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初仕事 1

 二週間ほど前の爆発事故が故意に起こされたものだと結論付けられ、一人の男が逮捕された。素直に罪を認めたというが、彼の父親が再度調査をして欲しいと訴えていた。もう一度調査をして、それで納得の行く結果が得られれば息子の罪も認め、父親として償いたいのだという。再調査の申請はしているものの、まだそれは認められていなかった。


 「マスターは本当のところはどう思っているんだ?」

報告を聞いていたニックは、クールの差し出したコーヒーを受け取って言った。受けとる時に腰までもある長いブラウンの髪がはらりと落ちたのを、右手で耳にかけ直す。その仕草が色っぽい。顔立ちが中性的で上背もあるので、ともすれば女性のモデルとしてステージに立てそうだ。しかしニックは女嫌いとまでもいかないが敬遠するタイプで、女よりは歳が一回り以上ある男性が好みだった。

 「さあ?マスターはいつものようにそういう訴えを見つけただけでしょう?」

クールはこだわる程の疑問でもないと、静かに受け流す。


 マスター──名前も年齢も性別さえも分からない。唯一分かるのが、相当な資産家ということだけだ。

 マスターは仕事の依頼を受けるのではない。日々上がってきたり聞こえてくるニュースの中から気にかかるものをピックアップしている。それをクールが精査をして再びマスターに報告したあと、取りかかる仕事を選択したり適任者を決めるのだ。全てマスターの判断ひとつ。良く言えば慈善事業。悪く言えば〈金持ちの道楽〉なのだ。


 この仕事を─副業だが─自分もこなすようになって、改めてルールを思い出していた。

 マスターの正体には疑問を抱かないこと。マスターの指示には従ってもらうが、絶対ではない。また、怪我や死に至る事故があっても、自己責任。

 全てはマスターの身分を守るためだ。クールもマスターの仕事を取り次ぎはするが、その正体は知らないらしい。知っていたとしても、話さないとは思うが。

 以前、声からその所在を探そうと試みたことがあった。しかしマスターの声に乗せて人には聞こえない音波が同時に発信されており、気持ちの悪さに倒れてからはそれさえ止めた。

 ただ、仕事のために必要な物・事に関しては無条件で用意してくれる。時には武器さえも躊躇せずに用意してくれるのだ。今の住まいにしても、マスターが用意してくれたものだ。財力はかなりの物だと思う。報酬も、時には本業より良いかもしれない。


 「どうします?他の者に回してもいいですよ?」

 「いや。マスターは、俺なら何かできるかもしれないって、呼んだんだろ?」

複数の案件をマスターは振り分ける。どんな裁量を持って適任者を決めるのかは分からないが、いつも本業に支障のないペースで仕事を終わらせることができた。

 次の仕事(本業)はひと月後だ。余裕で終わらせることができるだろう。たぶんだが。

 「やるよ。いつまでも家で落ち込んでいられないし」

苦しく、寂しそうな声だった。

 「彼の事は残念でした。でもニコラスならそう言うと思いましたよ」

クールはニックの飲みかけのコーヒーに、ブランデーを染み込ませた角砂糖を落とした。少し驚いた。涙をこらえた鼻の奥がツンと痛い。これはエドワードの好きな飲み方だった。

 エドワードが本職の方で死んだのはひと月ほども前。その報せを聞いたときはかなり取り乱した。身内がおらず、クールの助けを借りてニック一人が彼を見送った。しばらくは何も手を付けることができなかったが、何時までもこうしていられないと、立ち直る気持ちも生まれてきたところに、マスターからの仕事の依頼が来たのだ。



 ニックとアキラが出会う直前からのスタートである。


*********


 髪は束ねた。スーツはマスターが用意した。伊達眼鏡をかけるとインテリ風。首から下げた身分証と、左に付けた腕章は架空の報道機関名が書かれている。クールが作ってくれたIDカードは、どこのセキュリティもほぼ通ってしまう優れものだ。悪用はしないが。

 「まぁまぁか?」

全身を映して呟いた。若い記者のようだ。ビジネスマンがそろそろ出社するだろう時間を見計らい、ニックはスタンバイハウスを出ていった。



 記者として警察に出向いて話を聞こうと思った。が、まだ取調べも済んでいないとけんもほろろに追い返されてしまう。では、とニックは父親の方から詳しく経緯を聞こうと足を向けた。

 彼の自宅は数十年前に宅地造成された土地の建売住宅だったようだ。数家族の入れ替えがあり、リホームなどもされているようだが、外観がほとんど変わらない家が並んでいる。

 同じ家並の奥。裏手がもう林という一番端の家がそのようだ。改めて見ると、ずいぶんと小ぢんまりとした家だ。当時の流行りであったのだろうが広い間取りではなさそうだ。が、父親と二人で慎ましく暮らすには十分と言えよう。

 そこに住む『篠原イサトゥ』という容疑者は、十歳にもならないの頃から不登校の引きこもりだったそうだ。母親の失踪などもあったが詳しい理由は分からない。が、十数年間も世間との関わりをほとんど絶っており、ようやく社会との接点をつかもうとある事務所でアルバイトを始めた。それが、今回爆発事故が起きた会社である。

 職員はイサトゥ一人。出社すると職場のパソコンに業務内容が指示されていて、彼は午前中いっぱいそこで作業する。仕事内容については父親も知らないらしい。ただイサトゥは他人との接触も無いので気が楽だったようだ。

 だが、ひと月程過ぎた頃からイサトゥは再び塞ぎ込むようになり『これで最後にする』と家を出て今回の事件である。

 新聞や報道で聞いたのと大差ない内容だった。



 「その『これで最後』の意味は、お父さんには分かりますか?」

ニックは小さなボイスレコーダーを父親に向けた。

 「検討もつきません。ふがいない父親で、すみません」

無造作に束ねた白髪混じりの頭を揺らし、無精髭まみれの顔を撫でた。息子の起こした事に、憔悴しきったようにも見える。父親というものは、我が子の事となってはこんなにも心配するものなのだろうか?と、自分とは無縁の感情に納得した。理解まではできなかったが。

 「気になさらず。こちらも新人なもので至らないことばかりです。地道に取材をさせていただきますので、また伺わせて下さい」

自分らしくない物言いに、鳥肌を立てながらその家を後に、爆発事故の現場へ向かった。



 さて・・・。

 建物全体を覆うパネルゲートと規制線の前で、ニックは自分に気合いをいれるように大きく息を吐いた。取材許可は取ってある。現場の検証もほぼ終わっているのだろう。警察も現状を変えないならばと許可してくれた。


