無能。
お間抜けな下民どもに対して真面目に対応するのが間違いだった。
「……チッ」
「おい、何をしてるんだ?」
思わず舌打ちをして、右手を空に高く突き上げた。それに疑問を感じた声を無視する。
目を閉じて、宇宙を感じる。惑星や隕石の軌道が手に取るようにわかる。
「何をしてるかって訊いてんだよ!!」
無視された事に腹を立てたらしい下民が、汚い手で胸ぐらを掴んできた。だが、どうでもいい。
何か、この劇場を崩壊させられる物を落としてやらないと気が済まない。こいつらにわたしの恐ろしさを知らしめて、逆らった事を後悔させてやる。
「はあ、気持ち悪い。汚らしい手で触んないでくれない?」
「はぁ?」
間抜けな声が聞こえた直後、豆粒くらいの隕石が劇場に激突した、と思う。
鼓膜が壊れそうになる轟音が鳴ったかと思いきや、肌を突き破りそうな暴風が吹く。プラナリアくらいの小さな隕石でも、凄まじい速度でぶつかれば威力は十二分だ。
「――は?」
目を開けると、うるさい下民の呆気ない顔が写った、痛快だ。
ほんの小さなの隕石でも、威力は十分だ。目論見通り、劇場は大破して、コンクリートの破片が飛び散っている。
「な、何が起こった!?」
「きゃあ!?」
さっきまでわたしの事を睨んでいた人類どもが、愚かしく叫び声を上げ始める。
愉快で素晴らしい光景が広がっていた。みすぼらしい劇場は崩壊を始めて、愚民どもは逃げ惑う。わたしに逆らったお間抜けさん達は、その愚鈍を後悔するはずだ。
「てめぇ! 何をしやがった!!」
声を荒げて、こちらを睨みつけてくる下民。今にもわたしの事を殴りたそうに、右手で拳を作っていた。
「言ったでしょ、わたしは貴族だって」
「この……!」
得意げに笑って、このお調子者を煽る。心がとても軽くて、今なら泥水を被っても、ハエのついたご飯を渡されても、許せそう。
「逃げた方が良いよ。あれ、今にも崩壊しそうだし、というかもうしてるし、危ないよ?」
「クソが!」
自身の置かれている状況を無視して、下民が殴りかかってきた。
顔に、小さな衝撃が伝わってきた。あまり痛くはないけど、煩わしい。
「へぇ、殴ってくるんだ」
「なんだ、やるのか?」
「貴族に拳を振った君は、もう普通には生きられないよ」
「てめ――」
喧嘩を吹っ掛けてきた下民に、右手で平手打ちをした。すると、掴まれていた胸ぐらが解放される。
愚者が目の前にいたはずなのに、いない。ゆっくりと左の方向を見ると、うつ伏せに倒れていた。
「あはは、滑稽だね」
下民に近づいて、屈む。そして、耳の前で呟く。
「な、な……?」
愉快な声を出しながら、下民は震える。表情が見えないのが非常に勿体ないので、両手で頭を持ち、こちらに向けてみる。
「面白い顔してるじゃん、キャハハ」
思わず変な笑いが出る程、下民は面白い表情をしていた。
平手打ちをした頬は赤く腫れあがり、痛々しい。目が赤くなっていて、涙が出てきそうになっている。
最高な気分だ。こんなにも楽しい事は、あまりない。
「追い打ちをかけてあげるね」
そう言って、今度は口辺りを、握った拳で殴る。一応相手の意識がなくならないように手加減をしているけれど、果たしてどうなるんだろう。
下民を葬ったところで、わたしは罪に問われない。わたしに逆らう者は、必ず粛清される。
「あ、あぅ……」
「間抜けな声だね、楽しくなってきちゃった」
しばらく、下民の事を殴ったり蹴ったり、遊んでいた。
◇◇◇◇◇
「……それで、下町の第二地区を破壊し尽くした、と?」
「破壊し尽くしてはないよ。劇場を破壊した後にいろいろ遊んだだけ」
わたしの幼馴染、カラミミロクが自分を咎めるように言ってきたから、訂正する。
「その遊んだという部分が破壊し尽くしたという事だよ」
「まあ、そう言われるとそうだけど、印象が悪いじゃん」
わたしの”遊んだ”という表現に対して修正するように、友達であるシダシオンが淡々と言った。
アカント女子学園の生徒会室、白くて丸いテーブルが真ん中にあって、それを囲うようにチェアが三すくみで並んでいる。わたしから見て右手側にミロクがいて、左手側にシオンがいる。
「破壊を遊ぶと表現する方が印象悪いと思うのですが」
「そうかな?」
「……ふぅ」
「君って奴は……」
ミロクが心を落ち着かせるかの如く息を吐き、シオンは呆れたように言葉を呟いた。
何かおかしい事を言ったらしい。だけど、よくわからない。
「とりあえず、一度整理をしましょう」
「そうだね」
