ネコを探してドコ行くの? 2
ラウンジには四角い大きなローテーブルが真ん中に置かれ、クッションやソファが思い思いに置かれていた。まるでリビングルームのようである。
「皆、好きなところに座ってちょうだい」
赤毛の女がカップに入ったコーヒーをテーブルに並べながら言う。
「空の上だ。 妙な真似したら落っことしちまうぞ。到着まで休戦と行こうぜ」
早速カップに口を付けてヴァンが言ったが、そういえばこの泥棒は他人を怪我させた等の話を聞いたことがないなと、ニックは思い出していた。
「安心して。インスタントだけど毒は入れてないわよ」
女は優艶と微笑んで見せた。
美しい。何度も猫を取り上げられていながら、それでも懲りずにアキラは彼女を憧れの眼差しで見つめていた。
「お姉さん、肌綺麗だよね。 お化粧してる?してるよね?ねぇ、口紅は?どんなの使ってる?ボクも使ってみたいなぁ」
彼女の手を取りながらグイグイと迫っていった。彼女の顔が笑顔のままひきつっている。女装の参考に訊きたいことは山とある。が、
「また何されるか分からねぇぞ」
ポカッと頭を小突きながら、ニックが言った。
「着陸するまでは時間もあるし、どうだい?自己紹介でもしようか?」
男がニカッと笑う。
「ヴァン、この子達は猫を狙ってるのよ。敵よ」
女が諌めようとするが、男は片手で制して笑った。猫は渡さないという自信があるようだ。
そんなものは引っくり返してやる。自分達の超能力でなら、何度でも形成は逆転できる。はずだ。
「ここは空の上。飛行機は俺たちのもの。あんた達の命運は俺の手の中なんだぜ」
笑顔で言ってから彼は続けた。
「俺はヴァン。いちおうケーサツ官」
「え?ドロボーじゃないの?」
声をあげたアキラに、ちっちっとヴァンは人差し指を振ってみせた。
「それは裏のカオ。表の世界じゃ刑事なの」
「そ。担当は美術品窃盗犯ヴァン・ノワール。自分を追いかける刑事って、ばっかじゃないの?」
女があきれ顔で首をすくめてみせた。
「だから絶対に捕まらないだろう?」
けらけらと子供のように笑った。
「彼女はマーティナ。俺の幼馴染み。こう見えて婦人警官だぜ」
「こう見えてってナニよ」
肩を組んできたヴァンの腕を振りほどき、しっしと追いやる真似をする。
「そなの?恋人同士なのかと思った。けっこうお似合いだよ。ボクはアキラだよ。こっちがニック」
ニックは馴れ合う気はないと言ってむっつりしている。いつも真面目だねと言われて、アキラは思いきり脇腹を小突かれた。
「で、おじいちゃんは分かるとして、エレナはこのお兄さんとはお互い、知ってる雰囲気なんだけど、どうなの?」
「うっかり騙されたクチでね。子猫ちゃん、今度はエレナって名乗ってるんだ?」
くすりとヴァンが笑った。
「本名よ」
不機嫌な顔のまま言う。とはいえ、知らない間柄ではないようだった。
「この子『キキ・キティ』って呼ばれているのよ。まだ子供のくせに、騙すことは得意よね」
マーティナはにっこりと笑ってウインクした。色気を感じさせる笑顔にドキリとする。『キキ・キティ』それで子猫ちゃんか。と、老人も小さく笑った。
老人は、エレナが持っていた時計の細工について訊いてきた。
「あたしが蓋の内側の隙間に作ったのよ。こういったものを作るのって、死んだお祖父ちゃん譲りかもね」
「エレナが作ったの?」
目の前で揺れる、壊れた懐中時計を見ながらアキラが言った。触りたかったが、さらに壊しそうだ。
「そうよ。猫に関しては、お祖母ちゃんから大体の話は聞いてたし、お祖父ちゃんの昔の仕事からどんなものを作ったのかも想像できたわ」
エレナは事も無げに言ったが、よくそれだけで猫を─ロボットを─狂わせるだけの物ができるものだ。アキラもニックも感心してしまった。
「確かに彼の孫なのかもしれんな。彼は天才だったよ」
「あなたもね。お祖父ちゃんとの共同製作だったから、この子は暴れるしかできなかった。でなけりゃ、とっくに機能停止させることできたもの」
悔しそうに拳を握りしめてエレナは言う。初めての失敗だったのかもしれない。
ドロボー─ヴァン─が言うには、エレナはその頭脳を活かして資産家達を次々に騙していたらしい。その行動が裏社会でも話題になっていた。
「装置を作るには必要なものが多かったし、渡航費用や身分証の偽装にだって出費がかかるのよ」
「キキ・キティは俺んトコじゃ指名手配されちまったぜ。大っぴらにやり過ぎたよな。 若いねー」
ヴァンが当て付けがましく手を叩く。
「で、この飛行機はどこへ向かってるの?」
「地球を半周。俺の本拠地へ」
『げ!』
アキラとニックの声が仲良く重なった。
猫一匹のために。と、ニックは再び呻くようにぼやいた。
何か悪いものに憑かれてるかもと、アキラも頭を抱えた。
「おーい!結局何人いるんだ?晩メシの都合があるんだけどよぉ」
操縦室のドアが蹴り開けられ、短く刈り上げた金髪の男が現れた。
「おっと、忘れてた。もう一人の相棒のクロード。マーティナの兄貴」
現れた男に何とも言えない呻きをあげたのはニックだった。
「おっと、ニコラスだ!夕べは楽しかったなぁ」
クロードはニックの顔を見つけてにこにこと声をかけた。
「ニックの一夜の相手?」
アキラがのけ反った。
「違う!」
「いやいや。昨日は二人でどっぷり溺れた仲じゃないか」
ニックの頬に頬をすり寄せてから、男はカラカラ笑った。
「クロードは見境ないからなぁ」
「こんな若い子相手に、見損なったわ兄さん」
ヴァンとマーティナが続けて言う。
「誤解されそうな言い方やめてくれ。酒飲んでただけだろーが!」
ニックが駄々っ子のように喚いた。駄目押しにアキラがまだ疑い深く、視線を二人の間で動かしていた。
「飲みっぷりが気になっちまって、どっちが先に酔い潰れるか、やりあってたんだけど、ニコラスは穴の空いたバケツだったね」
負けたのは初めてだとクロードが嘆いた。
ニックの好みは渋くダンディなおじ様らしいが、それでも思わせ振りな相手とみれば挑発をしてみたくなるようだから、今回もその類いだったのだろうとアキラは思っていた。
違ったようなので素直に謝ったが、しかしニックに酒飲みの勝負を挑むとは、無謀な挑戦である。ニックの酒量は砂に水を撒くようなものなのだ。水を飲むように飲んで、酔わない体質。
間もなく、猫をめぐる三組の奇妙な食事会が空の上で開かれた。どこかで似たような事があったな?と考えたが、そうだ。エレナが自分達に飲み物を振る舞ってくれた、あれに似ている。
アキラは思った。
──飛行機、空港に戻せよ。
ニックはクロードが作ったプロ並の料理を堪能するアキラに、テレパシーで話しかけていた。
──えー、ヤだよぉ。 カイザーも捕まえてないしさぁ。着いたら観光するんだもん。
──お前、仕事中だって分かってるか?
