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ネコを探してドコ行くの? 1

 雪原。


 常緑の木々と葉の落ちた木々の混じった林に、アキラとニックはポツンと立っていた。 全く予定外の状況だ。

 「ねぇ、何でボクたちここにいるのだっけ?」

 「あー、そりゃ猫を探しに……」

そこまで言って、ニックは固まった。

 寒い。顔の筋肉がこわばる。薄着の足元からじわじわと寒気が忍び込む。コートの中も同様。北国の外気にさらすような格好ではないのだ。

 アキラもイヤーマフと襟を立てたショートコート。鼻先は真っ赤だ。

 ちらちらと雪が舞いだした。細かく軽い雪。風が強く弱く吹き、たたずむ二人の姿を時おり見えなくする。

 「ハナミズ氷りそう」

 「ホテル探そうぜ」

今日の仕事は中止。ボソリとニックが呟く。アキラも異論はなかった。



**********



 数日前になる。その日もまた、突然だった。本業を終わらせて一息つく間もなく呼び出しをくらったのだ。

 いつものごとく、アキラの不平から始まった仕事だった。



 スタンバイハウスで待っていたのはモニター画面に写る抽象画のマスターだった。

 とある画家の自画像との事だが、とんでもない方向にある口が子供のような声でパクパクと話す様は、くすりと笑ってしまうほど滑稽だった。


 マスターからの依頼は、猫探し。


 これにはニックも不満の声をあげた。ペット専門の探偵がいるのだから、そっちがやるべきだというのが二人の意見だ。

 しかしマスターは二人に頼みたいのだという。二つ返事どころか四つ返事以上で渋々引き受けた。


 ある未亡人が飼っていた猫が、家から逃げたのだという。もう老猫なので心配なのだそうだ。

 「もう死んでるんじゃない?猫って死期が近づいたらいなくなるっていうんでしょ?」

アキラはそう言ったが、その未亡人は死んでいてももいいから戻ってきて欲しいのだと言ったそうだ。猫の遺体を探すなどさらに困難だ 。

 「わたし達の仕事は人助けですよ。マダムは大切な飼い猫がいなくなり、大変に心配しています。一人の人も救えずして何が人助けですか?」

 最後はクールの厳しい視線に押しきられたようなものだった。



**********



 街の郊外にある高台は、高級住宅地として一般市民から憧れを持って見られていた。

 住んでいるのは主に仕事を引退した高齢者である。さすがに一クラスそれ以上の資産家達の住宅地である。

 門構えから高級さを感じるし、庭に並んでいる車は、これまた上級クラスの高級車ばかりだ。

 「うぅ、場違いすぎて歩くのも落ち着かないよ」

アキラは右に左に不審者のように首を巡らせながら歩いていた。今にもセキュリティ会社の職員が駆けつけてきそうだった。



 一構の門の前に立つ。

 ここだね。と、二人は顔を見合わせて頷いた。

 

 インターホンを押す。

 やがて静かに扉が開いて招き入れられた。すぐ目の前に家が現れるだろうと思っていたが違ったようだ。

 レンガ色の石畳の小径が続き、背の高さの違う木々と脇の植込みには手入れの行き届いた色々な花が目を楽しませてくれている。

 やや歩いて、木々に囲まれた家の全貌が見えるとアキラは意外と言いたげな声を漏らした。

 こぢんまりとした三角屋根の、おとぎ話にでも出てきそうな洋館だ。高級住宅地に突如として現れた、魔法使いの館という雰囲気である。

 再び呼び鈴を押した。 門の前で訪問を知らせているのですぐにドアが開き、若いメイドが招き入れてくれた。



 マダムは時計師のご主人を去年亡くしたそうだ。

 海外の企業で成功し、早くに仕事を後進に譲ったあと独立時計師としても成功し、ここへ工房を構えて仕事をしていたのだという。

 マダムとは共に再婚で、子供はなく、その代わりに猫を飼っていた。名前は『カイザー』ゆるやかな長い被毛を持つ大型の猫だ。


 「皇帝だなんて、大層な名前だな」

ニックは渡された写真を見て言った。しかし名前の通り堂々とした佇まいでマダムの膝の上におさまっている。

 可愛いというよりは格好いい猫だ。

 

 「わ、金と青のオッドちゃんなんだね。 格好いいなぁ」

横から写真を覗き込んでアキラは感嘆の声をあげた。こちらを見る宝石のような猫の瞳は左右色違いのオッドアイだ。


 「もう二十歳のおじいちゃんだけど、まだまだ元気に散歩をしていたの。死んでしまったとは思いたくないわ。もし死んでいたとしても、亡骸は夫のお墓のそばに埋葬してあげたいの」

 いずれは私も入るわけだし。とマダムは少し寂しそうに微笑んだ。

 「きっと探し出すよ!良い報せを待ってて」

こういう話には弱いアキラが、マダムの細く皺の刻まれた手をしっかと握った。

 途方もない話だ。安請け合いしやがって。ニックは小さく舌打ちをした。



**********


 猫の行動範囲はそれほど広くはないのだといわれている。家から二百メートル範囲内を徹底的に探せば見つかるだろうと聞いてきた。

 だから軽く思っていたわけなのだが、なかなかどうして難しい捜索だった。


 仕事を開始してから二日。全く進展がない。今日はもう少し探す範囲を広くして手分けして探すつもりだった。

 ところがアキラは待ち合わせの時間に遅れると言いながら、そろそろ一時間になる。


  「お待ったせー!」

いつもの能天気な軽い声が背後からニックを呼んだ。

 「遅……げっ?」

振り向いたニックはその姿に仰け反るように後ずさりした。

 

 猫耳メイド姿のアキラがいた。


 元が中性的な顔立ちなので、淡いオレンジの色付きリップを引いただけでボーイッシュな少女に仕上がる。

 短いピンクのフレアワンピース。幾重にも重なったパニエがスカートをふんわりと広げている。白いフリルのエプロンは機能性よりも見た目を重視しているようだった。

 同じく白のブリムには黒の猫耳が付けられ、スカートの下からは黒い尻尾が見えている。

 「かーわいいでしょ。この先に猫メイドカフェがあるんだよ。保護ネコ集めてるんだって」

 その保護猫カフェに、保護した猫を度々持ち込んでくる男がいるという情報を、昨日の帰りがけにどこからか聞いてきて、この出で立ちということだ。


 「面接受けたら、その場で採用されちゃったよ」

よほど人手不足なんだな。と言おうとして、ニックは飲み込んだ。

 男の姿で行ったはずなのに、女の姿で採用されるというのは勘違いされるにも程がある。

 「ということで、ボクはカフェでその男を待ってみるよ。運が良ければ今日も来るらしいから、マダムの猫のこと訊いてみるね」

アキラは足どりも軽く去っていった。

 趣味丸出しだな。尻尾をゆらゆらさせて去っていくアキラの後ろ姿を見送って、ニックは呟きとともに長いため息を漏らした。



 そのカフェでは保護猫を御主人様。客を旦那様やお嬢様・奥様と呼び、メイドが御主人様(猫)の客をもてなすというシチュエーションらしい。ゆえに、メイドも猫耳に尻尾付なのだ。

