理不尽少女と犯罪少年
遂にやってきた夏休み。
「これ、今日中に読み切りましょうねー」
「千ページくらいありそうなんですけど!?」
「千五十三ページです」
「無理です!」
初日は、部屋での本読みで潰れた。
短い短い夏休み、せっかくの自由時間、その一日を潰されるという事は、本来ならバンシに値する。まあ、やらないけど。
「今日こそは! 外に出ます!」
僕の寮を占領している白人女性ことイロハシロコさんに対して、高らかに宣言する。
夏休みの宿題などやらん。僕がやるのはやりたい事。それ以外の事なんてやってられない。
「ちなみに、何をする予定で?」
「高級住宅街でスリしまくってこようかなと」
「今日の本は二千三百ページありますからねー」
「なんで!?」
無常にも積まれる大きく分厚い本を渡された。重量がヒトの子どもくらいあっても納得する程ずっしりしていて、中身ばハエくらいの大きさの文字がびっしり書いてある。さらに、絵がない。まるで燃えるゴミだ。
本以外はセイリセイトンさせられたので、部屋は広くなっている。その空いたスペースにとりあえず本を置く。
「まず、あなたにはスリがいけない事であるという認識を持ってください」
「なんでですか!? 自分を良いフウボウに見せてる方が悪いと思います!」
「そもそも、人から物を奪って良いなどという思考の渦中にいるのが不愉快です」
「世の中は焼肉定食なんです! 奪った方が正義なんです!」
「弱肉強食です。勉強してください」
激しく睨んでくるシロコさんは、僕の腕をガッシリと掴んでいる。獲物を捕らえたトラだ。ああ怖い。
「というか! お金持ちがお金をたくさん持っていても、持て余すだけですよね!?」
「人の物を奪うという発想が底辺です」
「お母さんも言ってました! 人が使えないなら自分が使うべきだって!」
「どんな教育ですかそれ!?」
僕の言った事が信じられないという驚きをシロコさんが見せてきた。
小さい頃、無法地帯で生きていた時、お母さんは言っていた――その人が使えなくなって自分達が使えるのなら、自分達の所有物とするべきだと。
「僕が小さい頃は人の死体があるのが普通でしたから。死んでいる人は物を使えませんからね」
「スラム街の出身ですか?」
「違います。無法地帯です」
「何が違うんですか」
「スラム街には治安維持組織がいますからね。無法地帯にはそれすらいません」
開いた口が塞がらないという様子で、シロコさんはアホっぽい表情をしている。これがアゼンとしている、って事か。
「スラムって無法地帯だと思うんですけど」
「トリアス州のスラムは大体ヤクザとかマフィアが占拠してますからね。単一じゃなくて複数の組織が日々抗争していたり停戦していたりしますよ」
「それがどうしたんですか?」
「簡単に言うと、実はスラム街って、意外と安全なんですよ。スラム街トクユウのルールさえ守ればね」
「そのルールって何ですか?」
質問ばっかりのシロコさんに、トリアス州のスラム街について、一つだけ答える。
「お客様には手を出してはいけない。そういうものです」
大原則、絶対に守らないといけない法、それが、お客様への手出し禁止だ。
「お客様?」
「僕らだけじゃないです。ヤクザとかマフィアにも共通の、暗黙の了解って奴ですよ」
「そんなに大事なんですか?」
「はい。これさえ守っておけば、基本的にはスラム街も歩けます。まあ、ヤクザじゃないめんどくさい奴らに襲われる可能性はあるんですけど」
「はあ」
「そのための治安維持組織なんですけどね!」
しっかりとした家庭で育っただろうこの白人女性が、スラム街の事を知らないのは無理もない。強そうで、負ける事がなさそうだけれど、経験はないらしい。
まあ、僕も最初はわからなかったんだけど。
「別に良いんですけど、あなた、一つのヤクザ組織を潰してましたよね」
「ヤクザではありません。ギャングです」
「違いがよくわかりませんけど」
「ギャングは若者の集団です。ヤクザとかマフィアは高度に組織化された集団ですよ」
「ふむふむ」
「あのギャング組織が暗黙のルールを破ったので、僕に依頼が来たんですよ。徹底的に洗い出してくれと」
「それで、実行したと」
「はい。後は依頼主が潰しました」