──分かってるよ。今も休みなしの残業中。
ニックの説教が始まりそうだと思った。しかし、
──ボクたちずっと休み無しなんだよ。カイザー奪い取ったら、ちょびっとくらい観光したっていいじゃない。懇願するような目でニックを見つめている。
ヴァンの国といえば、歴史と芸術と観光の街だ。
──来てしまったついでに観光したっていいじでしょ。あの有名な絵のある美術館や噴水庭園のある宮殿。行きたいなぁ。
クールにバレなきゃ怒られないと続けた。気楽なものである。
毎度の事ながら、何でも楽しみに変えることができるアキラが羨ましくもあった。少しだけ真似をするのも悪くないかもしれない。そんな風にも思ってみた。
──わかった。そんな長い時間は取らないぞ。
突然アキラがホクホク顔になったが、その意味を知るのはニックだけだった。
**********
七人が乗るには狭すぎる車に、無理やり乗り込んでいる。
空港でヴァンが逃げようとした隙を付いて、同じ車に無理矢理に乗りこんだのだ。
クロードが前のめりになって前が見えないと喚いていた。
どこまで付いてくる気だ?とヴァンが言った。
そりゃヴァンの家までとは、エレナもアキラも口を揃えた。まだ二人のどちらにもネコの姿がない。猫を入れたキャリーはマーティナがしっかりと抱えているのだ。
すれ違ったり追い越したりしていく車は、定員超えの車の中を見て目を丸くしていた。傍目にはバカンスにでも出かけそうな、楽しそうな雰囲気に見えていたかもしれない。老人だけがにこにことしていたから。
「あんた達といると退屈しないよ」
そう言って笑っていた。
空港から数時間。車は郊外を走っていた。なだらかな丘陵にブドウ畑が広がっている。
「メシ食わせてやるから、食ったら帰れ!」
「そういうわけには行かないの!猫、よこしなさいよ」
エレナとヴァンのやり取りはもう何度目だろう?マーティナがもうやめてくれと嘆いた。
延々と続くブドウ畑の道の先に、こんもりと緑が見えてきた。
「帰るのは半月ぶりだな、ヴァン。食材が悪くなるギリだぜ。テメーら何食べたい?」
もめる度にヨタヨタする車の中でクロードが声をあげた。それにヴァンが、お前も自分の家に帰れと言っているが取り合わない。
「兄さんのポテトグラタンが食べたいわ。 チキンも入れてね」
マーティナがキャリーの中に指を入れて猫と遊んでいる。
「ボクにも触らせて」
「嫌ぁよ。 盗られたら困るわ」
「そっちが盗んだくせに、よく言うぜ」
「あらぁ?今はこっちの手元にあるから、こっちの物よ」
「あたしが先に手に入れたのに、返してほしいのはこっちだわ」
エレナも負けじと手を伸ばしてくる。
「やいのやいのと、うるさいねぇ」
老人はやっぱり楽しそうだ。
「やかましい!食ったら失せろ!」
ヴァンも怒鳴ったが、空腹で帰さないあたりに人の良さがにじみ出ている。エレナにはこういう所に漬け込まれたのかもしれない。
「でも、ずいぶん走ってるけど、まだ着かないの?」
もう着いてる。とクロードが言ったが、石畳の林の中を先ほどからずっと走っているだけだった。
いつ車が停まるのか焦れったくなってきた頃、車はようやく巨大な城の前庭で停まった。分厚い石の壁の塔が両脇にそびえ立っているが、よく見るとあちこち建て増しもしているようで何となくちぐはぐだ。
それでも城と言うにふさわしい、重厚なものだった。
「家じゃねぇよなあ」
ニックが圧倒されたように呟いた。
「何代か前は貴族だったらしいぜ。今はフツーの公務員だけどな」
ヴァンがカラカラ笑う。
「ドロボーの間違いでしょ」
間髪いれずエレナが噛みついた。
「詐欺師に言われたくないなぁ」
思い思いに声をあげながら、城の中へ入った。留守が長かったからだろうか、ドアを開いたとたんに埃っぽい臭いが漂ってきた。
エントランスに入る。
いきなり美術館のようで、アキラとニックとが大きなため息をあげた。観光しなくても十分楽しめるほどだ。
「しかし、テーマがわからん」
ニックが難しい顔をしている。
飾られている絵画は、古典的な物から前衛的な現代アートまで様々。
彫刻は無造作に置かれているし、宝飾品は棚という棚にこれまた分類も無く並べられている。
食堂らしき部屋へ通されたが、ここもまた美術品が無秩序に置かれている。慎重に歩かなければ、振り向いた時に蹴飛ばしかねなかった。
「これってほぼ盗品?ずいぶんコレクションしたね」
注意深く歩きながらアキラが声をあげた。
「しかも統一性がねぇぞ」
足元にあった翡翠の壺らしきものを蹴飛ばしかけてニックが言う。
「先祖代々、同業だったからね。昔っからあるんだ。だけど眺めるのは俺たちだけだから統一性云々は関係なし」
ヴァンが美女の彫像の肩に腕を回して笑う。
「それで飽きたらお蔵入りっっと!ひとまず、茶でも飲もーぜ」
クロードが現れて言った。スーツ姿にエプロンをつけ、片手にポット片手にカップを並べたトレイを持っている。両手が塞がっているので翡翠の美女の彫刻を足で移動させながらやって来る。
ひっくり返して壊しはしないかと、アキラの心中は穏やかではなかった。
「さてと。カイザーの所有権についてだが」
テーブルについた一同を見回して老人が切り出した。
「最後に手にしたのが俺たちだから、俺たちの物」
ヴァンが言う。
「屁理屈。猫は元々があのマダムの物だ。返すべきだろ」
ニックが腕組みをして腹立たしげに言った。アキラも横でウンウンと頷いている。
「お祖父ちゃんの作った物だから、あたしにも権利があるのよ」
とは、エレナの言い分。
「だったら、一緒に作った私にも権利があるわけだ」
老人がにこりと笑う。
この老人、半ば強引に連行されてきた割には、状況を楽しんでいる雰囲気がある。
「おじいちゃんは、猫を手に入れても何の特もないでしょーが」