 「アキラにゃん。このケーキは窓際のお嬢様に」

 「はぁい」

ニックは猫探し序でに覗いてみたが、ウィンドウ越しに見えるアキラはやたらと生き生きしていた。

 また趣味と実益などといって仕事そっちのけで女装を楽しんでいるのだろう。まぁいいか。と、ニックは思った。どんな形であれ、仕事を投げ出さないだけいいだろう。

 いつの仕事だったか、一度だけ仕事を放棄してクールに烈火のごとく叱られた事があった。それからはいくら敬遠したい仕事でもこなしている。アキラなりの覚悟ができたのだろうとは思った。

 盛大な文句は言うが。

 

 あぁ、文句は俺も言うか。ニックはくすりと笑うと、再び仕事に戻っていった。



 その日の午後。


 周辺を歩いていたニックは、ばったりとアキラに出くわした。さすがに女装はしていなかったが、茂みの中をかき分けては猫の鳴き真似をしている。

 相変わらず調子っぱずれだ。ボイストレーニングを無償でやってあげているというのに、成果の欠片も見えない。


 「あれ?ニックったら、いつの間に居るんだよ?」

 ニックの存在に気がつくと、久しぶりのような顔をして笑った。

 そして同じことをやれと言う。アキラには恥ずかしいといった気持ちは少しも無いようだが、誰がするか!

 プライドが許さない。それに、道行く人々の視線は不審者を見る目そのものだ。

 「カフェはどうしたんだよ?」

 「勤務時間おわったの。それよりさぁ」

聞いてよ。と、アキラは説明始めた。


 いつも保護猫を連れてくる男というのが、アキラの本業の方の先輩だったらしい。

 アイドル事務所とはいうものの、まだ看板になるような有名どころが育っていないため、暇が多い事務所だ。

 先輩はレッスンの無い時間などがあると、街に出ては野良猫の保護をしているらしかった。

 「訊いてみたんだけど、マダムの猫は保護してないんだって。でも、似たような猫をこの辺りで見たらしいよ」

それでここに居たわけか。と納得した。 女装までして手がかりを探しているが、今日も成果は一つも無さそうだ。

 「でね、」

ふと思い出してアキラが笑った。

 「先輩ってば、ボクだって分かってないの。もう、可笑しくって!ボクの女装が完璧だったのかな?」

目が悪いんだろ。と言ってみたが、聞いていないようだ。

 再びにゃーにゃーと鳴き真似をして、茂みをかき分けている。

 「なぁ、それって効率悪くないか?」

 「そお?でも目撃した人が居ないんだもん。あとはこの辺りの猫に訊くしかないでしょ?」

 冗談でも何でもない、いたって普通の顔で言う。こいつ真面目に言ってるのか?とニックは呆気にとられた顔でアキラを見つめて思った。

 いやまてよ、アキラの超能力が覚醒して猫語が分かるようになったのかもしれない。そう思って訊いてみた。

 「分っかるわけないじゃん!ニックってばメルヘンだねー」

この返答に三倍以上で怒ったのは言うまでもない。



 「そんなに怒らないでよ。 真面目に探してるんだよ」

ぶぅと膨れて、ポケットからチョコバーを取り出す。甘いものでも食べて気分切り換えよ、などと言っている。

 ちっとも『真面目に』とは思えなかった。


 猫が通りそうな植え込みのなかに低いブロック塀を見つけ、アキラはそこに腰を下ろしながらチョコバーの包みを開けた。新発売なのだそうだ。

 相変わらず仕事に向き合う緊張感がない奴である。もう一言文句を言おうと、ニックはアキラの方を向いて少し驚いた。

 固まっている。

 視線の焦点が定まっておらず、持っているチョコバーを今にも落としそうだ。

 いや、落ちる。

 落ちた!


 瞬間、アキラの残念そうな声があがった。呆けてるからだろう。そう言ったがアキラは大きく頭を降った。

 「落ちたのは残念だけど、見えたんだ!」

ブロック塀に腰かけて猫のことを考えた時、いきなり見えたのだという。

 「猫の残留思念?」

 「違う。誰かがカイザーを見ていた。ここに座って」

 「誰?」

 「わかんない。でも、カイザーもこっちを見ていた。それから茂みの中に消えちゃったんだけど、黒って色とピアノの音が聴こえてた」

あぁ、これだけじゃ全然わかんない。ここに座った人も離れちゃったし。

 アキラはぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。もう少し、ヒントの切れ端が出てくるような気がするのだ。


 「そうだ!緑色の石の入った、丸い何か」

 「なんだそりゃ?」

 「何かわかんない。でも、どっかで見たような気もするんだ。全然思い出せないけど」

 それからぐったりとしゃがみこんだ。使う予定ではなかった能力と集中力を使い、かなり疲れてしまったようだった。

 「で?心当たりとか無いのか?」

 「わかんないよ。黒って何の黒?見当も付かないや」

顔色を悪くして呟くように言った。 本当に予想外の出来事だったのがよく分かる。

 いつもなら前もって集中するから、疲労の予測も付いて途中で切り上げることもできるのだ。今回、途中で集中が途切れたのはアキラの食い意地のお陰のようだった。


 「あなた、大丈夫?」

心配そうに声をかけられた。舞台でも映えそうなほど美しい女性。一方の手にはリードが握られ、灰色の小型の犬が警戒するようにこちらを見ている。


 「大丈夫。 すぐに良くなると思うので」

ニックが代わりに声をあげた。少し冷たい。

  相手が女性だったからに違いないとアキラは思った。ワインレッドに染め上げたアシンメトリーのショートカットに、短めのセーターとパンツ姿。身体のラインがくっきりと出て、とてもグラマラスだった。


 「お姉さんの家、近いの?」

アキラは言った。

 また出た。ニックは思った。アナベルを好きだと言いながら、女に弱い。

 相手にされないか弟扱いしかされないのだが、懲りないようだった。言い分としては、女装の参考とのことだが。

 

 「まだフラフラするから、お姉さんの家で休ませてもらえたら助かるなぁ」

うるうるキラキラと瞳を輝かせて言っている。これはもう断っても押し掛ける雰囲気だ。

 ダメだこりゃ。ニックは天を仰いだ。




 リビングのソファでちんまりとしおらしく座るアキラとは対照的に、ニックは外を眺めながらイライラと腕組みをしている。

 妙な違和感を感じるし、早く外へ出たくて聞きたくもない女の声を拾っていた。


──何で連れてくるかなぁ?

