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テロム  作者: 冷凍御飯
オーバーワールド
14/22

虫取り

 夏といえば、虫だ。とは言う物の、エクシオは年中夏みたいなものだから、表現としては間違っているような感じはある。

 今現在、テロム国の中心はテロム州だが、ひと昔前はペルム州であった。世界はペルムを中心に回っており、カレンダーの表記も、時差はあるが合わせられていた。もちろん、今でも続いている。


「ここがアカントの森か」


 俺、つまるところエノモトケイ様は、訳があってアカント州の北部にある森へと赴いていた。

 事の発端は、コミハルカという少女のわがままだった。


『クワガタさんを捕まえたい!』


 無邪気に、甘えるように、エクシオ学園の生徒会で叫んだハルカ。

 急にクワガタに興味を示し、捕まえたいなどと言われて、虚(きょ)をつかれたのだ。しかし、エクシオは大草原があるものの森林に乏しく、一番近くにある森林というのがアカントであるから、最初は断っていたのだが、


『いや! 何とかしてよ!!』


 強情に言われてしまったために、行かざるを得なくなってしまった。

 そこで、最近仲良くなったアカントのコミハルナという女に相談してみたら、


『私が案内いたします』


 自分と一緒に行こうと誘ってくれたので、今に至る。

 月が出かかっていて、既に闇が広がっているが、今から俺達の虫採集が始まる。


「はい。スタグビートル……クワガタさんがたくさんおりますよ」

「ほんと?」

「本当です」

「やったー!」


 自身の欲求を通せた事が余程嬉しいらしい、金色の髪を翻しながら、手を挙げてハルカがはしゃいでいる。

 虫が好きな年ごろであるハルカは、来る前にクワガタが止まる木について調べており、恰好も虫取り網と麦わら帽子、そして半袖長ズボンという、いかにも虫取り少女な姿である。虫よけスプレーも持参していて、意気込みばっちり、と言ったところか。

 虫取り少女の方は全く問題がないのだが。


「どうして私まで……」


 とてもダルそうにしている俺の幼馴染には問題が大ありだ。

 コツナチヨ、ハルカが慕っている先輩であり、俺の一個下の女。このケイ様にとっては妹分であり、こいつにとって俺はただの便利な盾である。

 紫色のウェーブがかった長髪に寝ぐせがついている。さっきまで寝ようとしていて、ハルカに叩き起こされたのだ。


「嫌がっているんですね。なら来なければ良かったのに」

「お前がいるのに行かないわけないだろうが」


 普段は礼儀正しいチヨが暴言を吐いている女は、確かキョウドウヒヨリという奴だ。チヨと違ってオレンジ色の長髪を結っている。この間見た時は絹みたいな綺麗な髪と表現できるくらいのストレートな髪型だった。余談だが、チヨの方はモップという表現がしっくりくる髪型だ。

 この二人、一人の男を奪い合っているらしく、とても仲が悪い。正直な話、連れて来たくなかった。

 しかし、


『チヨ先輩も行くの!』

『ハルカの頼みでも厳しいです。そもそも私、虫が苦手で……』

『むー! ならヒヨリ先輩に構ってもらうもん!』

『行きます』


 どうしても連れて行きたいとの要望で、チヨを半ば強制的に連れて行く事となった。

 ハルカは、自身が愛されている事を知っている。そして、純粋なフリをして、意外と人の関係性というものをしっかりと確認している。

 だからこそ、チヨが嫌いな奴の名前を出す事によって、重い腰を上げさせる事に成功した。とんでもないやり手だ。


「本当ならエミ先輩とマリカ先輩にも来てもらいたかったのに……」

「予定があるなら仕方ないだろう」

「エミ先輩は良いけど、マリカ先輩は絶対に違う!!」


 ハルカは大きく声を出した。


「マリカは私が締めておきますので」

「約束だよ」

「任せてください」


 ハルカはチヨを操るのが上手い。忠実なるしもべみたいに言っている姿に、満足気な様子だ。

 マリカというのは、マキナマリカという奴だ。簡単に言うなら、ハルカが最も操れない、マイペースで自由な女。まあ、今この場にいないのならどうでもいい。


「それは良いが、お前は虫を見る事すら困難だろ」

「黙っていてください」


 俺が漏らすと、チヨがハエを叩くように言う。


「ふーん?」

「くっ……」


 それを、ニマニマとしながら、キョウドウヒヨリが覗いていた。


「ヒヨリ」

「何ですか、シスター・ハルナ」

「嫌そうにしていたのはあなたも、でしょう?」

「私は虫が嫌いではなく、あなたに無理矢理連れて来られた事に腹を立てているだけです」

「なんだか、最近は私に対して当たりが強くなっていませんか?」


 ハルナが咎めると、キョウドウヒヨリが口を尖らせる。

 この女、おそらく性格が悪い。俺が会ってきた中で、シャチマキカズラというクズ女くらいには性根が腐っている気配がする。言葉では言い表せないが、そうとしか思えない。

 身なりを整えているというのは、仮面を被っている証であるのかもしれないと、キョウドウヒヨリを見て感じられる。


「ミセス・ケイ、私に何か御用でも?」


 目を吊り上げて性悪女を睨んでいたら、声をかけられた。


「……お前を何て呼べばいい」

「気軽にヒヨリで良いんじゃないですか?」

「……なるほど。お前の苗字はキョウドウとかだったな」

「そうですが」

「ならキョウドウだ」

「なぜ?」


 小首を傾げて、理解不能であるという事を示すキョウドウ。俺の隣ではチヨがクスクスと笑っているが、無視だ。


「早く中に入ろ!」

「虫よけは使いましたか?」

「かけて!」


 ハルナが、虫取り少女ことハルカに虫よけスプレーを慎重に吹きかけている。半袖長ズボンの彼女らが虫よけスプレーを吹きかけるのは当然と言えよう。

 隣を見ると、緑色のローブを身に着け、さらに極力肌を出さないように覆面マスクまで被ったチヨが、身体に悪影響がありそうなくらいにスプレーを噴射していた。大丈夫なのか、こいつ。