「……あなた、何者ですか?」
恐れるでも睨むでもなく、純粋な疑問。
はたして、どう答えようか。
「僕はシノビクサリクですよ」
「そういう事ではないんですけど……」
「そんな事より、僕は高級住宅街に行ってお金を得ないといけないので」
いける。話が長くなったのならきっとこの場から脱出できる。
「ダメに決まってるだろ。止まれ」
「うわーん!」
ダメだった。
◇◇◇◇◇
僕が小さい頃の話。
『物は無駄にしちゃいけません。わかりますか? リク』
白い肌にオレンジ色の長い髪、そしてふくよかな胸と長い脚。
僕のお母さんは、肌の色も髪の色も、僕とは全く違っていた。褐色の肌とダークグリーン色の髪を持つ僕とは正反対、でも、正真正銘お母さんだ。
『私達は生き残るために、この死体に残っている物を借りパクします。これは、仕方のない事ですから』
優しく、透き通る声。僕の心に絶対の安心感を与えてくれる、守護者の音。
僕にとっては、お母さんは絶対だった。離れてしまったら生き残れないし、お母さんの教えは絶対に守るべきもの。
無法地帯、人が簡単に殺されるような、死体が転がっているのが普通な、森の中。そんな中で、僕の味方はお母さんだけだった。
『やったー! ご飯です!』
『はい。この人は、たくさん食料を持ってますね』
その日は、妙に食料を所有している人が死んでいた。近くには木の破片が散らばってた。
僕達が生きられるように、たくさん食料を奪い取る。
『この人はなんで死んだんですかね。恐ろしい動物に襲われちゃったんですかね?』
『ここを見てください。ここに、変なアトがあるでしょう?』
『ほえ?』
死体には、不自然な穴が空いていた。位置は、胸の少し左側くらい。
『ここに、鉛玉っていう物が食い込んでいるので、間違いなく殺したのはヒトです』
『え?』
『この位置はシンゾウがあって、私にもリクにもあります。シンゾウというのは、人にはなくてはならない物で、壊れてしまうと死んじゃいます』
『……なんで、殺したんですか?』
お母さんは顔色を変えず、
『わかりません』
それだけ答えた。
『ほら、早く回収しますよ』
『は、はい!』
その後、僕らは食料を回収して、その場を後にした。
◇◇◇◇◇
「寝るな」
「ぐえ!?」
強く殴られて、叩き起こされる。
「まだ五百六十二ページ目の十八行目です。このままでは徹夜コースですね」
「そんな!?」
理不尽極まりない宣告をされて、絶望する。
さっきまで夢の中、とても懐かしくて心地よい夢を見ていたのに、中断させられるなんて。
「早く読めよ」
「僕の部屋なのにぃ!」
「口じゃなくて手と脳を動かす!」
「うわーん!」
シロコさんの怒号に、僕は必死に本のページを捲って、声に出して読んでいく。朗読と言うらしい。
地面に対して直に置いてあるデジタル時計を見ると、『13:26』と表示されていた。僕は九時くらいからこの本を読まされているから、もう間に合わない。半分も読んでいないのに寝るまでに読み切れるわけがない。
「『以上の事から、昆虫における体内時計はタネによって異なっている。体内時計は昆虫のセイカツリにおいて大切な役割を持ち、ナツネムるや冬眠フユネムるにも関わってくる』……」
昆虫の体内時計って何だ。というか、体内時計って何だ。そんなものを知って何か得する事があるのか。
「内容、しっかりと理解してます?」
「し、してます!」
僕を睨みつけるシロコさんに嘘をつく。
「ナツネムるではなく夏眠、フユネムるではなく冬眠です。あと、ここでのタネは種と読みますし、セイカツリではなく生活史です」
「わかりませんよ! うぅ、昨日はマナーについての本だったのに、今日は内容が本当にわかりません……」
「やはり理解しておりませんでしたか」
「げ」
一瞬で嘘を見抜かれてしまった。
「まあ、それは良いです。目的はあなたをここに縛り付けるためなので」
「遂に本性を現したな!」
「お前がルールを守らないからだろうが」
「うえぇん!」
抗議をしたら、思いっきり殴られた。吹き飛びはしなかったけど、結構痛い。
「……しかし、内容が難しいですね。私ですら半分程しか理解できません」
「なんですかそれ!?」