老人の笑顔に、アキラが呆れたように声をあげた。
「久しぶりに楽しくてね。生き生きとした時間を楽しんでるよ」
笑った。そして提案してきた。
「どうだろう?カイザーを街中に放して、最初に捕まえた者が手に入れるというのは?」
「へぇ?面白そうだな」
ヴァンが身を乗り出してきた。エレナも不満はなさそうだ。
「もう猫探しはうんざりだけど、多数決ならボクら不利みたいだね」
ニックを見た。
──なんて、隙を見て奪取するつもりだろ?ニックの声が頭に響く。
──もちろん!超能力を使えばこっちのものだよ。アキラはウインクしてみせた。
「仕方ねぇな。やらなきゃ、また取り合いになるんだろ?」
同意する仕種を見せてニックは言った。
**********
車が庭に並べられた。どれも高級車。自前らしい。
さすが、元泥棒で、今は実業家の息子にして元貴族である。ややこしい。
老人が城から出てきた。カイザーはすでに城から外へ出されている。
早朝に来た新聞配達の青年に適当な所で放してくれと頼んであったので、今カイザーはどこにいるのかさえ分からない。頼りは三種類の発信器。受信機をそれぞれに持って探すルールだ。受信するにはカイザーに半径一キロメートルまで近づかなければならない。
三種類の発信器からは、それぞれ異なった信号が出ているので、最初に発見した者が他の二つを破壊することになっている。以後奪うチャンスがあっても、それはできない事をサインまでして取り決めた。
老人の後からニックやアキラ、エレナやヴァンにマーティナがぞろぞろと現れた。クロードは食事の仕込みをするので参加しないらしい。
「カイザーの捜索には、車でも何でも使ってくれよ」
ヴァンは言った。並ぶ高級車にアキラは興奮していたが、ニックはそれをきつく制した。
車などでは小回りがきかない。猫探しは足で探すのが一番良いことは今回の仕事で経験済みだ。 自転車がいいところだろう。
多分に漏れず、アキラは機嫌が悪くなったが、そこは慣れたもので、最初に見かけたスイーツ店で好きなものを買っていいということで承知させた。
出発してしばらく経つ。受信機にまだ反応は現れない。
ニックは出発前に発信器の音を確認したが移動しているようだった。常に音を確認していては精神の疲労も尋常ではなくなる。その方向だけ捉えて二人は向かったのだ。
二人が乗っているのは前後に二人乗りの自転車。息が合わないと自転車のペダルが重かった。
基本、二人とも体力は無い方なので、斜面を上ることになると結構きつい。ニックが前にいるので表情は分からないが、アキラと同じだろう。
「思ったんだけどさ、車で反応あるとこまで行って、足で探した方が良かったんじゃない?」
「思った」
息を切らせながらニックが言うのが聞こえた。
犯罪者の世話にはならないと、意地になっているのがアキラにも分かった。しかし今ある現状を利用すべきなのだとアキラは思う。
言っても聞き入れてくれることはあまり無い。不満とまではいかないが、時には気を緩めてほしいと思った。
仕事をしていると、たまに悲壮な顔をしているのがニックだったから。
ブドウ畑の丘を越えると、家が次第に集まりだした。村外れへ入ったらしかった。ワイン目当ての観光客も立ち寄るらしく、わずかながら賑わいを見せていた。
「ちょ、ストップ。ストーップ!」
アキラが声を上げた。
「何だよ、いきなり?」
振り向いたニックは汗をにじませて、乱れた長い髪をうなじに貼り付かせている。妙に色っぽくてどきりとした。
そちらの趣味の男なら放っておかないんだよなぁ。などと感心してみたが、それどころではない。自転車から降りて少し戻ると、パステルグリーンの壁の店前で立ち止まった。
j通る人へアピールするようにカラフルな菓子が並んでいる。
「約束でしょ!ちょっとエネルギー補給ね」
いそいそとアキラは店の中へ消えた。約束はしたが、それでもいつもマイペースだと呆れる気も失せる。
なぁん!と足元で鳴き声がした。驚いたがカイザーではない。白と黒のハチワレ猫だ。
隣が肉屋のようで、当たり前のように店の中へ入って行き、店主から肉の切れ端でも貰っているようだ。
肉屋のウィンドウに一枚のポスターを見つけた。ポスターにはカイザーと同種の猫たちその他が写っていた。
「『にゃにゃにゃんサーカス団』?面白そうだね。こっちのこの子達はカイザーと同じ猫だね?」
ポスターに写っている猫を指差す。
いつの間にかアキラが店から出てきて隣に並んでいた。
「見てみろよ。下の方」
ニックがポスター下の小さな文字を指した。『あなたの猫もスターに!』とある。引き取り価格も提示されていた。数日遊ぶには十分な金額だ。
「道すがらで反応がないし、まさかとは思うけど、売り飛ばしたか?」
ニックがうーんと唸った。
「このポスター見るの初めてだよね。ちょっと調べてみるから、これ持ってて」
紙袋をニックに押し付けてアキラは言った。
量り売りだったのだろう。中にアーモンドドラジェが裸のまま入れられ、数種類のマカロンも入っている。
一粒持っていたドラジェを口に運ぶと、アキラは手のひらを地面に押し付けた。深呼吸して集中する。この場に立ち止まった人々の姿が、頭の中で目まぐるしく入れ替わりはじめた。時間経過がそれほどでもなかったのか、 疲労を覚える前にアキラは見つけた。
「あの新聞配達、カイザーを抱いてこれを見ていたよ」
「ふん。このサーカスに行ってみる価値はありそうだな?」
ニックは静かに言った。
「どうやって行こうか?自転車で行くには遠いよ」
「そりゃあ、こうやってさ」
ニックは答えて、親指を立てると道路の方へ向かった。
田舎とはいえヒッチハイクをするには困らないくらいの交通量ではある。瞳が金色に輝いている。なるほど。