 一方で、その敵対者ことキョウドウはそんなに焦っている素振りを見せていない。長袖長ズボンで動きやすい恰好、そして麦わら帽子を被っており、虫を怖がっている雰囲気がない。


「かけすぎだと思います」

「黙ってろ」

「というか、森を歩くのに草木に引っかかりやすそうな恰好をするのはどうなんですか?」

「ちょっと殴らせてください」


 無言で嫌いな女を睨むチヨだが、覇気はない。つまり図星だ。


「チヨ先輩、森にいる間は近づかないでね」

「……へ?」


 溺愛しているハルカからの死刑宣告。顔は隠れているのに、推しの女優が難病にかかって余命宣告を受けた時みたいな表情が見える。


「そんなに虫よけスプレーかけてたらクワガタさんが来なくなっちゃうじゃん!」

「……」


 声帯を失い、両膝をついて、さらに手を地面にくっつけ、項垂れるチヨ。なんか、交尾を拒否されたハシビロコウみたいな虚しさがある。


「ぷくく……」


 こんな無様な姿を、サルみたいな顔をしながらキョウドウは見ている。

 ライバル関係みたいなものだと自分に言い聞かせてきたが、現実を直視すると目を背けたくなるものだ。こんな醜い関係を直視される身にもなってくれ。


「わ、わ、笑うな……」

「そうですよ。聖堂会の一員として恥ずかしいです」


 掠れた声で言い返すチヨ。そして、ハルナが庇う。


「確かに滑稽で面白いですが」

「アッハッハ!」


 庇った直後に爆弾を背中から投下して、部下が爆発する。

 今更だが、こんなメンツで大丈夫だったのだろうか。せめて、男のエミでも連れてくれば良かったかもしれん。


◇◇◇◇◇


 夜の森は真っ暗で、光は必須だ。家にあった懐中電灯では足りるのか不安だったのだが、光量自体には問題ない。


「け、ケイくん、はな、離れないで……グスッ」


 泣きじゃくりながら、学校での呼び方ではなくプライベート状態のチヨが俺に抱き着いていた。

 ただでさえ真っ暗な森の中でこの状態は歩きづらいのだがが、幼馴染モードになったチヨ(こいつ)はどいてくれないだろうから我慢する。


「クワガタさんどこー?」

「死骸とか、わずかな痕跡を見逃さないようにしましょうね」

「うん!」


 前方では、キョウドウとハルカが手を繋いでいる。ハルナはチヨとは逆の位置にいる。

 懐中電灯を五つ、人数分持って来ているのだが、俺に抱き着いている幼馴染は持つ事を放棄していて、サボりだ。しかも、怖がっているのではなく、嫉妬で気が狂っているだけ。質の悪い奴め。


「ミセス・ケイ、歩けますか?」


 ハルナがこちらを向いて心配をしてくれる。

 俺と同じく長い銀髪で、今日は結ってありポニーテールとなっているのだが、普段はそのキレイな髪を腰辺りにまで伸ばしていて、黒くキレイな瞳に整った顔たち、そして女性にしては長身である背丈。コミハルナという女性に、俺は惚れている。


「慣れてるから大丈夫だ」

「その、良かったら私が代わりに」

「それだとお前が歩きにくいだろう」


 そんな女性からの珍妙な提案に、俺は頭が宇宙になりかける。

 今まで引き剥がそうっていう提案はあったのだが、状況を引き受けるなどという案は出た事がないどころか、思いついた事がない。というか、代わりにってなんだ。


「私は大丈夫です。夜目も効きますし」

「そういう事ではない」


 あまりにも頓珍漢だが、ハルナはいたって真面目らしい。こちらを案じている。

 思わず空いている手で、自分の結ってある銀髪の結び目を握った。なんて反応したらいいのか、全くわからない。


「ケイくん、離さないで……」

「……まあ、こういうわけだ」

「なるほど」


 俺とハルナが代わる事に拒否反応を示すチヨ。それに納得して、ハルナは下がる。

 チヨめ、腕への抱き着きを強くしやがって。俺は自身の誇りを捨ててまで一目惚れした女にカッコイイところを見せたいというのに、邪魔だな。


「いや待て、ハルカとキョウドウはどこ行った」

「あら、いつの間にかはぐれていますね」

「なぜだ!?」


 気が付いたら、手を繋いで歩いていた二人組が消えていた。

 夜の森、何が起こるかわからないという異界、そこではぐれるというのは、シマウマがライオンの群れに突っ込むようなものだろう。一刻も早く捜さなければ、最悪の場合食われる。