 中は三階建てのオフィスビルと聞いていた。その一階が現場である。しかし妙だった。爆発事故とされているはずが、炎が上がった形跡がない。吹き飛んだ天井の縁がぐるりと焼ききったように焦げているだけだ。その煤が床にパラパラと落ちているだけである。散乱している紙類には少しも焼けた気配が無い。



 「ここってさ、こないだ爆発事故があったっていうのに、焦げひとつ無いんだね」

背後からいきなり甲高い少年の声が上がった。

 驚いて振り向くと、十五ー六の少女のような面立ちの少年が立っていた。左手に数本のポップキャンディを持ち、右手には舐めかけのキャンディを持っている。

 「誰だ?ここは立ち入り禁止だぞ!」

言うと、えへへと照れ隠しに笑い、少年は続けた。

 「だって、綺麗な長い髪のお姉さんがここに入ってったからー。んで、付いてきたらお兄さんだったの」

 「何が目的だ?お前『篠原イサトゥ』と関係があるのか?」

返答次第では催眠術を使うつもりだ。この仕事をしていると、時々妨害にもあう。そういう類の人間だと思ったのだ。

 「それ誰?ボク、綺麗な女の人の姿を見たかったんだよ。それなのに野郎だったなんて残念」

ニックの質問にはひとつも答えることなく、いたく残念そうにブツブツとぼやきながら周囲を見回していた。

 「何なんだ?帰れよ」

 「帰ってもいいけどぉ、お兄さん、肌も髪も綺麗だよね?お手入れとかしてるの?ボクと同じ趣味だったら語り合おうよぉ」

ニックの質問には答える気はないようだ。そもそもニックの話を聞いている風もなかった。

 「うるさい。仕事中だ。失せろ」

 「仕事?そっか。ボクも仕事中なの。駆け出しのアイドルって、何でもこなさなきゃいけないんだね。今日はこのキャンディを食べながら街を歩けってさぁ」

周囲を眺めながら言う。

 「ニュースでは爆発って言ってたけどさ、嵐にでもあったみたいだよねぇ」

彼は言った。情報は知ってはいるようだが、興味ではないらしい。が、件の事件現場とあって周囲をキョロキョロと見回している。

 確かにそうなのだ。爆発した形跡はない。何かが大暴れしたかのように物が散乱しているのだ。

 「あはは!天井、空までぶち抜きー!」

けらけらと笑っている。巨大な何かが空まで吹き上がったか、もしくは落ちてきたのか、天井の一部がぽっかりと抜けている。その天井部分は捜索しているが欠片さえも見つかっていないという不可解さだ。青空がよく見えると、彼は伸びをするように空へ手を向けて振っている。しかしこの少年の不真面目なまでの軽薄さ。仕事中だと言っていたが、その真剣さが足りないようだ。真面目に仕事に向き合っている自分を、嘲笑うかのような陽気さだ。

 「ここ、何やってたんだろうね?爆発物でも作ってた?でも、火が出た形跡も無いや。書類なんかも有るけど、特別って感じじゃないもんね?何かの秘密組織とか?」

そこまで言って、思い出したようにまたけらけらと笑う。特撮番組のその他大勢の悪役に出たけど、覆面を被っていたので放送を観ても自分を見つけられなかったのだと言う。

 調子を狂わされる。辟易として天を仰いだ。誰かこいつを外に放り出してくれ。思ったが自分しかいない。関係の無いことに自分の調査の時間を潰されたくなくて、ニックは苛々としてきた。

 「ここから出ていけ。早く!」

 「うわ、怖ーい」

少しも怖がっているふうはない。興味は周囲に向いているようだ。

 「邪魔するな!早く出ていけよ」

ニックの声も怒鳴りに近くなっていた。

 「はいはい。お邪魔しました。あ、キャンディはバイオレットポップ!新発売でーす」

 「ふざけるな!行け!」

腕を振り上げて殴る仕草をしてみた。きゃっと叫んで、彼は避けようとしたが、それより先に散乱した本や紙の山に足を取られて豪快に尻餅をつき、そのままひっくり返ってしまった。

 痛かったのか、しばらく起き上がれないでいるらしい。

 「すまない。本気で殴るつもりはないから」

申し訳なくニックは言って手を差し出して腕を取ろうとした。が、袖に触れかけたその手を払いながら少年は、じぃっとひっくり返った机や書棚の奥の隙間を見ていた。

 「邪魔したお詫びにさ、何か見つけたの。あそこ。壁と床にできた隙間に挟まってる物があるの。仕事中だったんでしょ?何かの手がかりが無いかって、思ってたでしょ?」

仕事中とは言ったが、何か手懸かりになりそうなものはないか?とまで話した覚えがなかった。いや、言っただろうか?彼の行動に苛ついて記憶が定かではない。しかし彼の言うように、確かに何か小さな物が挟まっている。

 持っているペン先を使い、慎重に掻き出してみた。四角い小さなメモリーカードのようだ。

 「メモリー?ここの事故の手懸かりになるかもね?邪魔したお詫びになってよかった」

 「俺がなにか探してるって、何で分かるんだ?お前、ここの事何か知ってるんじゃないか?返答次第じゃ強制的に話してもらうぞ」

詰め寄ると、触れられまいと彼は慌てて後退りした。

 「そんなんじゃないよ。綺麗なお姉さん見かけて入ってきただけで、お姉さんが男で……!」

言葉が最後まで続かなかった。

 風を切る鋭い音がした瞬間、ニックが摘まんでいた爪の先ほどのメモリーカードが何かに弾かれて空を飛んだのだ。落ちていくのを見逃すまいと、彼は手を拡げて受け止めた。

 しまった!という一瞬の表情の後、彼はその場に倒れ込んだ。荒い息をあげて、手のひらからメモリーカードを無理やり振り落とすように見えた。それからぶるぶると震えながら、ポケットに仕舞い込んでいたキャンディの包み紙を破いて口に頬張った。

 「おい、どうした?」

 「ダメ!今、ボクに触らないでぇ」

助け起こそうと手を差し出すと、彼は悲鳴のようにそう口走った。

 「今ボクに触ったら、キミのプライバシーみんな見えちゃう」

少し落ち着いたところで彼は言った。

 「超能力者(エスパー)?」

ニックは呟いた。

 「うん。過去視っての?物の残留思念が読めるの。ここでね、誰かがここで超能力を高めてたよ」

所構わずに読まないよう訓練してきたが、考えている事とその物が同調したとき、今のようにいきなり見えてしまうのだという。少しの時間とはいえ体力も精神力も消耗してしまうのだそうだ。触れている時間が長ければ、戻れなくもなるらしい。