ドライバーを催眠術にかけて目的地まで送ってもらえば、自分達は余計な労力は使わずにすむ作戦らしい。寝ていてもよさそうだ。
「乗ろうぜ」
一台、ニックの前で停まった。車は後部座席があるとはいえ、ほぼ二人乗り仕様のスポーツカータイプだ。後ろは狭そうだったが、ニックは自分の車のごとく後部座席へアキラを促した。
その目論見はすぐに分かった。ニック好みの麗しい中年がドライバーだ。金色の瞳でドキリとするほど妖しい笑みを浮かべている。どうやらこの車は選んで停めたらしかった。
まぁ、どうぞご勝手に。ドラジェをつまみながら、アキラは狭いシートの中で寛げる体勢を考えていた。
アキラがぶぅぶぅと文句を言っている。 ちょっとばかり魅力的な紳士と遠回りをしただけなのに、すごい剣幕だ。
自分だってアキラに腹を立てても、こんなに文句は言わない。そう思った。
「遠回りは別にいいよ。その後がサイアクなの!」
その後?少し考えて、ポンと手を打った。
「キスぐらい、挨拶じゃねーかよ」
「だったら、すぐ離れればいいでしょ!」
アキラの顔が赤く火照っている。言うまでもない。ニックはその紳士の催眠を解く時、身体を絡ませて濃厚なキスをしたのだ。
互いの腰に手を回し、ニックは瞳を妖しく光らせ、見ている方がハラハラとして恥ずかしさで目を覆いたくなった。
「やりすぎなんだよぉ。 指パチン!で済むのに、なんであんな... あんな...」
そこまで言って思い出したのか再び真っ赤になって言葉を濁した。
面白い。免疫のないアキラの反応は、からかうに十分だった。ちょっと可愛いかも?とも思ったが、自分の対象ではない。
「いつまでもうだうだ言ってねぇで行くぞ」
くるりと背中を向けて歩きだした。発信器の信号音が、ニックには近くで聞こえていた。
猫のサーカスは街中の公園に、仮設のテントを建てて公演していた。
人気のようで親子連れや若い女性が列を作っている。連れ立っているのは老夫婦で、猫の話に花を咲かせていた。見渡してみても子供と女性が多い。ということは?
アキラへ目をやると、好みのメイクや洋服を着ている女性を探そうと視線を泳がせていた。不審者だろーが!こつんと頭を小突いて牽制した。
「分かってるよぉ。テントの裏に行ってみようよ。反応はそっちの方でしょ?」
「新聞配達野郎、いい臨時収入だったろうな。お陰でこっちも助かった」
ニックが笑って言った。エレナもあの泥棒たちもまだこちらに来る気配はない。それが少しばかりも嬉しかったのだ。
テント裏にはトレーラーハウスが並んでいる。メインが猫なので、アキラが見たことのあるような大掛かりな舞台裏ではないが、それでも猫科の猛獣の檻があったり、ステージに立つ団員の若い女性などとすれ違う。
「お客様?ここは立ち入り禁止よ」
うろうろと歩く部外者に、リハーサルのステージから下がってきたのか、きらびやかな衣装の若い女性が声をかけてきた。
「ごめんね。実は逃げた猫を探しているんだ」
アキラはひしと彼女の手を取って瞳を潤ませた。
「こんな猫だ」
全くお前は。と言いたげに横目でアキラを睨んで、マダムと一緒に写っているカイザーの写真を見せた。
「あらぁ?うちの猫と同じ種類ね。今日は何件か野良猫の持ち込みがあったわ。団長に聞いてみるといいけど、これから本番なの」
「うん。公演見ながら終わるの待つよ」
ニックと顔を見合わせて言うと、メインステージとなる大きなテントへ向かった。
さっきからアキラの歓声が聞こえない。始まった時は、現れたフリルたっぷりの衣装の女性調教師に憧れの眼差しを向けたり、白い虎と猫のデコボコダンスに大きな笑いをあげていた。
「どうした?」
アキラが不快な顔をしている。舞台では道化師とライオンの掛け合いにどっと笑いが上がっているので、とてつもなくちぐはぐだ。
「頭の奥が重たい。 痛い」
またか?と思った。アキラも自分の中に何か来るとは思ったが、それ以上に痛みに思考が遮られる。客の歓声が、頭に段ボールをかぶせられたように隠って聞こえる。
「出るか?」
「ダメ。 動けない」
身体を動かせば痛みが増すような気がした。 ひたすら耐えるしかない。
滑稽な動きでライオンから逃げる道化師は、物影に隠れては違う場所から現れ、その度にまた滑稽な姿をするので客はとにかく笑い転げている。
その声はもはや騒音となってアキラを取り囲んでいた。痛みと重なってイライラし始めた。
突然、アキラの隣に舞台の道化師が現れた。白塗りメイクの顔がアキラの顔をじっととらえた。
目が合った。感情の見えない黒い目に顔だけが笑顔。不気味に思えたその直後、痛みがピークを向かえた。
道化師とアキラのいるその場所へ、舞台のライオンが飛び込んできた。アキラは痛みに悲鳴を上げたが、周囲の人々はライオンに驚いたと思っただろう。
その悲鳴を上げた直後だった。痛みが和らいで顔を上げて驚いた。
「どこ?ここ、どこ?」
静かな公園の、芝生の上だった。数百メートル先にサーカスのテントがあり、歓声がわずかに聞こえてくる。
「えーっと?」
考えた。
道化師が現れて見つめられた。
笑顔が見えた。
頭痛がピークだった。
ライオン、来たような気がする。
痛くて声を上げずにはいられなかった。
歓声が聞こえないような静かな場所へ行きたかった。
気がついたらここにいた。
「えーっと、空間移動?……したの?」
まだ頭の中心がズキズキする。ニックはどうしてるだろう?隣からいきなり消えたから驚いているだろうと思った。力の覚醒はありがたいと思う。でも、その前に突然やって来るあの激しい痛み。あれさえ無ければ踊り出したいくらいだ。わずかに引いてきた痛みに、大きな息をひとつ吐いた。