「はあ、本を読んでるだけじゃ身体が訛りますね。私と一緒に外出しましょうか」
「うげぇ……」
僕から本を奪い取ったシロコさんは、自身のキャリーケースにそれをしまう。
それにしても、着替えとかを入れているはずなのに、分厚い本がよく入ったな。
「良いですか? 私から絶対に離れないでくださいね?」
「うぅ……」
「返事をしろ」
「はい」
僕を脅したシロコさんは、外出の準備し、更衣室へ向かった。
◇◇◇◇◇
シロコさんが更衣室に行ったから、チャンスだと思って、急いで外出の準備をして、一人でスラム街へやって来た。
「くっくっく、僕を舐め腐ってるからこうなるんです」
整備されている道を歩きながら、笑みを浮かべる。
ここら辺は人通りが多くて、商売をするのに持ってこいの場だ。だから、とあるマフィアの組織が、ここを整備して権利を買った。他のヤクザやマフィア、またはギャングは、その組織にお金を払ってここで商売を行っている。
僕は、その勧誘に捕まらないように、尚且つスリができるように、人目を避けながら歩く。シロコさんには高級住宅街でスリをするって言っているから、これで一安心。
無防備な獲物を見つけながら、僕は走った。そして、一瞬の隙を突いて財布を盗み、その場を後にする。
スラム街には治安維持組織が存在している。警察とは違った、スラム街版警察って感じ。マフィアとかヤクザが、自分達のお客様を取り込むために作った、怖い組織だ。
そいつらに見つかったらスラム街で歩きにくくなる。だから、素早くスラム街を抜けて、シャバの空気を吸う。
「ふう、これで良し」
スラム街を抜けてすぐ、近くの建物に腰をかける。ここは警察が出張ってくるから、マフィア、ヤクザは手出ししない。
こういう事を何十回も繰り返してきたから、もはや慣れている。
「おお、たんまりですね。これで、食べ物がたくさん買えます」
財布の中身を覗いて、ほくそ笑む。
一万円札が十枚、それと小銭が数十枚、結構な額だ。半分は組織に渡すけれど、それだけあればいろいろできるだろう。この間の百万は明日に振り込まれる予定だし、夢が膨らむ。
「せっかくですし、レストランに入って豪遊してやりますか」
立ち上がって、周りを見る。人はあまりいない。
いるとしたら、こっちに向かって来ている、肌が白い、金色の髪を伸ばした、大きめのリュックサックを持っているイロハシロコさんのみだ。
なんでいる。とりあえず、背を向けて全速力で逃げるのみ。考えるな、走れ。
「なんでいるんですかあの人、どこにでも現れるサルですかあれ」
ぼそっと呟きながら、スラム街と普通の街の交わり線ギリギリを走る。
とにかく、走る。それ以外は何もしない。ここはビル群だ、隠れるのにはもってこいの場所で、いくらどこにでも現れるシロコさんでも見つけられるはずがない。
そう考えてビルの角を曲がると、シロコさんがいた。
「さようなら」
「逃げるな」
「力強いですねホントに!?」
別れの挨拶を入れて逃げようとしたら、左腕を掴まれた。
女の人とは思えない程の怪力に、僕の腕が悲鳴をあげる。って痛い痛い痛い。木の上から落ちるとか、毒を持った虫を間違えて食べたとか、そんな感じ。誰か助けて。
ダメだ。無駄に高いくせに人がいないビル群のせいでここが完全に路地裏、死角になってる。
「高級住宅街に行くからスラム街には来ないでしょーあはは、とか考えていたんでしょうね?」
「なんでわかってるんですか!?」
「エスパーです」
「えすぱー?」
「あなたの思考は筒抜けって意味です」
「うぎゃあ」
残酷な宣言に、何度目かわからない絶望を経験する。
思考すればバレるなら、勘で逃げるのみ。まあ、腕が掴まれているから無理だけど。
「ほら、学園近くの繁華街へ行きますよ」
「あそこつまらないですよぉ……」
「黙って来い」
シロコさんは一息ついて、
「その財布、スラム街で盗ったんでしょう?」
そう続けた後、僕の腕を引っ張った。
◇◇◇◇◇
トリアス州の繫華街と言ったら、学園に近い、大型施設が集まった場所だ。映画館、ショッピングモール、その周りに群がるスポーツとか衣服とかの専門店、無駄に多いオフィスビル、チェーン店や個人店の飯屋さん、ゲームセンター。
当然、人がたくさん集まる。多すぎて多すぎて、スリがし放題。