──連れてきたくはなかったわよ。でもあのコ強引で困ったわ。こっちが来いって言うまで粘るのよ。

──まぁ、害はないようだからケーキのひとつでも持たせて帰ってもらえよ。

──そのつもりよ。 ヴァン。

ニックは笑いを堪えるのが辛かった。

 結局こいつはお荷物以外の何者でもなかったのだ。なにも知らずに彼女が現れるのを、アキラはそわそわと待っている。とんだご愁傷さまだ。

 まもなく彼女は現れたが、先程の盗み聞き通り小さな菓子の箱を持ってきて『恋人が来るから』と追い返された。アキラの気落ちたるや、頭から紫の怨念が出てきそうなほど残念がっている。 

 「行くぞ。こっちはまだ仕事の途中なんだ」

お前の好きな『おりび庵』の菓子だ。全部やる。菓子箱を突き出した。

 ようやく機嫌が直ったようだった。


 再び周囲の捜索が始まった。

 街路樹の続いたこの先に、小さな公園がある。ほどよく茂みもあって、猫が居たら隠れていそうだと教えられた。

 「そういえば、ピアノの音も聴こえたって言ってたな?」

道すがら、ニックが訊いた。

 「どんな曲か分かるか?」

えーっとね……と、歌いだそうとしたのを慌てて制止した。

 音程の合わない歌を聞かされるほどの拷問はないと思った。当の本人はマトモだと思っているから腹が立つ。

 前回の仕事の後アキラの歌を聴きかねて、ニックはアキラのボイストレーニングをかって出ていた。が、アキラのためというより自分のために。

 ただアキラの取り組み方に本気が感じられず、成果は今一つといったところだ。


 「でも、綺麗な曲だったよ。クラシックとか聴かないから分かんないけど」

必死で曲のイメージを伝えようとしているところへ、ニックが親指を立ててこれを見ろと促した。

 控えめな小さな看板。埃がかかっていて読みにくいが、ピアノ教室と書いてあった。

 「入ってみようぜ」

玄関周りは荒れ果てていて、誰かが住んでいるとは考え難かったが、アキラが思念の中で聴いたピアノの音が気になる。

 入り口にはやはり鍵がかかっている。

  それをアキラがPK(念動)で開き、静かに入っていった。注意深く周囲を見渡してから中へ入ったが、やはり不法侵入。ドキドキする。

 「空き家になってから、かなり経つな」

残っている家具の上や窓の棧、床も埃だらけだ。その埃だらけの床に、何人かの新しい足跡が残っていた。

 奥へ進んだ。

 広い部屋にグランドピアノが一台置かれている。他の部屋同様に埃まみれだが、ピアノの蓋部分に指の跡がいくつか残されていた。

 ピアノの蓋を上げた。つやつやとした鍵盤が現れた。

 一音、ゆっくりと鍵盤を下ろしてみた。おや?という顔をしてもう一度。

 「この音、分かるか?」

 「えぇ?『ミ』じゃないの?」

 「違う!『ソ』じゃ、この音」

 「んと、『ファ』だ!」

 「『シ』だよ。相変わらず、音取れてねーな」

 「こんな所でいきなりなんて、ズルくない?」

 「そうじゃねーよ。調律してあるんだ。これ!」

そうなのだ。埃がかかるほど長く使われていない筈なのに、綺麗な音が出る。

 「音が出るんだもん。普通じゃないの?」

あまり興味の無さそうにアキラは答えた。

 「普通じゃない。長く使われていないピアノは、音が狂ってくるんだ。なのにこれは調律したばかりのように、良い音がする」

 「へぇ、そう。 こっちも見てよ」

素っ気なく答え、部屋中に足跡があるなかで、ポツポツと梅の花のような跡を指した。猫の足跡だ。

 「これって、ぽくない?」

 「っぽいな。でもカイザーかどうか分からねぇぞ」

 「だけどさぁ、他の猫にしても家にはどうやって入ったの?ドアには鍵がかかってたし、出入りできるような所なんて見当たらないよ」

 確かに、壁に穴があるとか窓が破られている風もない。ましてネコ用ドアなどという物も無い。

 「誰かがここに連れてきたんだろうな」

 「そしてどこかにまた移動?」

そこへドアの開く音がした。

 二人が右往左往と焦ってバタバタしている所へ、若い女が入ってくる。年の頃はアキラ達とそれほど変わらない。食料でも買い込んできたのか、コンビニの袋が提げられていた。

 しかしそれ以上に驚いたのは、彼女がマダムの家のメイドだったことだ。

 「キミ、マダムの所のメイドちゃんだよね?なんでここに?」

 「それは私も同じこと訊きたいわ。ここは私の家よ。通報するわよ」

度胸がいい。悲鳴を上げるどころか、眉をつり上げて怒り顔。この言葉には慌てた。警察に突き出されては、色々と面倒ごとになる。

 「ごめん。 マダムの猫を探してここまで来たんだ。この足跡は猫でしょ?」

早口で言葉をつないで、彼女の反応を待った。

 「そうよ。マダムが探している猫、見つけたわ。ここに連れてきて、綺麗にしてから連れていこうと思っていたのに、また逃げられちゃったのよ」

仕事が終わると期待したものの、がっかりである。また振り出しだ。

 捜索の計画を練り直そうか、と二人は少し考え込んでしまった。


 だんっ!


 ピアノの天板の上にペットボトル。

 不法侵入してきた二人がなかなか出ていこうとしないので、彼女は買ってきたばかりの炭酸水をペットボトルごと二人に振る舞ってくれたらしい。

 0メイドをやっているくらいだから、コップに注いでくれるかと思ったがそうでもないようだ。勝手に上がり込んできたことで腹を立てているのだろう。

 「飲んだら出てってちょうだい」

不審者に振る舞いとは、変わった子だなと思った。それに、

 「これだけ埃っぽい部屋で、ピアノだけ良い音だな」

綺麗に調律された音も不思議で、ニックが感心したように言った。

 「分かるの?」

彼女は意外だという顔をした。

 この家は彼女が幼い時に住んでいた家なのだという。ピアノ講師の母親がここで教室を開いていたらしい。しかし親の離婚と共にこの家をしばらく離れることになり、やがてピアノ調律師として戻ってきた。

 「だったらメイドなんてしなくていいじゃない」

とはアキラが言ったが、そうでもないらしい。実績がないから、なかなか依頼がないのだという。依頼がないからお金もないということで、メイド協会に登録してアルバイト。とのことらしい。

 「良い音、出してるのにな。俺、知り合いがいるから調律の依頼かけあってみるぜ」

 「あら?ありがとう。でも、自分の力で成功したいわ。どうしようもなくなったら、お願いするわね」

 強い意思を見せて彼女は言った。それからまた、残念そうにため息を漏らして周囲を見つめ、

 「また地道に探すしかないわね」

大儀そうに、自分に言い聞かせるように彼女は言った。その通りだと二人も思った。

 「それにしても、見つけたなら言ってくれれば良かったのに」

アキラは言った。毎回、捜索前はマダムの家へ寄って情報が来ていないかなど訊ねていたのだ。

 「ビックリさせてあげようと思ったのよ。マダムの誕生日が近いから」

彼女は言った。それでも、一言ほしかったと言うと、彼女は素直に謝る。

 ここで言い合っていても終わらない。次の行動を起こさなければならない。



 二人は無断で上がり込んだことを詫びると、再び猫の捜索に戻ることにした。しかし八方塞がりの状態は変わらない。

 「生きていることは確認できたけど、地道な猫探しは続くわけかぁ」

アキラは嘆いた。地面近くの茂みを掻き分けて探すので、日々泥だらけだ。

 しかしあの大型の猫である。例のメイドが数日保護していたとはいうものの、それ以外で見かけた人物が居ないというのは、少し不自然すぎる。

 何者かが連れ去ったのではないかという事も視野に入れていかなければならない。実際、彼女の家の複数の足跡は、彼女だけではない何者かの足跡があった。『逃げた』とは言っていたが、閉めきった家から逃げるのも不自然だ。

 しかし誰が?何のために?



