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湖に落ちる一雫 1

 湖そばの遊歩道を歩いていた。

 アキラが調査の前にどうしても見てみたいとやって来たのだ。

 広い湖。

 看板には一周が約三十キロメートルのカルデラ湖と書いてあった。二百余年前に作動した地殻変動装置によって爆発した火山の名残だ。もとが平地であり、地質が固かったことと川の水が流れ込んできたことで、一気に湖が形成されたと書いてある。

 ゆえに、ほぼ街の真ん中にある湖。地下深くからは温泉も湧き、今は人々の観光と憩いの場となっている。


 今回マスターから依頼されたのは研究所の調査。地方紙の片隅記事に研究所から実験動物が逃げたとあったのだという。

 「また動物探し?」

アキラはぐちぐち文句を言う。しかしそれが目的ではないのだと言われた。研究所と言われていながら、何を研究しているのか分からないのだという。それを調べるのが今回の仕事らしい。



 「地殻変動装置(CMS)でできてしまったっていうけど、すごいね」

ポチャンと小石を湖の方へ蹴飛ばした。

 「たしかに景色はいいけどな」

ニックはあらぬ方へ視線を向けながら呟いた。一人の中年男性がニックの視線の先を歩いている。散歩かジョギング中だったのか、トレーニングスーツにスニーカー。肩幅のがっしりとした男性だ。包み込んでくれそうな体躯に、ニックは思いを馳せた。

 「どタイプだねぇ」

いつもなら自分が綺麗な女性に見とれてニックに文句を言われるのに、逆のパターンにアキラは苦笑した。しかし以前に諌めてから、ニックはそれほど節操のない態度はとらなくなった。亡くなった彼との思い出の方が良いに決まってる。アキラは思った。


 「あれ?」

視線の先に何かが横たわっている。近づくと抱き人形。三十センチくらいはあろうか?幼い子の友達にするならちょうど良いサイズだ。あちこち薄汚れている。汚れているがボロボロではないあたり、大切にされたのだろう。

 キョロキョロ辺りを見回すが、子供の姿はない。きっと探しまわっているのかもしれない。

 ニックが拾い上げた人形をアキラが受け取った。持ち主を探そうと思ったのだ。


 「やば…超絶にやば」

声を上げるのが精一杯だった。一気に引き込まれていった。


 声を出そうとしたが肺に何かが満たされているようで出てこない。自分は何かガラス容器の中にいるような感じだ。

 容器の外から女が人形を見せている。もっとよく見せて。思った。女はにこりと笑って、ガラスの外側に人形を押し当てる。嬉しい。可愛い。触りたい。

 突然、外側で警報を報せるランプが点滅を始める。女は驚いたように人形を取り落とし、後からやってきた人々と慌てたようにどこかへ行った。

 人形。触りたい。

 金属の触手のようなパイプがうねうねと伸びてくる。触りたい。にんぎょう。


 パチッと目を開いた。

 ニックの髪がうるさいほど自分の顔にかかってくる。先程まで持っていたブドウジュースの香りと共に、流し込まれたそれを飲み込んで、そこで意識がはっきりした。

 「ふぎゃぉっ!」

ニックを突き飛ばしてアキラは後方に数メートルも飛び退いた。

 「せっかく引き戻したのに、ひでぇな」

乱れた髪をかき揚げて膨れっ面を見せた。色っぽいがこんな所で色気を出されても困る。


 ニックは過去視に引っ張られたアキラを引き戻そうと、色々試したのだ。しかし最良の方法は、アキラに甘いものを摂らせることだ。意識が無いアキラに、チョコなりキャンディなり口に入れたところで噛んではくれない。手っ取り早く吸収させるには液体が最良だ。嫌がるだろうが仕方がない。