そんなチャンスは、腕を掴まれている事によって消滅しているのだが。
「離してください」
「部屋を出る前、スラム街には特有の治安維持組織がいると言っていましたよね」
僕の要求を無視して、シロコさんは訊いてきた。
「スラム特有のルールに、独自の治安維持機構、そして、スリをした後に絶対にスラムに入らないようにしていた行動……」
一息置いて、
「つまり、スラム街とこっち側は――暗黙の了解か、それとも買収か、境界線が存在しているって事ですね」
確かめるように、僕に言う。
「キョウカイセン?」
「え、違うんですか?」
「キョウカイセンがわからないんですけど」
「はぁ……スラム街と私達の街、その二つが交わる線です」
「なるほど、確かに存在してますね。それがどうかしたんですか?」
シロコさんが何を言っているのか、何を知りたいのか、いまいち理解できない。
キョウカイセン、よくわからないけれど、スラム街と僕らの街が別れていたら、何か不都合な事でもあるのだろうか。
真相を知るために、僕はシロコさんに続きを促した。
「境界があるって事は、スラム街で行った犯罪が、こちらでは罪にならないって事ですよね」
「そうですね。スラム街で起こった事は治安維持組織が解決します」
「要するに、あなたのその財布はスラム街で奪った物なので、警察が手出しできない、という事です」
僕を睨みつけながらシロコさんは言った。
理屈としては合っている。スラム街で起こった犯罪に対して警察は手出ししてはいけない。理由は治安維持組織の存在意義が奪われるから。
ヤクザとかマフィアは、その辺を深く気にするらしい。だから、警察に金をかけて、スラム街での治安維持行為をさせないようにしている。
「それが何か?」
「スラム街から出ると警察のシマ、本来だったら今この瞬間にあなたを警察に突き出すべきなんですけど」
「それができないんですよねー」
相手を煽るように、僕は満面の笑みを作る。
ただ、ここは人が多い通り道。あんまり聞かれたくない話題だから、掴まれている腕を引っ張って、人目が少ない路地裏に引きずり込んだ。
「ちょっと、いきなりなんですか!?」
狼狽えるシロコさん。
僕の元に現れてから初めての反応で、ちょっとだけ嬉しい。
「それで、続きを聞かせてくださいな。あなたの想像、どこまで合っているのか知りたいです」
「……ここに来たという事は、そういう事ですね?」
「ご想像にお任せいたします」
そういう事、シロコさんはそうやって言葉をぼやかした。スラムの危険性について、何となくは理解しているらしい。
「……まあ良いです」
「で、早く吐いてください」
「……警察はスラム街に入ってはいけないという決まりがある。逆に、治安維持組織はスラム街から出てはいけないという掟がある。それが暗黙のルール」
「はい」
「まだ情報が少ないので根拠はわかりませんが、スラム街で起こした犯罪に対して、警察は手出しができないんですね?」
「そうですね。だから僕を警察に突き出したところで、追い返されるだけですよ?」
勝ち誇るように、僕はほくそ笑んだ。
シロコさんの言う通り、警察はスラム街で起こった出来事に対して関わる事ができない。逆に、スラム街の外で起こった出来事にヤクザやマフィアが関わる事はしない。
実は僕も詳しい理由がわかってたりしないんだけど、深い所に足を突っ込みたくないから調べる事はないだろう。
「……ならスラム街に今から行きますか?」
「無駄ですよ。ヤクザ、マフィアが出張ってくる時は損をする時です。この財布の中から半分組織に渡すと、晴れて解放されますからね」
「なら私が裁くしかないですね」
「やっぱりそうなるんですか!?」
真顔で僕の顔を殴ってきたシロコさんの拳は目に見えないくらい速かった。
◇◇◇◇◇
シロコさんに一発殴られた後、僕は本屋へ強制連行された。
「スリをする前に持っていたお金を出しなさい」
「持ってないです」
「は?」
「基本お金は全部好きな物を買う事によって消えるのでないです」
「あなたにはお金の使い方を指導する必要があるようですね」
「僕の勝手なはずでは!?」
「黙って聞けよゴミ」
「酷いですね!?」
謂れのない罵りを聞かされて憤るけれど、シロコさんには逆らえない。
