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─閑話─ 再 会

 一人の男が十数人の警護を引き連れて現れた。肩幅も広く精強な顔つき。鼻の下に整えられた髭をたくわえ、優しく微笑んでいる。

 関係者以外の立ち入りを禁じているこの楽屋も、権力者の前では無意味だったかとニコラスは失望した。


 「失礼。知り合いを待たせているので」

バイオリンケースを両手で抱えながら男の脇を、声をかける暇を与えぬよう素早くすり抜けた。

 あの男を知っている。独裁者だ。いつも厳しい目を向け、微笑みかけてもらった記憶など無いに等しい、自分を見棄てた男。

 いや、それは違うとエドワードは遺言で言っていた。しかし、当時の自分を見つめる目は確かに憎しみを湛えていたと思っている。あんな懐かしむような笑みを見せる男など知らない。

 そもそも、何故来た?

 コンサートとこの国での国際会議が重なったからと納得したが、ほぼ国内公演ばかりだったので油断していた。



 アキラはいつものように劇場近くのカフェでニコラスを待っていた。今日はアナベルもドメニコも来ていない。テーブルにコンサートのパンフレットを広げて余韻に浸っている。近年の映画音楽メドレーはクラシックを知らない自分も楽しかったのにと、アナベルが来られなかったのを残念がった。

 正面からニコラスが足早にやって来る。が、その後ろの大量の屈強な人間達に驚いた。早足のニコラスの後ろをゾロゾロと、これまた早足でやって来るのだ。


 「行くぞ!」

驚いて立ち尽くすアキラの腕を取ったが遅かった。バラバラと男たちに取り囲まれる。

 「な、何?なんか怖いんだけど」

アキラはあわあわと狼狽えている。男たちの中から威厳を湛えた紳士が現れた。『髭のおじさん。ニックが好きそう』思ったがテレパシーを送ったわけでもないのに頭を小突かれた。

 「おまえの考えそうな事は分かる」

言われて、てへへと笑った。


 「少し話をしよう」

紳士が言った。どこかで見たぞ?アキラは思った。そう。テレビだ。ネットのニュースにウェブ新聞。えーとえーと……

 ポンと手を打っておののいた。


 コーマ国大統領。ニックのお父さん。


 「ちょっと用事を思い出しました~」

こそこそと人の隙間を探す。

 「逃げるな!」

アキラの襟首を鷲掴み、ニコラスが睨んだ。

 「ボク帰りたいぃ」

言ったアキラにニコラスも帰りたいと愚痴る。

 「話をするだけだ。ここでは人通りがありすぎる。滞在先へ行こうか?」

有無を言わさない威光が滲み出ている。行かなきゃ不敬罪だよとアキラはテレパシーを送った。

─んなわけ無ぇ!

 そんなやり取りも知らず、大統領は先を歩きだした。警護の集団がその周囲を何重にも取り囲み、その集団から外れた一人がニコラスの脇にピタリと着いた。

 「行きましょう。坊っちゃん」

言われて鳥肌が立った後ろで、

 「坊っ…ぶはっ!」

アキラが豪快に吹き出した。

 「ぅるせっ!おい、お前。今度そう呼んだらお前の脳みその中、空っぽにするからな」

怒った怒った。坊っちゃんが怒ったー!アキラはニコラスに悟られないよう、静かにげらげらと笑った。しかし悟られないわけがない。思いきり頬をつねられた。

 「じゃ、親子水入らずでごゆっくり」

アキラが手を振る。

 「友達なのだろう?一緒に来なさい」

 「え?」

ニコラスがザマアミロと笑った。

 「ボク、頼んだスイーツがまだだしぃ…」

 「支払いをしよう。他に頼みたいものが有れば、それも一緒にな」

 「わぉ。太っ腹ー」

ちゃっかりパンケーキとジャンボプリンに、フィナンシェと栗どら焼きを頼んでいた。



 滞在先は領事館だった。SPの集団が二手に分かれ、大統領がホテルに戻ったと偽装した。彼は今も狙われているのだなと、アキラは恐ろしくも思う。もしここへテロリストが乗り込んだら、間違いなく巻き添えをくらう。