二人はそれぞれテーブルに置いてあった自身のノートパソコンを開いた。
「えー、ミスター・リンが行った事――まずは大きめの劇場を破壊し、戯曲『ギムレット』を公演する予定であった関係者方に大規模な損害を与えました」
「その後、リンは暴走して、近くにいた多くの百姓達が病院に送られた」
「賠償金はもう払ったよ。それに、誰もいなくなってないからめんどくさい事は起こらないし」
「……」
「はぁ……」
まるでそういう事を言いたいのではないという雰囲気で、二人は額に手を当てる。
確かに、あの劇場で公演をするはずだった関係者の人達には悪い事をしたと思うけど、お金は払った。それに、シオンが言った百姓、要するに下民どもに対しても病院にいけるようにいろいろと便宜を図ってあげた。
わたしは間違った事を何もしていない。
「全く、二人は下民どもを心配しすぎなんだよ」
「いや、百姓というのはね――」
「知ってる、わたしを含めた全ての人の事を意味するって。でも、あそこにいた人達はみんな汚い人だったから」
「……」
ついには、二人が黙り込んでしまった。
ミロクは、テーブルにあった紅茶の入れていないカップを右手で持って、口に近づけた。一方シオンは、顔をこちらの方に向けながらも視線は窓の外に向いていて、遠くを見つめている。
「どうしたの? わたし、何か変な事言った?」
よくわからなくて、思わず質問した。
「……君はあと半年で卒業だ、大人になるんだ。だがこのままでは、淡水魚が海に出るようなものだ」
「?」
質問によくわからない例え話をされて、思わず疑問符を浮かべる。
「まあ、時期にわかるよ」
視線をこっちに向けて、つまらない真顔を作って、静かにシオンは言った。
シオンの例え話はわかりづらい。本人はセンスがあるなんて思い込んでるらしいけど、欠片もないと思う。
「淡水魚……アユとかでしょうか?」
「サーモンも捨てがたいよ」
「サーモンは海水魚じゃないのですか?」
「まあ、部分的にはそうだね」
「機会があったら焼きますよ」
「……」
諦めたかのように、二人はお魚の話を始めた。
◇◇◇◇◇
「……ミスター・リンも困ったものですね」
呆れ、さながら強風にさらわれたネズミみたいな雰囲気で、ミロクは紅茶の入ったカップを持って啜っていた。
夜遅く、洒落た雰囲気であるミロクの部屋、部屋の中央に位置する座高が低めのテーブルに合わせるように、はしたなく座って夜更かしをする。気分は砂漠のスコーピオンと言ったところか、誰にもバレないように静かに動く。
「そうだね、まるでタイガーみたいだ」
「というと?」
「簡単に言うなら、力に溺れている強者、といったところかな」
「なるほど、確かにそのイメージはありますね」
私の表現に、親友であるミロクが納得するように頷く。
タイガーが力に溺れているのか、それを判断するのは難しい。だがリンを表すのなら、適切であると思っている。
千に虎と書いてチトラ、そして凛と書いてリン、それが『パレオセネ派』代表の娘、千虎凛である。腰まで伸び、鮮やかなピンク色をした、しっかりと手入れされているストレートな長い髪を持つが、それを結んでいるところは見た事がない。
青い虹彩に、真っ黒な瞳、その目は大きく開かれる事がなく、いつも見るもの全てを見下している。リン自身の親、私とミロク、その他の人類を例外なく全員心の底から見下ろしているつもりなのだろう。
「小さい頃には既に、大人にすら勝ててしまう程の力を持っていました。それに親の権力にしがみついて、いろいろ好き勝手やっていましたからね」
「想像に難くないね」
「甘やかされて育っていますから、誰にも手をつけられなかったのは事実です」
目を細めて、とても寂しそうにミロクが言った。
「厳しく律された私とは正反対だ」
それを励ますように、それでいて批判にならないように、慎重に言う。
ミロクは手に持っていたカップを置き、印象的な大人しい紺色の肩まで伸びた髪をいじる。カップには紅茶が半分くらいの量が残っていた。
「……私も、甘やかされて育てられましたからね」
「それにしては育ちが良いようだが」
「ふふふ」
私の毒を含んだ言葉に、ミロクが意味あり気な、歪みのある笑みを浮かべた。
それが私自身に向けられるのは久しぶりだ。一年生の夏に仲良くなったときから見てなかったので、懐かしさを覚える。
「君は、あの幼馴染が本当に好きなんだね」
「あなたは嫌いですか?」
「それをわざわざ訊くのかい?」
