↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
84/154

第84話「灰の同盟へ」


出立の支度に、十日をかけた。


だが、その十日の大半は、旅の荷を詰めることではなかった。


街に残していくものを、決めることだった。


◇


灰の同盟の、集会は、あの東区の穀物倉で開かれた。


スピカ戦の後だ。集まった隊の数は、結成のときの、倍を超えていた。組合の傘の下にいた独立系が、雪崩を打って同盟へ、移ってきた。理由は単純だった。決戦の日、大穴の出口で盾を並べて死んだ男たちの、半分が同盟の人間だったからだ。


その、倉の樽の上に。


ヴァンネスが立った。


「――俺は、旗頭を降りる」


倉が静まり返った。


「リディアへ行く。〈鉄樹〉と一緒にな。……理由は、言えねえ。だが、行かなきゃならねえ」


ざわめきが広がった。旗頭が去る。スピカを退けたばかりの、この街から。


「――だから、次の旗頭を決める」


老兵は、集まった顔をぐるりと、見渡した。


「言っとくが俺は、旗頭に向いてなかった。俺は、古株で顔が広くて口が回るだけの、爺だ。……同盟に本当に必要なのは、そういう奴じゃねえ」


ヴァンネスの、視線が倉の後ろの方で止まった。


「〈青麦〉のピノ。前へ出な」


倉中の、視線が一斉にそこへ集まった。


そばかすの、少年が飛び上がるほど、驚いた顔をしてそれから真っ赤になって後ずさった。


「お俺!? 冗談じゃねえよ! 灰級だぜ、うちは! 結成一年で、二回全滅しかけて――」


「そうだ。おまえは弱い」ヴァンネスは、あっさり、頷いた。「弱いから、いいんだ」


老兵は、樽の上から静かに続けた。


「同盟の、規約の三つ目を覚えてるか。……『飢える新人を、出さない』。この規約を一番、身に沁みて分かってるのは、誰だ。入穴料が倍になって、松明の油が買えなくなって、それでも潜るしかなかったあの日のおまえだろうが」


ピノの顔から、赤みが引いていった。


「強い奴は、忘れる」ヴァンネスは言った。「自分が弱かった日を。忘れた奴が旗を持つと、規約は飾りになる。……だがな、坊主。おまえは忘れねえ。忘れられねえ。……その、忘れられなさが旗頭の、資格だ」


忘れられなさが資格。


その言葉に俺は、胸を突かれた。


忘れていく男には、決して持てない資格だった。


集会の、帰り道。コッツが俺の、横でぽつりと言った。


「……爺さん、たぶん兄貴のことも、考えてたぜ。あの言葉」


「え?」


「『強い奴は、自分が弱かった日を忘れる』ってやつ。……あれ、旗頭の話でもあるけど、兄貴の話でもある」


少年は、足元の石を蹴った。


「兄貴は忘れる。星無しって嗤われた日も、飯が食えなかった日も、そのうち、消えるかもしれねえ。……でも、忘れても、兄貴は弱かった奴の側に、立ち続けてるじゃねえか。スラムの井戸番も、青麦の稽古も、四十七人のガキも。……なんでだと思う?」


俺は、答えられなかった。


「体が覚えてんだよ」


コッツは、あっさり言った。


「記憶は、消えても。どっちに立つかは消えねえ。……だから、兄貴は大丈夫だ。おれはそう思ってる」


どっちに立つか。


それは記憶ではなく、たぶんもっと、深い場所に刻まれるものだった。器の底のそのまた底に。


◇


その夜、ピノが俺のところへ来た。


「……リゲルさん。おれ、できません」


少年は、青い顔で言った。


「三十の隊をまとめるなんて。……おれ、いまだに地図の読み方だって、あやふやで。演説だってできねえ。……無理だ」


「俺も、無理だと思う」と、俺は答えた。


ピノが傷ついた顔をした。


「今のおまえには、無理だ。三十の隊はまとめられない。……だが灰級の五人は、まとめられるだろう。おまえは、それを一年やってきた」


「……それは、まあ」


「なら、そこから始めろ。三十の隊をまとめようとするな。三十の、灰級の五人を一つずつ、まとめろ。……それを五年、やれ」


ピノは、しばらく、黙っていた。


「……五年」


「俺がじいさんに狩りを教わったのも、五年だ」


その言葉を言った瞬間。俺の口の中に苦いものが広がった。


じいさん。俺を器として育てた男。


だが――その男から、俺が教わったものは。


罠の張り方。風の読み方。獲物への、礼儀。仲間の背中の、見方。


それは、本物だったのか。全部が調教の、道具だったのか。


分からない。分からないまま、俺は、その教えをコッツに渡しコッツがピノに渡している。


毒の入った、器から汲んだ水を。


それでも、その水で育つものがある。


「……ピノ」と、俺は、言った。「一つ、教える。俺が五年かけて教わったことの、一番、大事なやつだ」


少年が顔を上げた。


「――教わったものは、次に回せ。それだけだ。おまえが誰から、何を教わったにしても。その先で誰に渡すかは、おまえが決められる」


誰から、教わったかは選べない。


だが、誰に渡すかは選べる。


それが二年かけて俺がじいさんの手紙から、やっと、掴んだたった一つの自分の答えだった。


◇


引き継ぎは、他にもあった。


コッツが青麦の五人と、スラムの子供たちに罠と、索敵と、逃げ道の数え方を叩き込んだ。「おれがいない間、この街の目はおまえらだ」と。


ミレアが青麦の治療係の娘に、薬草と、順番の決め方を書き残した。三十枚の覚え書き。「値段は、自分で決めなさい。誰かに決められた順番で、人を治すのは二度と御免だから」


ガロは――砕けた盾を、集会所に置いていった。


「使えねえ盾だ」と、大男は言った。「だが、置いておく。……いつか、誰かがこの盾を見て『こんなに壊れてもまだ立ってた奴がいたのか』って、思うかもしれねえ。それだけでいい」


名前は、残る。


遺品にも。記録にも。教えにも。


俺たちがこの街を去った後にも。


◇


そして、俺は。


俺は最後にギルドの、封緘書庫へ、行った。


ニラの、案内で。


そこには、二年分の〈鉄樹〉の、記録があった。討伐記録。報告書。裁定の写し。ニラが書き続けた、几帳面な、字の束。


「持っていくの?」とニラが、訊いた。


「いや」


俺は、首を振った。


「残していく。……この街に。俺が何を狩って何を失って誰と、生きたか。全部、ここに書いてある。……俺が忘れても。この街が覚えててくれる」


記録は、命より長く残る。


俺がいつか、この二年を丸ごと、忘れる日が来ても。


ヴェルデという街が、灰の大穴がこの書庫の紙の束が。


覚えていてくれる。


「……ニラ」


「うん」


「あんたの書いた記録が、俺の二年間だ。……ありがとう」


ニラは、返事をしなかった。


ただ、書庫の埃の中でしばらく、俯いていた。


俯いたまま、小さく、笑ったのが肩の震え方で分かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。