 ハルナの目つきが鋭くなった。


「ふん。ハルカなんてもう知りません。あのオレンジ女に食べられてしまえば良いんです」

「いつまで拗ねてるんだ、早く捜すぞ」

「わかってますよ」


 口を尖らせながら、チヨは溺愛しているはずのハルカに不満を漏らす。

 あの髪色オレンジ女、紫女ことチヨをここまで機能不全にするとは、中々やるな。アカントの女というのは、やはりハルナ以外は性悪という事か。


「連絡して、出るか確認します」

「オレンジ女が電話に出る保証はあるのか?」

「あの子は確かに性格が終了しておりますが、安全管理は完璧なので大丈夫です」


 さらっと爆弾を投下して、ハルナはスマホを取り出して電話する。

 案外、すぐ繋がったらしい。


「ヒヨリ」


 笑顔、そう笑顔。それなのに雰囲気は間近にいるサイ。恐ろしさが天元突破した声が暗闇に響く。流石ハルナだ、美しい。


「あなたが手を繋いでいたのでしょう。それなのに責任転嫁は感心しませんね。帰ったらお説教ですね」

「ヒィ……」


 チヨの抱き着きが強くなり、苦しくなってきた。それと共に、懐中電灯がチカチカと点滅し始める。


「今回は仕方ないですが、次はありませんからね?」


 それにしても、その圧はどうやって出しているのだろうか気になる。後で訊いてみよう。

 この上司がいるのなら、いくら性根が腐っていても従わざるを得ないだろう。素晴らしいぞコミハルナ。流石俺が一目惚れした女だ。


「ふぅ……」


 ハルナが電話を切った。それと同時に、懐中電灯が直る。


「どうやら、そちらのミスター・ハルカに連れられて走ったらしいです」

「そうだったのか。すまないな、よく言っておく」


 ハルナが言ったので、謝罪の言葉を入れる。

 ハルカめ、夜の森の危険性をよくわかっていないのか。それとも、そういう本能がないのか。いずれにせよ、しっかりと教えないとならんな。気を引き締めて、森を徘徊しよう。


◇◇◇◇◇


 最悪だ。今日は大陸が分裂する日だ。


「どうしたのー?」


 この、何も知らなさそうな、確か名前がコミハルカと言ったか、その幼女が私の手を引いて走り始めた。

 それだけなら良かったのに、後ろにいた三人はそれに気が付かれていない。声を大きく張り上げたはずなのに。こんな真っ暗闇の森で、はぐれてしまったら命の危機だって出てくるだろう。


「あなたが暴走した結果、皆さんとはぐれてしまいました」

「……ご、ごめんなさい」


 素直に謝ってくるが、許せないので殴ってやりたい。

 無責任に謝罪の言葉を述べるくらいなら最初からするな。親とか先輩の教育はどうなっている。


「過ぎた事は仕方ありません。夜の森は大変危険ですので、足元に気を付けてくださいね」

「……うん」


 私の問いかけに、幼女は元気なく答える。

 もしかして、子どものくせに罪悪感を覚えているのか、生意気だ。

 だけど、そんな事がどうでもよくなるくらいの事が、シスター・ハルナによる説教だ。私のせいじゃないのに、理不尽に怒られる。気が付かなかったのはお前だよって言ってやりたいのだが、恐ろしくて無理だ。

 とにかく、安全第一を考えよう。失敗を引きずっていても仕方ないので、周りを見渡してみるか。

 ふと、近くの木の根元に視線がいった。


「おや、クワガタの死骸がありますね」

「ほんと!? 近くにいるって事だよね!」

「おそらく。多分、この木かと……」


 懐中電灯の灯りを当てた先に偶然クワガタの死骸があり、見上げてみる。

 目論見は的中、大きめのヒラタクワガタを含めていろいろな昆虫がいた。


「いた!」


 子どもがはしゃいで、網を振り回す。

 意外に早く見つかった。一頭も見つからないという空回りが起きなくて良かった。


「なるほど……」


 周りは真っ暗で、ここがどこだか判別できない。

 迷子だというのに、幼女は無邪気だ。網で捕まえた虫を持って来ている虫かごに入れている。ただし、クワガタだけ。


「この子大きいね! かっこいい!」


 大きめの、幼女の掌よりも大きいサイズのヒラタクワガタを手で掴みながら、目をキラキラさせているミスター・ハルカ。

 クワガタに光を当てて凝視してみる。立派な大顎、挟まれたら切断されそうなのだが、ミスター・ハルカからは恐怖を感じられない。


「ねえねえヒヨリ先輩、カッコいいよね。えへへ」

「そうですね。ええ、カッコいいです」


 クワガタについて興味はあまりないけれど、とりあえず返す。

 痛いのか試したくて、大顎に指を向けてみた。大暴れしているけれど、果たして。


「何してるの?」


 試す前に引っ込められてしまった。


「まあ、別に良いです。その子は別のかごに入れておきましょう。でないと顎で他の子達を殺してしまいそうです」

「うん!」


 私の言う事に対してミスター・ハルカ素直に従って、私の方の虫かごに大きいクワガタを入れた。

 あの似非高貴紫髪女も一応虫かごを持っているから、後で移しておこう。見せたらどんな反応をするのやら。


「たくさん取れたね!」

「そうですね。まだ取りますか?」

「うーん……これ以上は管理が大変になりそうだから良いや」


 この子ども、結構頭が良い。勤勉だけじゃなくて、未来をしっかり見据えている。

 たくさん、オスとメス合わせて十頭くらい取れた。メスを捕まえるという事は、繁殖をする予定がありそうだけど、独り占めするのか譲るのか、または売るのか。

 思考をしていたら、手を引かれる。


「えっと、こっち?」

「さあ? 今は迷子ですので」

「スマホを使えば……あれ、つかない……」


 ミスター・ハルカがスマホを取り出して、暗い顔をする。電源が切れているらしい。


「とりあえず、落ち着いてください。変に動くと余計に迷いますから」


 泣かれたり暴れられたりしたら困るので、優しい声色で言う。そして、しゃがんで目線を合わせる。

 顔をよく見ると、怖くないシスター・ハルナだ。髪の色が違うくらいで、上司が幼くなったと言われたら騙さてしまいそうな程だ。


「……怖い」

「ですから、落ち着いて」


 今にも泣きそうになっている子ども、泣いたら絶対にうるさいから、とにかく安心させる。そのために、抱き寄せて頭を撫でて、怖がらせないようにしないと。

 こんな暗闇で、懐中電灯の灯りしか頼れるものがない、まるで異界に迷い込んだみたいだ。だけど、今のところはあんまり怖くない。

 シスター・ハルナが私を見下している時の方が恐ろしいのもあるけれど、怖がっている子を見ていると安心できる。


「怖い、怖いよぉ……」

「大丈夫です。私がいますから」


 まずいまずい、既に声が震えている。そりゃそうだ、私も怖いし、泣きはしないけれど。真っ暗闇の中、夜と森という悪名高いコンビは恐怖の象徴でしかない。幼女の金髪も、恐怖によって輝きが落ちているように見える。