 ということで、ブドウジュースを口に含んで何度か飲ませたのだ。


 「こここ、これはボクを救助してくれたってことだよね。キスじゃないよね」

ゴシゴシと口を拭いながら言う。

 「失礼な奴だな。キスなんかじゃねーよ」

助けたのにこの態度。かなり不愉快な奴だ。不愉快だからもう少しからかおうと思った。

 「キスってのは、俺の場合はなぁ」

にじり寄った。

 「分かりました。ごめんなさい。助けてくれてありがとう」

早口でバタバタと後退りするアキラは、からかうと面白い。しかしそう長々と続けるつもりもない。

 「で、何を見たんだ?」

 「うん。何か大きな水槽の中にいたよ。この人形を見せられて、人形が可愛いな。触りたいなって思ってたの。何だったんだろう?」

触れられず、ただ人形を眺めながらアキラは言った。

 「水槽はどこにあったんだ?」

 「わかんないや。でも、女の人が白衣を着てた。これから行く研究所とも関係があったりして?」

アキラは首を横に振った。だから先に仕事に入るべきだったんだ。ニックは言いたかったがやめた。半分は自分もバカンス気分だったから。


**********


 「お人形、見つけた!」

女の子が駆けてきた。十歳に満たないくらいの幼い少女。

 人形と同じフリルのワンピースに、頭には人形とお揃いのレースのリボン。はちみつ色の髪をふわふわと揺らして向かってくる。

 「君の人形だったの?」

 「うん。ありがとう」

にっこりとまぶしい笑顔。

 「もう、失くしちゃダメだよ」

アキラは優しい笑顔で言った。少女はニックから人形を受け取り走り去っていく。


 ニックがダメだと首を振った。

 「催眠術が効かない」

 「予知って無いけどさ、なんかフラグ立っちゃった気分」

嫌な予感だと二人は顔を見合わせた。




 研究所は湖を望む山の中腹にある。車を降りて見上げると、木々に取り囲まれた灰色の建物はとてつもなく異質に見えた。

 「デジャヴ?なぁーんだか見覚えがあるような気がするんだけどなぁ」

アキラはふんと鼻から息を吹き出して呟いた。

 「ただ四角いだけのこんな形なら、どこにでもあるからな」

 「そりゃそーだけどさぁ」

言われてもなんとなく腑に落ちない。まぁいいかと気持ちを切り替えた。思い出せないものは仕様がない。そのうち忘れた頃に突然思い出すこともあるだろう。思い出せなければ、自分には大したものではなかったということだ。

 二人は研究所へ入っていった。



 ロビーで訪問を伝えた。

 研究所から実験動物が逃げ出したニュースは知られているので、何かいかがわしいような実験をしているのではないかと、興味本位のジャーナリストが殺到しているらしい。二人への扱いはかなり雑だ。

 「こっちはバタバタしてるのに、もう対応にウンザリなんだけど。あら?」

白く見えるほど綺麗なブロンドヘアの女性が眉をつり上げて現れた。緑色の瞳が二人をとらえて、意外なものを見たように言葉を止めた。

 アキラも過去視で見た、歪んだ水槽の向こうにいた女に似ていると思った。


 「取材記者ってわけでもなさそうね」

彼女は言った。

 「なぁに?謎の研究所に肝試しにでも来たわけ?」

そういう輩もいるようでウンザリと言う。

 彼女はかなり不満そうなので、こういう時は先に目的を話した方が良さそうだ。

 「肝試しでもなんでもないんだけど、なんか実験動物が逃げ出したって」

アキラが言うと、女はやはりかとうんざりした顔を向けた。

 「変なうわさが立って困るわ。ちょっとしたボヤ騒ぎがあったのよ。大きな音もしたのでね」

応接室へ二人を案内しながら彼女は話を続けた。

 数日前、この建物で大きな音と共に黒煙が上がり、それを見た周辺の住民が爆発があったと通報したらしい。

 「ボヤはすぐに収まったし、大きな音なんかしてないのよ。それでも消防や警察が来て大事になったの」

もう嫌。と彼女は頭を振った。

 その後、ここで法に触れるような実験をしていたとか、巨大な実験動物が逃げ出したとかのうわさが立ち、昼間はジャーナリスト、夜は肝試しの若者が増えたという。

 「じゃ、実験動物云々もただの尾ひれか」

ニックは空振り情報にやれやれと天井を見上げた。マスターの気になる情報の調査だ。今回のように空振りや全く違う結果もよくある。

 「でもさ、ここに大きな水槽みたいなのは無いの?」

アキラは人形から見えたものが気になった。ニックも同じだ。それに、催眠の効かない少女。

 女は少し厳しい目をしたが、二人は気付かなかったようだ。

 「せっかくだから見学していく?見て回って、真っ当な研究所だってみんなに教えてあげて」

彼女は水槽が有るとも無いとも言わなかった。なら、見て回れるのは好都合だ。


 「ここは昔、あるお医者さんの持ち物だったらしいわ。診療はかなり以前にやめてしまったらしいけど」

振り向きながら二人に説明をする。

 医療行為も行われていたらしいが年齢もあったのか、かなり昔に辞めたらしい。施設としては古いが多少手直しをしたらまだ使えるとして、研究所を開設したのだという。

 あちこち見せてもらったが、アキラが見た水槽のようなものは見られなかった。

 「色々話してくれても、どんな研究かってのは話してくれないんだな?」

ニックは念入りに見て回っていたが、ずっと彼女が話すのを待っていたようだ。なかなか研究の話が出てこなくて苛ついている。

 「ボクもそれ気になったよ。あとね、人形を持った女の子、知らない?白いリボンの?」

女は押し黙った。

 「用を思い出した。帰るぞ」

ニックがいきなりアキラの襟首を掴んで引っ張り出した。

 「や、まだ…ちょ、えと…」

ずるずると引きずられてアキラは研究所から出てきた。まだ奥の方まで見ていない。もしかしたら少女も水槽も、手がかりがあるかもしれないのだ。

 「いいから早く乗れよ」

キャンパーの助手席にアキラを押し込み、車を発進させた。


 「いきなりなんだよぉ?」

 「何だかヤバい気がしたんだ。奥へ行くほど変な音がするし、あの女に催眠が効かない」

そりゃヤバいね。言いながら、アキラはダッシュボードに入れっぱなしにしていたチョコバーを食べ始めた。すっかり溶けている。相変わらずの行為もニックは慣れたのか、何も言わない。