「本当に、ミスター・シオンは性格が悪いですね」
「君もだろう、ミロク」
再度、紅茶の入ったカップを持ち、ミロクは口に近づける。
私も釣られて、紅茶の入った白いカップを右手で持って、飲む。あまり紅茶を飲む事がないのでよくわからないが、味は美味しいと思う。
さっきの歪んだ笑み――といっても私の所属する派閥である『ミオセネ派』以外は気づけないと思うのだが――それとはうって変わってわかりやすい程の不敵な笑みを浮かべて、ミロクは私の顔色を窺っている。
「……彼女は、近いうちに痛い目を見る」
「それは、見たのですか?」
「ああ、つい昨日ね」
「なぜミスター・リンに言わなかったのか、教えてもらえますか?」
カップを置いて、先日に見た事について、内容を伏せながら言った。すると、ミロクが問い詰めるかのように訊いてきた。
「言っても無駄だろう?」
「……確かに、聞く耳は持たなさそうですね」
簡潔に返すと、納得したようにミロクがカップを置いて、目を閉じた。
今までの事を思い出すかのように、自身の紺色の髪を右手の人差し指に巻きつけながら、ミロクは静かになる。彼女は何かを思い出すときに、必ずこの仕草をする。
心なしか、険しい表情をしているような気がする。まるで人間に触られてしまった自身の仔を見たラビットみたいで、苦い思い出が多いのだろう。
「リンは傲慢でわがままだ。困ったときはすぐに金と権力に頼り、それで何とかできないときは暴力に頼る。それは民衆だけでなく、我々貴族に対してもだ」
「ミスター・リンはそれで全てを解決してきました。賄賂と圧で警察を買収し、盾突く人は瀕死の状態にまで追いやる。こんな人がトップになってしまったら、アカント州は独裁政権になります」
「ああ、そうだ。だから、変わる必要がある」
私の言葉に続いて、ミロクは重々しく呟いた。
「……痛い目を見て、変わる事を祈ろう」
「私やその他の身近な人、誰がなんと言おうと、変わらなかったのに――」
目を開いて、諦めたようにミロクは呟いた。
この先に言いたい事はわかる。私も同じだ。しかし、何とかなってもらうしかない。
私が見たのは、リンが酷い目に遭う事だけだ。その先の事は全く見えていない。だから、どうなるのかわからない。
「願うしかないだろう?」
「……期待はしません」
「私は期待するよ」
少し笑みを浮かべて、自信満々に言ってみせた。
ミロクは黙ったまま、また紅茶の入ったカップを持って、表情を一切作らずに飲み始めた。
◇◇◇◇◇
「ふぅ、寝よっと」
わたしの部屋にある豪華なベッドに寝っ転がりながら、思わず呟いた。
特に何かあるわけでもない部屋、置いてあるのは勉強用のデスクとチェア、ベッド、衣服を入れているドレッサー、ブックシェルフくらいだ。壁紙もカーペットも白色で、特に絵柄はない。
かわいい物を置いてみようと思い立って、机の上にひよこのぬいぐるみを置いた。それがこの部屋の特異点って感じ。
「今日は疲れたなー」
返ってこない事がわかりきっている独り言を呟きつつ、目を閉じる。
『君は変わるべきだ』
紫色の肩に少しかかるくらいに伸びた長い髪、黒い瞳孔を囲む黄色い虹彩、そんな特徴を持つ友達であるシオンの顔とともに、言葉が頭に響く。
「……どういう事なんだろ」
変わるべき、その意図が理解できない。
シオンは、本当に何を言っているのか理解できない。あの女、と言ったら嫌いだって思っているみたいだけど、そう表現したいくらいにはよくわからない。
『下民なんて、貴族が使って良い言葉なんかではないよ』
そんな事を言っていたような気がする。
変わるっていうのは、下民という表現を変える事であるのか。
「……まあ、違うよねー」
今までの態度からすると、下民と貴族を同列に扱え、という事なのだろう。
嫌に決まっている。貴族は尊い存在で、下民は汚らわしい存在だ。区別があって当然で、取り払ってはならない。
「はぁ、本当にシオンはおかしいな……」
『そろそろ成長しましょう。でないと、後戻りができなくなります』
「……ミロクもか」
穏やかな表情をしながらそう言うわたしの幼馴染の顔が思い浮かんだ。
変化と成長、言葉は違うけど、大体ミロクはシオンと同じような事を言ってる。
「二人の事、よくわかんないかも」
頭で二人の事を考えながら、無意識に言葉を吐いた。
しばらくした後、意識がなくなった。
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