 どうすればこの子を落ち着けられるのか、思考しよう。


「うぅ……」

「ほら、クワガタさんをよく見てみましょう」


 自分の虫かごに入っているヒラタクワガタをよく見せてみた。ついでに、私自身もよく見てみる。

 しかし、見事に立派だ。大きいだけじゃなくて、俊敏な動き。こちらを威嚇している姿は可愛らしいけれど、他のクワガタは勝てない程の威圧感はある。


「……可愛いよね」

「はい。自分では強いと思っているのに、私達には負けてしまう、その滑稽さがより一層可愛さを増していますね」

「弱いと可愛いってヤツ?」

「はい。弱いと可愛いって事です」

「ハルカも弱いかな」

「知りません」

「……むぅ」


 虫、ただ可愛い存在としか思えない。

 それなのに、あの紫色の女、コツナチヨとかいう奴は嫌いらしい。理解不能の脳構造、私から大切なモノ、好きな男を奪おうとするところといい、あの女は本当にクズだ。ああクズだ、クズめ、クズの癖に男を好きになりやがって。クズはクズらしく男を騙すか男に興味ないかの二択であるべきだ。

 チッ、思い出すだけで寒気がする。夜の森は寒いに決まっているけれど、これは悪寒だ。ああ悪寒だ、怖い怖い。クズ女が怖くて怖くて仕方ない。だけどあの方は渡さん。

 おっと危ない。目の前の幼女ではなく別の女を考えてしまうとは。まあ、泣かれていないのならまだ大丈夫。


「ねえ、聞いてる?」

「はい?」

「やっぱり、聞いてない!」


 目の前の幼女が、頬を膨らませて怒りを感情に乗せて騒ぐ。

 これはまずい。泣かれるより面倒だし、早く聞かないと。


「なんで聞いてくれないの!」

「すみません。少し考え事をしていて」

「どうせハルカの事を見下してるんでしょ! むぅ!」


 なんだこいつ、めんどくさい怒り方をしてやがる。いっちょ前に頬を膨らませて、一生懸命に目を吊り上げて、握りこぶしまで作って、怒りを全身で表現しながら叫びやがって。反響してくる音が忌々しい。