 「でさ、どうする?」

アキラは言った。

 実験動物が逃げた話は、女の話を信じるのなら間違いで報告ができる。だが自分達の目で確かめたわけではないので、報告してもクールは納得しないだろう。それにあの少女のことも気にかかる。

 「仕切り直していくか」

ニックは自分に言うように呟いた。



**********


 ゴポリと泡が一つ、培養ポッドの中であがった。

 肺が全て培養液で満たされると、ようやく少女は苦しみから解放されて目を開ける。深い海のような瞳は映すものを吸い込むようにユラユラと周囲を見回している。

 何かの装置なのか、少女の首の後に何本も細いチューブが一つにまとめられて差し込まれていた。

 『人形。ちょうだい。触りたいの』

正面のパネルが点滅して、少女の声を発した。

 ポッドの中では裸の少女の体が揺らめいて、白いドレスにリボンを付けた人形と同じ姿になる。


 「あげるけど、勝手なことはしちゃダメよ」

先の爆発音は、少女が行ったことだった。

 わざとトラブルのアラートを操作し、隣室にあるスペアの培養ポッドの一つを破壊。轟音をあげて人の注意をそらした後に、自分のポッドを破壊したのだ。人形を直に抱きしめたかった。ただそれだけのため。

 人為的に作られた超能力者。それがこの少女。作ることは成功したが、その力がそろそろ手に負えなくなりそうで、早くこちらの仲間に引き入れたいのだが、見た目より幼い時があり制御に苦労させられる。損な役回りを貰ったと女は頭を振った。

 「いい?馴染むまでおとなしくしてるのよ。今入ったばかりなんだから、また出たら時間に猶予無いわよ」

ポッドの上部ハッチを開けて人形を沈め、女は去っていった。少女は嬉しそうに微笑んで人形を抱きしめた。


 勝手なことってなんだろう?

少女は考えた。そうだ。あのお兄ちゃんなら知っているかな?

 触手のようなパイプが動き出した。カメラからの画面が目の奥に写る。躊躇なくパネルに並ぶスイッチやモニター画面に写るボタンを押していく。音をあげてポッドの液体が抜けていく。

 水の浮力があるうちに上部のハッチを開けようと思った。しかし届かない。最初の時のように破壊をすれば見つかるだろうから、それはやめておくべきだと思っていた。

 水から顔が出れば肺の水が出るまで苦しい。もがいていればあの女に見つかる。

 どうしよう?お兄ちゃん!

低くなった水位の中に顔を浸けながら、少女は昼間会ったアキラを思っていた。



**********


 深夜ではないが、夜も深い。研究所が見下ろせる展望台の駐車場にはもう車は一台も無い。ライトを消して伺うには丁度いい場所だ。研究所はというと、大方の研究員は退所したようで人の動く音がほとんど無くなっている。

 マスターが用意したキャンパーなので、二人は交代で休みながら様子ををうかがっているのだ。今はアキラと交代したばかりだ。

 ニックは研究所からの異音を聞いていた。異音はするが、研究所内で変わった気配はしない。女の声で『おとなしく~』という声を聞いていて、誰かがいるのだけは分かったが、状況までは分かりあぐねた。