 「ごめんね。邪魔したお詫びにボクの視たこと受け取って。ただ、本当にこことは関係ないの。本当に女の人と間違えて追いかけてきちゃったの」

ぺこぺこと二重三重に頭を下げて彼は言った。良い手懸りをくれたのだ。もう怒ってはいない。こっちも驚かせてしまったのだから。

 「こっちこそ、思わぬ手懸りをもらったよ。戻ってこのカードを調べてみるさ」

拾い上げてニックは言った。しかし、メモリーカードは一部が欠けて変形していた。読み込むのは難しそうだ。

 「何だろうね?これをピンポイントで狙ってきたみたいに落とされたよね?」

 「長居しない方が良さそうだぞ。これも持ち帰ればこっちが狙われそうだな」

ニックはメモリーカードを大袈裟な動作で放り投げた。まだどこかで何者かが監視しているかもしれない。

 「出るぞ。今度は俺たちに射ってくるかもしれない」

そう言うと、出口へ向かった。彼もあたふたとニックを追いかけてくる。

 「じゃあな。もう二度と見間違うな」

厳しい眼差しを向けてニックは言った。その冷たい視線にごめんねを繰り返しながら、彼はバタバタと角を曲がって賑わっている人通りの多い方へと消えていった。

 やれやれと頭を振った。収穫はあったが、とんだ邪魔が入ったものだ。しかし、妙な少年だった。物怖じすること無く話しかけてくる。良く言えば社交的でおおらか。悪く言えば考え無しの単純バカ。そこまで思って小さく笑った。同年代くらいの人間と話すのは初めてだ。しかし、ああいうのにはあまり関わりたくはない。振り回されそうな気がする。もう一度会いたいとも思わなかった。


 「ニコラス!」

ビルの反対側へ渡ったところで声をかけられた。クールである。

 ビジネスマンならそろそろ仕事上がりの時間だろう。今日はここで仕事を終わらせるとクールに伝えてあった。迎えに来てもらったのだ。



 「先ほどの子は誰です?」

スタンバイハウスへ向かう車を運転をしながらクールは言った。

 「知らない。俺を女と間違えて追いかけてきたらしい。ずいぶん調子のいい奴だったぜ」

思い出して少し苛ついた。しかし彼も超能力を持ち、過去を見ることができて、調査の糸口を見つけてくれたとは伝えた。

 また、見つけたメモリーカードの事やどこからかカードを狙い撃ちされたことも。

 「何度も言っていることですが、危険が及びそうであれば調査は打ち切ることですよ。危険に会わせることを、マスターは望んでいませんからね。亡くなった彼もきっと同じでしょう」

 「分かってるよ」

過ぎ去る街並を眺めながら相づちを打ったニックは、上の空だった。こっちが本業だったら、(エド)は死ななかったのかもしれない。そんな『もし』の思いを、車が車庫に収まるまでずっと巡らせていた。


**********


 マスターの仕事を受けて一日こなした後、本業の方を抜けられずに数日。マスターの方からも都合がつかないから調査を中断してくれと、更に数日の休みが過ぎた。久しぶりにスタンバイハウスに戻ってきてみれば、

 「なんでこいつが居るんだ?」

 「やっほー!おひさー!」

事故現場で会った少年が、部屋に入ってきたニックにブンブンと手を振った。大袈裟な身振りをしなくても、嫌というほど視界に入ってくるのだ。遠慮しろとニックは思った。

 「ニコラスの話から、彼は仕事の手助けになるかとスカウトしてみました。適性は十分にあります。コンビを組んでください」

 「冗談だろ?」

クールの青い瞳を間近に、噛みつく勢いだ。

 「冗談ではありませんよ」

いたって静かな物腰で佇みながら、クールはニックを見つめ返す。

 「俺は嫌だ」

言い争って熱くなればなる程、クールはその名の通り冷たく冷静になる。分が悪い。あからさまに不機嫌な表情で、ニックはどかりと少年が座るソファの正面に腰を下ろした。

 「ぅわ、何か怒ってる?」

戸惑うというより、不思議そうに目を丸くして首をかしげている。

 「気にしないで下さい。意にそぐわない状況に癇癪を起こしているだけですよ」

静かに微笑むクール。しかしクールはニックが少なからず苛々していることはよく分かっていた。

 「ボクでいいのかな?」

小首を傾げて、まだ不思議そうな顔をしている。お前の存在そのものが迷惑なんだとニックは思った。

 「ニコラスには良い機会なのです。今まで歳の近い人間がいなかったものですからね。ニコラス。彼はアキラ。同年代ですから仲良くなさい」

エドワードは生前、自分には歳の近い友が必要だと言っていた。だからといっていきなりこの展開は迷惑この上ない。

 「嫌だ」

 「何が嫌?例えば、どんなことが嫌なの?」

自分より濃いブラウンの瞳が、見つめてくる。辛い経験をしてきた事が無いような、無垢な視線だ。だからあんなに物怖じすることもなく、他人の懐に入ってこれるのだろうか?

 そうか。と、ニックは思った。自分とは過ごしてきた環境が違うだろうから、受け入れられないのだ。

 エドワードが同年代の人間と交流を持てと言っていたことを思い出した。学校へ行っていなかったために、同じ年代の人間の考え方や行動を知らない自分を、彼は心配していた。しかしその頃は、エドワードが自分の前から永遠にいなくなることなど考えていなかったのだ。彼と共にいれば、他は大きな問題では無かったのだ。

 「お試し。って、どう?」

少年─アキラ─が提案してきた。

 「君はボクの事知らないし、ボクも同じだもん。ボクの事も知ってよ。いろんな環境の人と過ごすことも、必要なんでしょ?」

そこまで言ってから、アキラはあからさまに慌てて口を押さえた。

 「エドがよく言っていた言葉。俺の過去も読んでたのか?」

厳しい眼差しだ。

 「うっかり見えちゃったの。メモリーカードの時。でもほんの数秒で、だからすこしだけで……」

 「一緒に仕事なんて、やっぱり無理だな」

ニックは駄目だと首を振った。頼まれても無理なものは無理だ。

 間違ったことをされているわけではない。それが癪に触ると言えば触るのだ。アキラはたまたま見えてしまったのだ。その見えたことを誰かに話すということはしないようだ。先ほどの口を滑らせて慌てた表情が物語る。