「そんな事はありません」

「してる!」


 ああ、めんどくさい。本当にめんどくさい。よく知らない、興味もない少女の事なんてどうやって見下したらいい。

 確かに通常のアカント人は、白人以外とエクシオ人を差別してるらしいけど。


「差別は頭が古いおバカさんしかやりません。そもそも、私はあなたの事をよく知らないので差別しようがありません」

「してるもん!」


 こんなに落ち着いて、冷静に対処しようとしているのに、この小娘はそんな事おかまいなし。


「うるさいな小娘。黙れ」

「ふぇ……?」


 もうヤケだ。泣かれてもいい。てか、泣け。泣かれた方がマシ。


「あなた、癪に障るんですよ。特に、その、値踏みしたような目」

「……な、なに?」

「性格の悪い、まるでクロウ――カラスみたいです」


 話を聞いていなかった事実を抹消しながら、相手を睨みつける。


「最初に会った時から薄々感じていましたが、あなた、相当に性格が悪いですよね?」

「そ、そんな事……!」

「まあ、自覚している訳ありませんか。では、言い方を変えます」


 子どもに対して熱くなる私の方が性格が悪そうだけど、それでいい。


「あなたの先輩、コツナチヨ、あの方の性格を利用して、奴隷として利用していますね?」


 そう言った瞬間、ミスター・ハルカの顔面が強張った。


◇◇◇◇◇


「スマホは圏外か。どうやって帰るんだ?」

「迷いました。助けてください」

「なるほど、遭難か」


 ハルナが俺に助けを求めている。

 カッコいいところを見せたいのだが、無理だ。エミとかマリカ……それか、シャチマキカズラがいたならどうにかなったはずなのに、今はいない。

 俺の腕から離れようとしないチヨは、もはや使い物にならん。


「夜の森、せめてコンパスを持ってくれば良かったな。それか、目印になるものとか」

「どうせ私は役立たずですよ」

「拗ねてる暇があるならどうにかしろ」


 役に立たないポンコツ幼馴染は口を尖らせている。


「こんなに奥へ来る予定はなかったのに……」


 困っている様子のハルナ、どうやって助けたら良いんだ。

 見渡しても同じ景色、小動物に光を当てると逃げて行くような場所で、どうすれば脱出できるのか。


「私がハルカを見逃してなかったらこうならなかったのに……私なんて……」

「本当にどうした、お前。今日はヤケに卑屈だな」

「だって、ハルカにいらないって言われたんだもん……」

「ついて来たのはお前だろ。まったく」

「……ごめんね、ケイくん」

「ハルナ、帰り道を探す前に助けてくれ」


 完全に気弱な紫色の毛色をした仔ネコだ。思わず部外者に助けを求めてしまった。


「私にはどうにも……」

「すまん。忘れてくれ」


 ハルナに苦い顔をさせてしまったのを詫びる。

 こういう時は、昔を思い出そう。古い記憶を呼び起こして、この状況に似たシチュエーションを頭の中に呼び出せ。まるで走馬灯みたいに、死なないが。


「……ダメだな。こいつがこんな怖がっていたという覚えはない」


 チヨが縮こまったヒヨコみたいになったのは初めての体験かもしれない。それか、記憶に残っていない。

 いずれにせよ、この状況は非常にヤバい。どうにか、打破する方法を考えろ。


「とにかく、迷ったのは事実だが、ここはただの森、山にはつながっていないだろう?」

「え?」

「は?」

「あ、一応、闇雲に山へ入らないように線が引いてあります。ほら、あのように」


 ハルナの示した方向に光を当てて見ると、確かに立入禁止という線が張ってあった。

 待て、俺らは山の一歩手前まで来ていたのか。闇雲に歩き過ぎていたな、反省しよう。


「スマホが圏外なのも頷けるな。奥まで来過ぎていた」

「あら、私のスマホは圏外ではありませんでした」

「何ぃ!?」


 ハルナが自身のスマホを見せてくる。確かに、圏外にはなっていない。


「ケイ先輩のスマホは初期型ですからね。そろそろ買い替えましょう」

「仕方ないだろう! このスマホがお気に入りなんだ!」

「というか、先程迷ったって言ってた気がするんですけど」


 チヨがハルナを睨む。


「ミセス・ケイが圏外だと言っていたので」

「なんか、すまん」


 申し訳なさそうにハルナが言ってくる。

 俺のスマホの性能が低い事で謝罪する羽目になるとは。とりあえず、こいつは記念に取っておくとして、明日辺りに最新スマホを買いに行くか。


「ケイ先輩のスマホは初期型ですからね。ここでも圏外になってしまうくらいクソザコです」

「私が新しいのを買ってあげます」

「そこまでは求めてないわ!」


 俺の大きな声が、森にコダマした。


◇◇◇◇◇


 目の前にいる幼女は、性格が悪い。薄々わかっていた事だが、人を自身の都合が良いように利用しようという自己中心的な考えが透けて見える。

 懐中電灯の灯りをあえて消し、表情が見えないように少し距離を空けてから、ミスター・ハルカを睨みつける。


「ど、どうして、離れるの……?」

「あなたの性根が臭くて」


 相手から見えているのか定かじゃないけど、鼻をつまんでみる。真っ暗な中で表情は伺えない。


「何より、私はあなたの事が嫌いですから」

「……酷い! どうして、どうしてそんな事言うの!」

「はぁ、めんどくさい。性格が悪い人を嫌うのに詳しい理由なんていりません」


 幼女の不快な声が私の耳を抉ってくる。それに対抗して、私は声を極限まで低く、相手を突き放すように続ける。


「現時点で、あの高貴を気取っているクソ女……コツナチヨ先輩を利用しているでしょう?」

「う……」


 痛い所を突かれたみたいにミスター・ハルカが詰まる。

 しかし、「チヨ先輩はクソじゃない!」という苦し紛れに反論をしてきた。


「まあ、今あの女の事はどうでもいいです」


 わざと大きく息を吸って、


「あなた、私の事を利用したい。そう考えているのでしょう?」


 声を低く保ったまま、冷たい声を心がけて問いかけた。


「……違う」

「あの女、虫が大変嫌いなようで。おそらく、最初は来る事を拒否していたのでしょうね」

「違う!」

「私とあの女の関係性を察したあなたは、私を出しにして、おびき寄せたのでしょう」


 「ミスター・ハルカを溺愛しているらしいチヨ先輩なら、絶対に来ますからね」と続ける。

 耳元で、羽虫の音がした。鬱陶しいので右手で振り払う。


「それは……そうだけど……」

「所詮、あなたにとってのチヨ先輩は都合の良い駒。飽きたら私にでも乗り換える予定だったんでしょうね。ですが、私は違います。あなたの性根の悪さに気づく事ができますので」

「っ……!」


 性根が腐った幼女の声が震える。

 ああ、気持ちいい。自分より格下をわからせる快感というのは、ライオンに向かって来たラーテルを返り討ちにするくらいにやみつきになる。


「……ぷくく」


 あまりに絶頂により吹き出しそうになるのをなんとか耐える。


「ち、ちが……ハルカは……私は、そんなんじゃ……!」

「事実を指摘されて、言葉を出せないだなんて、滑稽ですね」


 相変わらず表情はよく見えない。だけど、幼女は身体をワナワナと震えさせて、こちらを睨んでいるか、俯いて泣くのを堪えているはず。呂律が回っていない声でわかる。


「あなた、いえ、お前の性格は悪い。腐敗臭がプンプンと臭う」

「……」

「良いですか? 今から私の言う言葉を復唱してください」


 言う前に、鼻を劈(つんざ)く程の刺激臭がしたような気がするが、無視する。


「『私は性格の悪いクズです』。ほら、ご一緒に?」

「……」

「言え。クソガキ」


 幼女を見下す度に、私の内側から、ドロドロと解けた劇薬みたいな臭いが強く湧いてくる。

 気のせいか、さっきより近づいて来る羽虫が増えてきた。


「……グス」

「ここにきて泣き言ですか。ええ、そうしないと、私に勝てませんからねぇ? 最も、ここには私とあなたの二人だけしか存在しませんけれど」


 幼女が泣いている。私の刺激臭も強くなってくる。

 だけどそれ以上に、心臓の鼓動が速い。私の何かが燃えている。


「……だって、みんな、私の事を無視するんだもん。私は悪くないもん」

「うるせぇよ。人を見下して利用してるんだよお前は」


 戯言をほざいた女に、強めの口調で返した。

 すると、さっきまで纏っていた弱さが消えた。


「違う!!!」

「何が違う!?!?!?」


 唐突に叫んでくるクソガキ、負けじと怒鳴りつける。

 急に、周りが静かになった。


「確かに『私は性格の悪いクズ』かもしれないけど、チヨ先輩の事が大好きだもん!」

「それがどうしたんだよガキ。見下してるのは変わらないだろうが」

「……でも、私は、チヨ先輩の事が……ケイ先輩だって、大好き、だから」


 静かな声だった。それでいて、まるでカのように私の耳元に残り続けている。


「……見下してるかどうかは、わからない。でも、私は……ハルカは……大好きだもん。ケイ先輩が、ハルカを拾ってくれてから、ずっと……大好きだから」


 弱々しく、風にかき消されてしまいそうな声なのに、芯が強い声。


「……ごめんなさい」


 素直な謝罪の言葉が出てきて、現実に戻された。

 快感が、世界が、真っ白になってくる。懐中電灯はつけていない。だけど、ミスター・ハルカの表情が、髪色が、上に被っている麦わら帽子が……そして金色の虹彩の中にある黒い瞳が、はっきり見えた。