 「ニック、外で誰かが苦しんでる」

そう言ってアキラは仮眠していた後方のドアから外へ出た。

 「来て。早く!」

猶予無いようなアキラの声。慌てて外へ出ると、裸の少女が車近くの植え込みの下で、大量の水を吐き出しながらもがいていた。

 「ひとまず車へ。ニック」

 「俺?無理」

もぉっ!アキラが鼻息荒く少女を抱き上げた。こんな小さくて軽いのに、無理は嘘だ。バイオリンを弾くから指の形が変わったら嫌だといつも言う。

 「力仕事はボクだって苦手なのにぃ」

文句を言いつつキャンパーに戻って、苦しそうにえづいて水を吐く少女の背をさすってやる。

 「大丈夫か?」

ヒューヒューと咽を鳴らす呼吸に、ニックも心配げに少女の様子を眺める。

 「大丈夫そうだけど、ね。毛布もらえる?」

備付けの棚の中には数日寝泊まりできるだけの物が入っている。ニックはそこから厚い毛布を取り出して、震えだした少女にかけてやった。

 「髪も乾かしてやれよ。濡れたままだとやっぱり寒いからな」

 「経験者は語るだね。そのくせ自分はそのままなのに」

 「ぅるせ」

言い合いながらはちみつ色の髪を、タオルを数枚取り替えながら乾かした。数十分後には少女の震えも止まり、安心したようにアキラの腕の中で眠っていた。


 「どこから来たんだ?」

ニックは呟いた。

 「なんかさ、突然苦しむ声が聞こえたんだよ。それまで何の気配も無かったのに」

車から飛び出す直前を思い出してアキラが言った。

 「首、見たか?」

 「何かのコネクタだね?この子の首に何かが繋がっていた?」

拘束されていたのかもしれない。しかし少女を抱きしめて考えているのに、アキラには何も見えてこない。

 見えてこないのでこの子がどんな仕打ちを受けてきたのか、想像をして憐れんだ。

 「こんなに触れてるのに見えないって、初めてだよ」

 「どこから来たのかも、わからねぇよな?」

 「うん。突然げぼげぼ聞こえてきたんだよ。いきなりその場に現れ……?」

ニックが指を立てて口元へやった。何かを聞いているらしい。


 『また勝手に…。ポッドのハッチも開いていないし、あの子テレポートを覚えたわね』

女の声。昼間、自分達に対応していたあの女だ。

 『まだ安定していないはずよ。周辺を探して』

女の指示にバタバタと複数の足音が散らばった。

 エンジン音などは聞こえてこないので、捜索は足頼みなのだろう。この駐車場は植え込みもあって見上げても車は死角に入るので、しばらくは発見されないだろうが離れた方が良さそうだ。

 「走るぞ」

ライトは消したまま、エンジンのスイッチをあげた。音の静かな水素自動車(FCV)。見つからずに離れられてありがたい。



*********** 



 「ねーねー!起きたらおっきい水なの!あれ何?あれ何?」

少女は毛布にくるまれたまま、外の景色に甲高い声をあげていた。

 「湖だよ。大きいね」

アキラが説明をする。ニックは超音波のような少女の声にかなり迷惑な顔をしているようだ。いつだったか耳奥にセットするニックのノイズキャンセラーを見せてもらったが、こんな声はキャンセラーがあっても無理そうだ。

 「大っきいねぇ」

少女の声のトーンが下がった。何かを考えているようだった。


 昨夜、突然現れた少女を車に乗せた二人は、研究所の対岸にある林の中の駐車場で動向を伺っていた。

 ニックによると、今のところ少女を捜索している気配は無いらしい。

 「街に出ても大丈夫かな?」

 「用心はしておこうぜ」

ニックはアキラが被ってきたキャスケットを少女の頭に置いた。それを見て思い付いたアキラは少女の髪をひとまとめに、くるくると丸めてキャスケットの中へ隠した。

 「あとは街へ出て服を買おうね」

 「服?」

 「うん。こんなね。キミは可愛いピンクが似合いそうだなぁ」

アキラは例えばと、今着ている服装を少女に見せた。ボートネックの無地のバスクシャツにハーフパンツ。デニムのジャケットを着ている。

 「わかった」

少女は言うと。親指と人差し指を擦り合わせた。陽炎のように空気が揺らいでいる。熱い空気が少女を取り囲み、その熱気を避けようと顔を覆った。

 少女がぱふんと唇から破裂音を出す。熱気が和らぎ二人が背けた顔を戻すと、そこにはアキラと同じ衣装を着た少女がいた。

 あまりの驚きにニックは飲みかけのコーヒーを傾けて溢し、アキラは食べかけの菓子パンを落としてカラスに奪われていった。


 「超能力持ち…だったの?」

アキラが言うと少女は藍色の瞳を見開いて、可愛らしく首を傾げた。

 「ちょーのーりょく?わかんない」

困った顔を向ける。今にも泣いてしまいそうで、アキラはそれ以上言えなかった。

 「なんだか面倒な事になってる予感」

 「言うな。俺も思ってる」

朝日の中ではしゃぐ少女を見つめながら二人は呟いた。



************


 ニックは駐車場から研究所の音を聞いていた。数時間、研究所は静かだ。前日にあれほど聞こえていた機械音も人の足音さえ聞こえない。

 もう一度研究所へ行くべきか迷っていた。


 「ん?」


 「どしたの?」

思わず漏れたニックの声に、アキラは不思議そうにその顔を見た。

 「お兄ちゃんに、誰かが何か言ってきたよ」

少女の言葉にニックがぎょっとした。この子はテレパシーさえ受けることができるらしい。ニックは少女に目線を落とすと、声を出さない話は人に言ってはダメだと諭した。少女は素直に頷く。自分の子供の頃もこんな感じだったと思い出した。エドワードが自分の視線に目を合わせて、理解するまで話しかけてくれたことを。