ショッピングモールの一角、いつの間にかだだっ広い書店のど真ん中に立たされているし、本棚本棚本棚って続いてて、ぎっしりと本も詰まっていて、色とりどりのカバーが目に付く。
「本は長い期間保存する事ができるんです。再利用可能な知的財産ですからね」
「でもお腹は満ちませんよ?」
「うるせぇよクロマツ」
「それ知ってますよ? アカント州での黒人差別用語ですよね?」
「あなたは差別されるのに値するクズですから」
「火力高すぎません?」
悪い笑みを浮かべながら、シロコさんは僕を見下ろした。
そして、腕を引っ張られて、僕は自然科学の書棚に連れて行かれる。てっきりマナー本を買わされると思っていたから、意外だ。
「学問というのは哲学から始まり、細分化していきました。思考する事によって、私達は科学を発展させてきたのです」
「はあ」
「物事を感じて、考える。そうすれば、きっと他人の心も理解できるようになるはずです」
無数の本が詰まっている棚を見ながら、ゆっくりはっきり喋るシロコさんの話は退屈だ。
他人の心なんてわかるはずがないのに。心を操る事ができるんだったらできるかもしれないけれど、そんな事はキジョウノクウロンって奴だ。理想っていうものが立派でも、現実を見なければ意味がない。
「あなたの母親が言った事も、きっと他に心理があるはずです」
「シロコさんに僕のお母さんの事なんてわかるはずがないですよ」
「だからって、理解を止めて良い理由にはなりません」
本から僕に視線を移して、
「それに、あなたの母親に良識がない人だとは到底考えられませんから」
知った風に、シロコさんは続けた。
「ふーん」
「興味を持てよクズが」
「シロコさんの口が悪い……」
口調を荒くして、シロコさんは本に視線を元に戻す。
僕の育ちは結構悪いって思ってたけど、実はシロコさんの方が悪かったりして。少しでも僕が思い通りに動いてくれないと、すぐに操ろうと罵ってくるのは、家の環境が悪かったとしか思えない。
それとも、親の口が悪かったりするのかも。僕にはいないお父さんの口調が悪くて、移ったりしてるとか。それともお母さんなのかな。
「もしかして毒親の元で育ちましたか?」
「え?」
心の底から疑問を持っているように、再度こちらを見てくるシロコさん。僕の仮説は外れたらしい。
一応、僕の喋り方はお母さんを真似しているから、親の話し方に似るもんだって勝手に思ってたけれど、違うのかも。
「それとも周りの人からの影響だったり?」
「もしかして、口が悪くなる理由について訊いてますか?」
「はい!」
目を細めて僕を睨みつけるシロコさんに対して、大きく返事をする。
「……本読み少女として舐められないように、態度を大きくしていたらこうなりました」
「本の読みすぎで悪化してるじゃないですかぁ!?」
「静かにしてください」
静かな本屋に僕の叫び声が響いて、シロコさんの左手が僕の口を塞いだ。
◇◇◇◇◇
本屋で一冊本を買えという事で、『超常現象みたいな進化』っていう面白そうで、着ている服の内ポケットに入り切りそうなくらい小さな本を買った。ついでに、いつの間にか隣から消えていたシロコさんは勝手に世界史のサンコウショを買って僕に見せてきた。どうせ寮に帰ったら読まされるんだろう、めんどくさい。というか、なんで自然科学の所に僕を連れて行ったんだ。
そんな感じで、書店を後にした僕らは、繁華街を突っ切って、寮へと直行していた。
「繁華街はアリの大群くらいには人がいますよねー」
「学園で慣れているでしょう?」
「学園外だとその限りじゃないっていうかー、密集していてウザいなーって思ったり?」
僕の右隣側を歩くシロコさんに、首を傾げながら言う。
「人が集まる所は苦手なんですか?」
「いや、スリしやすいので好きですよ」
「何が言いたいんですか?」
「うーん……」
言いながら、自分でもよくわからなくなってきた。
すれ違う人々、その一部は無防備で財布を盗みやすい。シロコさんの目を掻い潜って、お金持ちっぽいフウボウの人からお財布をスろうとしたけど、腕を引っ張られて阻止された。勘の鋭い白人め。
スリをしやすいなら、人が密集しているというのは好都合なはず。だけど、僕は人の多い所が苦手だ。理由は知らない。