一瞬、目の前が歪んだ気がした。眩暈から立ち直りかけのような、頭が歪んだような気分。我に返るとニックが今まで見たこともないような驚いた顔をして自分を見ている。目と口が点点点だ。
サーカステントの自分の座席へ戻ったらしいとは分かった。
「お前、やっちまったのか?」
つまり、また何か覚醒したのか?そう言いたいようだ。
「うん。 やっちまったみたいだね」
それに答えてアキラも言った。眩暈がまだ少し残っていた。またどこかへ行きそうだったので、余計な事は考えないようにしていた。
「そいえばさ、ライオンが飛び込んできたよね?」
思い出して呟いた。思い出しちゃいけないと思うのに、気になってしかたがなかった。
「すげーマジック。あんなの初めて見た。お前が猫になったと思ったぜ」
ニックの話によると、道化師は飛び込んでくるライオンへ大きな布袋を広げて迎え入れ、袋を閉じると舞台へかけ戻って中から子猫を出したのだという。
袋の影でアキラが隠れ、それが退かれた時にはアキラも消えていたということらしい。
公演が終わった。アキラは大きく息を吐ききると、ぐったりと座席の背もたれへ体を預けた。
「疲れたぁ。 ピエロはトラウマ」
呟く。舞台に道化師が現れるたびにアキラは身体を緊張させていた。 顔の間近に迫った泣き笑いの顔が怖かった。夢に見そうだ。
「客もいなくなったし、行くぞ。トラウマはパフェでも食って忘れろ」
ぽすっとアキラの頭に手を置いてニックが言った。
そうだ『おりび庵』で新作スイーツが出るって言ってたんだ。そう声を上げて立ち上がったアキラには、期待に満ちた笑顔が浮かんでいた。こいつにトラウマは無いな。苦笑した。
公演前に出会った女性が、舞台衣裳とは真逆の質素で清潔そうなワンピース姿で二人を団長のもとへと案内してくれた。
トレーラーハウスのドアを開けたとたん、数匹の猫の歓迎に驚いたが、その奥で団長だという浅黒い肌の黒髪の女性に、アキラはさらに目を奪われた。
着替えの途中だったのか、純白のビスチェに白いガウンを羽織っただけの姿。その姿のなまめかしさは、あのマーティナと甲乙つけがたい程だ。
「こんな格好でごめんなさい。ネコを探してるんですって?」
ハスキーボイスだ。見とれるほどの身体の曲線にその声は罪すぎるとアキラは思った。
「オッドアイのこの猫だ」
ニックは全く無反応。淡々とした声で写真を見せた。
「話は聞いているわ。今朝若い子が連れてきたのよね」
パチンと指を弾いた。ぬぅっとアキラの背後から先程の道化師が現れた。
「ぎょわー!いやー!」
ニックの胸に顔を埋めて悲鳴を上げた。
冗談などではなく、本当に泣きべそをかいている。ガキか?呆れて天を仰いだ。
「怖かった?ごめんなさい」
女団長はハスキーな声で、面白そうに笑い声を上げた。道化師は抱いていたカイザーをニックに差し出している。
「連れていっていいわよ。お金は戻せとは言わないわ。このサーカスは飼い主のいない猫を保護するためにやっているんだもの」
猫一匹のお金くらい、すぐ稼げるのよ。と彼女は言った。
「ところで、私たちと一緒に仕事をしてみる気はない?」
突然違う話題を振られた。
舞台映えしそうだから、興味があったらどうかしら?と、色気のある微笑を二人に向けた。
「俺たち、副業で猫探ししているんだ。これ以上仕事を増やしたくないな」
ニックが言う隣で、アキラは千切れそうなほど首を振っていた。団員になったらピエロと顔を合わせなければならない。怖い。
「残念ねぇ。私たちは世界中を回っているわ。いつかどこかで、また会いましょうね」
そうして二人は、猫のサーカス団と別れた。数十メートルも離れてから、アキラは大きく手を振った。
ここまで離れたら、ピエロもすぐにはやって来ないだろうと思ったからだ。女団長と道化師も二人に手を振っている。
いい人で良かった。ピエロは怖いけど。アキラは呟いていた。
サーカスのテントがまだ見える公園の芝生の上で、アキラはほっとして腰を下ろした。 カイザーは暴れるふうもなく腕の中でおとなしい。
「カイザーの発信器、壊したか?」
「もちろん!」
アキラがニックの問いに答える。エレナとヴァンの発信器もカイザーの首輪に付けられていたが、アキラは自分達の物も含めて破壊していた。後はもう一度ヴァンの城へ戻って、勝利宣言だ。
またヒッチハイクをしようか?とニックは言ったが、アキラは試したいことがあるから少し待ってほしいと頼んだ。何を試そうというのか?
カイザーをニックに預けたアキラは、転がっている小石を手に取った。左の手のひらの小石が小さく震え、跳ねて右手にポンと落ちる。
「PKの応用だと思うんだけどね」
言いながら再び数個の小石を拾い上げ、同じことを何度か繰り返した。小石は左から右、右から左と浮き上がっては移動する。これじゃ、ただのサイコキネシスなんだよなぁとブツブツ呟きながら、移動のコツを掴もうとしていた。
あの時どのようにして移動したのか、記憶をたどる。ひどい頭痛が襲ってきた。テントの中の客の歓声が耳障りだった。道化師が現れた。
そこでぞわっと悪寒が来た。すっかりトラウマだ。そういえばピエロのホラー映画を見せられたのが、元々のトラウマかもしれない。
と、そこでニックが驚いた顔をしているのに気がついた。パクパクと口を開けて指差している。
「どしたん?」
と背後へ首を回すと、アキラの背後に先ほどのピエロがメイク落としかけの顔で立っていた。
「ひいぃぃぃ!」
全身の毛が抜けるのではないかと思うほど鳥肌が立った。驚きと恐怖で涙も出てこない。
ピエロはどうしたんだろう?というように首を傾げて見つめている。片方だけ落としかけのメイクは、かつて見た恐怖映画のように思えた。
わたし。メイク落としてた。気がついたら、ここにいた。あなた達がここにいた。どうして?