 「ということでだ。図書館へ行くぞ」

おもむろにニックが言った。

 どうやら図書館もマスターの拠点のひとつのようだ。そこへマスターお抱えの研究機関がある物を試作したので、受けとるということらしい。



 図書館。

 「ほら、お前専用グローブ」

あまり人の入り込まない古い百科事典のコーナー奥から、一双の黒くて薄い手袋を取り出し、アキラへ渡した。

 「ボク、専用?なんか前に言ってたエネルギーを遮断するのがどうとかって。それ?」

 「触れれば辺りかまわず読んでしまう『うっかり』も無くなるだろう?」

確かに。そう思った。

 付け心地は悪くない。パッと見た感じ、薄いエナメルの手袋に似ている。何かパワーアップしたとかダウンしたとかの感じもない。

 「試作だから、研究所にも来いってよ。性能も知りたいらしいしな」

 「うぅ。実験ネズミぃ」

げんなりと呟いた。


 「お兄ちゃん!これ読んで。これ!」

やっぱり可愛い服がいいと、ここへ来る途中でアキラが買ったピンクのワンピースを着た少女が、児童書コーナーから一冊の本を持ってきた。

 人形と老人。背景に森が描かれている可愛らしい装丁。

 様々な人が手に取り、様々な思いを巡らせて読んだだろう本だ。グローブの性能を試すのにはちょうどいいだろう。

 「っとその前に、キミの名前を教えて」

あめ玉の包みを開けて頬張り、次を開く。

 「チニャだよ。そう呼ばれてたもん」

 「そっか。じゃチニャ、あーん!」

アキラはニコニコして大きく開けた少女の口に一つを含ませた。

 「向こうに読み聞かせコーナーがあるから行こうね」

アキラは少女を連れていく。ニックはこの静かなコーナーで研究所の動きを聞くらしい。そうアキラに語りかけていた。



 子供用の長椅子にチニャとアキラは腰かけた。チニャが持ってきた本はマガジンサイズで、幼い子でも難なくページをめくれるだろうと思った。

 『リラのものがたり』とある。昔々から始まる物語だ。

~昔々、白樺の木からお皿やスプーンを作っているおじいさんが森のはずれに住んでいました~

 アキラはチニャにだけ聞こえるような声量で読み始めた。チニャは藍色の瞳をキラキラとさせて聴き入っている。

 おじいさんは白樺の木から女の子の人形を作り、リラと名付けて大切にしていた。ある星の綺麗な夜、人形は白樺の精に命を与えられ、それからおじいさんと村の子供達と楽しく暮らす。一つだけ秘密があって、リラは森から離れると木に戻ってしまうのだ。

 二人が暮らす小さな村のそばには川が流れており、ある嵐の日、氾濫した川に流されそうになった友達を助けるために川に飛び込んだリラは、代わりに流され行方不明に。

 おじいさんはリラを探して、川の流れをたどって村はずれの森の外にリラが着ていた服だけを見つける。『あの子のものだ』おじいさんが服を持ち上げると、その下に白樺の若い木が輝いていた。

~まるで、リラがお日さまの下で微笑んでいるようでした~

 アキラが涙声で読んでいる。


 「うぅ、リラぁ。おじぃさん」

ポロポロ涙をこぼすアキラを、チニャは不思議な顔で見つめていた。相変わらず感化しやすい、涙もろい奴だ。ニックは肩をすくめた。

 「こいつは色んなものに引っ張られてすぐ泣くんだ。気にするなよ」

アキラの頭をポンと叩きながら、チニャに笑いかけている。いつも厳しい目をしているが、子供に笑いかけている姿はとてつもなく好青年だ。

 「こいつ、言うなよぉ。でも、このグローブいいね。いろんな人が手に取ってるから、途中でどうかな?って読もうとしたけど視えなかったよ。そっちは?」

調子がいいとアキラは笑って、ニックに状況を訊いた。


 「研究所(あっち)は何だかバタバタしているな。チニャを探しているのははっきりしたけど」

研究所の職員たちは、もっと広範囲を探すと言っていたそうだ。

 「どうする?」

 「チニャはあまり連れ回せない」

 「でも、研究所は何をやってるか調べなきゃだよねぇ」

くしゃくしゃと頭を掻いてから、困ったなと呟いた。



 再び研究所を見下ろせる展望台の駐車場。


 アキラは少女の目線に腰を落として見つめた。妹がいたらこんなかな?思った。愛おしくて、とても大切なものに思える。

 「これから、お兄ちゃんたちはお仕事だから、チニャは車の中で待っていてくれる?」

ことさら『お兄ちゃん』を強調して言った。独りっ子だから言ってみたかったのだ。

 「うん。待ってるよ」

少女は大きく頷いて手を広げてしがみついてきた。

 「待っててね」

ぽすんと体に来る少女を受け止めて、しがみついてきたチニャをぎゅっと抱きしめた。少し熱っぽく感じたのは気のせいだったろうか?


 「行くぞ」

車外でニックが声をかけてくる。

 「いま行くよぉ」

展望台の斜面際から下の研究所へ二人は滑り降りていった。



*************


─今、何か変化ありそ?アキラはテレパシーを送った。

─いや、特に変わったことは聴こえない。中には何人もいないようだ。

─突入しちゃう?ニックへ顔を振った。少し考え中の顔。初めて会った時もそうだったけど、綺麗な横顔だよなと思った。綺麗なお姉さんだったら知りあいになりたいと思って後を付けたのが運の尽き。運の尽きでもないか、実は本業よりも楽しいと思っている。