「油断も隙もありませんね」
「ちぇー」
せっかくの収入チャンスを邪魔したシロコさんは、目を細めて僕を見つめてくる。
隙がない。態度を大きくしたら、自然とこうなってしまうのだろうか。僕も態度を大きく、ソンダイに振舞ってみようかな。
ふと、遠くの、二十階くらいありそうな二つのオフィスビルの間、暗くてジメジメした路地裏の方を向く。チラっと、一瞬だけ。
お金持ちっぽい男の人が、貧乏そうな男の子を蹴り続けていた。
「トリアス州って、繁華街の方が治安悪いですよねー」
路地裏の方向を見ながら呟く。
ああいう事をしたら、スラムだと一発アウトだ。ヤクザは特に、ああいう卑怯な手を嫌う。だから、あれが視界に入った瞬間に、あのお金持ちの白人がどういう人であっても、消されるだろう。まあ、ここはスラム街じゃないからそんな事はないけど。
シロコさんの方へ視線を移して、返事を促そうとした。
「って、シロコさん?」
あらビックリ、シロコさんが消えているではないか。人ゴミの中ではぐれてしまったのであろうか、辺りを見渡してもいない。
あの人、もしかして無言で別の店に入りやがったのか。いや、それはない。スリをしやすいから好きだなんて言ったからシロコさんは僕に対して監視の目を強めているはず。獲物を狙った肉食獣くらいにはしつこいし。
こうして見ると、トリアス州というのは肌の色がタヨウだ。この間アカント州に行った時は僕以外ほとんど白人しかいなかったのに、黒、白、黄色、薄い赤――細かな違いはあるけど、色々な肌が存在している。
見慣れている景色でも、よくよく考えてみると不思議だ。しかも、キョウゾンしている。共に生きられるだなんて、この州はおかしい。
「あ、いたいた」
色とりどりの人を見ていたら、目的の人物を見つけた。シロコさんは、僕がさっきチラっと見た路地裏へと向かっていた。何をしたいんだ。
変な事をしそうだ。無意味な正義感をかざしているただの白人女性がやる事と言ったら、それを相手に押し付ける事だろう。
チャンスだ、スリをしよう。監視の目もなく、人が密集しているなんて、収入チャンスだ。シロコさんも不注意だ。
『行くのです』
女の人の声が聞こえた。懐かしくて、胸がキュっとするような。
「……」
その声に従って、僕はシロコさんの向かった路地裏へ走る。
シロコさんとお金持ちっぽい人は、既に言い争いを始めている様子。高そうな金ぴかサングラスに、派手で高貴そうな服に無駄な金ピカ装飾の多い白人男性。
「ちょっと失礼しますねー」
人ゴミをキレイに避けながら、目的の暗い路地裏に着いた。
「そういう卑怯な事をしていて恥ずかしくないんですか!?」
「うるさいな貧乏人。オレは偉いんだぞ?」
喧嘩の声が聞こえてくる。シロコさんの激しい怒りと、お金持ちの高圧的な態度。それに加えて排気口からの唸り声。
シロコさんはめんどくさい性格をしている。他人の事なんて放っておけば良いのに、正義感の強さからそれができないだなんて、何ともアワレな白人だ。僕のイメージの中にある白人とは対極で、違和感マシマシである。
「ちょいちょい、早く行きますよ。放っておきましょうよ」
「あなたは黙っていてください」
僕の問いかけに、こちらを見る素振りすら見せてくれないシロコさん。
ここは別に表の通りからよく見える場所だ。それなのに誰も助けないのが答え、シロコさんはそれをわかっていない。他人の事なんて無視すれば良いのに。
「なんだ黒人、お前もオレに虐められたいのか?」
「早く行きましょうよー、本を読む時間が少なくなりますよー?」
「すぐに終わりますから」
金持ち白人が僕の方を見て言葉を発した。それにはミジンも興味がないので、シロコさんの手を掴む。しかし、すぐに振りほどかれてしまった。
オフィスビルにへたり込んでいるいじめられっ子を見る。白人なのに、ボロボロの服を着ている男の子だ。ガリガリで、惨めな姿をしている。
この人もつくづく運がない。
「無視すんなよ」
何やら怒った様子で、金持ち男が近づいてきた。僕の態度にいちいち腹を立てているこの人も、十分にアワレだ。