 翌日。

 もう一度マダムから詳しく話を訊こうと、二人の思いは一致していた。

 猫がいなくなる数日前からの様子や訪ねてきた人物についても。その中に『もしかすると』があるかもしれない。



**********


 マダムは猫─カイザー─が居なくなる前の事を、思い出し得る限り詳しく話してくれた。それこそ、与えた餌の種類まで。

 「そうそう。獣医さんにも診てもらえたのよ。いつもは主人があの子を健康診断に連れて行ってくれてたの。でも主人が死んでからバタバタしてて、あの子の健康の事も気遣ってあげられなかったのよ。悪い飼い主よね」

マダムは組んだ指をぎゅっと握り締めた。

 歳を感じさせないほどいつも元気だったので、何か健康に異変があったとしても気付けなかったかもしれないと責めた。

 「そんなときにね、たまたま散歩をしていたっていう獣医さんが、カイザーを診てくれたのよ」

ぱっと明るい笑顔を取り戻してマダムは言った。が、そのあとの言葉に二人は仰天した。

 「赤毛のとっても綺麗な女医さんだったわ」

 「赤毛って、ショートカットでワインレッドの?」

 「そうよ」

 「ものっ凄くスタイル良くなかった?」

 「そうねぇ。女優さんにしてもいいくらい、綺麗で優しい人だったわ」

二人は顔を見合わせた。何か繋がった気がした。

 「戻ろうよ。あのお姉さんの所!」

手がかりになりそうな事にアキラの声が弾んだ。ニックも気持ちが逸った。



**********


 前日の女性の家の前に、二人は立った。


 「でもこの家さぁ、獣医の家って雰囲気じゃなかったよね。家の中は綺麗すぎたし、家具もやたら新品ばかりだった」

アキラは言った。

 あの違和感はそれだとニックも思った。いつもふざけた感はあるが、肝心なところでキッチリと仕事をすると感心する。

──やだ!昨日のコ、また来たわよ。

ニックの耳は女の声を捉えた。

──まさか新手か?子猫ちゃんも狙ってるってのに、これ以上の邪魔はご免だぜ。

──どうする?ヴァン?

──本体はこっちが手に入れた。鍵は多分向こうだろうな。本体があればこの家に用はない。気付かれないうちに行くぞ。


 「アキラ、奴ら逃げるぞ」

ニックは家の裏手の方まで先回り始めた。慌てはしない。しかし遅かった。

 「ふぇぇ?お姉さん、なんで逃げるの?そんなに嫌われちゃった?」

ひょっこり呑気に追ってきて、猛スピードで去って行く車を見送りながらアキラは残念そうに呟いた。

 さっき見直した俺を返してくれ。ニックは思った。



 ハンドルを取るニックは走り去る車を追いながら、聴こえた一部始終をアキラに話していた。

 「子猫ちゃんって、カイザーじゃないよね?誰かを指してる?子猫って言うぐらいだから女の子だよね。きっと可愛いんだろうな」

キラキラと宙を見据える目が輝いている。

 またこれだ。ニックは呆れるしかなかった。性的に女好きというわけではなく、かといってトランスジェンダーでもない。

 細分化するなら、アキラはクロスドレッサーだ。ただ単に女物の服とメイクをして、女と一緒にキャーキャーしたいだけの軽薄さ。

 あの女子高に行った時は、まさにアキラの理想を具現したようなものだった。


 「で、どこに向かってるの?」

アキラの問いに、空港。とだけ短く答えた。

 「空港?何のために?」

 「知らねーよ。(こっち)に集中してたら運転できねぇ」

 「運転ド下手だから自動運転にしときゃ、耳使えるでしょ」

蹴飛ばしてやりたかった。

 運転は下手だがそれを口実に、耳の集中を止めたかったのだ。全ての音を聴いていては疲労が半端ない。アキラが残留思念を感じるのと同じなのだ。

 「ま、疲れちゃうから仕方ないよね。分かるよぉ。運転交代しよ。耳は休ませてさ」

今回の仕事で渡された車は助手席にも運転システムが付いている最新式らしい。ダッシュボードにあたるところに、ボタンひとつでハンドルが現れる。ほぼ自動運転のため、アクセルやブレーキはハンドルにセットされていた。

 ニックはアキラの気遣いに感謝していたが、何の事はない。新しい車に乗りたいだけなのだ。


 「でさ、空港に着いたらどうするの?」

国際線も国内線もある。どっちに行くべきなのか?

 しかしニックはそれに答えず、休ませてほしいと言って音楽メモリーを車にセットした。逸る気持ちに逆行するようなクラシックの曲だ。

 ま、なんとかなるか。気楽に考えた。



 ビジネスマンに旅行者。そこで働く職員達に見送りの人々やマニアまでが集まり、空港はショッピングセンターよりも賑わっているとアキラは思った。

 土産物の店も充実しており、アキラの視線が右に左に踊っている。買いたい衝動に釘を刺していなければ、紙袋を大量にぶら下げていたに違いない。


 「もう手続き始まってる。 行くぞ」

 「って、どこ行くのさぁ?」   

大股で人混みを縫って先を行くニックを、小走りに追いかけた。

 いつもそうだ。自分の中で何か決めた事があると、ほぼ説明も無しに先に行ってしまう。心を読み取ればいいことなのかもしれないが、それはプライバシーに関わる。

 互いに、また他人に対してもそれはやってはいけないことだ。


 手続きを済ませて出発ロビーに入ってから、ようやくニックはアキラに説明を始めた。

 彼女はヴァンという男と北の島へ行くのだという。たぶんこのロビーのどこかにいるのだろうが、今はもう探せないらしい。音が直接的に入ってきて集中力が続かないのだ。

 「向こうって、観光地でしょ?旅行かな?冬の観光シーズンだもんね」

 「んなわけ無いだろ。 鍵開けがどうとか、解体がいいとか言っていたぜ」

 「もしかして、猫を連れ去って解体しちゃうとか?残酷すぎる」

アキラは身震いしてムンクの叫びのようなポーズを取った。

 「解体される前に取り返せば良いだけだろ。たぶん貨物室に預けられてるだろうから、到着してからこっちが先に猫を取っちまうのさ」

 「それって、ドロボーじゃない?」

 「元々はマダムの猫だ」

それもそうだとアキラは思った。


 「あれ?」

到着してからの行動を話し合っている時、数メートル先に見知った姿を見つけた。ずいぶんと地味な姿をしているが、見間違うはずはない。

 「あの子、マダムの所のメイドだよね?」

ニックに確認を取ってみた。間違いなさそうだ。

 「メイドちゃん!メイドちゃ~ん!」

大きく手を振った。ひどく驚いた顔をして彼女は近寄ってくる。

 「なぜこんな所に居るの?」

辺りを見回しながら早口で言う。

 メイドちゃんと呼ばれたのが恥ずかしかったのか、エレナという名前があるからそう呼んでくれと、これまた早口で捲し立てた。

 「ごめんね。でもこれからどこへ?メイドの仕事はどうしたの?」

 「休みをもらったの。知り合いが居るから、顔を出してこようかな?って」

彼女はチケットを見せながら言った。

 驚いた。彼女もまた北へ行くらしかった。



 結局あの赤毛の女は現れないまま、飛行機は離陸した。到着までは1時間弱。

 酔い止めの薬を飲んだニックは、シートに着いてすぐに『寝る』と言ってアイマスクをしてしまった。飛行機のジェット音も苦手なのだ。

 アキラは子供用サービスの菓子を三つ程せびってご満悦である。

 エレナはアキラ達が並んで座るシートの二つ前に座っていた。


 「あっ!」

突然、アキラは思い出した。あまり大きな声だったので、周囲の視線がこちらへ向く。

 エレナも目を丸くして振り向いた。 通路を挟んで隣の老夫婦などは持っていた飲み物を豪快にこぼすほどだった。

 そのあとは周囲に聞かれるのを警戒して、ニックとテレパシーで会話する。

──思い出した。緑色の石の丸い何か。ってあれ、エレナが持っていたんだ。メイド服のポケットから出しては眺めてた。たぶん懐中時計?。

──じゃあ、エレナは何か絡んでるんだな?

