第4話:木剣と刃長
黒嶺の里の中央にある広大な鍛錬場には、鋭い風切り音が絶え間なく響いていた。
長男アルスの振るう大剣が空を裂き、地面の木片を跳ね飛ばす。その一撃一撃には無駄がなく、純粋な筋力と長年の修練が昇華された圧巻の威容があった。傍らでは次男ルシアンが、洗練された動作で魔導陣の詠唱と体術を噛み合わせている。
正面から敵を粉砕する絶対的な武術。
イグニスはその光景を鍛錬場の隅から静かに見つめていた。周囲は二人の華やかさに歓声を上げているが、イグニスはただ冷徹に兄たちの技の精度を認めている。あれは並大抵の努力で届く領域ではない。正面からぶつかれば、自分など一瞬で肉塊に変えられる。
「おい、イグニス。何処で油を売っていた」
汗を拭いながら歩み寄ってきたのは、長男アルスだった。巨躯から放たれる圧迫感は、並の剣士なら足が竦むほどだ。
「物置の整理だよ、アルス兄さん」
「手元が甘いぞ。これを使え」
アルスは無造作に、一本の練習用長剣をイグニスへ投げ渡した。
受け取った重みに、イグニスは密かに眉をひそめる。使えないわけではない。型も間合いも理解している。だが、刃渡りの長い獲物はどうにも肌に合わない。間合いを広く取る戦い方は、相手に逃げ場と選択肢を与える。イグニスが好むのは、相手の懐に潜り込み、首筋や関節へ一撃で届く短い刃――短剣だった。
「お前も黒嶺の男だ。基本の型くらい身体に叩き込んでおけ」
アルスは吐き捨てるように言い、木剣を構えた。
立ち合いが始まる。アルスが長剣を上段に構え、一歩を踏み出す。直後、凄まじい速度の突進がイグニスを襲った。
イグニスは手にした長剣で受ける真似はしなかった。長剣のリーチを自ら捨て、踏み込みの瞬間に身を捻る。
滑り込むようにアルスの懐へ入り込むと、長剣の柄を捨て、空いた両手をアルスの突き出した腕の支点へと添えた。
体重移動と重心の破壊。
イグニスの真骨頂である体術――特に相手の力を利用した密着投げの軌道。
瞬間、アルスの巨躯が浮き上がった。
だが、アルスは空中で力任せに体勢を反転させ、片足で強引に着地してみせた。地響きとともに泥が舞う。
「……相変わらず、嫌な間合いに入るのが上手いな」
アルスは呼吸を乱すこともなく、イグニスの胸元を睨みつけた。
「長剣を握らせれば腰抜けの動きだが、刃を捨てた途端に殺気が変わる。……お前のその歪んだ性根は、いつ見ても反吐が出る」
吐き捨てられた言葉。だが、その瞳に嘲笑の色はない。
アルスはイグニスが本気で長剣を使おうとしていないことも、今の一瞬で自分の完璧な踏み込みを無力化し、投げに持ち込もうとした異常な反応速度も、全て理解していた。言葉で褒めることは絶対にしない。それが黒嶺の長男としての矜持だった。
「俺に剣の才能がないのは、昔から知ってるだろ」
イグニスはタレ目を細め、拾い上げた長剣を武器立てへと戻した。
腰の後ろに隠した短い刃の感触。掌に収まるその長さこそが、自分にとって唯一、死線で命を託せる道具だった。