スッと、いつか見たヒョウみたいに、素早くいじめっ子の金持ちに近づく。シロコさんと同じ位の身長で、体感百六十五センチくらいだ。金ピカ装飾に似合わないような黒髪、あんまり屈強そうじゃない体つき、スリが簡単にできてしまいそう。
「うわ!?」
急に近づいたからか、金持ち男が尻もちをつく。ペチッって音が聞こえてきそうでコッケイだ。
「こんなのシロコさんが相手する必要ないですよ。行きましょう?」
言いながら、振り返ってシロコさんの手を強く掴んだ。今度は振りほどかれないように、握り締める。
「ちょ、まだ終わってないですけど」
「良いんです。こいつ、プライドが高いだけのお花畑住みですから。多分親のお金と権力にしがみついているので、何を言っても無駄です」
「だからって放っておけません!」
強い意志で僕を見下してくるシロコさん。
どうすれば良いんだ、これ。懐かしい声に従ってみたけれど、この状況はどうしようもない。
『だからって、放っておいていい理由にはなりません』
懐かしい声は言う。
『わかってます、わかってますよ、そんな事は。でも、相手が聞いてくれないと意味がないじゃないですか!』
『だったら聞いてくれるまで言い続けるのです』
懇願するような声に対し、胸を締め付けてくる声は理不尽にそう言った。
気が付くと、山の中にいた。さっきまで繁華街の路地裏にいたはずなのに、今では木々に囲まれている。どうしてだろう。
『でも!』
『でも、ではありません』
『あの人タチは僕をオソってこようとしたんです! わかってくださいよ!』
『確かにそうかもしれませんが、そうじゃないかもしれないですから』
『むぅ……』
どこか懐かしい記憶。目の前の、お顔がはっきりと見えないけれど、怒ってる事だけはわかる、白人の女性。
『あなたが距離感を間違えるから、警戒されてしまったんですよ、きっと』
『……本当ですか?』
『きっとそうです。だから、今度は私と一緒に、手を差し伸べてみましょう?』
僕は、自分が指差した方向を見る。まるで部族、山の中で暮らす民族みたいな服装をした三人が、こっちを睨んでいた。
……確かこの後は、この人――お母さんと一緒に、身振り手振りで何とか意思疎通をして、誤解を解いてもらったような覚えがある。相手の三人、肌が僕と同じ黒い人達は、よくわかんない身振りで僕に何か伝えてきたはず。その後に、笑顔を作って、僕とお母さんの元から去って行った。
『ほら、大丈夫だったでしょう?』
『でも、悪い人達だったらどうするんですか?』
『その時は、私が守ってあげますから』
僕のお母さんは、身を屈めて、そのキレイな白い手で、僕の頭を撫でてくれた。
なぜだか顔をはっきりと思い出せないけれど、その時は笑ってくれていたはず。
『悪い人達には冷たくしなければいけませんけど、普通の人達には、あなたの優しさに従うんです。良いですか?』
『……はーい』
少し不満気に、僕はお母さんにヘンジをした。
記憶の底から戻ってきた。山の、木がたくさんある場所から、さっきの暗くジメジメした路地裏へ。
「どうかしたんですか?」
どこか心配そうに、シロコさんは僕を見つめている。
僕は、一回深く息を吸ってから、
「追い詰められた人って、何をするかわかりませんよ?」
悪い金持ち男の方に振り向きながら、偉そうに、そう言った。
「なんだと?」
「まあ、あなたにはわかりませんか。追い詰められた人の気持ちが」
「ささ、行きましょ」と言い、僕はシロコさんの手を引きながらいじめられっ子の白人に近づいて、手を差し伸べる。
反抗されたらシロコさんに殴ってもらおうと考えていたが、その心配はなかった。素直に、僕の手を取ってくれた男の子、僕より背の低い、中学一年生くらいの子。無言で僕の手を掴んで、今にも泣きだしそうにしている。
二人の手を引いて、僕は路地裏から去る。
「待て、まだ話は終わってないぞ」
「終わりです」
悪い人を無視して、僕達は繁華街のど真ん中へと進出した。
◇◇◇◇◇
この人、シノビクサリクは、何をしたのか。
口を開けばスリ、スリ、スリ、お金を人から奪う事しか考えていなさそうな男の人が、虐められていた人に手を差し伸べて、しかも先導している。どういう風の吹き回しなのだろう。
しばらく、口を開けなかった。
「リクさん、あなた」
ようやく言いかけて、口を噤む。
「大丈夫ですか?」