 睨んでいるとか、俯いて泣くのを堪えているわけではない。ただこちらを見ているだけなのに、値踏みしているんじゃなくて、心を見据えられている。


「……きっと、私は性格が悪いんだと思う。人だって利用してたと思う。きっと、チヨ先輩も、だけど」


 一瞬、まばたきと間違うくらいに目を閉じてから、ミスター・ハルカはすぐにこちらを見つめ直してくる。


「……でも、私は、ヒヨリ先輩を利用しないよ。多分、ヒヨリ先輩の方が、私よりも性格が悪いから」


◇◇◇◇◇


「なあ、ここはどこだ?」

「さあ……?」


 闇に葬られたと言われても違和感がない場所に連れて来られた。

 ハルナのスマホに従って、入り口まで戻っていたはずなのだが、スマホに詐欺を吹っ掛けられるのは予想外だった。


「そのスマホ、本当に最新型ですか?」

「そのはずですが……」


 チヨが俺から離れて、ハルナに近づく。


 はあ、どうすれば良いんだ、この状況。俺には全く打開できない。


「ヤット、コレル」

「ん?」


 誰かに呼ばれた気がした。

 声がした方向を見る。しかし、何もない。


「コイ」

「……気のせいか」


 断じて、ハルナとチヨがいたはずの方向を見返す。


 さっきまで真っ暗闇で覆われていたはずなんだが、急に視界が明瞭になった。奥の方まで見えるようになっている。

 そして、いたはずの二人がいない。


「は?」


 周りを見渡してみると、誰もいない。人間だけじゃない、動物の気配がゼロだ。

 草木が死んでいるように制止している。


「ここはどこだ?」


 ハルナとチヨの二人を捜す。

 先程まで異界にいたはずだ。だが今は孤島、夜なのに昼みたいで、月灯りが太陽みたいに明るい。夜で、闇に包まれているべきの森は、俺という人間の目がくっきりと捉えている。それなのに、誰も見つけられない。