─ジロジロ見るんじゃねぇ。

─いーじゃん。ニック、今度女装しよーよ。ポカッと頭を小突かれた。

─仕事するぞ。

 「まったく、お前は」

低く文句を呟いて、ニックは研究所の裏側へ歩き出した。耳奥のキャンセラーの性能が良くなったのか、高周波等は聞こえない。代わりに対象範囲の音を聞けば、どの位置に物が有るのか人が居るのかの、見当が最近になって分かるようになってきた。アキラのエネルギー?能力?その受け渡しができるようになってからだと思うのだが、便利は便利だが要らない能力だと思っている。

─こっち、人の気配がない。音を立てずに窓を破壊してくれ。

─また、無理難題をー。と、ぼやきまでテレパシーを使う。しかし、ニックと力のやり取りをする中で、PK能力の使い分けができるようになってきたところだ。試すのも悪くはない。

 枠だけを外すイメージ。窓ガラスがカタカタ音をたてだした。

─ニック、力を貸して。

そう訴えられて、ニックはアキラの肩へ手を置いた。肩から電流や痺れとも違うチリチリとした流れが入ってくる。

 「できそぅ」

早口で呟いた瞬間、窓枠と窓ガラスとが砂となって崩れた。

 「見事だな」

 「もっと褒めて」

嬉しかった。るるんと小躍りして見せる。

ニックに文句を言われることはよくあるが、褒められることはあまりないのだ。

 「ざけるな。後が悪い」

頭を小突かれた。


 ずいぶんと古い部屋だ。少しかび臭い。研究所に何人もいながら、この部屋には誰も入っていなかったようだ。床に散乱した何かのデータや書類。書き殴られたようなメモの山。子供のような人体図には、丸や塗りつぶしたようなペン跡がある。机には埃を被ったシャーレやスポイトのたぐいもある。

 「何をやってたんだろう?」

 「さぁな。そこに落ちてる新聞は、十年くらい前だぜ」

 「うわ、ほんとだ」

散らかった部屋の中の書類等を跨ぎながら、出口へ向かった。ドアを明けると埃が舞って

アキラが咳き込む。廊下と窓から入り込む柔らかい光に、古い学校みたいだとアキラは言った。

 「お前、そんな古い学校行ってたのか?」

ニックに言われてアキラは、はて?と思い直した。

 「テレビだったかな?ネットかな?分かんないや」

てへへと笑う。まぁ、いい加減だからいいかとニックは苦笑した。


 二人が侵入した部屋は研究所の中央から離れているらしく、長い通路が続いた。

 等間隔にドアがあり、嵌め込まれた窓ガラスから中を覗くと簡易ベッドがあったり、処置台にかなり旧式らしい無影ライトがある。が、どの部屋も人が入った形跡がなかった。こちらの棟は現在使用している所員には、無用の場所だったようだ。アキラ達には侵入が容易でありがたい。


 前日に足を踏み入れなかった場所までやって来た。右手奥に大きなドアがいくつかある。ニックの耳は、そちらの方で低く唸る機械音をとらえていた。

 中を覗く。ニックの身長ほどのポッドが三つ並んで、一つは破壊され、二つは水で満たされている。

 同じドアの隣の部屋。やはり破壊されたポッドが一つ、無傷のポッドの一つは水で満たされ、一つは無傷で空だった。

 「鍵はかかってないね。どっちから調べる?」

アキラは手袋を外した。

 「壊れてる方から行くか?」

 「いいよ。行こ!」

中に入ってどれを調べるべきか、アキラは周囲を見回した。何本かのチューブ。関節の多い触手のような金属。破壊されたガラス片。違う。分厚いアクリルの欠片だった。壊れたポッドの台座へ向かった。

 「戻れなかったら、お願い」

ニックにチョコバーとポップキャンディ、ポケットからブドウジュースの小型ボトルを渡した。

 心配ではあったがアキラの力を信じていると、ニックは静かに笑った。


 壊れた台座にためらいながら指をのせた。

 ぐるんと景色が変わる。


 ボコリと空気の泡が炭酸水のように上がっていく。誰の、何の記憶だろう?

 豆粒より小さな何か。何なのか分からない何かが、ウヨウヨと蠢いている。肉眼でもようやく見えるはずのものが、細胞分裂を始めたのだと理解した。

 急速に成長する何かがやがて魚の稚魚のような形をとり始め、やがて胎児となる。『これで成功。かしらね』あの女の声だ。『でも、不完全ね』声が聞こえた。

 砂嵐。

 『これでか?』不満そうな男の声が聞こえる。『まあ、見た目は悪くないが、失敗だな』言われて悲しくなっている。自分は失敗ではない。必ず役に立つと誓っている。

 砂嵐。

 人影が分かるが、誰だろう?『もう少し我慢だよ』『お父さんお母さんにも会えるよ』人影がこちらを向いて笑ったように見えた。

 砂嵐。

 『これは失敗だ。廃棄しろ』そういう声に『嫌だ』と叫んでいた。肺まで水で満たされた中では声は出ない。代わりに思念を送っていた。

 『面白い。超能力(ちから)は使えるのか』男が面白そうに水槽に顔を近づけてきた。黒い瞳が見つめてくる。どこかで見ただろうか?深海の景色のような深く黒い瞳。

 砂嵐。

 再び黒い瞳がこちらを見つめていた。不思議とこれはポッドの中ではないようだ。瞳が闇のようで恐ろしい。『目覚めたらこっちへ来い。来なければ迎えに行くぞ』頭の中を通り抜けていくような声で言われた。