 応接室は思いの外質素で狭い。大統領警護の彼らは指示で外に配置され、今はニコラスと大統領とアキラの三人だ。

 大統領はいかにもな革張りの高級一人掛けソファに、でも少し緊張した面持ちで浅く腰を下ろしている。その手には小さなペンダントが握られ、彼はそれを開いては見つめ、閉じて愛おしそうに撫で続けている。

 その正面の二人掛けソファではニコラスとアキラが肩を並べて腰を下ろしていた。アキラはニコラスから体を離し、極力過去を視ないようもじもじしている。しばらく静かな緊張感が漂っていたが、アキラが我慢できなくて栗どら焼きの包みをガサガサとやりだした。過去を視たくない緊張もあったが、賞味期限の短いどら焼きを早く食べたい気持ちが強かったかもしれない。

 「おい!」

あきれた行動にニコラスが声をあげると、室内の張り詰めた空気が一変した。


 「無事に大きくなって嬉しいよ」

実に優しい、父親の笑顔。覚えがある。子供の成長が嬉しくてたまらない笑顔だ。一年近く会っていないアキラの父もこんな笑顔だった。

 「あんたのお陰じゃねぇし」

ランク上の無愛想な返答。

 「エドワードを亡くしたことは残念だった。だが彼にお前を託したのは間違いではなかった」

その名を出されるとニコラスの心が揺らぐ。彼を失った思いはまだ昇華しきれていない。


 「なんで今さら……」

自分を託したエドワードの死を知りながら、なぜ今になって現れたのか?何か目的があっての事か?まだ真意はわかりかねる。

 「彼を失って独りぼっちになっているのではと、ずっと心配していた。友達がいてくれて安心したよ」

大統領は無邪気にどら焼きをパクつくアキラを頼もしそうに見つめた。

 「うん。ボクはニックに良い影響を与えてると思うよ」

どこがだ?アキラの脇を小突いた。

 「俺は六つの時からあんたを父親と思うことはやめた。今さら顔を見せないでくれ」

 「確かに。その聴力を利用もした。怖い思いもさせてしまった。だから国外へ連れ出すよう頼んだ時、父を恨むように仕向けたのは私だ。後悔はしていない。だがニキ…」

アキラは次に食べようとしていたフィナンシェを手から落とした。小さな子供に呼び掛けるような優しい口ぶりだったのだ。

 「お前を愛し、思わない日はなかった」

 「信じられねぇ。俺が覚えてるあんたの顔はいつも苦々しい、憎しみさえ漂わせてた顔だ。目つきだ!」

それは。と、大統領は言い淀んだ。

 「オードリーを…お母さんを亡くし、お前まで失いたくなかったのだ。私がお前を大切に扱えば、お前まで政敵やテロリストの標的にされる。だからお前を邪険に扱うことで奴等を誤魔化していた」

 「母さんも?」

はっとしてニコラスは眦をきつくした。誰かが暗殺したのかと思ったのだ。

 「いや。彼女は事故だ」

深い苦しみと悲しみを紛らわせるように、彼は深くソファに座り直した。

 「事故?」

 「正直に言うと、彼女が死んだ時は少しニキを恨んだかな?」

大統領はペンダントをテーブルの上に置くとニコラスの方へ滑らせた。ニコラスがペンダントを開く。そこには音楽ディスクでは見たことがない母の姿が、幼い子供と共に映っていた。