 しかしその素直な行動がまた癪に触るのだ。その純粋なキラキラとした瞳にも。

 ふん。と、鼻息を荒くしてニックはアキラに背を向けた。ソファの背もたれが邪魔になるので、上に正座をして背もたれを抱えている。

 「ほぉ……」

その行動を、クールは珍しいものを見たと声を漏らした。

 「そんな拗ねた姿を見るのは初めてですね。なんとも子供らしい」

くすりと笑う。

 「拗ねてなんてない!ガキはあっちだろ!」

親指を後ろへ向けて声を荒げる。

 「子供じゃないよぉ。もう選挙権だって、カードだって持ってるもん。車だって運転できるよぉ」

緊迫感の無いゆったりとした口調でアキラは言う。カサカサと何かの包みを開く音もする。ちらりと振り向くと、チョコバーを口に運ぶところだ。

 「おやつ持参は子供じゃないか」

 「え~っ?糖分の補給はより良い思考を促すためにも、大人には必要なんだよぉ」

 「はん!言い訳じゃねーか。ガキ、ガキ!」

見たことが無いような喚き口調が面白くて、クールは声を圧し殺して笑っている。ニックは完全に拗ねた子供のようだ。これまで見たこともない姿だった。

 「大人。なんだよね?」

アキラがテーブルを乗り越してニックの背中に迫る。

 「あぁ!そぅ…?」

荒げた声は最後までいかなかった。振り向くと、口にチョコバーを押し込まれたのだ。甘い。苦手なほど甘い。

 「ならさ、大人の対応取ろうよね。お試しの一度きり。やってみようよ」

いつも冷静なクールが、声をあげて笑った。


 ニックは自分が調べた経過について、車を運転しながら話していた。たった一日だけの調査なので、成果は無いに等しい。唯一の功名といえば、アキラが視たイサトゥの思念だけ。これがまたニックには癪だった。

 「ねぇ、経過については分かったからさ、ボクと運転代らない?」

 「あぁ?」

唸るような声音で返答し、じろりとアキラを見返した。

 「ぅわ、すっごい迷惑そう」

 「新人は黙って俺の仕事を見てりゃいいんだ」

面倒臭そうに一息吐いて、ニックが言う。

 「やだ。パワハラ?でも、運転はボクの方が得意だよ。後ろ見てよ。この道狭いから追い越しもできずに行列ができてるよ」

ニックはその後のアキラの呟きも聞き逃さなかった。『カルガモのママみたい』

 「俺は安全運転なんだよ。交通ルールはきっちり守るんだ」

癪に触る。自然と声が荒くなる。

 「でも、車の流れを妨げてもいけないんだよ」

苛ついているニックなど気にする風もない、こだわりの無い返答。ニックは正論に息を飲んで怒鳴り返そう……と思ったが、正直に言えば車の運転は苦手だ。それを見透かされたようでまた腹が立ってきた。結局、交代した。


 「で、まずはどこへ?さっき、イサトゥに話を訊くんだって言ってたけど、そうすると留置されてる警察署ってば遠いんだけどさ?」

運転席へ着いたアキラが言った。ニックが左折ばかりで移動しているのは気付いていた。が、これは言うまいとアキラは思った。



 目的地には五分もかからず到着した。アキラはずいぶんと裏道を知っているようだ。そりゃ、生まれ育った街だから。と、アキラはにこやかに返答した。

 署内には様々な手続きで訪れる者もいる。二人も然して不審に思われることもなく、担当部署のあるフロアへやって来た。

 「何か探して?」

受付の若い署員が二人に声をかけた。

 「篠原イサトゥの弁護士の秘書です。早急に確認したいことが発生しまして、彼に接見したいのですが?」

流れるように淀みもなく、アキラの口から嘘が漏れてくる。

 「先ほどいらしたばかりで。まだ何かありましたか?午後には移送を始めるそうですが?」

移送?と、ニックとアキラは顔を見合わせた。アキラは想定外の返答に何を話すべきか口だけをぱくぱくとさせている。これ以上間が開けば不審に思われるだろう。その前に……と、ニックはその瞳を金色に光らせた。

 催眠術。その言葉がいちばん適当なのだろう。ニックの超能力のひとつだ。

 「篠原イサトゥに会いたい。案内してくれ」

 「あぁ、はい。こちらへどうぞ」

彼は来客を招くように二人を案内し始めた。



 「ねぇ、何?今、何をしたわけ?キミの瞳、一瞬金色に光ったよ?」

アキラが小声ながらも早口でまくし立てた。

 「俺の特技。催眠術。そして黙れ」

アキラの胸ぐらに指を突き立てて言った。しかし、そんな脅しのような仕草ではアキラは黙りそうもない。接見室に入ってからも、ブツブツと呟きながらニックの能力を羨ましがっていた。


 接見を拒否していたのか時間がかかっている。アキラの呟きにいい加減飽きてきた頃、やっとイサトゥが現れた。艶毛のないバサバサの灰色の頭。染めが抜けてずいぶん時間が経つのだろう。毛先だけ緑色が残っている。眠たそうにも見える神経質そうな生気の無い瞳が、ぼんやりと二人をとらえた。

 「さっきの弁護士と違うんだな」

乾いた少し高い声だ。アキラとニックは顔を見合わせた。奥にいる立会人が邪魔だと互いに思ったらしい。軽く手を上げ、その男を招いた。同時にニックの瞳が光り、男は頷いて面会室を出ていった。

 「あのビルを破壊したのは、本当にお前なのか?」

ニックがまだ瞳をゆらゆらと光らせている。返答次第ではまた超能力(ちから)を使うつもりだ。

 「なんだ弁護士じゃないのか。アイツらの仲間でもないんだな。そうだよ。おれがやったんだ。でもあんな風にしたかったわけじゃない」

警戒しつつ苛立たしそうに言う。

 「何かの超能力なんでしょ?ちょっと制御しきれなかった?」

アキラが現場で見えた内容から推測して言った。イサトゥはおや?と目を開いた。もしかすると、やつらとは違う人間かもしれないと期待を持った。

 「なぜそれを?おれはこんな能力なんていらないんだ。それなのに解放しろ。仲間になれって。…父さん…」

イサトゥが思い立ったように二人を見つめた。

 「頼む。父さんの無事を確認してくれ。あいつ等、父さんの安全をちらつかせて、おれの能力を解放しようとしたんだ!」

先ほどまでの虚ろな視線は成りをひそめた。緊張の増した瞳がすがるように二人を見つめている。

 「移送ってのも嘘だと思う。おれはネットでしかやり取りをしていない連中のところに連れていかれるだろう。おれが言うことをきかないと、今度は本当に父さんに何かするはずだ。父さんを、できれば必ず安全だっていう所に匿ってくれ」

彼は必死に祈りのポーズをとっている。

 「妙なことになっちまったな。爆破事件が本当にお前の仕業かを調べるだけだったのに」

 「どうするの?」

他人の依頼を受けるような決定権はアキラにもニックにもないのが通例となっている。しかし捜査中に派生した依頼については、状況によっては判断を任される。結果が良ければお咎めなしだ。失敗すればクールの説教が長くなるだけ。