──きっとね。着いたら聞き出さなきゃ!

二人は顔を見合わせて頷いた。


 その後は到着した後の行動について話し合ったりをしていたが、後方から人のざわめきが聞こえてきて中断した。乗務員も慌ただしく後方へ歩いていく。

 何事かと振り向いたニックは、何かを見つけ勢いよく立ち上がってそちらへ跳んで懐へ抱える。

 躓いて転んでしまったが、それは離さなかった。

 猫─カイザー─だった。


 「なんでこんな所に?貨物室に居るんじゃないの?」

シートに戻ってきたニックが抱えている猫に、アキラも驚いて訊いた。

 「俺も分からねぇ」

猫をアキラに渡して、ニックも首をかしげた。猫用キャリーのロックが甘くて脱走したのだろうが、貨物室からどのようにして出てきたかは謎だ。

 乗務員がニックに猫の飼い主かと訊いている。咎めるでもなく、大事な預かりものを危険に合わせたと陳謝している。

 「大丈夫です。 こちらこそ皆さんに迷惑かけました。もう逃げ出さないよう、到着まで抱いていますから」

 ニックの馬鹿丁寧な口調にアキラがくすりと笑って小突かれた。痛みに腕の力が緩むと、とたんに猫が暴れだす。

 「暴れないで。キミの飼い主が待ってるんだよ。キミを心配してるよ」

アキラが静かに諭すように言うと、それを理解したかのように猫は大人しくなった。

 肩に頭を預け、やがてリラックスしているのかゴロゴロと喉を鳴らしはじめている。

──エレナが睨んでるよ。アキラは苦笑しながらニックと交信する。その通り、彼女はこちらを向いて見つめていた。何か言いたげだが、その心中までは分からない。

──到着したら、すぐ帰るぞ。

──え?お土産くらい買わない?空港にはスイーツのお土産屋さんもいっぱいだよ。

──それより仕事!帰ってから取り寄せでもなんでもしやがれ!ニックの怒鳴りが頭いっぱいに響きわたる。

──仕事の事となるとカタいんだから~。ふくれてみせてみせて猫の毛の中に顔を埋めた。

 でも、カイザーをマダムに渡せば確かに仕事は終わる。そうしたらしばらく行ってなかったお気に入りのカフェでクリームたっぷりのパンケーキも食べられるだろう。お土産は諦めることにした。


 その後はトラブルもなく空港に到着した。 エレナがアキラのもとへ寄ってくると猫の無事を喜んだ。

 「見つかってよかったわ。マダムも大喜びね」

 「本当だね。無事にマダムのところへ送り届けるよ。キミも休みから戻ってきたら、喜んであげてね」

言うとエレナは小さくあっと声をあげた。休みなのを忘れていたと笑った。

 「変なの。働きすぎ?ゆっくり休んでね」

アキラが笑うと彼女も頷いて笑い、そのまま二人とは反対方向へ去っていった。


 「大きな猫ちゃんですね」

エレナを見送っていると、背後から声をかけられた。飛行機の通路隣にいた老夫婦だ。

 「うちにも居たんですよ」

夫人がカイザーの背を撫でながら言う。

 「先日天に召されましてね。お前、抱かせてもらったらどうかね?」

 「でも、飼い主さんに悪いわ」

 「いいですよ。猫ちゃんは癒しだよね」

アキラは夫人へカイザーを渡した。夫人は懐かしそうに猫を抱え、微笑んでいる。

 「お前、わたしにも抱かせておくれ」

ニコニコと夫人のご主人も猫を抱えた。おぅおぅと猫に話しかけ、夫人と顔を見合わせている。と、

 「ありがとう。 坊や!」

老夫人が張りのある溌剌とした声を上げ、白髪の頭を取った。

 

 「捕まえててくれて、恩に着るぜ」

老人は言った。しかし彼も変装しているのだろう。声は若々しく張りがある。男は呆気にとられているアキラとニックに、高笑いだけを残して走り去るところだ。

 「追うぞ!」

一目散に出口へ向かう二人をニックが先んじて追いかけはじめ、アキラも慌てて続いた。

 「バカっ!何やってんのよ、あんた達は!」

追いはじめたアキラの横を、素早く追い越しながら罵声をあげたのはエレナだった。この経緯をどこかで見ていたに違いない。

 「せっかく手に入れるチャンスだったのに、あいつらにまた盗られたじゃない。バカなの、あんた達?」

 「ひどい言い様だな。なんであいつらがカイザーを狙うんだ?」

ニックが言う。

 「あんた達に関係無い話よ。猫だけ取り返しなさいよ!」

 「うわー。だんだん人が悪くなってきた」

 「ごちゃごちゃうるさい!」

アキラとニックは肩をすくめて顔を見合わせた。

 先方の二人は人混みを縫うように行き、背の高さもあって頭だけしか確認できなくなっている。


 追い付いた!しかし先の二人はバスに乗るところだ。そして出発。

 「アキラ、停めろ!」

 「がってーん!」

ふざけた返事で両手を突き出すと、バンパーをつかむ仕草をした。

 バスはその場でタイヤを空回りさせ、青白い煙をあげた。何が起きたか分からないといった顔をしたエレナは、これを好機とバスの扉を開けさせて乗り込んでいく。

 「ニックも行って!」

返事の代わりに軽く右手をあげてアキラの横を通り過ぎていった。

 バスの中から悲鳴や怒号が聞こえてくる。 格闘になっていないことをアキラは祈った。喧嘩など腕力を使うことは、二人とも不得手なのだ。


 ばりん!


 バスの窓が割れた。

 窓から飛び出してきたのは、キャスケットを目深に被った男と赤毛の女。女の腕にはまだ猫が抱かれている。道路に飛び出した二人は後続のバスを急停車させると再び乗り込み、そのまま走り去っていった。

 アキラは次の動作も忘れて見送るだけだった。成り行きがあまりにもスムーズで、まるで何かのドラマを見ているようだ。

 直後にニックとエレナから非難の言葉を浴びせかけられて、しおしおに萎れてしまったが、立ち直りも早い。

 ニックはさらに後方から来たタクシーを呼び止めた。アキラと乗り込んで、バスを追ってくれと言った直後、運転手はエレナに銃で脅され車を下ろされてしまった。

 「逃がした罰よ。あんた達にも手伝ってもらうわ」

 言うが早いか、エレナは車を急発進させた。かなり荒い運転だ。

 激しいハンドル操作に目を回しているうちに、バスは街並を抜けて田舎道を走り出している。追う三人もその道を走っているが、冬の雪道である。所々ガタガタの上にタイヤで磨かれてツルツル。カーブの度に車の後部が振られて、遊園地のアトラクションよりスリルがあった。