話せばいいものを、他人の前だからなのかパントマイムで説明を求めてきた。
「どどど、どうしてだろうねぇ。不思議だねぇ」
あたふたとアキラが声を上げると、ピエロは納得行かないようにアキラの顔を覗き込んだ。黒い瞳が綺麗だ。濃いメイクで年齢が分からなかったが、意外と若いのかもしれない。
まぁいいか。と肩をすくめたピエロはバイバイと手を振って去っていった。
「あいつ、いきなり現れたぞ?」
「ボク、テレポートのコツとか考えてたんだ。途中でピエロの事考えた。そしたらアイツが…」
そこまで言ってブルッと震えた。
「でも、何となく分かったよ。見てて」
頭の奥がジンと痺れているような、酸欠で立ちくらみを起こしかけたような感覚がずっと続いている。
あそこ。と、数メートル離れた公園の立ち木を指差した。
信じられないものを見たとニックは思った。その地点を指差し、そちらへ目を向けた直後にはアキラは立ち木の隣へ立っていたのだ。そして再びニックの目の前に現れる。
「コツは掴んだ…ような気がする」
「ような。かよ?」
苦笑した。そして次の言葉に耳を疑った。
「これで一緒にヴァンの城まで戻れるね」
「いや、いやいやいや!」
『…ような気がする』奴がいきなり本番は無いだろう。猫と人間二人、変な生き物になったらどうするんだ?動揺を隠せなかった。
人と虫が融合した古い映画の一場面が、頭の中で何度も繰り返された。
「大丈夫だよぉ。変な所に飛んでったりしないから」
腰の引けているニックの腕を取ってアキラは言った。いや待て。ちょっと待て。心の準備が!
そう言う暇もなかった。
目の前には城があった ヴァンの城だ。
ぐるんと、瞬間的に眩暈がした気分だった。呆気に取られている隣で、アキラが歓声を上げている。どうやらアキラのテレポートは上手くいったらしい。ニックも自分の手足が猫と融合していないのを確かめてほっとした。
「ただいまー!」
ニックの先を駆け出し、ドアを開けてエントランスに入ったアキラは帰還を告げた。誰も迎えには出てこなかったが、皆と食事をした部屋へ一目散に入って行く。そこで待っている人がいるはずだ。
「やっぱりあんた達が捕まえたね。正直ホッとしたよ」
何かの作業をしている老人がいた。部屋に入ってきた二人へ一瞬顔を向け、また手を動かし始める。
「何をしてるの?」
アキラが覗き込んだ。
「動きはしないが、直してるのさ」
懐中時計をもとの形にしようと、老人は文字盤に長針を嵌め込むところだった。
「彼女があいつを恨んでいたなんていう話は、信じられんよ」
老人が話し始めた。
二人は共に夢を追いかけていたんだよ。 老人はそう言った。
起業して仕事が順調に進み、会社も大きくなったところで互いに第二の夢へ向かおうと、それぞれの道を歩み始めたのだ。
彼女は娘を抱えながら違う会社を起こし、成功したと聞いていた。
「順風満帆だったと聞いていたのになぁ」
本当に信じられないよ。と老人は組みあがった懐中時計を、鎖を掴んで二人の目の前でかざしてみせた。蓋の中央の石はエメラルド。雨に降られた南国の海のような緑色をしている。
「エメラルドは衝撃に弱い。だから大切に扱わなきゃならん。恨んでいた奴から貰ったものなら、乱暴に扱ってもよさそうなものだが、この石にはわたしが見つけた傷以外無いんだ。欠けてさえいない」
大切にしていた証だと老人は言った。それなのに恨んでいたとは。と、やはり信じることはできないらしい。
「恨むだけの事情ができたんだろ?年月は人も世界も変えてくぜ」
いつからそこで話を聞いていたのか、クロードがいた。彼は食事の仕込みをするのだと言って、猫探しはヴァンとマーティナに任せている。スーツ姿にエプロンがかなりミスマッチだ。
「ちょっと残念だが、カイザーはニコラス達のものだな。おめでとさん」
言いながらニックにキスをするのは、挨拶なのか?とアキラは混乱した。
やたらとキスをする文化圏だから普通の事なのだと思うのだが、相手がニックだから勘繰ってしまう。 自分にはされた事もないし。来ても拒否するけど。
「ちょうど冷えた頃だ。プリン食うか?」
キスの代わりにウインクをしながらアキラの答えを待っている。
これはもちろん拒否しなかった。
クロードのプリンはカフェで出してもおかしくない美味しさだった。自分の舌を唸らせるくらいだ。間違いない。アキラは思って、三つ目をおかわりした。
ドアが勢いよく開く音が聞こえた。エントランスの階段を足音を響かせながらあがってくる。足音が一つなのでエレナだとは分かったが、相当に怒っているようだ。
「ちょっと!どうしてあんた達が猫を盗るの?」
「ずいぶんな言い種だな。 もとの持ち主はお前じゃねぇだろ」
勢い込んで言うエレナに、ニックは厳しい眼差しで言い返した。
「それに、GPSまで付けるなんてルール違反だよ」
アキラはカイザーの首輪をエレナに見せた。エレナ用に発信器のついた首輪には、もう一つGPSも付いていたのだ。文句を言ってやろうと、そちらはあえて壊さなかった。地点を見てエレナは必ず慌てて戻ってくるだろうと確信していた。
「いいかげん、本当の事教えてよ。なんでカイザーを狙うの?」
「嫌がらせ。お祖母ちゃんを捨てた人に嫌がらせよ。こいつを捕まえてバラバラにして、宝石は換金するの」
恨みのこもった目でカイザーを指差した。
でもなぁ。と、老人が声を上げた。
「二人は円満に別れたんだよ。その後に一体何があったんだ?」
「知らない!とにかく恨んでたの!こんな物も、だから要らないのよ!」
テーブルの上にあった、直したばかりの懐中時計を彼女は弾き飛ばした。
「あっ!」
また壊れると思ったアキラは、思わずそれを受け止めた。
残留思念云々と考えるより身体が動いてしまったのだ。失敗したと思ったが遅かった。
無防備になったアキラの頭に、持ち主の思いが激しい渦となって流れ込んできた。
気を失っていたのは一瞬だったと思う。 制御もせずに触れてしまったから、精神の疲労に身体までも水を吸った綿のように重たい。
「やたらと思念拾わないよう、抑える訓練もしとけよ」