 「移送は午後って言ってたな?わかった。確認してくる。その後、お前もここから解放だ。ここにいる間は大丈夫そうだが、お前の身の安全も不確かそうだからな」

ニックは言うと、指をパチンと弾いた。程なく立会人が現れ、イサトゥは促されるまま立会人と共に消えた。


 閑静な住宅街。といえば洒落たデザイン住宅でも並んでいそうだが、数十年前に宅地化されたここは、少々雑多な家並が続き、所々は更地になっている。二人はそこを車で走っている。

 「なんだか寂しい住宅街だね。で、どこに向かってるの?」

 「この先、あの林の手前」

実に無愛想な物言い。仕事でもなければ、一緒にいたくないという態度があからさまだ。他人に対して壁を作ってこなかったアキラにも、これは少し切なくなってくる状況だ。しかし努めて明るく、

 「変わった場所だね?でも…」

 「道が狭いからここで停める」

言い終わらないうちに指示が入った。

 渋々といった表情でアキラは従う。現在の設定は記者の助手。余計な口出しはしない事とニックからクギを刺されていた。路地をいくつか曲がり、背後に林がひろがる住宅街の最奥の一軒家が目的地だ。周囲は荒れた庭などの家があちこちにあり、宅地の古さを思わせられた。


 チャイムを鳴らすと程なく現れた白髪交じりの男。前回会った時は無精髭を伸ばしていたが、今日はこざっぱりとしている。

 「久しぶりです。再捜査を取り下げたと聞いたのですが?」

 「あぁ、少し待ってください」

彼は戸惑ったように視線を動かしてから、家の奥へ消えた。

 その間ずっと、アキラがニックのスーツの袖を引っ張っている。なんだよ?と鬱陶しそうに振り向くと、

 「あの人、誰?」

アキラはニックの耳元で言うが、小声でもないので筒抜けだ。

 「イサトゥの父親。あぁ、会うのは初めてか」

するとアキラは頭を振った。しかもブンブンと大きく。

 「ボクが見た父親は、ハ…つるっぱ…頭髪の淋しいヒトだよ」

直後、ニックは苛立った顔を驚きに変えた。癪に触る奴だが、能力(ちから)ーは認める。アキラが感応したものが本当だろう。更に問いただそうとした時、異質な音を聞いた。

 甲高い電子音。どこかで聞き覚えがある。

 エドワードの仕事に同行した時、過激な奴等が仕掛けていた時限装置。それと同じような音だ。

 「逃げるぞ!」

アキラの襟首を鷲掴むと、自分でも想像つかない力で低木の生け垣の中に飛び込んだ。

 直後、轟音と共に炎と熱風が入り口のドアを吹き飛ばした。火柱も屋根を突き破り、黒煙が高く立ち上っていく。周囲の家から家人がわらわらと集まりだし、見上げたり指差したりをしている。

 「この後、どうするの?」

ちょうど茂みの中にすっぽりと覆われて、二人は周囲から見えていない。

 「どうするって、人が少なくなるのを待つしかないだろう?」

困りきった顔をして、ニックが言った。

 「でもさ、父親がニセモノってバレて、イサトゥの事も調べているの気づかれてさぁ、イサトゥってヤバくない?」

言うと、ニックの顔が今度は険しくなった。

 「ヤバいな」

 「だよね」

ニックの同意に頷くなり、まるで周囲の動きに紛れるように悠々と立ち上がり、拾った植木鉢の破片を片耳に当てながら通りへ出ていった。気が気ではないニックがその後をあたふたと付いていく。

 「そうです。爆発音がして。はい。はい。中に人が居るかもしれません!」

いかにも切羽詰まった風な声音だが、アキラは茶目っ気を込めた笑顔でニックの方を向いて舌を出して見せている。

 「イサトゥのとこ、行こ!」

車を停めた場所まで戻ると、持っていた破片を放り投げて言った。まだ戸惑ったままのニックは、言われるままに助手席のシートに納まる。考えがまだ追い付いてこない。

 我に返ったのはグンと加速が付いて、身体がシートに沈んだ時だった。

 「おい。俺たち見られたぞ。爆破の容疑者にされたら…」

 「大丈夫だよぉ。ボクたち通報してたでしょ」

植木鉢のカケラでだけど。と笑う。アキラ曰く、堂々としていれば大丈夫だと。本当だろうか?ニックは胡散臭そうな顔を向けるばかりだ。それに、

 「スピード落とせ。今度はスピード違反で捕まるぞ」

言ってる端から、爆発した家へ向かうと思われる数台の警察の緊急車両が一台、こちらへターンしてきた。しかしアキラは暫くは減速しない。逆に大丈夫だとニコニコしながら言うのだ。

 やがて減速。停車。パトカーが後方について、警官が降りてくる。

 「お急ぎでしたか?」

運転席の窓を開けたアキラへ、警官が訊いた。

 「困るんですけどぉ」

免許のカードを見せながら不満顔を向けている。

 「今、撮影カメラが回ってるの。あなたのせいで、撮り直しだよ。撮影申請出てたでしょ?見てないの?ほら、上空でヘリだってドローンだって飛んでるでしょ?」

嘘だ。ヘリは爆発現場をとらえてるはずだ。しかし警官は少し戸惑い、問い合わせようとしている。

 「待ってられないの。時間との勝負だよ。でも、今このシーンも使われるかもね。おまわりさん、スターになっちゃうよ。じゃ、時間がないから行くね。確認、ごゆっくりー」

言うなり、急加速でその場を去る。

 頭が真っ白になって思考停止したのは、これで何度目だろう?呆れて開いた口が塞がらないというのはこういう事か。ニックは自分に感心した。

 「よくもまぁ、しれっと嘘がつけるな」

 「悪人みたいに言わないでよ。名演技と言ってよね」

アキラはあくまで楽しそうだった。


 制限速度になったのはイサトゥがいる警察署が近づいてからだ。いくつかの出入り口を見て回ると中央入り口にワゴン車が止まっており、人の動きがある。

 「ねぇニック」

 「ニックぅ?」

呼ばれた言葉に鬱陶しそうに返答。今までそんな短縮形で呼ばれた事がなかった。

 「んじゃ、ニコラス?君?様?」

 「いい。ニックで!」

こんな軽い奴にフルネームで呼ばれるのは気に食わない。

 「あのね、後ろのシートに移って左のドアを開けて」

 「は?」

後方への移動は可能だが、何を?とまで考えて気づいてしまった。

 「まさか俺に、イサトゥを引き込め。とか言うんじゃないだろうな?」

 「ご名答ぉ」

運転中だというのに拍手。

 「俺は腕力仕事はしないぞ!」

 「ボクもだよ。でも、運転中だからお願いね。タッチ&ゴーだよ」

あっさりと指示を出すので、ニックは頭を抱えた。

 「失敗したらどうするんだ?」

 「逃げて次を考える。出てきた!行くよ!」

数人の署員に囲まれて、背を丸めたイサトゥがのろのろと歩いている。やはり彼の移送は早められたようだ。

 車は加速を増した。もう覚悟を決めてやるしかない。意を決して後部座席へ移動したニックはドアを開いた。落ちないでね。と、アキラの声が聞こえたが、もうそれどころではなかった。