「……いや、何かいるな」


 何かの気配がした。嫌な気配、毒グモが這いよってきているような、イノシシに結婚を申し込まれたような、そんな気配。

 森を見渡して、気配の主を探している、そのはずなのに、何も見つからない。シカとかタランチュラはおろか、ダニ一匹いない。

 どこにいる。カメレオンなのか、バッタなのか。保護色を使っているのか、草木に紛れて隠れているのか、それとも――


「地面か?」


 下を見てみる。どうやらビンゴのようだ。足元に虫がいた。

 小さくてよく見えないから、両膝を曲げてしゃがむ。


「ふむ……カマキリだな」


 カマキリ……大きな鎌と複眼が特徴的な、緑色の虫。樹上性や草原性であるイメージだが、地表にいる。

 そいつは、俺を見ていた。吸い込まれそうなくらいに大きい眼と合う。不思議と、目が離せない。


「……キタ」


 カマキリが、人間の言葉を喋った、気がした。

 こいつは俺の心を掴んで離してくれない。視線を逸らせず、世界が止まっているような感覚に陥ってきた。


「お前は誰だ」


 強い意志を持って、カマキリを睨む。

 怯えるな、恐れるな。こいつはただの虫だ。このケイ様――イエス・ケイが負ける通りはない。

 闇を、取り込め。


「……素晴らしい。私の闇に恐れず、逆に利用しようと画策(かくさく)するとは」

「何?」


 先程までカタコトだったカマキリが、急に流暢になった。

 恐れるな、怖がるな、怯むな。虫如きに負けたら、シャチマキカズラに笑われる。耐えろ、尊厳を死守しろ。

 時は止まったまま、カマキリだけが妙な光を発する。


「お前が欲しい。お前が食べたい。お前を、食わせろ」


 意味不明な言葉を発し始めた虫に、思わず立ち上がり、踵を返して走る。

 振り向くな、走れ。風は感じないし地面を踏む音も響かないが、恐怖を抱くな。悍ましいなど感じるな。プライドを、俺を、貫け。

 いくらそうやって考えても、汗は出てくるし、思考回路がバグってくる。

 ダメだ、怖い。


「待て」


 耳元で聞こえて、身体が動かなくなる。

 言葉を発しようとするが、口が震えて上手く声を出せない。


「美味そうなお前を、逃がしはしない」


 身体が押さえつけられている感覚を覚えながら、俺は虫の声を聞いた。

 耳元に囁くように、虫は続ける。


「私の本当の姿、見たいですか?」


 「見たくない」って言いたいが、声が出ない。

 頬に、水の感触が走った。泣いている、この俺が、エクシオで一番偉くなるはずの俺が、涙を流して、嗚咽している。

 後ろには、さっきとは比べ物にできないような、この世のモノとは思えない威圧感が存在していた。


「では、いただきます」


 来る。食われる。だが、金縛りから抜け出せない。

 俺は、ここで死ぬのか。


『あなたは間違ってる。話し合いで解決できる事なんて、存在しない』


 不快な女――シャチマキカズラの声が聞こえた。

 その瞬間、俺の恐怖はさらに強まった。感情が、昂ってきた。


「……やめろ」


 一言、やっとの思いで、発する。

 シャチマキカズラに恐怖したのではない。あいつが統治したエクシオの未来に悍ましいモノを連想しただけだ。


「あなたの能力は、そういうものでしたか」


 「今回は素直に従ってあげます」という言葉を最後に、視界が真っ暗になった。


「っ……ハァ、ハァ……!」


 思わず頭を抱えてしゃがみ込む。

 息があがり、心臓の音がドクドクと悲鳴をあげている。そして、あの悍ましい声が耳にこびりついている。

 怖い。怖くて、周りを見れない。闇が広がっているのが、唯一の救いだ。


「……チッ、俺は、何をしているんだ」


 心臓を鷲掴みにするように、胸に右手を当てる。

 あいつは、まだ頭の中にいる。俺を捕まえて、文字通り喰らおうと、視線を外してくれない。


「……」


 立ち上がれ、俺はエクシオを統治する者になるんだ。眩暈、吐き気、全てを抑えて、立て。フラフラするな、自分を強く見せろ。ここで俯いている暇じゃない。

 不愉快なカの羽音が聞こえる。それも、一匹じゃない。


「……あっ」


 足に力が入らない。そのせいで、せっかく立ち上がれたのに、前に倒れ込む。

 地面が近づいてくる。視界全体が無数の落ち葉で埋め尽くされていく。このままだと、強い衝撃が俺を襲ってくるだろう。それは、無様に、あいつに平伏したという事だ。

 ああ、そうだ。この俺が、あいつに屈したんだ。だから、俺は――


「ケイ先輩!」


 幼い少女の声が聞こえた。真っ直ぐで、俺を心配しているような声だ。

 咄嗟に、手を前に出して、地面についた。あまり踏み固められていない地は、柔らかくて手が埋まる。

 今の俺は、腕立て伏せをする形になっている。


「大丈夫!?」


 幼女、ハルカが俺の元へと駆け寄って、俺の顔を覗いてくる。


「ハルカか。心配したぞ」

「ご、ごめんなさい」


 すぐさま態勢を変えて、尻を地面につけ、ハルカの目線に合わせる。

 ハルカの懐中電灯が俺を捕らえた。


「あの、大丈夫ですか?」


 ハルカの後ろの暗闇から、嫌味っぽい女が出てきた。

 キョウドウヒヨリ、さっきは刺激臭がしそうなくらいに性根が腐っている雰囲気を醸し出していたが、今はその根を掘られて代わりに新芽を植えられているような無臭だ。

 そいつの方を見る。


「なんか、雰囲気が違うな」

「はい?」


 俺の問いかけに、キョウドウが小首を傾げた。


「ヒヨリ先輩、今までとは違うもんね!」

「チッ」


 やっぱり変わっていないかもしれない。

 ハルカがキョウドウの方を一瞥する。性悪女は、幼女に対して容赦のない睨みを効かせた。さらに、歪んでいる。


「あれ、チヨ先輩とハルナ先輩は?」


 ハルカが周りを見渡した。

 そうだ、あいつらはどこにいった。異空間に迷い込んでから、ハルナとチヨとはぐれてしまっていた。


「すまん、はぐれた」

「う……」

「どうかしたか?」


 ばつが悪そうに俯くハルカに疑問を抱く。麦わら帽子を脱いで、胸辺りに抱えていたから、何となく頭を撫でた。

 後ろの女の顔がさらに歪んだ。


「ハルカのせいだよね、きっと」

「何を言ってるんだお前は。あの性悪女に触発されたのか?」

「待ってください。私って性悪女だって思われてたんですか?」

「ああ」

「シスター・ハルナに言ってやります」

「共通認識だろ」


 遂に本性を露わにしやがった女ことキョウドウヒヨリ。

 ハルカが俺にすり寄って来た。慰められに来ているな、いつもはチヨに縋るくせに。


「あー、よしよし」

「む、ケイ先輩下手すぎ。チヨ先輩みたいにやって」

「良いだろ別に。俺よりそっちの女にやってもらえ」

「ヒヨリ先輩はそういうんじゃないもん」


 俺の抗議を受け流して、ハルカが俺の胸に顔を押し当てる。

 助けを求めるように、俺は性悪女に視線を送った。すると、ニコっとした満面の笑顔を向けられた。

 ふざけるな、助けろ。


「チッ、性悪女が」


 目をできる限り細めて、キョウドウヒヨリを睨みつけた。

 わざわざ俺の前に来たそいつは、俺の事を見下して、


「私よりも、ハルカの方が性格悪いですよ?」


 的を射ている事を、俺が知らない事前提で言ってきた。


「そんな事はどうでもいい。とにかく、スマホでハルナに連絡を取ってくれ」

「スマホはありませんよ?」

「嘘をつくな。さっさと出せ」

「では、性悪女という認識を改め、私の事を名前で呼んでくれたら、連絡してあげます」

「……頼む、ヒヨリ」


 笑みを崩さないまま放ってきたヒヨリに折れる。


「まあ、充電が切れてるので無理なんですけど」

「モバイルバッテリーはないのか?」

「ありません」

「まったく、これを使え」


 ヒヨリに、俺のモバイルバッテリーと充電器を渡した。