 はぁっと息を吹き返したような気分。いくつか遡って見ていたようだが、時系列はバラバラのようだった。それより驚いたのが、ニックの唇が迫ってきていた事だった。慌ててその唇を手で制した。

 「なんだ、戻ってこられたのか」

少し残念そうにニックは笑った。

 「ぼぼぼボクを誰だと思ってるのさ!すーぱーえすぱーのあきらくんだぞぉっ」

かなり動揺して、本人も何を言っているか分からない。ニックはそれが可笑しくて、肩を震わせながらチョコレートの包みを開けてアキラの口に押し込んだ。



 複数の足音。

 「そろそろタイムリミットだわ。ポッドの準備だけしておいて」

足音と共に女の声が近づいてきた。

 アキラもニックも慌てて物影に身を潜めた。今食べたばかりのチョコレートの残り香が漂っているかもしれない。アキラはバタバタと手で扇いでなんとかしようとして、ニックに止めろと押さえ込まれた。


 別の女が息を切らせて走ってきたようだ。

 「上の駐車場で車が燃えているわ」

別の女が言った。何か確認は取れたのかと先の女が慌てて問いただしている。

─上の駐車場って、ボクたちの車かな?ニックにテレパシーを送った。

─何とも言えねぇな。

─確認しなきゃ。チニャが心配!

厳しい眼差しでニックは頷いた。

 「行くよ」

ニックに腕に自分の腕を絡めて、アキラは駐車場に停めた車へテレポートした。



*********** 



 キャンパーの火は消えていた。消火剤が周囲に広がり、骨組みだけになった車からかすかに煙が立ち上がるのみ。

 「おい。お前、どこに行ってた?」

いつもの怒りより数倍高い凄味でニックはアキラの胸倉をつかんでいる。

 アキラはテレポートしたものの、大きな炎を目の当たりにしてニックを残して再びどこかへテレポートしてしまったのだ。


 「ごめん…火が…怖くて…その、どうしてなのか…」

しどろもどろだ。固く握りしめた手は、まだブルブルと震えている。

 「ガキか?チニャがいたんだぞ。あの中に!」

怒りと不安と心配とでニックも蒼白だ。いつもの冷静さがどこにもない。

 「分かってるけど…怖い…」

震えながら涙をこぼした。意外な動作にニックが虚を突かれてうろたえてしまった。

 「らしくねーぞ」

いつものアキラに戻ってほしくて、ふざけたアキラを諌める時のようにコツンと頭を小突いてみた。


 燃え方から、子供の骨など残らないだろう。警察や消防が調査していたが人がいた痕跡を見つけてはいなかった。

 まだうじうじとしているアキラを置き去りに、骨組みだけの車へニックは近づいた。水素ガスの車だが、爆発する前にガスは飛散したお陰で大事にならずに済んだようだ。が、読んでいた雑誌もこっそり持ってきていたブランデーも跡形もなかった。

 ツンツンとスーツの裾をアキラが引っ張った。

 「さっき、ごめん。昔っから、大きな火が怖いんだ」

ポツリと言った。

 「お気楽能天気にも、怖いものがあったんだな」

アキラの頭をぐしゃぐしゃと撫でて、笑ってみせた。中にチニャがいたから自分も取り乱して怒鳴ったのだ、少し反省の意を込めたつもりだ。

 「何があったか、視る?」

手袋を外しながら言う。

 「さっきから連続になるぞ。大丈夫か?」

 「その時はニックが助けてよね」

 「何がいい?チョコレート?キャンディ?やっぱり俺のキスか?」

アキラの顎を持ち上げて、ぐいと顔を近づけた。アキラはその顔を押し返す。

 「それは、いらないや」

やっとアキラらしい笑いが漏れた。


 研究所の窓を砂にした時同様、ニックに力の流れを作ってもらうことにした。いくらか負担が減りそうだと思ったのだ。

 焦げ落ちた真っ黒い残骸の中に指先をゆっくり沈める。

 場面が流れていく。ニックの力を受け止めているからなのか、とても鮮やかだ。

 すらりとした細身のパンツの足が立ち止まり、キャンパーを見つめているらしい。と、チニャが車の窓から覗くのが見えた。頬を真っ赤に、何かを話している。いや、叫んでいるのだろうか?