 「ねぇ、なんで猫の取り合いしてるのさ?」

荒い運転に助手席のシートにしがみつきながらアキラは言った。

 「だから、あんた達には関係無いでしょ」

 「十分関係あるよ。ボクたちは猫を飼い主に渡さなきゃならないんだ」

 「説明なんてしたくない。撃つわよ」

 「撃ってごらんよ」

エレナが向けた銃に触れて、アキラは言った。怖くはなかった。むしろ自分が有利であるかのように微笑んだ。

 そう。有利なのだ。アキラが触れた銃身は、音を立てて分解されたのだ。

 「ボクたちの超能力(ちから)を使えば、キミの心の中なんて透け透けに見えちゃうんだよ。それこそ、知られたくない事も全部ね。それでもいい?」

 「エスパーってやつ?」

そういう人間が存在すると聞いてはいる。しかしスプーンを曲げたり、封筒の中身を言い当てる等のマジックめいたものだろうと思っていた。目の前で銃がバラバラになるまでは。

 「そうだよ。だから心を読まれたくなければ、この争奪戦の目的を教えて。多分だけど、猫をマダムのもとへ返すつもりはなかったでしょ?」

 ふう。と彼女は溜め息を一つ。そして話し始めた。

 猫は珍しい種類なのだという。依頼があって、連れていけばとてつもない額の報酬がもらえるそうだ。

 「老猫でもいいわけ?探せばブリーダーだっているだろうし、元気な子猫が手に入ると思うけどな」

アキラは言った。

 「あの色で雄は珍しいそうよ」

彼女は言った。そんなものなの?とニックの意見を聞こうと隣を見ると、ニックは青ざめて頭を抱えている。

 「車酔い?この子の運転、荒っぽいからねぇ」

余計なお世話とエレナはふくれて見せた。 ニックは違うと言いたげだったが、激しい吐き気に襲われて何も言えずにいた。吐かないだけましかな?とアキラは肩をすくめ、前方に顔を向けた時、バスに異変が起きているらしいのを目にした。

 大きく蛇行運転をしている。スリップしているわけではなさそうだった。が、突然ブレーキランプが点灯してバスが横向きに道路を塞いだ。次いで運転席の窓が開けられると、そこから飛び出したのはあの猫─カイザー─だった。多分バスの中で暴れたのだろう。 運転の邪魔になったために運転手が思わず窓を開けた。といったところだろうか?

 老猫とは思えない走りっぷりでこちらへ向かってくる。ボンネットに飛び乗った後はさらに後方へ走り去っていく。

 例の二人がバスから降りてこちらへ向かってくるところだ。エレナは先んじてUターンした。ニックじゃなくても吐くー!アキラは悲鳴をあげたが、荒い運転は変わらなかった。

 「白くて見つけ難い!」

苛々とエレナはハンドルを殴った。

 「あそこ!」

この辺りは国内有数の穀倉地帯だ。家と家との距離が極端に広く、雪に埋もれてはいるがその間は全て畑のはずだ。その雪の畑を獣がとことこと歩いている。道路が無いので大きく迂回しながら見失わないように追いかけた。

 しかし突然、車は動かなくなった。ぎちぎちと深みにはまっていくような音。カーブで新雪の雪山に突っ込んだようだ。車はそのままタイヤを空回りさせるだけで、前にも後ろにも動かなくなってしまった。

 「出そうか?」

アキラが力を使えば容易いことだ。しかしエレナは

 「何やってんのよ!早く追いかけなさいってば!」

人使い荒く怒鳴るばかりだ。

 「うひゃーい。行こうニック!」

いくら女の子でも、こんな怒りっぽい子はキライだと捨て台詞を吐いて外へ出た。

 猫は遥か先の雑木林へと歩いている。かつて知った散歩道のようにトコトコと歩く姿が雪山の中で見えかくれしていた。



 冷たい風が頬を過ぎていく。まるで紙ヤスリで撫でられているように痛い。追っていた猫は雑木林の中へ消え、雪雲と夕暮れも合間って視界はかなり悪くなってしまった。

 呆然と今までの成り行きを思い出して現状を追うが、寒さに思考が停止してしまいそうだ。


 

 「ねぇ、何でボクたちここにいるのだっけ?」

 「あー、そりゃ猫を探しに……」

途中まで言ってから、もう限界だと思った。

 闇雲に探したところで、猫はもう見つからないだろう。それに薄手の防寒着では無理がある。暖かい部屋で温かい食事でもとりながら次の行動を話し合わなければ、凍え死ぬと思った。



 車に戻った時エレナは既に居なく、代わりに数台のパトカーが車の後方に停まっていた。二人の思いは同じだった。

 ありがたい。暖かく移動できる。

 走りも安全な警察車両に乗せられ、暖かい署内で暖かい飲み物を勧められながら、二人は事情を訊かれた。二人の事。エレナの事。なぜあの雪原にいたのか、等々。

 それに対して二人は『嘘』を交えながら何度も同じ説明を繰り返した。

 観光で来た早々、タクシーに乗ったところを見知らぬ女にタクシーごと乗っ取られ、雪原で車から離れろと脅されたのだと。

 猫の事を訊かれたが、そこはニックの催眠操作でそっくり逃れた。

 二人の説明に食い違うところが見られないため、少々の疑いは持たれながらも数時間後には解放。夕食をとるにも遅い時間となっていた。

 幸いにも宿は警察が手配してくれ、思いのほかグレードの高いホテルで二人のテンションが上がったのは言うまでもない。



 ホテル内のバーで軽く食事をした。

 ニックは強めのカクテルにお勧めだというピンチョスを数点。

 アキラはホットチョコにチュロスを浸しながらちびちび食べている。腹が満たされてくると、飛行機に乗ってからの目まぐるしい時間を思い出して二人とも腹が立ってきた。

 猫を探すはずが、どうしてこんな北の地まで来なければならないのか?

 エレナの目的は果たして猫の捕獲だけなのか?

 なぜ自分達を置き去りにしたのか?


