第3話:陰影と毒調合
黒嶺の里の裏手にある物置小屋は、普段から人の出入りがほとんどない。
薄暗い室内には、先ほどレナと共に運び込んだ過酷な遠征用の資材や樽が積み上げられていた。
「おい、イグニス。次はこれを奥に運べ」
腕組みをしたレナが、顎で指示を出す。汗で張り付いた赤髪を指先で払う動作すら、鍛え上げられた肩から背中、腰にかけての躍動的な筋肉の動きを際立たせていた。
「了解……」
イグニスは気のない返事をしながら、重量のある木箱を持ち上げた。
持ち上げるフリをしながら、指先の感覚で中身を確かめる。中に入っているのは、正統派の兵士が好む重厚な鉄の小箱と、用途の限定された回復用錬金薬だ。長男アルスの好む「正面からの合戦」を前提とした資材ばかりだった。
イグニスは箱を積み上げながら、作業の隙を見て腰のポーチから小さな小瓶を取り出した。
先日の剛角熊から削り取った胆嚢の乾燥粉末と、小屋の隅に群生していた粘着性の胞子草。それらを指先で手際よく混ぜ合わせる。
「……おい。何コソコソやってる」
頭上から冷たい影が落ちてきた。
振り返る間もなく、襟首を強く引っ張られ、そのまま床板へと倒し込まれる。
視界が反転し、重い圧迫感が体にのしかかった。
レナがイグニスの胸の上に跨がり、上から見下ろしている。
タイトなレザー鎧越しに伝わる強靭な肉体の質量。特に彼女の豊かな太ももと圧巻の腰回りが、完全にイグニスの自由を奪っていた。
「……呼吸が苦しいんだけど、レナ」
「ごまかすな。その手に持っているものは何だ」
レナの眼光が、肉食獣のように鋭く光る。
イグニスは抵抗を諦め、脱力したまま小瓶を見せた。
「ただの害虫避けの薬だよ。裏山は蚊が多いだろ」
「ウソをつけ」
レナは顔を数センチの距離まで近づけてきた。息が触れ合うほどの近さ。
彼女の視線はイグニスの顔面、特にその垂れた目元を射抜くように凝視している。
「お前はいつもそうだ。そうやってヘラヘラ笑いながら、手元では訳のわからないものを作っている。……お前のその顔の奥にあるものが、昔から気に入らないんだよ」
「深読みしすぎだって」
「殴って吐かせたら本当のことを言うか?」
レナの右拳が握り締められ、関節の軋む音が静寂に響く。
イグニスは首筋に冷や汗が流れるのを感じながら、心の中で冷静に計算していた。
ここから脱出するための最短手順。顎の下への指突き、膝裏への加圧、ポーチの中の痺れ薬。幾つかの選択肢が脳裏をよぎるが、どれを使ってもこの距離では反撃の蹴りで骨を砕かれる。
「……分かった、分かったから。降参だ」
イグニスが力なく手を挙げると、レナは不満そうに鼻を鳴らした。
彼女はゆっくりと体重を退け、立ち上がる。その去り際、わざとらしく踏み出された足がイグニスの脇腹を軽く蹴り飛ばした。
「早く片付けろ、無能。終わったら鍛錬場に来い。アルス様が呼んでいる」
レナは振り返ることなく、物置小屋の重い扉を押して出て行った。
陽光の中に浮かび上がる彼女の圧倒的な後ろ姿と引き締まったラインを目で追いながら、イグニスはゆっくりと起き上がった。
床に落ちていた小瓶を拾い上げ、指先で塗布した薬の混ざり具合を確認する。
皮膚に触れればコンマ数秒で運動神経を遮断する、極上の麻痺毒が完成していた。
「……鍛錬場、か。気乗りしないな」
イグニスはタレ目をさらに細め、小瓶を懐深くへと滑り込ませた。




