下界で遊戯 8
「う……わあっ……」
一歩足を踏み入れた瞬間、思わず息を呑んだ。
広い。とにかく、広い。
天井は高く、壁沿いには荘厳な窓と円柱が並び、足元の床には複雑な紋様が描かれている。
魔界から転移してきた時に通ったあの場所と、造りは似ている気がするのに、空気の重さがまるで違う。
ざわざわと低く響く人の気配。
甲冑を身に着けた兵士や、杖を携えた魔術師らしき人たちが行き交い、忙しなく準備を進めていた。
どうやら、ここがこの国の“転移ホール”らしい。
……いや、ちょっと待って。
これ、想像してたより規模でかくない?
思わずきょろきょろと見回していると、隣に立つヴィストが片手だけで私を軽々と抱き上げた。
慌てて彼の肩に腕を回して、ほっと一息。
昨日と同じようにヴェールを付けていたんだけれど、今の動きでふわっと視界が広がった。
遠くに、豪華なローブを幾重にも着こなした王様らしき人の姿が見える。
そのそばには、白亜の鎧に紺のマントをまとった騎士たちが整列していた。
これぞっ、王道異世界ファンタジー……!!
「……最高じゃない?」
思わず口から出してしまった言葉に、私を抱き上げているヴィストの腕に力がこもる。
更に、すぐそばに立っていたジュレイの眉が上がった。
「ふざけるな。これから地獄に踏み込むってのに、何が最高だ。クソが」
即座に噛みつかれて、サッとヴェールで顔を隠した。
確かに今のは失言だったかもと反省して、ギリギリと私の腰を締め付けて、いらだちを伝えてくるヴィストの肩を撫でて落ち着かせる。
人型になっているヴィストの銀色の髪に頬を寄せて、ついでに頭もなでなで。
ヴェール越しだからか、この世界に来て私の中で何かが変わったのか。
普段の自分なら考えられないくらい、恋人みたいな距離感だ。
……まぁ、ジュレイが怒っていても気にならないけれど、私の命綱であるヴィストの機嫌を取っておくのは大事。
「ねぇ、ヴィストはこの中の誰よりも強い?」
私の素朴な疑問に、ヴィストがくくっと喉で笑う。
「当然だろう。俺を誰だと思っている」
「一気に来られたら?」
「一気に跳ね返す」
「……不穏な会話はやめて下さい」
その声に振り返ると、少しだけ疲れた顔のクーヘンが眼鏡を指で押し上げて、溜息をついていた。
「これより、隣国への掃討作戦について最終確認を行います」
クーヘンの淡々とした声に、転移ホールの空気がぴりっと引き締まる。
壁際に控えていた兵士たちや魔術師たちが、一斉にこちらへ視線を向けた。
どうやら、私たちが主役らしい。
コスプレ会場で散々他人の視線に慣れてきたつもりだったけれど、一瞬だけ雰囲気にのまれそうになった。
でもここで私がのまれちゃったら、サキュバスキャラとして恰好良くないよね!?
今はヴィストの腕に片手抱っこ状態だから、いろんな意味で今の私は最強のはずだ。
集まっている人達の中には、女性の姿もあるし私も堂々としていなきゃね。
ヴィストの肩に置いてる手に、少しだけ力が入ってしまったことは内緒ってことで。
「兵士と騎士、魔術師をいくつかの部隊に分け、隣国の周囲へ転移させます。逃走してくる魔族の殲滅、および罠の解除を担当してもらう」
「で、俺たちは?」
ジュレイが腕を組んだまま、不機嫌そうに口を挟む。
その隣では、ラテが凛とした決意にあふれる目をしている。
「あなた方は、国の内部へ直接転移します。魔族の主力が潜んでいる可能性が高い場所です」
さらっと言われた内容が、わりと物騒で思わず瞬きをした。
……内部って、つまり一番危ないとこじゃない?
「魔族を見つけ次第、殲滅。周囲の部隊が逃走経路を封じます」
うん、言い方。
ちょっとだけ優しさとかないのかな。
ヴィストはまあ問題無いとして……、いやヴィストに守られてる私も問題ない……?