 タイヤを激しく軋ませながら、ワゴン車の横で車をターンをさせる。停まったのは一瞬。成功するとは思っていなかった。

 車が猛スピードで近づくのを目にしたイサトゥを囲んでいた男達が、その勢いにたじろぎ怯んでガードが緩んだ。その目の前に横付けで急停止するとイサトゥの姿が顕になる。次いで急発進。考えるより先にニックは彼の襟首を掴んで車に引き入れていた。綱渡りのような計画は成功した。だが、

 「ぅわぁ、いっぱい来た」

 「ったり前だろ!」

派手に音を鳴らしながら、ありったけの緊急車両が追ってくる。

 「どーしよ?どーしよ?とりあえず逃げる!」

スピードを上げながら通常走行の車を何台も追い抜いていく。車は郊外へと向かっていた。とりあえずは車通りの少ない道を走って、事故が起きるのを回避しているらしい。

 「あんた達、何でこんな事?」

やっと我に返ったらしいイサトゥが声を上げた。

 「俺たちはお前の家へ行ったんだ」

 「そしたら、キミのお父さんのニセモノが出てきたよ。家もニセモノ」

 「家も?」

驚いたのはニックだった。アキラはそうだよ。と頷いてみせる。

 「キミの家に行きたい。じゃないと、お父さんの安否も分からないんだ」

訝しい顔でイサトゥはニックを見つめると、無言で頷いている。

 「でも、まずは後ろのお巡りさん達をどうにかしなきゃね」

アキラは切羽詰まった風もなく、どこか他人事のように笑顔で声をあげた。

 「無茶なことするから……」

 「え~っ?だってぇ、あの場合ってドラマとか映画でやるようなアレしか思いつかなかったんだもん」

 「その緊張感のない喋り、やめろ!」

 「ぶぅー」

これが自分なのにと、アキラは口を尖らせた。


 『まったく。あなた方は何をどうしたらこんな事になるんです?』

 車のスピーカーからクールの呆れた声が流れてきた。仕事には車を渡されるのだが、常に位置情報をクールが把握できるようになっている。

 『あちこちの監視カメラには、あなた方がしっかり映ってますよ。これであなた方も犯罪者ですね』

しかもクールはどこのシステムにもハッキングが可能で、たぶんアキラが撮影中などと作り話でスピード違反をしている頃から追っていたのだろう。

 「どうしよう?」

初めてアキラが困った顔をしている。

 『仕方がありませんね。この先左に曲がると住宅街です。その中に我々が管理している家があります。シャッターを開けておきますから、心置きなくスピードをあげて後方を振り切ってください』

カーナビがその地点を点滅し始めた。

 「おっけーで~す!」

能天気なまでのアキラの声と共に、ガクンと身体がシートに押しつけられた。アクセルを踏むアキラの足は床に張り付いている。初めてスピードを上げる車が恐ろしいと思った瞬間だった。


**********


 車が車庫へ滑り込むとシャッターが静かに閉じてロックのかかる音がした。次に車はゆっくりと地下に下がり、天井が閉じる。まるでSFやスパイ映画のようだとアキラは思った。こんな事ができるのも、マスターの財力の賜物だ。どんな事業をしているかは謎だが。


 いそいそと狭い階段をあがり、三人はリビングへ入って安堵の顔を見合わせた。誰も何も言わずただ大きなため息を漏らし、やっと緊張の糸が解れたようだった。

 「正直言うと、君を奪還するのがこんなに上手く行くとは思わなかったよぉ」

アキラは一番大きなソファに飛び込んでうつ伏せに寝そべると、うんと伸びをした。

 「かなり無謀な賭けだったけどな。これからどうするんだ?下手に外に出られないぞ」

ニックがレースのカーテン越しに外を見ながら呟いた。捜査関係の車が行き交い、捜査員が家々を一軒ずつ訪ね歩いているようで、いずれここにも来るかもしれない。車は隠したので居留守も可能だが。

 「どーしよ?どーしよ?ねぇー」

ソファに身体を伸ばしたまま、アキラはじたばたした。じたばたしているが、本当に困っている雰囲気でもなく、傍目には他人事を傍観しているようにも見えて、ニックはその気の緩さに小さく舌打ちをした。

 「そうだ!隠れるトコ探そう!」

部屋という部屋をうろついて、寝室で歓喜の声をあげた。

 「でかい声出すな。外にまで聞こえたらヤバいだろう!」

 「だってだって、綺麗なのから可愛いのまでより取りミドリ」

クローゼットの一つを開いてアキラは目を輝かせていた。女物の服や小物が並んでいるのだ。仕事の関係で衣装替えしなければならない時の一式だ。当然男物もあるがそちらには目もくれない。えへえへあはあはとニヤつきながら、鏡の前で服をあてている。ニックは呆れて首を振り、イサトゥは目を丸くしていた。


 『今、あちこちのカメラに映るあなた方を消している作業をしています。終了次第連絡しますから、それまではここで待機していてください』

どこかにあるらしいスピーカーからクールの声がした。

 「だとよ。休もうぜ。これからの計画もあるしな」

どこから声が聞こえるかなどは意に介さず、これがいつもの事であると知っているようなニックは、冷蔵庫からミネラルウォーターを三本出してテーブルに置いた。

 「あんた方、何者?」

イサトゥがやっと声を上げた。トーンの高い声はやはりかすれている。

 「俺たちは、あんたの父親が『再調査してほしい』旨の話を聞いたある人の希望で調査している。警察は再調査しないらしいからな」

 「ある人って?」

 「それは言えない」

そう言ってニックは話を終わらせた。正体不明の人間の依頼調査などとは言えるわけがない。自分たちでさえ、誰なのか分からないのだし。


 『しかし……』

再びクールの声が聞こえてきた。あなた方は私に、過労死させる気ですか?と、溜め息とともに憤りを含んだクールの声。

 『カメラというカメラに映り込んでいますよ。まったく……。予定より時間がかかりそうですね』

うんざりとした声音と、責めるかのような溜め息まで聞こえてきた。かなり厄介事らしい。

 「ゴメンねぇ」

驚いて目を見張るイサトゥの前にアキラが現れ、悪びれる風もなく声をあげた。断りもなく女装している。パフスリーブのレモン色のTシャツに小花模様のミニスカート。中性的な顔立ちに体型なので、家でくつろぐ女の子のようでまったく違和感がない。ニックは大きなため息を吐きイサトゥはドギマギと顔を赤らめていた。