 「そもそもマスターが、この仕事を俺たちに振ったのが間違いなんだ。やっぱり断ればよかったな」

 「そーだよ。猫探しなんて、プロに任せとけば良かったんだ」

 「なーんで他人の猫を心配する必要があったんだ?」

 「知らないよぉ。マスターを探ったら規約違反なっちゃう」

眠たくなってきたのか、アキラはテーブルに抱きついてしまいそうだ。何か喋っているが、ふにゃふにゃとしか聞こえなくなってきた。

 「あっ!」

ニックがいつになく大きな声をあげた。テーブルに伏せかけていたアキラは、驚いて椅子から転げ落ちている。

 「なんだよぉ?」

立ち上がる時に今度はテーブルの角に頭をぶつけて涙目になっている。

 「お前の見た残留思念の黒。ヴァン・ノワールだ」

 「えぇ?晩のワル?いかがわしいやつ?」

違う。一喝して、ニックは低い声で話し始めた。

 あの赤毛の女が『ヴァン』と呼んでいたこと。ヴァンという名前と黒で結び付くのが、ヴァン・ノワール─黒い風─と名乗っている、美術品の窃盗犯だと。

 「でも、猫だよ?到底美術品には見えないよ。何で狙うの?」

 「そこまで知るか」

吐き捨てるように言って、ニックはグラスに半分残っていた何杯目かのカクテルをひと息に飲み干して次を頼んだ。

 「明日はどこから探そう?」

いつになく掴み所のない情況に、ほぅとため息を吐いてアキラはテーブルに突っ伏した。

 「思うんだけどよ。エレナの猫を探す理由、あれ嘘っぽくないか?」

 「うん。確かに取って付けたような言い方。あの猫、そんな珍しいもんじゃないよ。ノルウェージャンフォレストキャットって大型の猫だよね。珍しいのかも知れないけどさぁ」

眠気はピークのようだ。テーブルに伏せたまま、またふにゃふにゃとアキラは言う。

 そういえば。と、眠たそうな目を向けてニックを見る。

 「あの時、周波酔いしてたでしょ?」

タクシーの中で青ざめていた時だ。

 普段は耳奥にキャンセラーを付けて、更に気にしないよう訓練しているが、近くでいきなり発せられると、酔った時のような症状になる。飛行機もそうだ。

 だから、もしもの時のために酔い止めも手放せないでいるのだ。

 「あの辺り、高周波の出るようなもの何かあったのかな?あぁ、明日の猫の捜索はあの辺りからだし、ついでに見てみよう」

ほとんど独り言のように喋った後は、もう寝ると言って先に部屋に戻っていった。

 アキラの背を見送って、ニックは同じカクテルをまた頼んだ。さっきから自分に興味を持っているような、強い視線を感じているのだ。長い夜になりそうだ。



 猫を見失った場所へ行こうと、借りた車を運転しているアキラはずっと不機嫌だった。

 「いいかげん、機嫌直せよ」

ホテルの部屋にニックは朝帰りしてきたのだ。アキラはニックがどこかで倒れているのではないかと心配していたらしい。

 心配していたわりには、ルームサービスでクリームたっぷりのパンケーキを食べていたようだ。バナナジュースも添えて。

 「心配してたのに、当の本人は鼻歌交じりで朝帰りしてさぁ。どーせどっかの誰かとアバンチュール?だったんでしょ」

仕事に真面目に取り組めと言うくせに、本人は全然真面目じゃないよね。と、釘刺した。

 「悪かったって言ってるだろ。今日の捜索予定立てようぜ」

チョコバーの外装を剥がしてアキラの口へ押し込んだ。大体はこれで機嫌が直る。

 読み通りだった。



 昨日の雑木林近辺まで来た。夜中に降った雪が、昨日の二人の足跡を消している。猫の足跡も当然消えていた。

 「とにかく、奥まで行ってみようぜ」

猫はもうここから遠くへ行ってしまっただろう。しかしこの場所で見失った以上、探す取っ掛かりとしてはここからしかない。

 「うん。遭難しなきゃいいね」

呟いて、先に歩き出したニックの足跡を追った。

 一歩ずつ足が新雪に埋まる。笹藪に積もった雪は平らなようだが、足を踏み入れれば太ももまで埋まる。加えてなにげない勾配が、まるで登山をしているかのように疲労を蓄積させた。雪の上を歩くことがこんなにも疲れるものとは、二人とも予想外だった。

 「ねぇ、あまり奥まで行ったら本当に遭難しちゃうよ」

 「でも、俺たちの足跡があるから大丈夫だろ?」

確かに振り向けば自分達の足跡がある。そうは言っても、空はどんよりとしていて、雪の降りだす気配が濃厚だ。森に置き去りにされた子供達の童話を思い出して、なんとなく悪い予感がした。

 どのくらいを歩いたのか時間の感覚が無くなってきた頃、斜面を降りて沢へ出た。

 「こんな所まで来たかな?」

 「でも足跡がある」

ニックの言う通り、うっすらと新雪を被った足跡があった。昨日の雪は木々の枝に邪魔されて足跡を全ては隠さなかったのだろう。だが、

「たくさんあるね。キツネとかタヌキとかじゃないの?」

落胆した声でアキラは言った。

 人が踏み込まないような場所なのだろう。よく見るとそこここに見える足跡は、やはり数種類の動物のものだ。どれが猫の足跡か、猫がここを歩いたのかさえわからない。

 気付けば自分達の帰り道も分からない。


 周辺を歩き回ったために自分達の足跡が先の足跡を消し、どこから来たのかが分からなくなっている。上空では雪が降っているのだろう。チラチラと雪が舞い、林の中に吹き込んでくる風が足跡をさらに曖昧なものにしていた。

 「遭難するパターンだな」

ニックが途方にくれたようにポツリと言った。いつもならニックがアキラのブレーキ役になるのだが、今回は少し違うようだ。

 「ニックらしくないね。夕べの火遊びが悪かったんじゃないの?」

遭難しかけているにもかかわらず、どこか他人事のようにアキラは言った。

 「酒は飲んだけど、火遊びじゃねーって。なぁ、この木を一本残らず抜いて道を作れよ」

 「冗談!ボクに環境破壊させる気?」

 「いや。言ったらやるのかと思った」

やっぱり、らしくないニックだ。また周波酔いでもしてるのだろうか?

 「ここから沢に沿って下ってみよか?超能力あっても万能じゃないねぇ」

 「まったくだな」



****************


 それから数十分後。

 何だか気まずい。


 アキラとニックは目の前の二人組と睨みあいながら思った。

 赤毛の女とキャスケットを目深に被った黒髪の男。たぶんこの男がニックの言っていた『ヴァン・ノワール』なのだろう。二人もこちらを用心深く見つめている。



 沢を伝って歩いた二人は木々に囲まれた平地にたどり着き、ポツンと建つログハウスを見つけて暖を請おうとドアを開けたのだ。

 「中が冷えちゃうわ。ドアを閉めてくれる?」

女がふぅとため息を漏らして言った。

 「よくここが分かったなぁ?」

男も言った。

 「ボク、勘がいいんだ」

嘘も甚だしい。たまたま辿り着いただけだ。


 奥から老人が現れた。足が悪いのか、少し引きずっている 手にはキンキンと音を立てた沸騰仕立てのヤカンを持っていた。いやそれより、驚いたのは猫─カイザー─が老人の足元で、彼を見上げながら甘えるように鳴いていることだった。

 「なんでカイザーがここにいるの?」

アキラが声をあげると、老人はにっこり笑って紅茶を淹れ始めた。

 カップが二つ追加された。先に来ていた二人もアキラ達とそれほど時間差は無かったようだ。


 「さて、何から話そうか?」

老人は椅子に腰かけると自分もカップをとった。その膝の上にカイザーがトンと乗る。意外な話が語られた。


 マダムのご主人と老人とは若い頃から友であり、仕事仲間だったそうだ。二人とも同じような時期に仕事を辞めて、第二の人生をそれぞれに歩み始めた。そして二十年ほど前、マダムのご主人が彼のもとを訪ねてきた。 一匹の猫の遺体を携えて。