いやでも待って、魔界にいた時結構ヴィストってば、私の事忘れてどかんどかんしてたよね。
あれ結構私も危なかった気が……?うーん?
「……ヴィスト、私のこと守ってね?」
「言われるまでもない」
よしっ、言質とった!
そんな事を考えているうちに、遠くで高らかな音が響いた。
ぶおお、と低く長く鳴り響くラッパの音に、ざわついていた空気が一気に静まる。
玉座の前に立つ王が、ゆっくりと一歩踏み出した。
「シーレヌの名のもとに――」
……長い。
これ、絶対長いやつだ。
格好いい事を言っているのはわかるんだけど、正直、眠い。
朝だし。
さっき朝ごはん食べたし。
あくびを噛み殺そうとして、うっかり口元が緩んだその瞬間。
「……我らは先に行く」
低い声が、王の言葉を真っ二つに切り裂いた。
「えっ!?」
ラテが素っ頓狂な声を上げ、ジュレとクーヘンが同時に振り向く。
「ちょ、ヴィスト!? 今、王様しゃべって……!」
「無駄が多い。準備は整っているのだろう」
そう言って、ヴィストは私を抱き上げたまま、一歩前に出る。
驚いて目を丸くしている私の表情は、ヴェールが隠してくれているとはいえ、周囲が不安になるかもしれない。
出発前って指揮を高める事が1番大事だよね。
最強の人狼さまがここまで言うなら、私も乗っかるしかないでしょ。
そう頭の中で結論付けて、私は周囲に向かってにっこりと微笑んだ。
今の私は魔族、サキュバスのユーア。
魔族ならば、この状況を楽しんでこそ。
王様の演説に付き合う道理はないってね!
やってやろうじゃない。
「それでこそ、私のヴィストね」
くすりと笑って、ヴィストのつむじにそっとキスをひとつ。
距離感バグってきてる事は、もう考えない。
私は無傷で日本に帰る。
そのためなら何だってやってやるって決めてるんだから、これくらい何でもない事。
「私にヴィストの格好いいところ、たくさん見せて。私を退屈させないで」
「……ああ、期待には答えるさ」
そう言って、ヴィストが羽織っていたマントで私をつつむ。
「おい、お前ら……」
「いえ、理にかなっています。隣国、ユサイヌの地に魔族が入り込んでいる事は、まぎれもない事実。今回の軸は彼らにあります。……よろしくお願いします、ジーヴィスト」
「知らん。元より、オレが行くのはこいつがいるからだ。ユーア、捕まっていろ」
「ええ。……では皆さま、私達はお先に失礼いたしますわ」
マントの中から顔を覗かせて、にっこり微笑んでみせる。
顔を覆うヴェールで、私という人間が周囲の目にどう映ってるかまで考えなくても良いのは助かる。
ヴィストの身体に腕を回して、ぎゅうっと力をこめた。
直後、足元から青白い光が立ち上り、一瞬の浮遊感。
そして、視界の端で慌てた顔でこちらに手を伸ばしている、ラテとジュレの姿があった。
―――――
豪華な赤いドレスを身にまとった女性が、足元に転がる騎士だったものを冷たい目で見下ろしている。
その鎧は、シレーヌの紋章を刻んだままだった。
彼女の手の平の上には、この世界の人間が身に宿す命の石がほのかに輝いている。
「……ねぇ、ツェーザレ? 今回の余興はわたくし、いまいちだったわ」
「ええ、既にエサは巻いてあります。久しぶりに私も地上へ出ましょう」
目を細めて笑う蜥蜴のツェーザレの姿を一瞥して、アーシェラが暗闇に溶け込むように姿を消す。
後には、待ってましたといわんばかりに、知性のかけらもない魔物が我先に食へと手を伸ばす。
「また会えることを楽しみにしていますよ、ユーア」
ふふふ、と音にならない笑みを残して、ツェーザレの姿も闇へと溶けた。