 気をとりなおし、

 「それまで缶詰なのか?」

訊いた。

 『そうですね。食事でもして休んでいなさい』

不満げな声のニックにクールの返事も腹立たしげだ。作業が手間取っているのだろう。普段なら聞かないような舌打ちが聞こえた。

 「でも、父さんが心配なんだ」

 『父さん?』

説明がまだだったとニックは悔いた。仕事中に発生した更なる依頼は、現場の判断に任せられる。ただし報告はしなければならない。さもないと始末書まで書かされる。

 「あのね、彼の話を聞いて家へ行ったの。そしたらニセモノがいて家もニセモノで、いきなり爆発して、それで彼もアブナイんじゃないか?って戻って説明するつもりが移送が早まって……」

 『もう少し分かりやすく話せないのですか?』呆れたような溜め息でアキラの説明をクールは遮った。

 「ニック、お願い」

 「つまり、イサトゥは父親を盾に取られて何者かに脅されていたらしいんだ。その安否を確認してほしいと言うことで家へ向かったらアキラの言うことには何もかもが偽物だったらしいのさ」

アキラに振られたクールへの説明を、小さく舌打ちをしてからニックは続けた。

 「俺たちが調査していると知られたからイサトゥの安全も危ういと動いたら、アキラのやらかしでオオゴトだよ」

 「やらかしってなにさー!」

 「やらかしただろうが!」

ニックは指折り言い始めた。爆破現場でのニセ通報。公道での猛スピードにカーチェイス。警官への嘘八百。おまけに堂々とイサトゥを奪還。

 「目立つ事ばかりだぜ」

 「ちょっとやりすぎちゃったかな?えへ」

全く悪びれるふうはない。

 「なーにが『えへ』だよ。申し訳ないとか思わねぇのか?」

返すとアキラは目を丸くし、うーんと首をかしげてみせる。

 「とりあえず、ごめんねぇ」

笑顔を見せて言うアキラに、議論は無駄のようだとニックは諦めた。

 「というわけでイサトゥの爆破事件に彼の父親の捜索が加わったんだ」

 『分かりました。マスターには私から報告しましょう。消去作業の終了までは待機してください』

クールの声に被せるようにイサトゥが『でも、』と声をあげた。

 「父さんや家の事、早く知りたいんだ。早くここを出て確認したい」

少し苛立たしげなクールの溜め息が聞こえた。

 『気持ちは分かりますが、慌てていては上手く行くものも失敗しますよ。ここは堪えて下さい』

イサトゥはアキラとニックのやり取りの間も、居ても立ってもいられないのか腰かけてはすぐに立ち上がり、部屋をうろうろと歩き回っていた。追われているのでなければすぐにでも飛び出してしまいそうだった。

 そうだね。と、アキラが立ち上がった。

 「こうしてても仕方がないし、何か食べようよ。だんだんお腹空いてきたよ」

アキラが遠慮もなく冷蔵庫やキッチンの戸棚を漁りだした。

 「でも……?」

言いかけるイサトゥの口に見つけたクッキーが押し込まれる。

 「食べないと、いい考えは浮かばないんだよ」

食べたいだけだろう?とニックは言ってみたかったが、このままでは何もできない。朝から食事もろくに摂っていないし、胃に何か入れた方が良さそうだと思い、言いかけた言葉を飲み込んで頭を振った。


 ストック棚にはすぐに食べられる食材が主菜からデザートまで揃っている。我が家然として女装姿のまま床に座り込んでいるアキラは、すでにスナック菓子を拡げて吟味している。口には先に見つけたクッキーが咥えられ、ブツブツと何事かを呟いていた。

 緊張感や仕事をしているという意識は無いのだろうか?いや、行き当たりばったりでイサトゥ奪還に成功した辺り、肝が座っているということか?どちらにせよ仕事がうまく行けばいいのだろう。コンビを組んだばかりのアキラを眺めつつ溜め息を深く吐いて、ニックはチーズ味のクラッカーを一つ取った。



 「でさ今さらだけど、この家って何?普通の家なのにスパイ映画みたいに仕掛けだらけだね」

見つけた巨大マシュマロを頬張りながらアキラが言った。

 ニックの説明では、ここはマスターの依頼で捜査する者たちの拠点のひとつということだ。一軒家だったり高級なマンションや外見が古いアパート。営業している店の裏口や、公衆トイレもあるらしい。ニックもすべてを把握しているわけではなく、クールからの又聞きだ。そういうものが街のあちらこちらにあるらしいのだ。

 説明してあげたというのに、アキラの返答はあっさりしたもので、興味はすでに他の事に移っているらしかった。



 「んで、時間もある事だしイサトゥ?イッくんでいい?キミの能力について教えてよ。ボクはアキラ。物を触ると残留思念を追う事ができるんだ」

チョコレートやらクッキーやら、甘いものばかりを並べて手に取っては選びながらアキラは言った。当のイサトゥは初めて耳にした自分の愛称に目をしばたたかせている。

 周囲との違和感や自分の力に引け目や疎外感を感じ、自分から学校や社会と距離を取ってきたので『イッくん』と呼ばれたことが戸惑いと共に新鮮だった。思えば友達付き合いというものも記憶にはなかったので、同年代の友人とはこんなものなのかとアキラの自分に遠慮の無い態度が、存外心地よくもあった。

 「言いたくないこともあるんじゃないのか?こいつ、結構失礼なやつだよな」

ニックがイサトゥの肩に手を置いて援護した。

 「失礼なんて、それこそボクに失礼だよ。ボクはボクなんだもん。あ、そんでもってボクね、女装が好きなんだ。女装だけね」

 「お前、秘密にするってこと無ぇだろう?」

 「ほぼ無い」

ケラケラと笑う。

 「ニックは?」

 「俺は自分の手の内は簡単には明かさねぇよ。というか、こいつホント馴れ馴れしくないか?俺も会ったばかりなんだぜ」

イサトゥへ振り向きながら、親指でアキラを指した。自分(イサトゥ)を知らない人間が親しげに話しかけてくる今までにない心地よさに、初めて微笑んだ。ぎこちのない微笑みではあったが。

 それと共に自分の能力を知ったら、二人は今と同じように接してくれるのだろうか?過去の事実が不安となって押し寄せる。まだ話す気にはなれなかった。


***********


 クールから処理終了の報告が来たのは、翌日の夕暮れだった。深い色に周囲の輪郭が溶けてしまうような時間。空に細い月がかすかに見えている。それを見てアキラは外に出渋ったのを、何とか言いくるめて車の運転席に座らせた。