床に転がった懐中時計を拾い上げ、へたばっているアキラにも手を伸ばしてニックは言った。少し反応が鈍くて顔を覗き込むと、アキラは大粒の涙をボロボロとこぼしている。
「ごめん。考えてたら油断した」
驚いている一同を見渡して、こぼれる涙をゴシゴシと拭う。
「エレナ、お祖母さんは少しも恨んでいなかったよ」
「何よ。知りもしないくせに、いい加減な事言わないで」
「本当だよ。これからは感謝と優しさと大きな愛情しか感じられない。恨んでいたのはキミのママでしょ?お祖母さんはそれを悩んでいた」
アキラはエメラルドの懐中時計をエレナの前にかざして、時々声を詰まらせながら言った。
信じないんだから。狼狽えながらエレナは声を震わせた。
「うん。きっと信じられないだろうね。ニック、エレナに思い出させてあげてよ。このままじゃ、エレナもエレナのお祖母さんも可哀想だよ」
潤んだ目で懇願してくる。人情話に弱いアキラだ。拒否すればいつまでもメソメソしていそうだ。勘弁してくれ。
しかしアキラの見たものは本物だ。彼女が今後も激しい思い込みのまま恨みを抱えて生きていくのも大変だろう。
瞳が光った。金色の宝石のように光って、エレナを見つめた。
「子供の頃の事、思い出せよ。お前の祖母は何を語ってくれた?」
エレナは大きく目を開いていた。その瞳は、今は周囲の誰をも見てはいない。
思い出していた。
昔、お祖母ちゃんは仕事に成功したものの再婚相手に会社ごと乗っ取られ、その相手に捨てられた。
ううん。これはママが言っていたんだ。
会社を乗っ取られてその人に捨てられて、お金さえ奪われた。
お祖母ちゃんはまた一から始めようとしたけどなかなか上手く行かなくて、ママは貧乏暮らしはお祖母ちゃんと別れたお祖父ちゃんのせいだって言ってた。
呪いのように言い続けてた。いつもお祖母ちゃんに文句を言って、だから別のパパにも愛想を尽かされて、それもまたお祖母ちゃんとお祖父ちゃんのせいにしてた。
ママの事困ってたお祖母ちゃん。
人生は一度きりだから、後悔しない生き方をしなさいって、好きな事ややりたい事があるなら、どんなに回り道になってもいつか実現しなさい。
言ってたお祖母ちゃん。大好きだった。
ママの事ごめんねって言えなかった。いつの間にか心の奥に閉じ込めてた。
「ごめんね。って言いたかったの。言えなくて忘れたかった。いつの間にか、気持ちをすり替えてた」
大好きだったのにごめんなさい。と、ボロボロと涙をこぼしながらエレナは泣きじゃくった。
キミは悪くないんだよ。苦しかったねと、アキラもエレナを抱きしめておいおいと泣いていた。困った奴だ。すぐ感応しやがる。ふぅとニックはため息をついた。
「俺が指をクリックしたら、もう終わりだ。今思い出したことは忘れない」
パチンと指を鳴らせた。エレナは涙に濡れた睫毛をぱちぱちとさせ、ニックを見る。
それから自分を抱きしめてメソメソと泣いているアキラに驚いた。
「やだ!気色悪っ!」
「ひどっ!一緒に泣いたげたのに」
アキラが拗ねる。
「でも、本当の事分かったんでしょ?」
にっこりと笑った。先ほどまでの泣き顔が嘘のように晴れ晴れしている。エレナの催眠が解けたのと同時に、感応していた精神も解けたようだ。
ちょっと面倒な力だとニックは思った。
ヴァンがもう少しで戻ってくると聞いたのはそれから間もなくだ。しかし別に待つまでもないのだが。
「どうしよ?待つ?」
エレナの件は解決したが、ヴァンが現れてややこしくされるのも嫌だ。
「待たなくてもいいだろ?」
泥棒ごとき、律儀に待つまでもない。とニックは言った。
「帰りの飛行機くらい出せるぞ」
クロードは名残惜しげに言っている。ヴァンが戻ればすぐに飛べると言った。自家用ジェットを車で送るような感覚で言っているのが、ちょっとズレていると思った。
「お金持ちの感覚、分かんない」
アキラが嘆く。
「いいよ。俺達は身体一つで帰る事ができる」
クロードと頬を寄せて別れの抱擁をしながらニックは言った。
自分のテレポートを利用するつもりだなと、アキラは思った。初めてのテレポートにはかなり動揺したくせに。
すぐに帰り支度が始まった。といっても、荷物などというものは無い。カイザーだけだ。
「あたしも帰るわ」
静かな部屋で気持ちを整理すると言っていたエレナが現れた。マダムにお詫びしたいのだと言う。
「どうやって?」
「あんた達と一緒によ」
アキラが訊ねると、それは当然とばかりにエレナが答えた。
「超能力者なんでしょ!送ってよ。パスポートもお金も無いんだから、普通じゃ出国さえできない」
確かにそうだと思った。しかし、超能力というものに不信感は持たないのだろうか?世の人々のほとんどがまだ、その力はトリックだと思っているのに。
「トリックだったの?お祖母ちゃんの話も?」
アキラに強い眼差しをむけ、エレナは言った。あんた達本物よ。そう付け加えた。
「おじいちゃんは?」
ヴァンと一緒に来た老人は首を横に振った。
「彼らといるよ。あの山奥で隠居するより面白いことができそうだ」
にこにこと言う。ここで泥棒一味に加わるのか?とニックが言うと、人生は最後まで楽しまなければね。と、老人はウインクをして見せた。
「ニコラス。言っておくけど俺達を警察なんかに売っても、捕まらないぜ」
「ふん。そういう組織とは無関係だ。知るかよ」
クロードに言い返す。
ニックが意味ありげににやりと笑ったのは、アキラしか見ていなかった。
「それじゃ、帰るね。おじいちゃん元気でね。クロードのプリン、美味しかったよ」
「ヴァンには、ご愁傷さまとでも言っといてくれ」
カイザーはこっちが手に入れた。カイザー絡みでなければ、泥棒でもなんでもやってくれ。ニックはそう続けた。
「じゃ、手をつないでね。行くよ!」
やたらと張り切った声をあげてアキラは言った。
残留思念を拾ってしまった割にあまり疲れていないのは、クロードの作ったプリンを食べ尽くしたからかもしれない。
頭を使うと甘いものが欲しいんだよ。と言っていたが言い訳だ。プリン一つで十分なはずなのだ。ただの甘党なのがバレバレである。