 口許をおさえて、断続的にすすり上げるニコラスの息遣い。ちらと横を向くと一筋の涙が溢れるのを見た。

 「この三日後にオードリーは……。大切なニキを守ったんだ。本当に、無事に成長してくれて、お母さんとエドワードには感謝だよ」

しみじみと大統領が言った。

 ニコラスがアキラにもよく見えるようにそれを差し出した。

 「可愛いね。これがニックとお母さん?」

ぱぁっと笑顔を見せた瞬間を逃さなかったような、幸せそうな写真だ。ニコラスはそれをグッと握りしめると胸に抱いた。

 瞬間、鎖がアキラの指に触れる。それは一瞬。それは大統領が見た悲しみの景色。

 駆け出した庭先で頭や耳から血を流して仰向けに倒れている彼女。ニコラスは母親に抱きしめられたまま空に手を伸ばしている。動かない母親と対比するような無垢な笑顔。見上げると、使用人らしき人影がバルコニーから下を見おろして悲鳴を上げている。

 アキラは今見た光景を追い払うように、慌てて頭を振った。

 「すまない。鎖、触れちまったな」

 「ううん。大丈夫だよ。幸せな一瞬が見えた。ニック、可愛かったよ」

アキラが言ってはいけないと思った。たぶん彼女はバルコニーから転落しかけたニコラスを抱いて、そのまま転落したのだ。息子を守って自らをクッションとして。


 「俺を守ったって?どうして?」

ニコラスの目元から嫌悪が消えていた。嫌悪より自分の知らない母を、もっと知りたいと訴えている。

 アキラはハラハラと父親とニコラスを交互に見つめた。知れば悲しむかもしれない。知れば自分を責めるかもしれない。ニコラスはよく一人で考え込むから。

 「どうしたって事故だったのだ。子供の行動は親の責任だからね」

こくりと喉を鳴らす音が大きい。

 「二階で遊んでいたニキは、バルコニーから身を乗り出したのだそうだ。オードリーは落ちかけたニキを咄嗟に抱き、怪我の無いよう仰向けのまま下の石畳に体を打ち付けたんだ。ニキは悪くない。その行動を見てやれなかった親の責任だ。私も側にいたかった」

 「俺の、所為」

 「違うよ。ニックは悪くないんだ。まだ高い所の怖さも知らない子供はよくやってしまうんだ。ちゃんと見ていない大人がダメなんだよ」

やっぱり自分を責めると、アキラはどうにかしてそういう思いを回避させてあげたかった。

 「彼の言うとおりだ」

 「でも、それで母さんが…」

 「ニキ…」

立ち上がった大統領は肩書きを無くして一人の父親になっていた。うっすら涙を浮かべ、ニコラスの脇に来て抱きしめた。

 もしかすると、彼も今まで悲しみに泣くことを堪えていたのかも知れない。声を出すことをしていないニコラスをきつく抱きしめ、彼も涙をこぼしていた。ニコラスが声をあげた。悲しい嗚咽だった。

 こんなシーンに弱いアキラも、やはりもらい泣きをしていた。



 数日後、大統領の帰国の日が来た。彼を見るニコラスの目からは厳しさが失せている。あの後、アキラは二人を残して帰宅した。

 どんな語らいがあったのかは分からない。しかしニコラスにはどこか吹っ切れた表情があった。

 「一緒に来る気はないのかい?」

 「だって、ここにはエドワードの思い出があるから」

 「彼には本当に良くしてもらったのだね」

父の顔で笑う。

 「いつでもおいで。ニキとお母さんと共に過ごした別荘はそのままだ」

愛おしそうにニコラスの両頬にキスをして、うんと頷いた彼は父から政治家の顔になっていた。

 「お願いがある」

ニコラスは言った。大統領は首をかしげた。

 「ダミーには乗らないで」

一瞬、目を丸くした大統領はにこりと笑い、背を向けて去っていった。



 それから数時間後、コーマ国大統領の専用機がテロ攻撃を受けて国の上空で爆発した。

 しかし大統領は無傷で帰国。熱狂的なまでの支持者の出迎えを受け、彼は満面の笑みで手を振っている。

 そんなニュース映像が流れていた。


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