 「遺体?」

アキラが目を丸くした。ニックも同じだ。

 「君たち知らなかったのかい?その猫はロボットだよ」

男─ヴァン─が言った。

 事故で亡くなった猫の遺体は、二人の手でロボットとして再生された。今に至るまで夫人に気付かれないほどに精巧に。

 年に一度調整を行っていたが、どちらかが死んだ時は調整ができなくなる。その時は猫は自然に機能が衰え、死んだようになるだろうということだった。

 「たった一人のために、そんな精巧なロボットって。マダムは愛されてたんだね」

 「そしてこの世に一台限りの、最高傑作。 まさに芸術品と言っていいだろう?」

ヴァンは見事だと手を叩く。けれど動く芸術品では、ふらりとどこかへ行きかねないので、機能停止の鍵が必要なのだと言った。

 「さっきも言ったが、カイザーに機能を止める鍵などはないのだよ。自然に老いたように見せかけて止まるだけだ」

きっぱりと老人が言うと、すかさず女が続ける。

 「でも聞いたのよ。鍵はあるって」

老人はゆっくり首を振った。

 「それより、もとの持ち主に返してあげてよ。ボクたちはその猫を探すよう頼まれてるんだ。じゃないと休み無しの時間外労働だよ。ねぇお願い」

最後は懇願するように言ってみた。

 「ここまで来て譲る気はないなぁ」

男が言う。

 「えぇ?ドロボーにだって譲る気ないよ」

アキラはあかんべぇをしてみた。

 「へぇ、俺の事分かってるんだ?有名人になったなぁ」

にやりと男が笑う。アキラ達と対抗する気が多分に感じられた。

 「わたしは、友が遺した家族のもとへ返すつもりだがね」

そう言って老人はアキラを見てにっこり笑った。

 

 と、猫が突然老人の膝の上で立ち上がった。耳を後ろに倒し、鼻先に皺を寄せて低く唸っている。それからいきなりジャンプすると、部屋中を駆け回り、棚から棚へ跳び移り、捕まえようとする男や女やアキラの手をすり抜ける。ロボットと聞かされても、それを感じさせないほど猫らしい動きだ。そしてすばしっこい。

 「ニックも手伝ってよ!」

このドタバタの中で、ニックだけが不自然なほど静かだ。理由はすぐに分かった。また周波酔いのようだ。

 ロボット猫が暴れるのとニックの周波酔いは関係がありそうだ。それの発生源さえ何とかできれば、酔いも猫の暴れも収まるだろう。


 いきなり外への扉が開いた。


 「やっと辿り着いたわ!」

現れたのはエレナだ。

 その開いたドアの方へ向かって、猫が跳び逃げていく。

 「逃げる!捕まえろ!」

男が叫んだ。

 「了っ解!」

すかさずアキラが反応した。足を掴むイメージ。空中で猫がふわりと動きを止めた。ジタバタともがいてはいるが、そのまま漂ってアキラの腕に抱かれる。

 「アキラ。エレナの左のポケットだ。中の物を壊してくれ」

続いて苦しげにニックが言った。

 それも親指を立てて応えると、エレナの左ポケットの中めがけて破壊のイメージ。

 怒るように唸ってアキラの腕の中で暴れていた猫は、その瞬間から穏やかに喉を鳴らせて甘えた鳴き声をあげた。


 「さーて、子猫ちゃん。こっちの猫も大人しくなったことだし、鍵について訊かせてもらおうかな?ご老体は鍵は無いって言うんだがね?」

ヴァンの言葉に色々と訊ねたいこともあったが、まずはエレナから話を聞こうと思った。

 「分かったわよ」

不機嫌な顔を隠そうともせず、エレナは話し始めた。


 「あたしのお祖母ちゃん、マダムの亡くなったご主人の最初の奥さんだったの」

祖母はエレナが十歳の頃に亡くなったそうなのだが、自分を捨て去った夫を死ぬまで恨んでいたのだという。祖母が遺した形見の懐中時計を眺めているうちに、祖父に会いたいと思うようになったらしい。

 だが、やっと所在を突き止めた時はもう亡くなっていた。祖母を捨てた恨みを言ってやりたかったがもうそれも叶わない。

 「訊くけどよ。お前はいつカイザーがロボットだと気付いたんだ?」

 「気付いたんじゃないわよ。知ってたの!お祖母ちゃんがよく話してたもの。身内はみんな知ってる。知らないのはあのマダムだけよ。おめでたい話よね」

エレナの返答にニックは老人を振り返った。

 「確かに彼はその成果について前夫人にも報告していたよ。しかし恨んでいたという話は聞いたことがない。二人は互いの理想のために別れ、その後も友情が続いていたはずだ」

 「そんなこと無い!」

エレナは強い口調で否定した。絶対そんな事はないと二度言った。

 「そんで、そっちの泥棒さんはどこから話を聞いたわけ?」

アキラが話を振る。

 「色々とネットワークがあってね、ちょっと興味を持って調べたら、心臓射抜かれっちまった」

軽い口調で言う。

 「ねぇ、このおじいちゃんはすごい技師だったけど、リタイアした後の仕事も凄いって知ってた?」

赤毛の女が猫を撫でながらアキラに訊ねてきた。

 「宝石研磨の腕も一流なのよ。この猫の目も、ペリドットと金色のイオライト。特別に研磨したらしくって、本当の猫の目のようでしょ」

顎の下を撫でると、猫がゴロゴロと喉をならす。本物の猫と変わらないことにアキラは感心しきりだ。

 「そしてこっちはエメラルド」

壊れた懐中時計をポケットから出して見せてエレナは言った。金色の蓋に緑色の透明な石が輝いている。アキラが派手に壊したようで、裏蓋から部品がいくつか転げ落ちた。落ちたからといって拾い上げるほど近くにはいなかったのだが、つい力が緩んでしまった。

 その瞬間を待っていたかのように、女がアキラの腕から猫を引き抜いた。

 「悪いね。子猫ちゃんにボクちゃん達。ロボとおじいちゃんはこっちで頂くよ」

男と女とは外へ出た。小型の車ほどの大きさのゴンドラがあった。ゴンドラへ三人と一匹が乗り込むと、男がポケットから小さなスイッチを取り出して押す。轟音が響き、ゴンドラが垂直に上昇を始める。

 「待ってよ!時間外労働反対!」

アキラが上昇始めたゴンドラの柵に手をかけた。ニックも一緒だ。気がつけば、エレナも飛び付いている。

 「おいおい。 ちょっと重量オーバーじゃないかぁ?落っこちるなよ」

男があきれたように言った。スピードは緩んだが、まだ上昇している。

 下を見るとまるで衛星写真でも見るような鳥瞰だ。水平線まで眺められる。落ちたら死ぬ。目眩がして手を離しそうだ。が、なんとかこらえた。

 と、そのゴンドラ目掛けて、一機の飛行機が近づいてくる。どんどん近づいてくる。

 「ぶつかっちゃうーー!」

アキラが悲鳴を上げた。

 「ちょり乱すな!じゃねぇ取り乱すなって!」

冷静なはずのニックも、かなり驚いていたようだ。

 巨大な塊の接近に凍りついている二人の目の前で、飛行機のカーゴハッチが開いた。 ワイヤーが二本延びてきて、男がそのフックをゴンドラに引っ掛ける。

 「生きてたけりゃ、しがみついてな!」

男が合図を送ったらしい。ゴンドラは飛行機の中に収納されていった。

 「猫一匹のために」

ニックが絶句していた。アキラも同感だった。


 「あんた達まで付いてきてもらっても、困るんだけどな」

床にへばりついて命拾いの余韻に浸っているアキラ、ニックとエレナへ、男─ヴァン─は言った。

 「じゃ、猫を返してよ」

言ったのはエレナ。

 「お前のものじゃねぇだろ。俺たちの依頼主のものだ!」

ニックはその言葉に噛みつくように言った。 周波酔いをさせられたのが、腹立たしかったようだ。

 「まぁまぁ、積もる話は中のラウンジでしようじゃないか」

ヴァンが軽い口調で言って笑った。その様子からは、猫を返す気などまったく無いようだった。



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