どういうわけかクロードはアキラをかなり子供扱いしていた。大喜びで甘いものを頬張る様が幼く見えたらしい。歳を聞いて驚いていた。次の誕生日が来れば十九歳になるのだ。
「とーちゃくー」
アキラが声を張り上げた隣で、目の回るニックは辛うじて立っていた。エレナは地面にペタリと座り込んでいる。
「大成功でしょ!」
にこにことVサインを作って跳び跳ねている姿は、まるで幼い子供のようだ。
「だからクロードに勘違いされんだよ。 ガキ!」
「ほんと。年上だなんて思えない」
え?と、アキラとニックの声が重なった。
「ボクより年下?なの?」
「十六よ」
うえぇぇ!なんとも言えない声をあげて、アキラはくるりと背を向けた。同じ歳か少し年上だと勝手に思っていたのだ。
「女の子って、みんな魔法使いみたい」
「なによ?」
「女ってさ、やっぱり素敵だね!」
可愛いのやカッコいい服も着られるし、メイクで変身もできる。
羨ましい!と頭からピンクの湯気でも出てきそうだ。
「あー、分かったからマダムのところへ行くぞ」
これ以上何か喋らせたら、長くなりそうだ。さっさと本題を切り出して先に進みたかった。
**********
おとぎ話のような家の呼び鈴を鳴らした。 ほどなく返答があり、ゆっくりとドアが開いた。と、
「あぁ!カイザー!」
誰と問う間もなく、彼女はニックの腕に抱かれているネコを見つけて、感激の声を上げた。受け取って、愛おしくカイザーを撫で続けている。
「マダム、立っていてはゆっくりとお話もできませんわ」
ニックの背後からエレナが現れて声を上げた。
「あらあら?そうね。 どこでどうしていたのか、お話を聞かせてくれる?」
カイザーをしっかりと抱き締めたまま、彼女は二人を応接間へと導いた。
「ボクたちはそんなに長居はできないよ。 ただ、エレナがマダムに色んな話をしたいって」
アキラはそう言って、お茶を持ってきたエレナを指差した。
ここへ戻ってくる時に約束したのだ。マダムを騙していた事を謝る事や、自分の素性について話すことを。それを見届けて、やっと仕事から解放される。
あの、勝ち気そうな眼差しだったエレナは別人になったように穏やかな顔をしている。わだかまりが解けると、こんなにも優しくなれるのかとアキラは思った。
「まずはマダム。ごめんなさい」
エレナは深々と頭を下げた。マダムはちょっと驚いたものの、エレナから聞かされた真相に穏やかに微笑むだけだ。むしろ喜んでいるようにさえ見える。
「あの人の孫だったのね。もう家族はカイザーだけだったから、本当に嬉しいわ」
マダムの目尻から、嬉し涙がこぼれてきた。
「怒らない?」
「怒るわけないでしょう!嬉しいのよ!」
マダムは立ち上がると、エレナを抱きしめた。それから急に不安げな顔をして見つめる。
「こうして話してしまったのなら、もう帰ってしまうの?」
彼女の手をぎゅっと握りしめてマダムは言った。声が少し震えている。どう返事したらいいものか、戸惑ってアキラ達へ顔を向けた。
「決めるのは俺達じゃない」
「あとはエレナの問題だよ」
仕事は完了した。その後の事は自分達の関知することではない。でもエレナからは気持ちが溢れていた。
ここに居たいと。
カイザーはマダムに渡した。
エレナの謝罪も見届けた。
これで二人の仕事は全て完了だ。
行こか?アキラの目がニックに訴え、応えてニックがうなづいた。間もなく二人はマダムの家を退去した。
ひゃあ!
アキラがなんとも言えない声をあげた。のんびり歩いているが、変な声をあげると不審者に間違われ兼ねない。
北へ行ったかと思えばいきなり国外へ。そこから初めての長距離テレポートで今ここに居る。目まぐるしかったね。アキラは今一度大きく息を吸い込んだ。慣れ親しんだ国の空気が一番いい。
今頃クールはスタンバイハウスへも戻らず、連絡もしない二人にピリピリしていることだろう。戻れば報告書の他に始末書とクールの説教がもれなくついてくるのははっきりしている。気が重い。二人は同じ思いだった。
「なぁエレナって、どこまで本当の事を言ってたと思う?」
おもむろにニックが声をあげた。
「そういえばこの先のピアノ教室に居て、親が離婚してって、あれ?なんか変かも?」
だろ。とニックは同意した。
あの家に住んで親が云々は、エレナの嘘だ。
その家には今、警察車両が何台か停まっている。成り行きを見ている婦人の声が『空き巣らしい』と話していた。
こうなるとピアノの調律もたぶん嘘だろう。そういえば水分は大敵のピアノの上に、エレナはあの時ペットボトルを無造作に置いていた。
ピアノの調律は、本当の家主が帰宅してすぐ使えるよう依頼していたのだと思われる。
「本当に詐欺師だね。ま、警察に付き出すつもりはないけどさ」
「そうだな。俺達まで色々とヤバイからな」
そう言ってから、ニックはクックッと笑った。
「今頃、あの泥棒たち驚いてるだろうな」
あぁ、とアキラも思い出してにんまりと笑った。二人ともいたずらが成功した時のような笑顔だ。
「ボクたちに迷惑かけたお返しは、しとかなきゃね」
二人は向こうを出発前、ヴァンの美術品を部屋一つ分、持ち主に返したのだ。
アキラの残留思念を拾う力とテレポートの合わせ技で実現できた事。
「驚いた顔、見てみたかったなぁ」
「犯罪者ってバラさなかっただけ、ありがたく思えってんだ」
二人はもう一度笑った。それから顔を見合せ大きくため息。
本当に気が重い。 クールに小言を受けるのが恒例の事になった。どういうわけか、アキラと仕事を始めてからだ。
それを嫌だとか煩わしいと思わない自分も、少し変わったのかもしれないと思った。
一緒にいると楽しいと思える。
「あ!」
アキラは急に思い出した。
「観光するの忘れちゃった」
ひどく残念そうにアキラは溢した。いつでも行けるだろ?ニックが言うが、それに納得しても心残りなようだった。
「過ぎたことウジウジするなよ。テレポート、よろしくな。クールに叱られに行くぞ」
「うへぇ」
ウンザリとしたアキラの呻きを残して、二人はその場から消えた。
ネコを探してドコ行くの? 〈了〉