繁華街の広場、そのベンチに、さっきの虐められていた男の子を座らせて、目線を合わせながら、リクさんは優しく問いかけた。
返事はない。でも、その子はリクさんを見つめている。目線を逸らさず、リクさんもそれに応えるように見つめ返している。
周りの騒音が気にならないくらい、この光景は異常だと思えた。例えるなら、夜で真っ暗なのに周りの景色がはっきりと見えている時みたいな、信じられない風景の一部。
この人、ここまで優しかったのか。ただの犯罪少年だと思っていたのに、意外な一面だ。
「無理して言わなくていいですから。とりあえず、まずは落ち着いて、深呼吸です」
リクさんの優しい声に反応してか、男の子はゆっくりと息を吸って、吐く。
そして、怖がるように、嗚咽し始めた。
「やっぱり怖かったですよね。でも大丈夫です。僕と、こっちのお姉さんがいますから」
すすり泣く男の子を、リクさんは優しく抱きしめる。
「安心して良いんですよ」
スラム街でスリを起こした、なんて事を忘れそうなくらい、リクさんが普通の人に見える。まるで、さっきとは別人に変わったみたいに。
実は二重人格だったり、弱い子に優しかったり、そういう感じにしては自然なような。こっちが本来のシノビクサリクって言われるとしっくりくる。
本当だったら、あの意地の悪いお金持ちっぽい人に対してお説教をして改心させる予定だった。だけど、リクさんの、真顔であの男を見下す姿を見て、さらにその後のこの男の子に対する軟化した態度を見て、飲まれてしまった。
『何を言っても無駄です』
リクさんの、カを振り払うみたいに言ったその言葉が引っかかる。
その後の、
『あなたにはわかりませんか。追い詰められた人の気持ちが』
無機質に言っていた言葉もそうだ。
お前には興味がない、だけど忠告はしておいてやる。そんな意図を含んでいそうな声。リクさんは、一体何を考えて生きているのだろうか。
この男の思考回路が、段々と気になってきた。
「もう怖くないですからね」
愛する我が子を見守るような声を聞きながら、私はリクさんの背中を見ていた。
◇◇◇◇◇
「お兄ちゃん、ありがと」
「お安い御用です」
落ち着いて、ようやく声を発した男の子を解放して、別れを告げる。
さっきまで周りを歩く人々を怖がっていたとは思えないくらいに安心した笑みを浮かべてから、男の子は僕に背中を見せて、人ゴミの中に消えて行った。
「あ、お金を要求してませんね」
「おい」
「じょ、冗談ですよ……あはは……」
隣でドスの効いた声で言われて、肺が凍り付きそうになる。少しだけ息苦しい。
「あなたって人は……」
「何ですかその視線は」
「別に」
右にいるシロコさんの方を見ると、目を細めて僕を睨んでいた。良くない冗談は控えるようにしよう。
どうせ寮に帰ったら本を読まされるんだし、それなら無駄な行動はしなくて良かった気がする。だけど、お母さんが言っていた事だから、やらないと。
今までこんな事を思い出せなかったのに、どうして今になって思い出したんだろう。お母さんと一緒に過ごした記憶はぼんやりとしか覚えていない。だけど、一生忘れる事なんてできやしないような経験をたくさんしたはず。
『絶対に、また会いに――』
「……っ」
心が締め付けられるような声がして、首を全力で振る。
なんですか、今のは。お母さんの声なのは間違えないけれど、思い出したくないような、嫌な声色。本当にお母さんの声なのか疑わしくて、嫌な音の間違いだと言われても納得できる程に息苦しい。
右手で胸を押さえて、はやくなってくる心臓のコドウを止めようと必死になる。
お願いだから、収まってください。どうか、どうか――
「リクさん?」
心配そうな声色が聞こえてきた。シロコさんが、俯いていた僕の顔を覗き込んでいる。
一瞬、見えなかった。周りの景色、繁華街の雑音、そしてイロハシロコさんという存在が、僕の世界から消えていた。
「あ、あぁ……いえ、なんでもないです」
荒くなりそうだった息をシズめて、ヘイゼンを装う。
「本当ですか?」
「本当です! 早く帰りますよ!」
これ以上苦しくなるのが嫌で、僕はシロコさんの手を強引に取って、人ゴミをかき分けて、寮へと直行した。
この章は一旦終わり