 「どうしても今じゃなきゃダメ?」

 「まだ言うのか?」

 「父さんが心配なんだ」

何度も同じ押し問答を繰り返していた。

 アキラは明るくなってからの方が良いと言い、ニックは人の往来が少なくなった今だと譲らない。クールもそれには賛成だった。イサトゥの実際の家は警察の監視対象には入っていないらしく、イサトゥも父親の安否を早く知りたがっているのだ。

 「ぶぅぶぅぶーぅ!」

三対一だ。返す言葉もなくアキラはハンドルに八つ当たりした。



 イサトゥの家は夜も賑やかな繁華街の、路地裏の古アパートだった。表の人通りは途切れることが無かったが、一歩裏に回れば利用者のみの生活道路だ。夕刻も遅くなれば人通りも途絶えがちである。そのアパートの狭い駐車場に車を停めて外へ出た。

 上下十二世帯、二階の奥から二番目がイサトゥの家だ。夕刻だ。室内に灯りは灯っている。しかし違和感が拭えない。イサトゥの緊張と不安の鼓動が伝わるようだった。アキラもニックも嫌な予感しかしていない。

 イサトゥの足の動きが自然と早くなる。何か仕掛けられているかもしれないと制止する二人の声は聞こえている風は無かった。


 「父さん!」

勢いよくドアを開けて飛び込んだが、しばらく人の気配がなかったような少し埃っぽい匂いがした。

 しかし部屋の中は数分前まで人が居たかのように生活感にあふれている。イサトゥが難なく飛び込んだように、家に鍵はかけられていなかった。ソファには投げ出されたままの上着。読みかけの雑誌はテーブルの上に伏せられ、マグカップに入っていただろうコーヒーは蒸発し、不在時間の長さを物語っている。

 「父さん!父さん!」

 「人の存在が無い。何日も前から居ないような雰囲気だぞ」

部屋中を回って父を呼ぶイサトゥに、ニックが残念ながらと頭を振った。

 「戻って他の策を考えるぞ」

そう言ってアキラの方へ顔を向け、異変に気がついた。

 床に崩れている。頭を押さえ、激しく喘いでいた。

 「どうした?」

 「見えた。イッくんのお父さん。連れていかれたの。何人かの人……」

立ち上がりかけたアキラの身体が再び傾いで行く。助けようと手を伸ばしかけたニックとイサトゥをアキラは激しく拒否した。

 「ごめん。今手をかけられたら、また違うのを受け取っちゃう」

肩を上下に震わせながら、アキラは呼吸を整えている。

 腰から崩れて床に座り込み、ゆっくり息を整え、滲んだ冷や汗を手の甲でぬぐってからやっと言葉を発した。

 「何人か人が押し入ってきたよ。ノブに手を掛けてたのは下っ端なのかな?外の見張りを言われて、家の中の物音がかすかに聞こえてるの。それからドアが開いてみんな居なくなった」

 「いつ頃だ?」

 「分からない。ただ、時間は今くらい?夜だったよ。他の家の灯りは見えたから、深夜ではないと思う。ヘリポートへ行くって声があった」

ようやくアキラは身体を起こして立ち上がろうとした。まだふらついている。ハラハラしながらイサトゥが手を貸してもいいか訊き、対してありがとうとアキラは微笑んで応じた。


 車へ戻った。アキラがエンジンをスタートさせると、ニックがおもむろに声をあげた。

 「クール、この地区のヘリポートの利用状況を調べてほしい。イサトゥの事件後からの、夜の離発着だ」

クールの返答があり、数分後ナビ画面に赤い点滅と共に結果が語られた。

 『周辺のヘリポートから夜に離陸できるのはここだけのようですね。離発着は頻繁にありますが、ここしばらくの夜間利用は、観光で飛んでいるトラン観光だけのようです』

その後、大きな吐息が聞こえた。

 『この会社は飛行船と外洋航海の客船を利用しながら世界一周のツアー中です。今は乗客のオプショナルツアーで滞在中ですね。今夜、客船へ戻るようですよ』

クールの示した赤い点が、数十キロ離れた巨大空港へ移動した。


 「じゃ、こっちの空港に向かえばいいね」

アキラは言い終わらないうちに車を発進させる。

 『そうですね。飛行船は今夜離れて洋上で待機している客船へ向かうので。ところで、何か策はあるのですか?』

クールがアキラに訊いてくる。

 「無いでーす!」

ニックとイサトゥが拍子抜けした顔をしている。仕方ないでしょうとアキラが続けた。確かに考える間もなく車に乗り込んだのだ。


 『あなたをスカウトした時に、手はずを整えない無鉄砲な所があるとは思いましたが、初仕事です。どんな仕事をするか様子も見たいので大目に見ましょうか』

大きな溜め息が聞こえた。

 『さて、これからの事ですが、イサトゥ。あなたは先程の家で報告を待っていてください。一般の方を危険にさらすわけにはいきませんからね』

 「いや。おれも行く」

イサトゥはやや声を震わせながら言った。

 「おれも行くんだ。父さんの無事を少しでも早く知りたい」

後部座席から前に乗り出してイサトゥは言った。やめろと言っても聞く耳は無さそうだ。

 『一般人をむやみに危険に巻き込まないよう、マスターは注意しているのですが……』

 「昼間、十分危険にさらされてたけどねぇ」

アキラが他人事のように声をあげる。イサトゥには思い止まってもらいたいがために言ったクールの配慮など、欠片も感じていないようだ。

 「おれの事はおれがなんとかする。お願いだ」

クールがイサトゥの言葉に大きなため息をひとつ吐いた。

 『マスターが自己責任だと言っています。何かあっても、文句は言えませんよ』

イサトゥは大きく頷いて、構わないと声をあげた。


 やや間があって、再びクールが声をあげた。

 『サトル・トオル・ユリン。偽名で乗船名簿を入れておきました。チケットを渡す都合がありますからここのコンビニへ寄ってください』

ナビに青い点が示された。どうやらここも拠点のひとつらしい。



 アキラとイサトゥが車内で待つ間、ニックはコンビニのトイレ用具入れへためらうことなく入り、数分も経たずに戻ってくる。その手には三枚のカードがあった。写真入りだ。クールが本気でハッキングした時には国の一つも無くなるかもしれない。そうニックは言っていた。

 『イサトゥ、あなたは顔を知られているので写真を少しいじってます』

変装をしろという事らしい。ニックが手助けをして後部シートの片側を倒すと、トランクルームにスーツケースがある。

衣装や小道具・化粧道具が入っていた。空港までは時間がある。カードに写る顔を見ながら、自分をその姿に寄せていくというのはなんとも不思議な感覚だった。

 アキラに付けられた偽名で、文句を言っていたのも付け加えておく。女の子の名前だったら女装できたのに。という事らしい。ニックの呆れた溜め息が大きかった。



***********


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