 アキラは突然低く悲鳴を上げて手を離した。


 「どうした?」

 「燃えた。チニャが炎になった」

アキラがえづく。涙がこぼれ訳もなく絶望感が錘のように肩におりてきた。

 「本当、らしくないぞ?」

草むらの中に吐き戻すアキラの背を擦ってやりながらニックは言った。記憶をすり替えたか無意識に忘れ去ったか、火のトラウマだとは思うし催眠術を使って取り除いてやることもニックはできるだろうとは思った。が、その原因となった火が何によるものか分からなければ、対処のしようがない。



 「ポンコツ。情けないね」

遠くからこの光景を見ていた炎のようなオレンジ色の髪の少年が言った。いい気味とばかりに笑っている。イサトゥの父親を葬った張本人のルトだ。その隣には癖のある蜂蜜色をした髪の男が立っている。男は深い藍色の冷めた視線をルトに送った。

 「黙れ。お前はここにいろ。出てくるな」

冷たく言い放つと男はまっすぐアキラ達の方へ向かってきた。


 「大丈夫ですか?」

アキラがえづいている所へ、ほっそりとした男が声をかけてきた。

 「誰だ?」

警戒をこめた厳しい目でニックは男を見つめた。男はニックの訝しげな視線を気にするでもなく、アキラの方を見つめる。アキラも涙目になりながら男の顔を見つめた。その夜のような深い紺色の瞳。見覚えがあるような気がした。奥に吸い込まれ、深い夜の闇に包まれるような不思議な感覚。

 「ボク…あっ!」

立ちあがりかけてつまづいた。ぽふっと男の腕に倒れ込む。男の抱き止める腕に力が込められた気がしたのは、ただの気のせいだろうか?ニックだけが、意味ありげに男が笑うのを見ていた。

 「ごご、ごめんなさい!」

焦ってペコペコと頭を下げる。なぜか面白くないニックは、アキラの腕を取って引き剥がした。

 「行くぞ。チニャは生きてる」

女が少女に文句を言っているのが聞こえていた。合成されたような音だったが、確かにチニャの声だ。そしてこの男。目があったのに力が及ばない。耳ではないどこか心の奥で警鐘が鳴っている気がした。



 「あれ、邪魔だな」

男がふたりを見送って言った。

 「排除する?」

ルトは遊びを見つけたようにワクワクして言った。

 「いや。使えそうな力を持ってる。貰ってからだな」

面白いものを見つけたように声が弾んでいる。

 「ちぇーっ!ポンコツの困ってるところ面白いのに」

ふてくされた顔で空を仰いだ顔が、アキラの横顔を思い起こさせた。



 「ちょ、ちょーちょっ!」

ぐいぐいと引っ張られて二人は研究所へ戻ろうとしている。が、アキラは強引に引っ張られて『ちょ』しか言っていない。ニックがなんだか、イラついているようにしか見えないのだ。変なニックと思っても、例の力を遮断するグローブのお陰で彼の心を見ることはできない。良いのか悪いのか…と複雑だ。

 「まーってよ!」

やっと振りほどいた。振り向いたニックの眉がつり上がっている。まるで出会った頃の、何も寄せ付けようとしなかったニックの目だ。

 「なんか怒ってるでしょ」

アキラは言った。濃い茶色の瞳がまっすぐ見つめる。

 「怒ってねーし」

むくれて言うあたり、やっぱり苛ついている。

 「怒ってるじゃん。イライラしてる」

アキラもむくれて応えた。ニックがすぅっと息を飲んだ。

 「なんであの男にしがみつくんだよ?」

突拍子もない質問。意図がつかめない。

 「へ?だって仕方ないじゃん。つまづいた前にあいつがいたんだもん。だったら先に助けてよ」

 「手が届かなかったんだよ!それに、見つめあってた。知りあいかよ?」

むちゃくちゃ八つ当たりされてる気分だ。

 「いい!俺一人で行くから、来るな」

ダン!と地面を踏み鳴らしてニックは静かに凄味をきかせた。

 引いていた手を離され、ニックは研究所への斜面を上手くバランスを取りながら滑り降りていく。アキラも膨れっ面のままちょこちょこと、転びそうになりながら付いていった。

 途中、傾斜の緩やかなところで追い付き、アキラは無言でニックの服の裾を掴んだ。『何する…?』と言いかけて、アキラが困り果てて泣きそうな顔になっているのに気がついた。

 「ごめんね、ニック」

謝ってくる。

 「昔、仲の良かった友達がさ…」

話し始めた。その仲の良かった友人がある日別の友人と楽しそうに話しているのを目にして、とても寂しくなったのだという。自分以外の人と話す様に嫉妬したのだと。

 「だからニックも、そんな気持ちだったのかな?って。でもボクは今、ニックが一番の友達だからね。親友。ううん。心が繋がってるから心の友だね!」

むくれ顔はいつしかキラキラとした顔に変わっていた。親友か…と、ニックも思った。

 「そうかもな……」

言った。同じ年頃の友人がいなかったから、この感情に名前は付けられない。しかしアキラの言う事に、そうかもしれないと思った。

 「もう怒ってない?」

考え込むニックを大きな瞳が覗き込んだ。ぐしゃっと頭を鷲掴みにして撫で回す。

 「怒ってねえ。ほら、行くぞ」

 「うん!」

いつものニックだ!アキラは思った。



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