「あの、出してもらって悪いんですけど、私のスマホと合わないようですが」

「く、俺のスマホが初期型なばっかりに」

「だから私に連絡するよう言ったんですね。これを機に買い替えてください」

「うるさいぞ性悪女」

「初期型のスマホでいるようなあなたが悪いと思います」

「……やむを得ないな」


 生産性のないディベートモドキを行いながら、俺は最後の手段を使う事にした。

 簡単だ。護衛――シャチマキカズラを強制召喚するボタンを使うだけだ。ただ、初めて使うから、何が起こるかはわからない。


「何をしているんですか? よく見えないのですが」

「ボタンをポケットから出した。こんなのだ」

「むー、ハルカを撫でる事より大事なの?」

「圧倒的に大事だと思うのだが」


 ハルカを撫でていた左手をボタンを取り出すのに使い、懐中電灯の光を当ててきたヒヨリに見せる。抗議は却下だ。

 まるで爆弾を爆発させるボタンのような護衛呼び出し装置、土台に青いボタンが乗っていて、これを押すとシャチマキカズラを呼べる。

 こんな真夜中に呼んだらめんどくさそうだが、緊急事態なら仕方ない。丸いボタンを押してみる。


「ポチッとな」


 ボタンが押し込まれた瞬間、


「何?」


 背後からシャチマキカズラの声が聞こえた。


「ミスター・カズラ? なぜここに?」

「カズラ先輩?」


 ハルカとヒヨリが、俺の背後に視線を向ける。


「……本当はお前に――」

「要件は?」

「チッ。この森でチヨとその同行者とはぐれてしまってな。捜せ」

「……ついてきて」


 静かに呟いて歩き始めたカズラに、俺はすぐに立ち上がって振り返り、後を追った。

 あいつの忌々しい、中途半端に肩まで伸ばした白色の髪と、さっきまで寝ようとしていたであろう黒寝間着の姿が視界に映った。


「待って!」

「ちょ、置いていかないでください!」


 ハルカとヒヨリも、異論を唱えずについてきた。


◇◇◇◇◇


 街頭の光が見える。森の入り口に戻って来たらしい。


「ケイくん……ケイ先輩、心配しましたよ」

「ご無事で何よりです。急に姿を視認できなくなってしまったので、心配で」


 既に、チヨとハルナがいた。俺を見ると同時にチヨは進路を塞いできて、ハルナはその後ろで涙ぐんでいた。


「もう良いよね? それじゃ」

「ありがとう、カズラ先輩!」

「助かりました」

「これが私の仕事だから」


 素直にお礼を受け取った護衛のシャチマキカズラは、目的を終えた瞬間に消えた。出没自在、カメレオンが姿を消すように。


「すまん。変な所に迷い込んでいた」


 プライドがへし折られたのを悟られないように言う。

 未だに脳にこびりついて離れないあのカマキリの声、あんな小さな虫に屈したなんて、知られたくない。

 不気味に明るい森、明瞭で視認したくない景色、全てが俺を捕縛しようと脅してくる。


「っと、ハルカと、お前もいたんですね」

「チヨ先輩、ごめんなさい」

「謝らなくても良いんです。ただ、抱きしめさせてください」

「ヒヨリ先輩、虫かご持ってて」


 ハルカがヒヨリに虫かごを渡すと、チヨの方を向いて手を広げた。

 一度拒絶されていると、やはり反動は強くなるらしい。ハンミョウよりも速く、チヨがハルカに抱き着く。後は二人の世界だ。


「ヒヨリ」

「私は無実です」

「あなたがお子様に振り回されるとは思いません」

「過大評価です。振り回されました」

「今日は家に帰しませんからね」


 こっちも二人の世界に入っているらしい。

 つまり、俺は完全に外へ追い出されたってわけだ。もっと心配してくれたって良いんだが。

 何となく、森の方を見てみた。闇に包まれて、真っ暗であるはずの異界。そこには、誰もいるはずがない虚無空間、草木と小さい虫どもが存在するだけ。


『またお会いしましょう』


 頭の中に直接響いた声。何かがいる。暗闇に紛れて、確実に、そこに存在している。

 目が離せない。このまま見続けていると、闇に飲み込まれて、あいつに喰らい尽くされそうだ。

 怖い、恐ろしい、悍ましい――その魅惑が、このケイ様を鷲掴みにして、誘ってくる。まるで、獲物を欲しがっている食虫植物みたいに。


「……」

「ねえ、忘れてた事を訊いて良い?」

「……なんだ?」


 いつの間にか俺の隣にいた護衛ことシャチマキカズラ。そっちに視線を向けると、俺と同じ方向を見ていた。


「あれ、何?」


 カズラが、さっきまで俺が見ていた方向を指さした。


「何が見える?」

「……何も見えない。だけど、何かいる」

「……お前に同意するのは癪だが、俺もそう思う」


 憎くて、ウザくて仕方がない女に、俺は初めて賛同した。


「そう。じゃ、今度こそ、バイバイ」

「もう二度と呼ばんからな」

「それはボタンを渡した時に聞いた」

「今回が例外だっただけだ」

「ふーん」


 さほど興味なさそうに、カズラが今度こそ完全に消えた。

 あの最強女でも恐れるくらいの存在に、俺は安全圏で戦慄するしかなかった。


◇◇◇◇◇


「見て見て!」

「ひっ……り、立派ですね……」


 ハルカが、チヨに捕まえたクワガタを見せている。

 案の定、とても怯えた様子で、それでも溺愛している幼女を悲しませないように、必死に取り繕いながら褒めている。


「ちゃんと見てる?」

「み、見てますよ……?」


 少し不満そうにした後、ハルカは虫かごからクワガタを取り出し、無情にも近づけていく。


「ヒィ……」


 小さめのノコギリクワガタだというのに、素晴らしい怯えよう。滑稽で、キャットみたいだ。


「それ以上はやめるのです、ハルカ」

「えー?」


 私(・)が制止すると、ハルカが不満そうに声を漏らす。


「え、いつのまにあなた……」

「大きい方のヒラタクワガタを見せてあげましょう」

「うん!」

「ちょ……!」


 できる限り悪い笑みを浮かべると、ハルカが喜んだが、私の嫌いな女は状況を理解していない様子で、両手で目を隠す。

 それを無視して、私は自分の虫かごに入っていた、今日の成果を見せようと奮闘した。


「見たくないです」

「見て!」

「で、でも……」

「見てくれないならヒヨリ先輩の事をヒヨリちゃんって呼ぶもん!」

「う……」


 「それはやめてほしい」と心の中で呟いた。

 紫女は、閉じようとしていた目を開け、手もどけて、それを視界に入れたようだ。


「……」


 そして、音もなく気絶した。


「チヨ先輩!?」

「やり過ぎましたね」


 気絶して倒れ込んだコツナチヨに、溺愛されている幼女が駆け寄る。

 この女、紫色の結っていない髪を枕にしているのではないか。そう疑いたい程に、ウェーブがかかっている髪はフワフワで心地よさそうだ。きっちり整えている私がバカバカしくなってくる。


「やっぱり性悪女じゃないか」


 背後から、ミセス・ケイの鋭い声が聞こえた。


「私はこういう女ですから」

「慕っている男には隠しているのか?」

「そういうのは秘密です」


 相手を惑わすような笑みを努めて浮かべて、私は背の高い男性(ミセス)を見る。銀髪を結っている姿を見ると伸ばしているらしい、不思議だ。


「安心してくださいミセス・ケイ。徹夜の説教を致しますので」

「心が折れそうなんですけど」

「自業自得です」


 隣にいた上司、シスター・ハルナの宣告を聞いて、少しは性格を改めるように努力するか、迷う羽目になった。

今更だけど、ミスターとミセスの使い方が現実と違う。

あと、いろいろ試行錯誤をして作っている節があるから、視点を騙すってやり方もその一つって事で。もう少し上手い使い方をしたいけど。

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